第9話 神への進撃


  日が沈み、海岸線は白々と物憂げに広がり、波音がやけに眠気を誘う。男女の使者を迎えた宴会場に戻り若彦達は酒を酌み交わし、今後について話し合いをしていた。ただただ、一方的に。

『良いから、聞いてくれ。さっきから、俺は同じ事を言っている、それは、俺の得手不得手の不得手の方なんだと!』

若彦は、手酌で出来立ての濁り酒をちびちび飲んでいた。

(やっぱり、この時代の酒は濁り酒で、酒なのに甘い。この時代の漢は、いや、神々はこの甘い酒をあおり、女を抱いて。力を出していたんだな。甘い……甘い甘露は心に響く優しい誘いだ。)

『あらま、若彦さんたら、グイっと飲めないの?』

『飲めません。……俺は、濁り酒も、女も。女はすすりたい。アハッ。』

若彦の背後に、うっすらと見た地下へ神殿の一室、玉姫と共にいた巫女達だと思われし巫女が八人、この時代では珍しい現代風の着物を着て座り、その前には玉姫が静かに控えていた。

『じゃあ、山葡萄酒なら飲めるわね。』

『えっ、山葡萄酒! ワインがあるんですか!』

若彦がキラキラした視線をいちごちゃんに向けたが、視線を逸らされた。

『若彦さん、猿が作った果実酒で良ければ明日にでも。岩場の窪みから横取りしてくるわ。』

『いえ、それこそ、結構です。』

『と、冗談はさておき。若彦、不得手ならば、それを具現化出来るモノでは無いでしょう。想像主が不得手なわけがありません。貴方の右手とあ♡な♡た♡は、同じなぁ――のです。』

酔っぱらった、いちごちゃんが言い切った。

奥の方で、顔を真っ赤にしてがぶ飲みしていたオオカミ君がずいっと前へ出て来て、盃に濁り酒をなみなみと注いできた。

『具現化出来たのであれば、後は起動するのみ! ああ、でも時と場所は考えましょうね?』

 若彦の手には握って鉤を隠し持つタイプの手甲鉤が鈍く光る。朱色で何やら渦巻模様が描かれた布の上には手裏剣と櫛の歯の様なギザギザのソードブレーカーが一振り置いてある。

『この手甲鉤と手裏剣は、忍者関係だよね。俺がニギハヤの事を考えていたからなのか?』

『忍者と言えば、修験道。八切さん達の。』

『忍者、修験道……繋がりだったら、山の民のウメガイがあっても良いはずだと思った。』

八切が急に若彦がウメガイと言った瞬間、睨んできた。

『いえ、なんとなくですよ。修験道と言えば、烏天狗とかの兜巾とかもですかね?』

『イスラムの人も頭に兜巾の様なモノ被っているよね♡』

『素戔嗚命が八咫烏関係でそれでいて、修験道。素戔嗚尊は元々日本の神様で海を渡って出戻った神だから、イスラムの人が頭に被っている、あれと兜巾が似ているのかもしれませんね。』

『……そうですね。』

『なぁに、さっきから不機嫌なのよ♡』

いちごちゃんは、明らかに不機嫌な八切を外へ連れ出した。

『俺の不得手。それは、自らが先陣を切って戦うと言う事だ。殺戮、虐殺、自殺すべて問答無用で嫌な事だ! 出来るだけ、回避したい。』

(だから、この黄泉の国と現代へ往復し、時間稼ぎしている感じがする。ニギハヤの最後のあがきなのかも知れんし。さて、俺の思考から具現化されたものがコレって事は……。)

『ええ、その通り。それが、若彦、貴方が産み出した神宝なのでしょう。』

『神宝を俺が産み出した……えぇ――、これは、全部、殺人兵器ですよ。』

『そうですね。ですがどうして、そんなものを思考したのでしょう?』

八切がオオカミ君のかわらけに酒を注ぎ、オオカミ君は微笑んでいる。相変わらず、酒を胃に流し込む量は半端ないが。

『現代の平和ボケした社会で生きている、ポケポケした一人の人間が兵器を思考する。それだけ、貴方は追い詰められていたのかも知れません。』

『あのさ、オオカミ君、俺、実は……。』

『分かっています。彼女達も、なのでしょう。』

そうなのだ。八人の麗しい女性と、玉姫も海で。

夕闇が迫る浜辺で、俺は出現した玉姫を抱きしめた。玉姫の透き通る瞳は無邪気で。俺は、つい。

『……玉姫、俺、待ってなんか……なかったよ。』

腕はしっかり玉姫を抱き留めて。

その時玉姫は、俯き浜の白い砂を見つめ、もう一度俺の顔を見て小声で言った。

「ニギハヤ、あなたは持っている。」

……と、言うところで、いちごちゃんに浜辺で話しかけられたのだ。

(そりゃ、久しぶりにあんな場面で玉姫にまた会えて、俺はとても嬉しかった。もう、放したくないとも思った。……好きと言うのはまだ違うと思うが。)

