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 喋る猫に出会ったのはこれで三度目だが、神を名乗るやつは初めてだ。


「普通は、逆じゃないのか?」

「まぁ、そうですかね」


 三剣響夜が事故から助けたその猫は、長い尾を左右に振り、前足で顔を撫でる。仕草は、猫には見えても、到底神には見えない。


「こちらとしても、のっぴきならない状態でして、どうにか、お願い出来ませんかね?」

「メリットを感じない」


 恭しく頭を垂れるが、一蹴して歩き出す。


「そもそも、あんたが神だって確証がない」

「イデアです、イデアと言います。でも、困りましたね。どうしたら、信じてもらえますかね?」


 早足で歩く俺の足元を、トコトコと付いて来る。


「こんなのはどうでしょうか。全員帰せたら願いを叶えますよ。一つだけですが」

「それだけか?」

「それは仕方ないですね、そういう決まりなので」


 上から目線が、どうにも鼻につく。


「そもそもどうやって、捕らえるんだ。その落ちた天使って奴を」

「落ちたではなく、落としたです。それはその時が来たら分かりますので」


 いつの間にか先頭を歩く白い後ろ姿に、舌打ちする。




「ここのはずなんですが」


 あちらこちらから蒸気が吹き出る工場地帯で、白い影がキョロキョロと辺りを見渡す。が、遠く甲高い金属音が聞こえるばかりで、人影はどこにもない。


「獲物の居場所も分からないのか?」


 呆れて肩を竦めるが、イデアは一向に詫びる素振りはない。


「こっちかな?」


 それどころか、惚けたセリフを履いて暗がりに消えて行ってしまった。五度目の舌打ちをし、頭を掻きながら、ゆっくりと後を追うと、曲がった先で白い尾が揺れていた。

 そびえ立つ壁に挟まれた三日月の微かな明かりが路地を照らすが、奈落の底まで落ちるような闇が立ち込めている。その先で、薄っすらと光をまとった少女が立っている。


「で、この後どうするんだ?」


 白い後ろ姿に問いかける。


「右手に文様が現れていると思いますが、その手で捕らえられます」

「現れていないが」

「大丈夫。身体能力も大幅に……え?」


 奇妙な沈黙の後、矢の如く振り返り足早に駆け寄って来る。


「いや、あれ?そんなはずは」


 まじまじと右手を見つめるその青い瞳には、若干の焦りが伺いしれた。


「で、どうするんだ。そもそも、人違いだったんじゃないのか?」

「そんなはずは、ないんですが……」


 意味不明の言葉を口早に唱えるが、状況は変わらない。ただただゆっくりと、月明かりが消えてゆき、漆黒の闇が辺り包み込む。あどけなく首をかしげ瞬きした少女の瞳は、闇が増すのと比例して天色から血紅色に染まっていく。

 視界から消えると眼の前に現れ左腕を食い千切る少女を、右の拳で叩きつける。

 轟音と共に、工場の壁に大きな穴が開く。


 目を丸くするイデアを尻目に、穴の空いた壁に向き直る。程なくして蜘蛛の様に壁を四つん這いになり這い出た少女が目の前に飛んでくる。

 少女の透き通るような肌に、赤黒い血管が浮かんでいる。両手の爪は異様に長く、体格に似合わない重たい攻撃が矢継ぎ早に飛んでくる。それをいなし、繰り出した蹴りで路地奥へと吹き吹き飛ばす。


「わぁ、わぁ、ちょ、ちょっと」


 少女が飛んでいった闇へ掛けて行く。

 六度目の舌打ちをし、暗がりに消える白い影の後についていく。


「で、どうする?」


 首を持ち上げられ宙吊りのイデアに問いかけるが返事はない、その代わりにランランと見開き笑う目が、無造作に投げ飛ばした白い塊を、残った右手で受け止める。


「なんとかしないと、なんとか」


 体をよじり掴まれた手から逃れると、懲りずに少女の元に掛けていく。しかし、状況は変わらず、再び飛んで来る。


「無理じゃないか?」

「でも、家族ですから」


 よろよろと立ち上がると再び駆け出す。


「どうしてこうも喋る猫って奴は……」


 頭を掻きながら舌打ちし、家族と格闘する白いボロ雑巾の元に歩みだす、その口元が緩む




 瓦礫が砂の様に分解していくと同時に左腕が再生していく、先程とは違い傷ひとつつかないその腕で、飛びかかる少女を軽々といなすと、路地へと吹き飛んでいく。

 静まり返る路地の立ち込めた闇のその中に、真紅に光る瞳が、一つまた一つと増えていく。闇夜を覆い尽くさんとばかりに増えた赤い瞳の金切り声が響き渡る。

 その声を聞き飛び起きるイデア。無数に光る目の中で、少女を一人、頭から鷲掴みして首筋に食らいつく、その口からは紅い雫が滴り落ちている。

 少女を傍らに投げ飛ばすのが合図だったように、無数の目が襲いかかる、しかし、難なくあしらい次から次へと少女の首筋に牙を向く。

 蒼白の少女が無数に横たわる中で光る真紅の瞳が、耳まで裂けたかと錯覚するほど赤く笑った。




 メニーを引っ借り換えしたと見間違うほどの料理がテーブルに並ぶ。

 次々に頬張る光景を只々見つめる、銀髪の少女。


「ほんとにそれ、全部食べるんですか?」


 無言でハンバーグにフォークを突き立てかぶり付く、口の周りのデミグラスソースをそのままに、少女を見つめる響夜。


「あげませんよ」


 大切に食べていたショートケーキを手で隠す。


「なんで、その恰好なんだ」

「だって猫のままじゃお店に入れませんし。変でしたか?」


 舌打ちしてエビフライにファークを立て大口で一口で食べる。頭を過る忘れられない笑顔。よりにもよって……。


「それよりも、あれは何だったんですか?」

「なにがだ?」

「いやいや、色々ありすぎて、えっとですね」


 イデアの目の前にある、モンブランに手を伸ばす。


「ちょっと!」


 大声でモンブランを死守するも、周りの客の視線が集まり、いそいそと座る。


 店内の照明が瞬く。


「まだ、食べるんですか?」


 テーブル横に目をやると、ウエイトレスが立っている。


 テーブルやイスが左右に飛び、ウエイトレスが店の反対側に飛んでいく。唖然とするイデア、店の奥でウエイトレスが立ち上がる。響夜の目は赤く光っている。


「それはヴァンパイア化かな?」


 響夜の背後で声がして振り向くと、さっきの店の反対に飛んでいったウエイトレスが立っている。




 ガラスが派手に飛び散り響夜が店から飛び出す。素早く立ち上がり体制を立て直す。ガラス片が砂のように崩れると、傷が癒えていく。


「おっと、それはなんですか?」


 またも背後から声が聞こえ、振り向きざまに右肩に激痛が走る。


「面白いですねこれ」


 もぎ取られた右腕をしげしげと見つめている、まるで新しい玩具を与えられた子供の様だ。


「どうしてここに居るんですか。ルシファー」


 後を追って慌てて飛び出して来たイデアが叫ぶ。


「いやね、ちょっと見かけたもですから、挨拶を」


 そう言うとルシファーと呼ばれたウエイトレスは、優しく微笑んだ。

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