最終話

「残念ながら、この麻薬には特効薬も治療法もありません」


 アンネリーエを診察した王宮医師が、ジギスヴァルトに診断結果を報告した。


「そんな……っ!! いや、しかし──、っ……!」


 ジギスヴァルトは出かけた言葉を、ぐっと喉に押し戻す。

 この王国で最高の医師の言葉を否定できるほど、自分は賢くもないし、知識もないと自覚しているからだ。


 本来であれば、王族専属である王宮医師にアンネリーエを診察して貰うのは不可能だった。

 しかし、アンネリーエはフロレンティーナの恩人だ。

 状況を知ったフロレンティーナが国王に掛け合い、特別に診察の許可が降りたのだ。

 

「──とにかく、固定魔法を解除すれば、この方はたちまち禁断症状に苦しむことになるでしょう。かなり高濃度の麻薬を飲まされておりますから、下手をすると命を落とす可能性があります。それを防ぐためにも、しばらくこのままの状態で治療法が見つかるまで待つしかありません」


 ヘルムフリートがその場にいたことは幸運だった。彼がすぐ固定魔法をかけたおかげで、アンネリーエは命を落とさずに済んでいるのだ。

 しかし、魔法を維持するということはアンネリーエもまた、目覚めないということだ。


(くそ……っ!! 一体どうすれば……っ!!)


 ジギスヴァルトは、アンネリーエのために何も出来ないもどかしさに、胸が傷んで苦しくなる。


 とにかく今は、首謀者であるフライタークから”アクア・ヴィテ”の製造方法を聞き出し、その情報を元に特効薬の研究と実用化を急がなければならない。

 アンネリーエ以外にも”アクア・ヴィテ”の被害にあった人間はたくさんいるのだ。


 アンネリーエの為に、自分にも出来ることはないかと悩んでいたジギスヴァルトは、いつの間にか「ブルーメ」の前に来ていた。

 アンネリーエを救出したものの、一睡もできず精神的にも肉体的にも疲労していたのだろう、癒やしを求めて無意識に向かっていたのだ。


 遠征に行き、不眠不休で何日も戦い続けた時ですら、ここまで疲弊したことはなかったのに、とジギスヴァルトは思う。


 店は一見、いつもと変わらない様子でその場にあった。

 扉を開ければアンネリーエがいて、花が咲くような笑顔で自分を出迎えてくれるのではないか、と錯覚してしまいそうになる。


 店の中に入ると、小さい店なのにアンネリーエがいないだけで随分広く感じる。いつも店中に溢れている色鮮やかな花も、今は全く見当たらない。


 ──まるでこの世界から色彩が失われたような、そんな喪失感にジギスヴァルトの心が痛む。


 寂しさを感じながらキッチンに行けば、テーブルの上は昨日のままで、お茶の用意とモーンクーヘンが置いてあった。

 誰もこの店に入らないよう命令していたので、手つかずのままだったのだ。


 ジギスヴァルトは椅子に座ると、アンネリーエと共に過ごした穏やかな時間を思い出す。

 彼女と一緒に飲むクロイターティとプレッツヒェンは本当に美味しかった。


 無性にクロイターティとプレッツヒェンが食べたくなったジギスヴァルトは、テーブルに置かれたままのクロイターティに目を留めた。


 そしてアンネリーエに心の中で詫びを入れると、クロイターティを口に含む。 


 クラテールが入ったまま放置されていたクロイターティはとても苦く、まるで薬のようだな、とジギスヴァルトは思う。


 そんな苦いクロイターティを飲んだジギスヴァルトは、ふと自分の身体の変化に気が付いた。


 ──先程まで疲労困憊だった身体が、とても軽くなっていたのだ。


 そう言えば、アンネリーエの淹れるクロイターティを飲んだ後は、いつも疲れが無くなっていた。

 それはアンネリーエに会えた喜びのせいかと思っていたが、クロイターティのおかげでもあったのだ。


 アンネリーエはお茶を淹れる時も、魔法で水を作り出していた──と考えると同時に、ジギスヴァルトはクロイターティが入ったポットを持ち、慌てて店を飛び出した。


 まさか、という驚きが、もしかして、という可能性に変わる。


 アンネリーエが魔法で作る水には<再生>の効果がある。

 それは、失われた遺伝子情報すら修復してしまう奇跡の力だ。

 ならば、麻薬に蝕まれた身体の情報を、元通りに修復出来るということなのだ。


 ジギスヴァルトはアンネリーエが眠る部屋に入ると、ベッドサイドに置かれているコップにクロイターティを注いでいく。

 そして眠っているアンネリーエの身体を抱き上げ、クロイターティを口に含むと、口写しでクロイターティをアンネリーエに飲ませていく。


 そうして何回かクロイターティを飲ませ続けると、色を失っていたアンネリーエの顔色に、赤みが戻ってきた。


「────アン……っ!!」


 ジギスヴァルトが祈るような気持ちでアンネリーエの名前を呼ぶと、薄っすらと目を開けたアンネリーエが、ジギスヴァルトを見て優しく微笑んだ。





 * * * * * *





 私の名前を呼ぶ声に、目を薄っすらと開けてみれば、ぼやけた視界にジルさんの姿が映る。


 きっと、最後にジルさんの姿を見たいと願った私の願望が見せた幻なのだろう。


(──ああ、泣いていてもやっぱり綺麗……)