若彦は手甲鉤を付けた掌をニギニギ開いたり閉じたりして、隠れる小さな刃をじっと見つめて言った。

『これさ、見た目が手甲鉤だけれども、俺的な使い方があるみたいだ。』

『それは、どう言う事です?』

『これは、手甲鉤に見えるけど、なにか、隠しボタンの様なモノで、リモート操作する機械だ。』

『それで、この手裏剣は、カードキーだな。ソードブレーカーは……。』

オオカミ君は酒のつまみ、茹でたての菱の実の皮を短刀で剥き、口に含む。

『菱の実は、護りにも、武器にもなる忍具。……おお、これは旨い! 現代の菱より甘味が強い。』

悦に浸っているオオカミ君や若彦を見て、いちごちゃんはため息をついた。

『男は、ここぞと言う時に逃げ腰になってしまったら、護りたいものを護れない。だが、俺は、死にたくもないし、殺したくもない、そんな弱い生き物なんですよ。」

八切がいちごちゃんのかわらけに酒を注ぐ。

オオカミ君、ナイフを使うのがいちいち面倒くさくなって、奥歯で菱の硬い皮を砕き呟く。

『ああ、そうですねぇ。そう言えば。古事記で伊弉諾尊と伊弉諾尊が初めて産んだ神の話を若彦さんは知っていますか?』

『確か、ヒルコですよね。』

『そうです。……その、ヒルコは不遇の身体で三年三か月経っても、歩かなかった為、葦船に入れられ、オノゴロ島から流されてしまう。』

『何が言いたいんですか?』

『少彦名は(何人かいる)大国主の若き頃の事だと偽書では言われています。そして、少彦名はヒルコ、エビス様とも言われています。そして、ヒルコの後に産まれたアハシマも少彦名と言われています。しかも、常世の国へ渡ったとか。』

『だから?』

『少し、頭を使って考えます。現代からすると、過去の世界は大かた、決まってはいます。そして、変わらぬ常世。過去の時代からすれば、現代は変動し先がある常世。過去の人達は時間軸は過去、現在、未来と言う一方向性であるとは考えていませんでした。」

『ほう、そう言われると納得いきますね。現代から見れば過去のこの世界は変わらぬままあり続ける常世の世界。過去の人から見れば、現代は変化し続ける常世の世界か。』

『そう、それで、少彦名、ヒルコとアハシマは常世に流されると言う古事記のくだりです』『その後に様々な神々が産まれ、三貴神が産まれた。素戔嗚尊もその一人、素戔嗚尊の息子がニギハヤだが、少彦名は幼い頃の素戔嗚命とも。常世の世界へ流される……ん? それって、生きた状態でヒルコは船に乗って現代にたち戻る、と言う事か。この時代の天津神は俺らが未来へ、未来から過去へ行っているのを知っていたと言う事か! だから上手い具合にオブラードに包みながら、その秘伝を書き記す事も出来た訳か。』

『過去の神の事は様々に言い替えられているので、難しい解釈に成りますが、多分そうだと思います。そう、そして、ヒルコは三年三か月伊弉冉、伊弉諾の元で不遇の身でありながら、生きる事を粘った。その後流されるが、常世の国へ行った。まぁ、若彦さんは嫌だと申されていましたが、決定的な「何か」をしなくとも、良い選択肢も僕はあると思うのですよね、少なくとも僕は。因みに、ヒルコの後に産まれたアハシマは、住吉明神の皇后である説もあるのですよぉ。若彦さんがヒルコならば、誰でしょうね、奥さんはッ。』

酔いが程よくまわったオオカミ君は饒舌である。

(奥さん? はっ? 誰の事だよ、俺だって、そんな女性が居るのなら知りたいわ!)

