第十一話 思い出の人にもう会えない
隣町へ行く道中、車内での会話は無いに等しかった。オッちゃんは無言で車を運転し、私は私で助手席から窓をジッと眺めているだけであった。
依頼を受けてから三日目。朝早くに、オッちゃんは足利佳子さんに連絡をした。本日、宇治川さんのことについてお話をしたいのだが、どこでも良いので会えないだろうか。と。
佳子さんから返事を貰ったのだが、代わりに一つ、要求があった。場所は指定したところで会いたいとのことで、私達は佳子さんが指定した場所へ向かった。
会うのは私とオッちゃんだけであった。昨日の話し合いの中で、双子には冬志さんと一緒に留守番をして貰おうと決まり、館長さんはと言うと。
「私は探偵でも助手でも無いから」
自ら辞退したのだった。
「ねえ、オッちゃん」
沈黙の中、小さな声で私は尋ねた。
「話って、何かな?」
「分からん」
「宇治川さんのことについて、って佳子さんも言ってたんだよね?」
「ああ。向こうも話したいことがあるって言ってた。ただそれが何かまでは、何一つ言わなかったがな」
私も探偵さんにお話ししたいことがあります。
もちろん、探偵さんがお知りになりたい類いのお話です。
昨日、館長さんか新聞記事を見せて貰った後、オッちゃんはすぐに佳子さんへと連絡を取った。すると佳子さんは連絡が来ること、そして私達が足利 里子さんのことについて話を聞きたいことが分かっていたかのように、佳子さんはオッちゃんに一言、そう言ったのだった。
言葉では何の事を聞きたいのかをオッちゃんは言っていなかったけど、きっと佳子さんは宇治川さんの過去に関連することだろうと分かっていたんだろう。
しかしそれが、宇治川さんの過去のことなのか、それとも宇治川さんとリリーさんの関係のことなのか。
はたまた全く違う何かなのか。
もしくは全ての真実か。
「そう…………」
私は小さく覇気のない返事をする。
「心配しすぎだろ。もしかしたら、話してくれる内容が大どんでん返しのハッピーエンドかも知んねえだろ?」
「いや、それは流石に……」
「あり得ないか?本当に?」
「むう……。どうなんだろ?」
「絶対に無いとは言い切れねえ」
「……うん」
「なんにせよ、佳子さんの話を聞いてからだ。リリーさんについても、宇治川さんについても、本人自身についても、話してもらえることは全部聞いてやる。後悔すんのは、そこからで良い。どうしたいかを決めるのも、その時で良い」
「……そうだね」
私の心の中を覆う大きな不安と小さな期待。
それが凶と出るか、はたまた鬼が出るか。
私は窓の外の景色に目線を移す。再び静寂に包まれる車内。そして私達は、目的地を目指した。
指定された場所は、シーポートへ向かう坂の頂上。近くの大きな会社を通り過ぎたその奥、この町が一望できるほどに高い居場所に作られた公園だった。八月の九時前、これから暑くなる一方であろう時間帯ということもあって、まだ人は少ない。遠くで部活動を行なう高校生が集団でいる以外、歩いている人などほとんど皆無だった。私とオッちゃんは、公園で指定されている駐車スペースに車を止めた後、公園の中へと入っていった。あたりを見渡して、指定された場所を探す。
「指定の場所はどこだっけ?」
「あーと、確か展望台近くの休憩スペースだったな」
そう。と私は返事をして、再度あたりを見渡す。滑り台やシーソー、ジャングルジムなどのその先、芝生から石畳へと変わる境界線と、これ以上先に進んではいけないと警告する鉄柵。そして石畳の脇に屋根とベンチのみが置かれた質素な休憩スペースがあり、そこに座る一人の老女の姿。
「おはようございます、佳子さん」
私は涼んでいる老女にそう声をかけると。
「あら助手さんと探偵さん。お早う」
老女は静かな笑顔で、挨拶を返した。
「ごめんなさいね、こんなところに呼び出して」
佳子さんが申し訳なさそうに言うので、私は「いいえ」と笑顔で答えた。
「すごいですね、この場所。町が一望できます」