 ジルさんの瞳から流れ落ちる涙はまるで、宝石のように美しい。


 だけど私が見たいのは、泣いているジルさんの顔じゃなく、花が舞い散る幻影の、綺麗な笑顔のジルさんなのだ。


(──え? ジルさんの泣き顔……?)


 そう気付くと、寒さに震えていた身体がポカポカと温かくなった。

 まるで凍りついていたような私の身体に、じわじわと感覚が戻ってくる。


 すると、私の身体を誰かがぎゅっと抱きしめていることに気が付いた。


「アン……っ!! 良かった……っ!!」


 私を抱きしめていたのはジルさんで、その身体がかすかに震えている。

 どうやら私はジルさんを酷く心配させてしまったらしい。


(えっと、何があったんだっけ……? んん? あっ! そうだ!!)


 私は動かない頭を無理やり動かし、何があったのかを思い出した。


 フライタークに拉致されて、脅された後に麻薬を飲まされて──そして最後に、私はジルさんの幻を見て、意識を失ったのだ。


 だけどこうしてジルさんがここにいるということは、幻だと思っていた姿は本物のジルさんだったようだ。


「……ジルさん……あれ、苦い……?」


 ジルさんの名前を呼ぶために口を開いてみれば、何故か口の中が苦かった。


「す、すまない……っ! 俺がアンに口写しでクロイターティを飲ませたから……っ!」


 私の呟きを聞いたジルさんが、珍しく焦っている。そんな困惑した顔もまた格好良いと思う私はもう、ジルさん中毒の末期なのだと思う。


「……え? ええっ?! く、口写し……っ?!」


 口移しと聞いた私の顔と身体が真っ赤になる。まさかジルさんにそんな迷惑をかけていたとは思わなかったのだ。


「アンを不快にさせたのなら申し訳ない。他の方法もあったのかもしれないが、俺は一刻も早くアンに目覚めて欲しかったんだ」


「あ! 不快だなんてとんでもないですっ! むしろ覚えていないのが勿体ないなって……あっ!」


 テンパった私は思わず本音を漏らしてしまう。


「ぎゃーっ!! 今の無しっ!! 今の無しでっ!! お願い忘れてぇーーーーっ!!」


 私はそう叫ぶと、赤く染まった顔を隠すように布団に包まった。もうしばらくはここから出たくない。


「……やっと目覚めてくれたのに、また眠るつもりか?」


 私が布団を被り、羞恥に打ち振るえていると、ジルさんが布団ごと私を抱き上げた。


「アンが目覚めないと思ったら、すごく怖くてたまらなかった。今もまだ不安なんだ。だから俺に元気な姿を見せて、安心させて欲しい……駄目か?」


 ジルさんはそう言うと、布団をめくって私の顔を覗き込んできた。


「……駄目、じゃないです……っ」


 悲しそうな顔でそんなことを言われたら、起きるしかないじゃないか。


 私が渋々ながらもそう言うと、ジルさんはそれはもう嬉しそうに、満面の笑顔になった。


「そうか。なら良かった」


 光が溢れ、花が咲き乱れるような笑顔に、その笑顔が見たかった私は、まあいっか、と思う。

 ずっと隠れていたら、この笑顔を見ることは出来ないのだ。ならば私の羞恥心なんて、どこかに吹き飛ばしてしまえばいい。


 私はジルさんを安心させようと、今出来る最高の笑顔を浮かべて微笑んだ。


 そんな私を、ジルさんは眩しそうに見つめると、そっと顔を近づけてきて──。


 ジルさんの唇が、私の唇と重なり合う。


 口写しとは違う、そのキスは、とても甘い味がした。





 * * * * * *





 ──時間は流れ、今王宮の敷地にある神殿では、フロレンティーナ王女殿下とヘルムフリートさんの婚姻式が執り行われていた。


 私はその様子を、そっと柱の陰から見守っている。


 白を基調とした生花装飾は、マイグレックヒェンをメインに制作した。

 白と緑の爽やかな色合いは上品で、神殿の雰囲気ととても合っていて、神聖な雰囲気を醸し出している。


 そして王女殿下が手にしているブーケにも、可愛いマイグレックヒェンをたっぷり使っている。

 清楚で可憐なマイグレックヒェンは、王女殿下の美しさを際立たせていた。


「素晴らしい式だな」


 婚姻式の警備をしていたジルさんが、私に声を掛けてきた。


「あ、ジルさん、お仕事お疲れさまです」


「うむ。一時はどうなることかと思ったが、無事式を挙げられて本当に良かった」


 ジルさんの言葉通り、”アクア・ヴィテ”の一件は王国中を揺るがす程の驚きを人々に与えた。