盃に残っていた酒を飲み干した。

『まぁ、あれですよ、若彦さん。天津神はヒルコを亡き者にしたかった。日本、原住民の愛を受け大王が先に存在していた事を抹消したかったわけです。しかし、全ての伝承を消す事はその事実を知る者達が許さないでしょう。だから、流されたと言う形で古事記に残った。ああ、それと、気になった事があってね。箱根の芦ノ湖は九頭龍……長野の戸隠の九頭龍……諏訪、諏訪湖に住まう、あまりにも巨大な龍は神有月、出雲の集まりに参加しても尾っぽだけは諏訪湖に有ったと言う。こんな昔ばなしからも、存在を抹消できない大王が居た証拠はありますね。噂の大龍を上げれば切りがない、テスカトリポカの所在地メソアメリカにある龍の形をしたテスココ湖など。だぶん、ニギハヤ様や素戔嗚、貴方に関係のある場所は湖が多いですね。ああそうだ!』

オオカミ君は手を叩いた。

『急に何ですか?』

『私が手を打ったら、若彦、貴方も僕と一緒に手を打って下さい。』

『パン。』

二人は息ぴったりに、手を打てた。

『これが、どうかしたのか?』

『昔の人の挨拶で、これを魂振りといいます。お互いの魂を振動させ、共鳴させるために手を打つのです。過去の方々はこの身体が原子(神宝)で出来ていると言う事を知っていました。感覚です。普段、一人ひとりが別の動きをして居ますが、手を同時に打つと言う事でその場の混じり合わない、我らの気と言われていたりする、エーテルフィールド上の身体である魂を震わせ、混じり合わせ、気が程よく交わり、お互いを受け入れ、感覚を共有するのです。神社の神の御前で柏手を打つのも、御霊と触れ合う為に行うのです。』

『いやいや、オオカミ君俺と、ナニをしたいのよ。』

そう言って、止めようとしたがオオカミ君がやたら興奮してきた。

『はぁはぁ、そうです……過去に聞きかじった事を今、鮮明に思い出しました。ニギハヤ様は三輪山などの山岳系の神で日吉大社の主祭神でもあるのです。日吉……湖? ……日吉ダム! と、言えば天若湖。天界から追放されたアメノワカヒコが、やっとの思いでたどり着いたらしいです!』

『ああ、それなら、僕は天津神から殺されずに、逃げおおせていたのですね。』

『そうです! しかしながら、これは、面白い。僕は若彦さんと同行し、中を深めている間に手を打たなくとも自然と魂振りが出来ていたのです! 若彦さんを救う希望が持てましたね! 霊能者の側に暫く居ると、霊感が付くと言うのは、自然な魂振りが行えていて、霊能者の気の振り方のレクチャーをされていたと言う事と同じなのですね。』

『オオカミ君、落ち着いて――。興奮しすぎですよ。でもでも、俺は、死なずに済んだのか。』

『そうです! だからこそ、やりましょう! ニギハヤ様の神意の元に。』

『え? 何を? ニギハヤがなんだって?』

『日吉の護り……いつもだ、何故天津神を護る為、我らは封じられねばならぬのだ。櫛……我らは呪いを駆使する。如何に、戦うか。如何に、護るか……。』

急にガクッと頭を下げ、全く別人の声で喋り出すオオカミ君。

『おいおい! ど、どうしたんだ? オオカミ君!』

若彦に大きく揺さぶられ、気を取り戻したオオカミ君。

『ありがとう、気を合わせ過ぎて、もう少しで若彦君の背後の気の記憶に飲まれてしまうところでした。』

(気の記憶……。俺の魂の記憶はどんだけ、虐げられてんだ。我ながら辛いよ。)

「白湯です、気つけにどうぞ。」

玉姫は白湯をオオカミ君に差し出した。

  いちごちゃんは八切を若彦の居る住居から、少し離れた見晴らしの良い場所へ連れ出していた。

『もう、貴方がケンタ(サンカ)の件に無関心になったかと思っていたわ。』

『いちごちゃん、僕が無関心になると、本気で思っていましたか?』

『ええ、だって、貴方から、あの「ヨリ」から離れたじゃない?』

(いちごちゃんが、女の子として修業するのを許さなかった寄合など、尊敬するに値しない。そんな事は当たり前の事です。)

『僕が「ヨリ」から離れたのは、いちごちゃんの為だと、知っていますよね? 一人ではお山の修業は出来ない。』

八切はいちごちゃんを抱き寄せ、そっと額に口づけをした。

『もう八切ったら♡ 私も知っているわよ、八切。前に言っていたわよね? 『僕が信じる神は絶対いる。もし、修業して出会えるとしたら、ケンタの真の歴史を紐解き、世間の誤解を解きたい。』って。」

『ははは。そんな事も言った僕は馬鹿ですか?』

『大馬鹿よ。あたしと二人だけでは修業も限られるわよ。貴方にとって絶対大切な事よね?』

『僕の抱えていた大切な事、知りたい事は若彦さん達に出会えて、良く分かりました。一度、「ヨリ」から離れた以上、僕自身がケンタには成れない。それならば、今僕がサポートしたい、いちごちゃんを全力でサポートするだけです。』