私は展望台からの景色を見ながらそう言った。
密集する住宅街。少し高台にある学校に、町の人が使っているだろう大型デパート。遠くに見えるのは湖で、その周りには生える木々。そして広がる八月の青空。目の前に広がる景色は、まるで一つの秀逸な作品を見るような、心が満たされるような、そんな気持ちだった。
「すごいでしょ?これでも町の一部分なのよ」
佳子さんは笑顔で話を続ける。
「山からのぞく景色は、人が住み家があって、生活に必要な物資を手に入れる場所もあって、子供達が学べる学校があって、森林や川、湖もあるのよ。ただ一つ、ここからじゃ海が見えないわ」
「………………」
「隣にお座りになって」
佳子さんは自信の右隣に手のひらで指し示す。私はお言葉に甘えて佳子さんの隣に座り、オッちゃんは自身の顔の前で右手を軽く小刻みに振って遠慮をしていた。
そして、しばしの沈黙の後。
「どこまで調べられました?」
佳子さんはオッちゃんに尋ねた。オッちゃんは来ていたジャケットの右内ポケットから折りたたんだ紙を取り出し、開いて佳子さんへと渡した。
「リリーさんの正体が足利 里子さんである事。そして足利 里子さんは、昔、あなたがすんでいた住所と全く同じ場所に住んでいた事が分かっています」
渡したのは昨日見た新聞記事のコピー。佳子さんは軽く目を通して、そして。
「そう」
そう返した。
「他には、何か調べられた?」
「……いいえ、これだけです」
「本当に?」
「もちろん。これ以外の資料なんて見つかりませんでしたし、リリーさんの正体を知るのは、この資料だけで十分ですから」
オッちゃんはまっすぐ目線を佳子さんに向けて、そう言った。佳子さんは再び、「そう」と言って、その後は何も言わなかった。
「佳子さん、教えてくれませんか?足利 里子さんのことを。そして、足利 里子さんが宇治川さんやあなたと関係している話を」
「………………」
佳子さんは少しうつむいて、資料を見る目を細めた。
「姉よ」
「……姉、ですか?」
「そう。足利 里子は私の姉。私と『リリー』さんは姉妹なの。年は三歳違い。美しくて勝ち気、そして人情と男気がある人だったわ。女性なのに男気は変な話だけれども」
「足利 里子さんと宇治川さんの関係については、何かご存じですか?」
「知らない、と言ったら探偵さんは信じてくれるかしら?」
オッちゃんの目を見て微笑む佳子さん。
「信じましょう。けれど俺は、疑いもします」
「そう。疑われるのはイヤだわ。それじゃあ観念して真実を話すしかなさそうね」
「是非ともお願いします。何かご存じで?」
オッちゃんがそう聞くと、佳子さんは無言で一枚の小さな紙を取り出し、それをオッちゃんに渡した。オッちゃんがその紙を見ると、目を大きくしてあからさまに驚いた様子で佳子さんを見て。
「なんで、これを……」
そう言っていた。
「姉が送ってきたの。裏に、真実が書いてあるわ」
オッちゃんは言われたとおり紙を裏返してみると、「ああ、なるほど」と気の抜けたように一言漏らし、そして紙を私に渡してきた。
受け取った私は、紙の表を見てみると。
「え……」
それは一枚の写真だった。
カフェらしき場所に写る三人の男女。真ん中の男性はカウンターの奥にいて、男女はカウンター席に座っており、三人ともこちらを見ている。
そう、それは。
宇治川さんに見せて貰った写真と全く同じものだった。
「なんで、佳子さんがこれを持って……」
「芹子ちゃん、裏を見てみな」
戸惑う私は、オッちゃんの言葉に従い、裏を見てみると、そこには綺麗な字で横書きに。
私と、カフェの店主さん。
そして隣に座る、愛しき人。
そう書かれていた。
「愛しき、人……」
「正真正銘、姉から送られてきた写真。字も、姉のものよ。証拠はないけれど。二人は信じてくれるかしら?」
「私は信じます」
「俺も今は信じます。話してくれる内容次第では疑うこととなりますが、今のあなたに嘘をつくメリットはないでしょう?」
「あら、探偵らしい言葉ね」
「探偵ですから」
