第1話 りんごのお店にて
スマホが通信障害に陥った。外的なものかと思ったが、2 日経ってもおかしい。都内の某りんごのお店にてサポートを受けることにした。
案内されたテーブルの反対側には美しい母娘が座っていた。お嬢さまの方は高校生ぐらい。清楚を絵に書いたような可愛らしい少女であった。木綿のふわっとしたブラウスの袖から伸びる、白くて華奢な手に思わず目が釘付けになった。お母さまも上品さが溢れるだけでなく、おっとりした口調から日頃から愛されて守られている様子が察せられる。胸元には 0.5 カラットはあろうかと思われるダイアモンドが 6 粒連なったプラチナのネックレスが揺れていた。手元にはルイ ヴィトンのミニ バッグ、手首にはオメガだろうかローレックスだろうか、文字盤の周囲と時刻の位置に無数のダイアモンドが埋まっている腕時計が輝いていた。複数の指に指輪が嵌っていたのは言うまでもない。
このお嬢さまのスマホが壊れてしまったらしい。機種は多分 SE。画面にもヒビが入っていて、ホーム ボタンを押してもスクリーンがちらっと明るくなるだけで起動しないとのこと。バックオフィスから診断を受けて戻ってきたりんごのスタッフは買い替えるしかないと言う。お嬢さまがお勧めの機種を尋ねると、りんごスタッフは 14 を勧めた。白樺の小枝のような指先でお嬢さまはテーブルの中央に展示されていた 14 の端末を取り上げる。そして「どうしようかな……。でも、Pro の方にも興味があるんです」と呟いた。りんごスタッフに勧められるまま、Pro も手に取るお嬢さま。しかし、Pro のゴツさにお嬢さまの手には重すぎるのではないかと心配してしまう。私が持っているのは 12 Pro Max だが、重い。画面の大きさを捨てきれないので(マンガを読みたいから)、重さには目をつぶっているが重い。「200g 超えは長く持っていると手首がつらいよ」とお教えしたくなるが、下々の者からお声がけをするのは憚られるので黙っていた。
お嬢さまは Pro のカメラのクオリティに驚いていた。どうも Pro が気に入ったようだ。しかし、りんごスタッフが調べると在庫が無いらしい。2 日後なら入荷すると言う。これに対して 2 日も待てないというお嬢さま。14 なら在庫があり、通信会社のセットアップもしてお持ち帰りが可能だが、お嬢さまは良しとしない。あれこれ悩んだ挙げ句、「ママはどっちがいいと思う?」と可愛らしく尋ねた(ここで床にゴロゴロ転んで「可愛いっっ」と叫びたくなった)。
「私はここで用事が済めばいいと思うから、在庫のある 14 でいいと思うけど、あなたが好きな機種があるならそちらを選んだら?」
なんという太っ腹! いったいおいくらの話をしていらっしゃるんでしょうか?
その後、お母さまの方は私の横に座った若い男女に話しかけた。どうも、知り合いがたまたま同じテーブルに案内されたらしい。男性の方が、もう何年もご無沙汰しているママ友の息子さんだったようだ。「娘の〇〇です。覚えてる?」とお嬢さまを手で示すと、男性も「はい。……きれいになられましたね」と答える。そう! そう言いたくなる気持ちはわかる。本当に愛らしいのだ。しかし、その言葉を口にするとき、彼はほんの少し吃り、彼の周りの空気が緊張感を纏った。多分、自分の彼女の前で別の女性を褒めるのに躊躇したに違いない。
お母さまがお喋りに忙しい間も、お嬢さまは物怖じすることなく、しかし控えめに「この 14 と Pro がどんな風に違うかわからないのですが……」と、りんごスタッフに仕様の説明を促す。大人だ。これは小さい頃からサービスを受けて育ってきた人間の態度だ。
知人の男女が用事を済ませ(去り際に男性も見たが、やはり颯爽とした感じだった)、挨拶をして去っていった後も、お嬢さまは悩み続けた。解決策をあれこれと提案するりんごスタッフに従い、お母さまが 14 Pro の在庫を確認すべく、近隣の通信会社系のショップに電話を掛けた。このときのお母さまの穏やかな口調も印象的だった。そして、今日は無理だが明日なら 14 Pro の入荷があるという店に向かうべく美しい母娘は去っていった。
私に高校生の娘が居たら、近所の G◯o に行って 9,800 円の 6s か 7 を買い与えるだろう。通信はもちろん毎月 980 円の激安 SIM だ。間違ってもりんごのお店には行かない。「階級差」という言葉が頭に浮かんだ。
普段は関わることのない世界を垣間見た貴重な体験であった。
(2022 年 10 月 6 日)
トーキョー(Suburban)ライフ イカワ ミヒロ @ikamiro00
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