『サポートありがとう。であれば、目の前に居る信仰する神ニギハヤ様が、いえ、大事なホープ若彦がいるじゃない! 今こそ、現世へ戻ったら世間のケンタへの誤解を解く為にも、ケンタの歴史を、若彦、ニギハヤ様に聞いてみればいいじゃない?」

『今更、何を奴に聞く?』

『今更って?』

『あんなに、逃げ腰な男で、畏怖すべき神のニギハヤ様がケンタを統率していた祖神であり、今回の神震災を引き起こした神だと人々は解ったら、歴史を紐解きたいと誰が思うか?』

『良いじゃない。傍若無人に無計画に戦闘していた神だったらどう? もっと、幻滅していたんじゃない?』

『いや、男はそのくらい強くないと。そもそも、ニギハヤ様は黄泉の国へ帰って来てからずっと、国民に山の手入れを指導し、木を植え、田畑の耕し方、大きな川から小川に至るまでの治水工事ばかりしていたじゃないか。』

『いやいや、八切。素戔嗚尊の親族神は日本を豊かで、住みよい国へ帰る為に治水工事をするのが家業だったのよ。主に、山だけどね。八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を って。素戔嗚尊が読んだって言われるけれど、本当の所は誰が読んだか分からない。でも、出雲は、確か、雲が湧き立ち、農耕に良い水の豊かな土地で、多分、八重垣の八はケンタの八。大切な妻とその子孫をそう言った土地に……。』

『それは、良い意味で言っていますか?』

『ええ、そうだと、思っていたわ。違うの?』

『僕は、違うと思います。確かに出雲の地は肥沃で八雲が立つ潤いに満ちた良い土地でしょう。しかし、八重垣とはよく言ったもので、八と言えばケンタの証、そしてもう一つの八は……我ら一族は何重もの垣根の外へ封じられた。』

『あら? 素戔嗚尊が愛しい妻を護るために、出雲に八重垣をじゃ、なかったかしら?』

『一戸から八戸まで、我らケンタは天津神系統の者達に山へ、東へ追いやられ、虐殺の上に根(異界の野郎)に蓋をするといい、踏みつけられ埋められ、その上で蓋が開かぬようにと、ねぶた祭りをされているのです。そうやって、ケンタ達は各地に封印されて行きました。ケンタの封印されて行った男のイチモツを呪物に道祖神として祀ると言う行いまでされた。……リライトされた玉姫が持っていたイチモツの石像はそれです。リライト玉姫はそれを愛おしそうに持ち、若彦さんの目の前に現れた! なんて因縁なんだ! だからこそ。ニギハヤ様には大いに天津神らを退けて欲しいと思っています。』

『あらま、そうだったの。』

『いちごちゃん、だからこそ、特にあのように自虐的で逃げ腰な若彦さんが、そして、ニギハヤ様がどんなに頑張っても、過去の先の延長線上にある未来に住む我らの歴史は変わらない。残念ですが先が目に見えています。』

『未来の先進技術や戦術を持った私達が加勢しても、それは変わらないのかしら。』

『僕には……。』

『静観するしか、ないのねぇ。そうなのね、八切。』

『……。』

いちごちゃんは言いたい事が言えなくなると、直ぐそっぽを向く八切の癖を知っていた。前へ回り込み、軽く唇を重ねた。

『その、八重垣の封印がなされたのって、いつ頃なのかしら?』

『時代ですか……、はっきりとした事までは分かりませんが、アメノワカヒコが古事記で雉の鳴女を打ったと言われる時代よりかは遥かに先の事です。』

『それじゃ、八切は、天津神々が流布した何の誤解を解きたいのかしら?』

いちごちゃんはウルウルの上目遣いで八切に問うた。

『……僕は。』

『間は、まだあるわ。きっと、私達になら、いいえ、私達とあの方々となら、後世への誤解を解く為の種くらい、撒けるんじゃ、ないかな。』

『……そうですね。治水工事などに精を出すニギハヤ様に習い、僕達も、種を撒こう。』

『そうよ! 八切、貴方には出来る! 出来る! 出来るわよっ! 八切、貴方がしり込みしたら、このケツ叩いても実行させてやるわッ。私の夢のメジャーデビューをサポートしてくれている貴方の為に、いちごちゃんのいちご汁爆発挿入決定ねっ。』