オッちゃんはそう言うと少し苦笑いをして、一方の佳子さんは優雅に微笑んでいた。
「その、つまりは、リリーさんと宇治川さんは……」
「恋仲だったんだと思うわ。姉さんは最後まで教えてくれなかったけど、私はそう思ってるの」
「そう、ですか……」
私が声をすぼめていき。
「あの!一つ、分からないことが有るのですが……」
私は佳子さんに聞いてみた。
「何故、このことを宇治川さんに言わないんですか?恋仲であったことを隠しておく必要と何て無いじゃないですか」
私の言葉に、目線を下げて聞いていた佳子さんと、何故か目線をそらしたオッちゃん。
「そうね。探偵さんは何かご存じ?」
「……いえ、知りません。皆目見当もつかないくらいですよ」
「そう。お優しいのね」
「何の事ですか。考え浮かばないのは、俺が探偵として未熟だからです。何故、宇治川さんに話さないのか分からないし想像もつかない。だから俺達は、あなたが話す真実を聞きたくて、ここに来たんですよ」
「……そう、ありがとう」
佳子さんはヘラヘラと笑うオッちゃんにお礼を言って。
「ねえ、助手さん。今から少し長い昔話を話すけど、聞いてくれるかしら?」
私が、はいと二つ返事で返すと。
「真実とはほど遠い、私が見てきたとある事実。あれは、とても昔のことだったわ」
何十年も前のお話。
それこそ、助手さん、探偵さんすらも生まれるずっと前の話よ。
私が十七歳で、姉が二十歳になるぐらいね。
その頃、私の家は貧乏だったわ。
明日どころか、今日の食べ物も困る程に貧しかったわ。
それに追い打ちをかけるように発覚した父の不倫。そしてあろう事か、家のお金を全て持ち去り、不倫相手とどこかへ行ってしまった。
恥ずかしい話よ。家に入れるためのお金を全て不倫相手につぎ込んでいたんですもの。そしてそのまま、父は二度と私達に姿を見せることはなかった。不幸中の幸いで不倫相手には家族がいなかったから、裁判や警察沙汰になることはなかったけれど、それでも、私達に絶望を与えるには十分だった。
母も姉も、もちろん私も必死に働いたわ。けれど、貧しさは増す一方。ついにはお金が底をついてしまい、私達一家は路頭に迷う一歩手前まで追い込まれた。
その時、姉さんが言ったの。
海のあるあの町に行けば、お金をいっぱい稼げる、と。
母は反対したわ。年頃の娘がお金を稼ぐ方法なんて限られているし、何をするかも分かっていたから。
平川さんから聞いたかしら。昔、シーポートがあった『海の町』のお話。
そう。
二つの組織が睨み合ってたって言う、あの暴力と滑稽の町。
あの町で女性がお金を稼ぐ方法は、ただ一つ。
そうよ、助手さん。あなたの言うとおり。
姉は春を売ることを決めたの。
止めたわ。何度も。
でも何も聞く耳は持たなかった。
だから何度も言い争った。
終いには、姉さんが行くなら私も行く、って姉に言い出してたわ。
すると姉さんは、真剣な顔で言ったの。
あなたには母さんとは別の大切な人がいるでしょう。
だからあなたは、ここで生きなきゃいけないの。
……そう言ってくれた。
私の夫、その頃はまだ、好き同士の関係だった。未来に絶望しか見えなかった私の、一筋の希望。会う時間もほとんど取れないし、夫も夫で仕事をする毎日。あの頃は結婚なんて夢にも思わなかった。それよりも、この恋にもいつか終わりが来るんだ何て思ってたわ。
姉さんに言われて、少しだけ未来が見れた気がしたの。
涙が止まらなかったわ。
姉さんは私の事を考えてくれ、姉さんは私に生きる未来をくれた。
なのに。
私は、姉さんが地獄に行くのを止められなかった。
それから、姉さんは海の町へと向かったわ。連絡は、姉さんから一方的に送られる手紙のみ。それも、年に数えるほどしか送らなかった。
ずっと心配していたから、手紙が来ると一安心していたのを覚えている。
姉さんが海の町に行ってから数年後、姉さんの仕送りで何とか生活が保ててきた私達のもとに、いつも通り手紙が届いたの。
姉さんからだった。