 ”アクア・ヴィテ”が最悪な麻薬なのはもちろんだけれど、もっと最悪なのは中毒になった人を奴隷にして、人身販売を行っていたことだ。


 そんな史上最悪な事件の首謀者であるフライタークは投獄され、全ての問題が解決した後、処刑されることが決まっている。


 そして”アクア・ヴィテ”の中毒になっていた人々は、急遽開発された特効薬で次々と元気を取り戻しているそうだ。

 モーンクーヘンを食べた令嬢たちは中毒になったものの、幸いなことにモーンマッセに含まれていた”アクア・ヴィテ”はごく少量だったようで、比較的早く回復することが出来たらしい。

 

 そんな薬を開発したのはヘルムフリートさんで、私が回復したことで”アクア・ヴィテ”の解析が進み、特効薬を作ることに成功したのだ。


 本当は私の魔法が作る水でも回復することはわかっていたけれど、だからといって私に頼るわけにはいかない、とヘルムフリートさんが頑張ってくれたのだ。


 幸せそうに微笑み合っているヘルムフリートさんたちの姿に、私は感動で涙が迸りそうになってしまう。


 そうして、婚姻式と婚約式に使われたマイグレックヒェンの人気は更に高まり、「純潔、純粋、幸福」の花言葉も相俟って、「恋人たちを守ってくれる花」として、世界中の人々に知られることとなったのだった。





 * * * * * *





「うむ。やはりアンの淹れてくれるクロイターティは美味しいな」


 リラックスした様子のジギスヴァルトが、ゆっくりとクロイターティを味わっている。

 

「えへへ。嬉しいです!」


 フロレンティーナとヘルムフリートの婚姻式も無事終わり、アンネリーエたちは久しぶりに休日を一緒に過ごしていた。


 婚姻式に使用したため、花畑は一時期花がほとんど生えてない状態であった。

 しかし今は、アンネリーエが手を加え、ほぼ元通りの状態になっている。


 アンネリーエは新しいマイグレックヒェンの球根を植えると、水魔法の呪文を詠唱する。


<我が生命の源よ 清らかなる水となりて 我が手に集い給え アクア=クリエイト>


 呪文の詠唱が終わると、アンネリーエの魔力がキラキラと光る粒子となって、手のひらに集まり、うずをまきながら水に変化する。


 その光景は、何度見ても神秘的で、とても神聖なものに見えた。


 花に水を与えているアンネリーエを見つめながら、ジギスヴァルトは彼女と共にいる喜びと幸せを噛み締める。


 ガラス張りの天井から零れ落ちる光と、アンネリーエの魔力が放つ光が、温室中を優しく照らしていく。


 ジギスヴァルトは、ポケットに閉まっていた小さな箱を取り出すと、珍しく緊張した面持ちでアンネリーエの名前を呼んだ。


 ──そうして、ジギスヴァルトはアンネリーエに永遠の愛を誓う。

 

 甘い輝きが降り注ぐ、この光の中で。




 終











 * * * * * *




これにて、「緑の手を持つ花屋の私と、茶色の手を持つ騎士団長」は完結となります。

最後までお付き合い下さった皆様、本当に有難うございます!

8万文字のはずが、倍近くになってしまいました…_(┐「ε:)_

それでも書ききれなかった感が拭えませんが。(*ノω・*)テヘ


連載中はコメントや♡、お☆様を有難うございました!

とても励みになりましたよ!(人´∀`).☆.。.:*・゚


もしお読みになって面白ければ、一言いただけると嬉しいです。


また他の作品もどうぞよろしくお願いいたします!( ´ ▽ ` )ノ




只今連載中の作品です。興味がある方は是非!

「月下の聖女〜婚約破棄された元聖女、冒険者になって悠々自適に過ごす予定が、追いかけてきた同級生に何故か溺愛されています。」

https://kakuyomu.jp/works/16817330651554304903


ちなみにおすすめの完結作をご紹介。

「巫女見習いの私、悪魔に溺愛されたら何故か聖女になってしまいました。」

https://kakuyomu.jp/works/16816927862544507918

暇つぶしに是非!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

緑の手を持つ花屋の私と、茶色の手を持つ騎士団長 デコスケ @krukru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