薄暗闇で、二人は激しくお互いを求めあった。

『ハハハ、久しぶりに、いちご汁効きました……はい、いちごちゃん。』

いちごちゃんは八切を抱きしめたまま。

『そう言えば、いちごちゃん。若彦さんは忍具を持っていましたが、忍びとは人々の生活のあらゆる場所に紛れ溶け込み、生活し、諜報活動を行ってきました。現代で言えばインターネットで行脚しているハッカーの様な。』

『ハッカーは良く分からないけど、ネットの世界で輝くには人を引き付ける魅力が必要よね。』

『そうですね、この時代はまだ修験道も忍びとも言えない、海が好きで山に居を構え、卓越した製鉄技術を持った山の民……山の神は、春になると田に降り田の神に成ります。素戔嗚尊は雷の神、雷鳴の神。火雷神、稲の実りを助ける。私達もこの過去の日本に雷鳴を轟かせ、明日へ繋げましょう! 生きましょう、いちごちゃん。』

『八切ったら、もう。……現代へ帰ってもきっと、その願い、叶えましょうね。』


  白湯を飲んだオオカミ君がそのままその場で寝てしまったので、宴会はお開きになった。広く天井が高い藁ぶきの屋根に雨がざあざあとあたる。

『こんな日は、寝やすい。外の喧騒が静まるから。』

玉姫の視線に気が付き、中背で正座してこちらをじいっと見つめてくる玉姫を下から上まで見つめてみた。

『俺って、細部まで玉姫を想像出来たんだな。……君は、僕が創った玉姫であって、僕が初めて出会った、玉姫ではないんだよね?』

玉姫は、目を丸くして静かに頷いた。

うるさく、好きですと言って来ない玉姫は、可愛い。

『……俺に、抱かれてくれる?』

玉姫の背後に同じく、若彦が呼び、出したセオリツヒメ達が控えている。

玉姫は、少し考えて頷いた。

『ははぁ。やっぱり、俺の思い通りに動くのね。なんだ、つまらんわ。』

(きっと、あの、はねっかえりの玉姫は俺の思い通りになんか、動いてはくれないだろう。そもそも、あの玉姫は、俺を好きなのでは無いし。ニギハヤ大好きなんだろ。あいつ、何処へいったのかな。やっぱり高天原かな……俺の意識が戻る前にはニギハヤと話していたらしい。玉姫は忍びだって。歩き巫女とか。巫女と言う存在はそう言った一面もあるだろうな。)

若彦もその場に、寝転んだ。

『俺が、戦から逃げても死にはしない。そう思って心底ほっとしている、俺がいる。ニギハヤはそのうち殺されてしまう。ニギハヤって。どんな、人生だっけ。謎の人物だって事は知ってるけどさ。』

『三輪山の大物主(ニギハヤ様)には、大国主とも別名で呼ばれていて、結婚のエピソードは多いですよ。』

寝ていたと思ったオオカミ君が寝ながら肩ひじをついて、先程食べた菱の殻を指先で触れた。

『もし、彼の人生のエピソードを知れたとしても、僕たちに触れる事が出来るのは、ほんのささいな指先程度の事でしょう。……all of that is me。見えない物事も、その全てが私だと思えれば、何も追及する事はないのです。今を精一杯生きる。逃げたいのなら、逃げれば良いし、戦いたければ戦うと良い。ニギハヤ様は、国民が末永くより良く生活できるように、最近は稲作について、国の民に享受していました。』

『稲作ねぇ。』

『勿論、侵略してくる他国に備え武器の準備なども同時に行っていました。戦に限って言えば、後は敵国が兵をよこした場合、ニギハヤ様の鶴の一声で、兵はすぐさま動くでしょう。若彦君、君はどう動きますか? 天津神々に喧嘩を売った。何もしないのであれば、ここに貴方が居たとしても、何も変わらず、古事記の通りになるのかも知れませんよ。』


『もう、俺やめたい。』


『やめるとは? 逃げ切り現世に帰ると言う事ですか? これから起こる戦争放棄ですか?』

『そう、俺は戦争が嫌いだ。誰かが死ぬとか。犠牲は出したくはない。』

『無理です、相手が武力行使に持ち込むのであれば、向かい打たねば、皆、死にます。先制攻撃も守りのひとつです。』

『先制攻撃ですか?』

『天津神は海上の航路を通ってやって来ます。もしくは、天から。ここは海が近いので海からでしょう。』

『海か。all of that is me……。ニギハヤもアメノワカヒコも海神族。海が私の一部。海の戦には強い軍を動かせるはずだ。俺が居なくてもどうにかなるさ!』