滅多に来ない手紙だったから急いで封筒を開けて読んだのを覚えているわ。内容は、いつも通りだったけどね。
そっちはどうなの?こちらは元気でやっている。心配はいらない。
そちらの町からこちらの町まで行くのに、どう頑張っても一日はかかってしまう。だから疲れてしまう、何て事も書いてあったわ。
そうよ。
だから私は、あの町のことを知っていたの。平内さんに教わるでもなく、行ったこともない。あの町のことは全ては姉が教えてくれたの。
そして、いつもの手紙とは違い、嬉しいニュースが一つ載ってた。
海の町の生活を終えて、近々こっちに帰ってくると。
私と母は二人して喜んだのを覚えているわ。
そして同封されていた、この写真。
私は姉から送られてきた手紙と写真で、宇治川さんと店主の平内さんのことを知ったわ。姉さんの手紙には詳しく書いてあったわ。平内さんのコーヒーは姉さんには少し苦いことや宇治川さんと姉さんが付き合っていること、そして今度こっちに帰るときに私に紹介したいと書いてあった。
私は、姉さんが帰ってくる日が待ち遠しかった。
きっと今より稼ぎは減るだろうけど、それでもいい。
笑顔と共にまた、家族がそろうことになるのだから。
だけど。
笑顔になる日は、来なかったわ。
姉がここに帰ってくる日に、姉はこの町に帰ってこなかったの。
それから幾日、待っても待っても、姉は帰ってこなかった。
連絡を取ろうにも、送られてくる手紙に住所は書いて無く、姉の安否を確認する方法がなかったわ。
いいようのない不安はどんどん膨らんでいった。もしかしたら姉さんに何かあったのではないか。事故、いや、もしかしたら何か良からぬ事に巻き込まれたんじゃないのか。なんて考えていたこともあったわ。
約束の日が過ぎるごとに、不安はどんどん大きくなっていった。
そして、一週間ぐらいたったとき。
姉さんはボロボロの姿で私達の家に帰ってきたの。
髪も顔も、砂と泥にまみれていた。綺麗な顔が台無しって位に、酷い顔をしていた。着ていた服は所々に破けて、左腕には大きな傷があったのを覚えている。体は衰弱していて、意識も盲ろうとしていて、私が姉さん、と声をかけたら、笑顔を見せて、玄関で倒れたわ。すぐにお医者様に見せたけど、長くはないと言われたわ。
数日間、昏睡状態の中、意識を取り戻した姉さんが私に言ったの。
海の町の抗争に巻き込まれてしまった。
自分はもう長くないだろう、と。
でもあの人に私がここにいたことは伝えなくていい、と。
彼には希望を持ったまま生きてて欲しいから、と。
意識を取り戻した姉は数日後、亡くなった。
姉が死んで何週間かした後に、私は平内さん達と新しいシーポートで会ったわ。
偶然だった。
私は二人を見るやいなや、すぐに姉さんの写真に写っていた二人の男性だと分かったわ。
そして、平内さんに聞いたの。
何故、姉は死んだのに、あいつとあんたはのうのうと生きているんだって。
平内さんは私の言葉を聞いて、そして理解した。すると表情がだんだんと青ざめていくのが分かったわ。
そして、私に言ったの。
申し訳ない。
あなたのお姉さんを救えなかった。
そこで平内さんに全てを聞いたわ。
実は姉さんと一緒にこの町へ逃げること。
しかし、抗争のせいで、それが叶わなかったこと。
そしてその抗争のせいで、宇治川さんの記憶が全て無くなっていること。
平内さんはなりふり構わず、町から逃げてきたこと。
知ってることを全部、聞いた。
ごめんなさい、探偵さん。助手さん。
宇治川さんの正体が何者かは、私には分からないの。
私が知っているのは、記憶をなくした後の宇治川さんだけ。
姉さんを知っている頃の宇治川さんは、私は知らないの。
力になれなくてごめんなさい。
……。
…………。
私が聞いたのは一つだけ。
姉さんと宇治川さんの関係を知っている平内さんに聞きたかったことがあって、聞いてみたの。
姉さんは幸せだったのですか。って。
平内さんは、二人とも愛し合っていた。と言ってくれたの。
私は、その言葉で救われたわ。
でも同時に不安になった。
もし宇治川さんに何かが起きて、昔の記憶がよみがえったら、姉さんのことを思い出してしまったら、きっと何かが壊れてしまうと思ったの。
宇治川さんも、姉さんの意思も、平内さんも、そして私も、全て壊れてしまう。
ならばいっその事、宇治川さんは姉さんのことを思い出さない方が言いと思った私は、平内さんと協力して、この事実を隠したの。
宇治川さんが二度と、姉のことを思い出さないように。
だから私は、平内さんに協力して貰った。
壊れたままの歯車がかみ合うことなく空回りし続けることを望んで。
今もまだ、嘘をつき続けているの。
「それが、私が語れる事実よ。私が知るのは『リリーさん』。足利 里子と宇治川 要の関係と姉さんの手紙に書いてあったことだけ。他は全部、平内さんに聞いたものなの」
「……平内さんは、全部知っていたんですね」
私が少し寂しそうにそう言うと、オッちゃんは軽く舌打ちをして「やっぱり……」と呟いていた。すると佳子さんは、先程と変わらぬ口調で。
「でも平内さんを恨まないであげてね。私が誰にも言わないでとお願いしたの。平内さんは、私との約束を守ってくれてるだけ」
「大丈夫ですよ。ただ、あのオーナーにしてやられて、探偵業をしている俺にしてみればただただ悔しいだけなんで」
「やっぱり、探偵さんは気づいてたのね」
「怪しいなと思ってただけですよ。まさか全部知ってたとは思いませんでしたが」
「……私が話さなくてもきっと、遅かれ早かれ、探偵さん達ならこの事実に気がついたでしょう。ならばいっそ、私からお二人に話せればと思って来て貰った。いつか知られる真相が、知るのが少し早まっただけ。宇治川さんのことも、平内さんのことも、私のことも。私が知ってること全てを、知って欲しかった」
そして何より。
姉さんのことをね。
「私は、姉さんと約束したの。そして今も、約束は続いている」
「約束、ですか……?」
「ええ。私が死ぬまで、この約束は終らないし、終らせないわ」
目を細め、遠くの空を懐かしむように見る佳子さん。私はただただ、かける言葉も、慰めの言葉も思い付かず、うつむいて石畳の地面に視線を落とすしかなかった。
「それで、どうするの?」
佳子さんは私に視線を向けて、問いかける。
「あなたたちの依頼は、リリーさんについて調べることだけど、今、私が話と事をそのまま宇治川さんに言う?」
「それは…………」
何かを言いかけ得て、でも、何も言えなかった私は、言葉に詰まってしまう。そして、ただただ目線をそらして下を向いていた。
「私としては、このまま何も聞かなかったことにして欲しいと思っているのだけれど。探偵さん、ダメかしら?」
「いやあ、それは勘弁して貰いたいですね。依頼人との契約違反になりますからね」
まっすぐと佳子さんに目を合わせて、オッちゃんはそう言った。
「俺は言いますよ。リリーさんの正体は、足利里子さん。あなたのお姉さんであったと。それが依頼ですから」
「オッちゃん、それは……!」
「おう。どうした、芹子ちゃん?」
「それは、その……」
可哀想だ、何て言えるはずもなく。
黙っておこう、何て提案できるわけもなく。
理不尽だ、と誰に駄々をこねれば良いのか分からず。
私を見つめるオッちゃんに、私は何も言えなかった。
「ダメよ、探偵さん。助手さんを威嚇しては」
そんな私に助け船を渡したのは、佳子さんだった。
「今さっきこんな話を聞いたばかりで、どうしようかと即決できる人なんていないわ。私が何十年もの間、悩み続けていることよ?」
「お言葉ですが佳子さん。こいつも探偵の助手です。真実を知ったからには、どうするか決めないといけません」
「酷な話ね」
「探偵の助手ですから」
佳子さんに辛辣そうに言い放つと、オッちゃんは私の前に立ち、そして。
「芹子ちゃんはどうしたいんだ?宇治川さんにリリーさんのことを話すのか。それとも、佳子さんの約束通り、黙っておくのか」
「私は……」
「考えてみろよ。そして信じるなら、疑え」
「…………!」
疑う?何を?