『確かに、どうにか、なるでしょう。その為に、ニギハヤは部下に指示を出しています。』

『指示を?』

『はい。ご自身が若彦君にいつ代わっても良いように。あの方がアメノワカヒコとして生活していましたから。』

『と、言う事は。最初にアメノワカヒコと名乗ったのは俺だけど、アメノワカヒコの功績はニギハヤが施したものなのか。』

『ええ。今回はニギハヤ様の意識だけでその全てを行いましたが……僕たちは、それで良かったと思っていますし、何の不自由はしませんでした。』

『なぁ、オオカミ君、自分の未来や過去を知る事は心底怖い事なのだな。今まで、呑気に暮らしていた俺はその事に考えも及ばなかったよ。』

『確かに、未来や過去を知るのは怖い事でしょう。しかし、今の貴方はこの場に居て、過去も知りうる立場にある。いいですか、物事を知ると言う事は恐怖に繋がるのではなく、知ったからこそ次の行動に移れるものです。怖がらないで下さい。』

蚊帳の外だった玄利は二人の話に聞き耳を立て、暗闇の中に光る鋼鉄の弓矢を眺めていた。

『この神器はいつ、どのように使えるのでしょうか。それから、ニギハヤ様の影武者となった僕は今、何をすればよいのでしょう。』

『あ、玄利さん。』

『オオカミ君。僕は、この弓矢をケッアルコアトルの花鳥風月から頂いたのですが、この鋼鉄の弓矢はどの場面で使う物なのでしょうか。』

『弓矢……、古代の戦争では刀より弓矢が重宝されていました。それと、マイナーな利用の仕方と言えば祭祀や神事に。弓は巫術に使われる梓弓などあり、主に、弓の弦を弾き、音を鳴らす事によって神事や巫術を施したようです。』

『弓を祭祀や神事に利用していたのですか。』

『そういえば、ニギハヤ様は呪術の神でもあります。ケッアルコアトルも生活の知恵を人間に授けた神とも言われていますね。だとしたら、その見た目からして、(弦まで、鋼鉄な弓矢)とてもじゃないがクロスボウにも見えない。呪術でその本領を発揮すると言う事なのではありませんでしょうか?』

『確かに、そう言われると、そうかも知れません。』

玄利は改めて、まじまじと若彦の顔を見た。

『もの欲しそうな目で、俺を見ないでくれよ、男の視線は怖いだけだ。俺は自然科学の事などは知っていても、呪術の事なんて、少しも分からない。オオカミ君の方が知っているのでは?』

『僕はイメージでどうにか、出来そうな気がします。』

突如として、玄利は口走った。

『え、なんだって?』

『若彦さんも、神宝を創造し産み出せたじゃありませんか。それなら、僕にもこの神器を使う事が出来ますね。』

『どんな論理ですか。今、ここで、それやるの?』

『勿論です。』

『今、戦とか、誰もしていないよ?』

『先手必勝です。』

玄利は、目を薄っすらと閉じ、瞑想し始めた。

『それでは、僕もそうしましょう。』

オオカミ君も、江津の浜辺で見たアコースティックギターを取り出し、瞑想しつつ、ポロロンと弾き語りし始めた。

『な、なんだよソレ、なんなんだよ。皆、戦う気満々なの? ヤル気なのか?』

初め、ギターの悲し気な音が闇の中で響いていたが、少し遅れて明らかに他の弦をはじく音が聞こえてきた。玄利は全く弓の弦を弾いてはいない。弦がひとりでに音を奏でているのだ。

『時を駆け――、逢いたい人に出会った僕は、今、この地で何をしようか、ふと、そう思ったんだ。』

オオカミ君がハミング後に歌い出した。

『ベンベン。』

玄利の弓が鳴る。

『君は、僕が時を駆け君に会いに来る前から、僕の傍にいた。僕はそれに、気づけなかった。』

(うん、よくある悲しいメロディだな。)