そうだ、考えろ。
私は、何を、どうしたいんだ?
疑え。
私は、宇治川さんに、リリーさんは足利里子さんである事を伝えたい。
同時に、佳子さんがリリーさんとした約束を破らせたくはなかった。
疑い続けよう。
宇治川さんが過去を思い出すことによって、悲しむ人物がいるかもしれない。
話さなければ、宇治川さんは平内さんを安心させる事できないと思っている。
探偵が疑う事は。
相反する二つ。
だったら私は、どうしたいのか。
信じることと繋がるのだから。
「決めた……」
「へえ。どう決めたんだ、芹子ちゃん?」
「オッちゃん」
私はさっきまでの暗い表情とは違い、納得と決意の表情で、オッちゃんに言った。
「私は宇治川さんにリリーさんの事を話すべきだと思う」
「何を?」
「足利里子、リリーさんのことについて」
宇治川さんが知りたがっていることは、知るべきだ。
それは譲ってはいけない、私達が受けた依頼だから。
「……それは、佳子さんがリリーさんとした約束を破ることになってもか?」
「ううん、違うよ」
そして笑顔で、オッちゃんに言う。
「真実だけで、嘘をつけば良いんだ」
約束を破るから苦しいんだ。
分からないままだから怖いんだ。
じゃあ。
知りたいことだけを話せば良い。
言いたくない事は言わなければ言い。
「宇治川さんは知りたいことを知れば良い。全ての真実を、話す必要なんて無いよ」
それが。
真相を知った私が出した答えだ。
「……………ぷっ」
「ぷ?」
「わっはっはっは!」
「え、一体何事!?」
真剣な表情から一点、いきなり大笑いするオッちゃんに何が起こったか分からなかった私は、ただ戸惑うしかなかった
「いやーなるほど。芹子ちゃんの考えもそうか」
「芹子ちゃんの考え、も?」
私は首をひねり、オッちゃんの言葉をオウム返しに言った。
「そういうことです、佳子さん。我が事務所の出した結論は『依頼人に知りたいことだけ伝えて後は黙ってる』です。リリーさんの正体と、それを話せなかった理由を、宇治川さんに話そうと思います」
リリーさんは足利里子さんという名前で。
実は足利佳子さんの姉であり。
昔、海の町で働いており。
春を売っていた事を言わないと誓ったから、話せなかった。
そして。
今はもう、この世にはいない。
「伝えるのはこれだけです。他は、何一つ伝えません」
どや顔で話すオッちゃんに、あっけにとられていた佳子さんはうっすらと笑って。
「……知っていることを隠す事と嘘をつく事は、契約違反とかにはならないのかしら?」
「契約書の隙間をついた。という事です。違反にはならない。しかし、俺達だけで話すのは信憑性に欠けます。なので、どうですか?」
「どう、とは?」
「真実の説明のために、協力して頂けませんか?宇治川さんへの説明を、一緒にして頂きたいのですが」
右手のひらを佳子さんに差し出し、何かを企んだ表情をしたオッちゃんが尋ねた。
「私が説明を、ですか」
「はい。そうです」
「ふふっ、私にお手伝いできるのなら」
オッちゃんの差し出した右手のひらに、佳子さんが左手を置いた。
「ありがとうございます。これで、俺の説明の手間が省けますよ」
「こちらこそありがとう。話を聞いてくれたのがあなたでよかったわ、探偵さん。そして、助手さんも」
「えっ!わ、私もですか?」
「あなたと出会って、あの店で話をして、そしてあなたの決断のおかげで、私も平内さんも、一つ、肩の荷が下りたの。付きものが取れたみたいにね」
「決断、ですか?」
「真実のみで嘘をつく。甘美で素敵な言葉だった」
「あ、いやぁ。あはは……」
私は、自分で言ったことを聞いて急に照れくさくなり、右手で後頭部をさするように掻いた。照れる私を確認した佳子さんは、「ねえ」をオッちゃんに尋ねた。
「一つ、探偵さんに確認したいことがあるの」
「俺にですか?一体何を……」
「あなたは、私が言ったことが本当に真実だと思いますか?」
「もちろんですよ」
オッちゃんは即座に言葉を返す。
「証拠なら、お見せした新聞記事があるじゃないですか。まあ、それ以外に情報が見つからなかったんですが。あとは、あなたの証言には一貫性がある。これ以上にないほど疑う余地がありません。これを真実と言わずになんと言いますか?」
「探偵さん」
「何でしょう」
「あなたも嘘つきね」
その後、オッちゃんと私、そして佳子さんは、宇治川さんへリリーさんの真実を話すために、シーポートへ移動した。そこで待っていたのは、宇治川さんとオーナーの平内さん、バイトの郁美ちゃん。そして何故か、館長さんと双子達だった。
私が、何故ここにいるのかと双子に尋ねると。
「「芹子達がおいていくのが悪い」」
と、一点張りで理由は教えてくれず、代わりに何故か怒られてしまった。私が困りながらも怒る双子に事情を聞いていると、すぐに館長さんが助け船を出してくれた。なんでも、館長さんがリトバイリトを尋ねたとき、私達において行かれてふてくされていた双子がいたので、冬志さんに許可を得て連れてきたらしい。
オッちゃんはシーポートに入るやいなや、宇治川さんに昨日と同じ席で話があると言った。席にはオッちゃんと宇治川さん。そして佳子さんと平内さんを同席させたいと願い出ていた。理由が分からなそうだった宇治川さんは、訳が分からなそうにしながらも、オッちゃんの意見に了解して、テーブル席へと向かった。
私は、テーブル席に座っていた館長さんの隣へ座った。館長さんの隣に座る八雲君と出雲ちゃん、そしてカウンター奥にいる郁美ちゃんは、一体何の話をするんだと、目線を釘着けにしてみていたので。
だがしかし、双子はともかく、このまま郁美ちゃんに仕事を放棄されてしまうと、私の体温調節機能が上手く機能せず、体が熱くなる一方である。一刻も早く、冷たい飲み物を体に入れたかった私は、釘付けの郁美ちゃんに対し、すいません、アイスコーヒーを一つと注文をした。
郁美ちゃんは私の言葉を聞くやいなや、申し訳ありません、と慌てた様子で注文のアイスコーヒーを用意してくれた。
注文したアイスコーヒーを待つ間、私は館長さんと話をした。だけど、私は館長さんに私が佳子さんから聞いた話をしようとすると、館長さんは右手の平を私の前に差し出して。
「ああ、言わなくて良い。私は、依頼に必要な資料を先輩と芹子君に見せただけさ。探偵殿が受けた依頼のことは、私は何一つ知らなくて良いと思うし、知りたいとも思わない。真実が何だろうが、知っておくのは二人だけで十分なはずだから」
そうですか、と私は短く答えて、私はその後、何も言わずにいた。
「君は、君が聞いた話は真実であるとしたんだろ?」
館長さんの言葉に、私は無言で頷いた。
もちろんそうだ。私は、真実を疑ったからから信じたんだ。
「なら私は、その答えだけで満足だ」
ふふふ、と館長さんは笑って、そこから何も言わなかった。
アイスコーヒーが私の元に届き、私は毎度の事ながらシロップとミルクを入れ混ぜ、一口頂いた。氷の入ったアイスコーヒーは、とても冷たく、まろやかで甘くて、でも、少しだけ苦く、そして美味しかった。一息ついて前を見ると、テーブル席の方を心配そうに見る郁美ちゃんに気がついた。どうかしたのかと私が尋ねると。
「おばあちゃんも平内さんも話し合いに参加していて、何か悪いことでも話しているんじゃないかと思いまして……。なんで呼ばれたんだろう、おばあちゃん……」
私は、大丈夫だといった。宇治川さんの昔の出来事について、過去を知る人に確認するために呼ばれたに違いないと説明すると。
「そう、ですよね……!確かリリーさん……?の話を聞くって言ってましたし。きっと昔に会ったことのある人だから、おばあちゃん達が呼ばれて聞いているただけですよね。なんか真剣に話していたんで、何か関係しているのかな、なんて怖くなっちゃってました。きっと思い込みしすぎてただけですね」