『いいや、君の存在を気が付きたく無かった。何故なら、君が僕を過去へと誘う事を知っていたから。』

『ベンベン。』

『君よりも、僕が、君を好きだと言うことに、今も昔も変わりはないよ。君が僕に逢いたいと願い、未来までも変えようとしたから――。』

『べ――ン。』

『捻じ曲げられ、密かな過去は、僕らになら、きっと変えられるもの、そう願ったりもしたね。微かな僕の記憶は、それを拒むんだ――。』

『べべベン。』

『僕が僕である為に、君との過去に触れてみたい。それでも、乗り出せない僕がいる。』

『ん? これは、誰かの事歌ってる?』

オオカミ君はチラリと若彦を見つめるが、弓とギターの音が共鳴し渦を巻き始めた。

『なぜ、これほどまでに、ただの僕の歪められた物語が未来までも語り継がれるのか。』

『ただ僕が生きて来た、生き抜いて来たワンシーンなのに。』

『歪められた物語では、君の事はあまり語られず、僕の事だけ、いつか、忘れてもらえると思っていたのに。』

『君は、どんな事を僕にされても、言われても、僕を手放さなかった。愛しい君よ。もう僕を忘れてはくれないか。』

『は?』

『なぁ、いいだろう、いいだろう、僕は僕として、もう眠りたい。』

『んん?』

『君のループを、僕のループを止めて。僕が生きる世界の先に、もう、僕はいないのだから。』

『んんん?』

ジャー―ン。

オオカミ君のギター演奏が終わった。

(この歌、出来れば玄利に歌って欲しかった。うっとりする程悲哀に満ちた旋律が美しいんだろうな。あぁ、流れでそうなったのは解るが酔っぱらったオオカミ君わぁ……ぐはぁ。)

弦利はオオカミ君と目を合わせ頷いた。

『それにしても、気になる。その歌の歌詞……は、誰かの何かを歌っていたりします?』

『もちろん、若彦君へ、僕と玄利君から、今日の為に作曲し君に贈りました。』

若彦が肘を上げ、大あくびした。

『あ――ぁ、なんだよ。オオカミ君には悪いが玄利に歌って欲しかったぜ。』

ニコニコ、一切の迷いのない眼でオオカミ君はギターを置いた。

『ハイハイ、若彦君。コレもニギハヤ様たっての願いです。僕が歌を玄利さんが弓の弦を弾く事も。』

『これが、ニギハヤが施した作戦の一つなの……か。回りくどいな――もう。』

若彦が頭を掻くと玄利が呟いた。

『今、僕の放った矢が高天原へ向かいました。』

『ン? なに? 玄利、電波組でした? って、冗談じゃなく、今の今何かした?』

『ええ、僕はしましたよ。』

『しれっと、しました、です……か。玄利さん、コワ――イ。』

『さあさ、僕たちの仕事は終わりました。もう、寝ましょう。』

オオカミ君はさっさと若彦に背中を向け瞬時に気を失い、いびきをかき始めた。

『若彦さん、僕の仕事も終わりました。僕も寝ます。』

『ええ――。ええ? 次は俺を殺すとか言う仕事はヤツから承っていないですよね?』

『次に、目を覚ました時、全ては終わっています。ぐぅ。』

玄利も直ぐに眠ってしまった。

置いてきぼりをくらった若彦。地味に恐怖に身を振るわせていた。身体はニギハヤだが、精神は壁を隔てた外側に居る若彦。壁の向こうのニギハヤの真実の姿は分からない。

(自分の精神で無いうちに、自分自身を殺せと、二人に命令してもおかしくない。)

様々な出来事を反芻し、恐怖への抵抗を少しでも付けるのだと考えているうちに、いつの間にか眠っていた。


  美しいエメラルドグリーンの海。ニギハヤに似ている花緑青の髪を軽く左右に結わえた男が一人、穏やかな海の向こうに手を伸ばし眺め立っていた。

「我が妹(イモ)よ。我が御手において……。」

何か、ぼそぼそと言っているが、良く聞こえない。

 場面が変わり、山の斜面に屈強な男達により横穴が掘られ、先程見た男が壺状の棺に横たわっていた。少し老けてはいるが玉姫に似ている女性がヤマユリの花を一輪男の胸元に置き、静粛に棺は埋められ、何事も無かったかのように山は静けさを取り戻した。

 棺の中から、納められていた男は霊としてすり抜けると、玉姫に似ている女性の背後に張り付いた。

 玉姫に似ている女性は、石の壁に囲まれた地下室へと降りて行った。どういった仕組みなのか地下は明るい。

(なんで、はまた、この女性はこの部屋に来ているんだ? もしかして、また、顕微受精するつもりなのか?)

若彦がそう思うや否や、再び、玉姫に似ている女性は液体窒素の煙が上がる壺から試験管を取り出し、顕微授精の手順を踏み、受精卵を培養し、海で呼んだ八人のやや年老いてはいるが海で若彦が呼び出した巫女が玉姫に似ている女性をテーブルに横たわらせると、アンクに似た器具を玉姫に似た女性の陰部に突き立てた。

 夢は続き、穏やかで平凡な古代の暮しを謳歌している、玉姫に似ている女性は男の子を一人産んだ。

 その子はすくすくと成長し、見た目は今のニギハヤに変身した若彦そのものだった。

(ン? なに、一体どう言う事……なんだ?)