笑顔で私に、そう言った。その通りだと、私は返した。
双子の方は、おとなしいなと思い、ちらりと二人を見ると、先程とは打って変わって二人で話す様子でもなく、かといって宇治川さん達の話を聞き耳を立てている様子でもなく、ただただ、自分たちの目の前に出された飲み物を味わっていた。
おとなしいね、と私は八雲君に言ったつもりだったが。
「「後でじっくり聞いてやるから」」
八雲君と出雲ちゃん、声をそろえた双子に、そう言われてしまった。
可愛くない返しだな、と正直に思った。思っただけで、言葉にはしなかったけど。
程なくして、オッちゃんと宇治川さんがテーブル席からカウンター席へと帰ってきた。
聞くと、リリーさん、足利 里子の話は、何とかまとまったらしい。
何か思い出せましたか。と私が宇治川さんへ当たり障りなく聞いてみると。
「いいえ、何も思い出せませんでした。名前を知れば何か思い出すんじゃないかと思ったんですが……。中々、上手くはいきませんね」
小さく首を横に振った。私も、そうですかと答えることしか出来なかった。
少し疲れていた様子のオッちゃんが私の隣に座ったので、私は大丈夫?と尋ねると。
「ま、無事まとまったってところかな」
疲れが声に混じりながらも、安堵していた。そしてカウンター席の向かいにいる従業員二人にホットコーヒーを注文した。
「亀有さん」
宇治川さんの問いかけに、何ですかと私は応答する。
「色々と調べて頂きありがとうございました。今回の依頼は、亀有さんのお手柄だと六槻さんから聞いてます」
そうだろうか?
むしろ何もしていないと思うけど……。
そう思って、私は確認のためにオッちゃんの方に向くと。
「ま、今回は手柄でいいんじゃねーの?水無もそれで良いだろ?」
「もちろんだ。私も、先輩と同じ意見だよ」
挟まれた大人二人から、思ってもみない褒められ方をした私は、嬉しくも、少し恥ずかしくなり、テーブルを見るように少し下向いた。
「亀有さん、本当にありがとうございました」
そう言って私に頭を下げる宇治川さん。いえ、そんな、と自分一人の力だけではないことを話すと。
「それでも、あなた方には感謝しかありません。なのに、私は何も思い出せなく、不甲斐ない結果となってしまい……」
だけど、リリーさんのことは分かったじゃないですか。
思い出せなくても、それだけで良かったと思いますよ。
私がそう、伝えると。
「そうですね。これで、前に進めたと思います。平内さんに安心して貰えるかは分かりませんが、これで過去とのけじめはついたと思います。元々、過去に未練も何も持ってないのですが」
きっと、大丈夫。
宇治川さんの一言を聞いて、私は静かに笑って、アイスコーヒーを口に含んだ。
「そうだ。郁美君」
「何ですか、マスター?」
「平内さんと佳子さんの分の、アイスコーヒーを作ってくれないか?私から、先程の話し合いのお礼にあの方達に持って行きたいんだ」
「良いですけど……。マスター、一体何をお話されてたんですか?」
「それはまだ秘密だよ。私から言えることじゃないからね」
「ええー。なんでですかー」
「まあまあ、後で知るときが来るさ。さあ、今は仕事しないと」
「うーん……。まあ、いいや!分かりました、超特急で作ります!」
「落ち着いて作るんだよ。失敗したら、平内さんから雷が落ちるから」
「確かに!この前、オーナーに怒られたばかりでした!やっぱり通常運行で静かに作ります!」
「はいはい。それじゃあ、よろしくね」
「分かりました!」
宇治川さんの言葉に、郁美ちゃんは笑顔と敬礼で応え、そしてアイスコーヒー作りへと取りかかった。
「仲が良いな。マスターとバイトってよりは、親戚のおじさんと姪っ子みたいだ」
オッちゃんの言葉に、確かにと私は思い、口で賛同の言葉を言わない代わりに、小さく静かに笑ったのだった。
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