 その子が一人前になる前に、玉姫に似ている女性は、むしろの上に力なく横たわり、何かもの言いたげにその子の長く下ろした髪に手を伸ばすと、

「……あなたは持っているか……。」

と、呟き天寿を全うした。

 髪を触れられた子は、何かに怯え腰を抜かしながら、その場から逃げだした。

その子と同じ集落の住人なのか、その子が逃げ出すと、取る物とりあえずその子の後に続き

その集落は一夜にして廃墟と化した。

(一夜にして、古代文明が廃墟になったって、これって、マヤ文明じゃないのか。でも、マヤであれば、ケツァルコアトルじゃなくて、ククルカンだ。と、すると、ケツァルコアトルの花鳥風月時代はこの後の時代のニギハヤの事なのか。)


  高天原の宮に潜入した玉姫は、男女の使者の一人、女の方の首に毒矢で射殺した。

と、同時に高天原の拠点の一つ機織り工場で本来はDNA工学研究所が、玄利の放った矢により崩壊した。巨大なキノコ雲が上がる。

ドンッ、と言う鈍い音が地を這い若彦の耳にも届き、起き上がった。

『な、なんだ?』

江津の海岸方面からだ。

水平線がオレンジ色に染まり夜が明ける。

『若彦さん。』

さも、ほら、言ったでしょう。と、玄利に言われているようだ。

『あちらさんも、これで、なあなあには出来ないでしょう。さあ、戦の始まりです。』

『怖い事、言わないで下さいよ。』

『僕らは、逃げません。戦います。』

オオカミ君がしっかり若彦を見て言った。

『お――い。』

茂みから、八切といちごちゃんが飛び出てきた。

『今の地震は?』

『玄利君の持つ、弓矢の花鳥風月が高天原へ鉄の矢を放ったのです。』

『鉄の……矢?』

『ミサイルかッ。』

八切が叫んだ。

オオカミ君がニヤリと微笑む。

『若彦君が、動かないのであれば、僕らが先に動くだけです。』

『……くそッ。』

(まんま、素戔嗚の乱闘騒ぎの一つ、若き素戔嗚尊が荒れ狂った時、天の斑駒の皮を逆剥ぎに剥がして、服屋の屋根に穴を穿ち、斑駒を投げ入れた。それにより服織女が驚いて杼で陰部をついて死んでしまったとある。今朝見た夢を含めこの展開だと、天津神が服屋と偽りDNA工学研究所を稼働していた。斑駒の逆剥ぎが天つ罪で、屋根に穴が開けられ服織り女が杼で陰部を突き亡くなったって、ここは俺的に、素戔嗚尊が神に仕える巫女をその巨根をむき出しにし、服織女の純潔を犯しまくり(巫女の純潔は奉仕する神に捧げられるものだから大罪)……密かに巫女の卵子と自らの精子を顕微授精などを用い受胎させ天津神のDNA研究を妨害したと? それと暴れまくりの果てに天津罪を犯し尽くしたのだから……今回の鉄の矢でミサイル攻撃をしたとしても間違いないか……な。)


   第九章『神の綾』


  夜が明けると、若彦達は江津の浜に出た。

八切といちごちゃんは海へ向かい、柏手を三回大きく打った。

一瞬、海上の風が凪ぎ、空気が大きく振動した。

『おおぉおお――お。大海原の神であり、大山の神、根の国の神、三界の神と言えば、言わずと知れた素戔嗚命。三界の足かせと言えば、子。素戔嗚命の子と言えば、言わずと知れた、饒速日命。巡る、巡る命は巡る。輪廻の果てに、己の使命果たさんが為に生まれし自我を持つ、神転生者若彦へ、饒速日命よ、その御神力を御貸し願い申す。』

二人が言上げすると、パチンと空気がはじけ、八咫烏が直刀を咥え、若彦の目の前に降り立ち、若彦は直刀を受け取った。

八咫烏は五人が背中に乗るのを助け、首を下げ促した。五人が背に乗り終えると八咫烏は大空へ舞い上がった。

(輪廻じゃなくて、もっと現実的な利己的な……あの夢は、もしかしたらDNA操作され、俺も玉姫も幾度も産み出されていたりする? 魂までも……? 玉姫が俺の妹(妻)?)

『山海のでは、なく、三界の足かせだって、ニギハヤのその言われよう。』

若彦は笑った。

『若彦さんは、まだ、子を持つ親の気持ちは知りようが無いのですよ、では、次は何処へ行きますか?』

『アメノワカヒコの終焉の地、日吉ダムになる以前の淀川水系桂川中流域、船井群園部町と日吉町の町境地へ行こう。行けば、俺は生き延びれるって事だ!』

『よく言った! さあ、行きましょう♡ 若彦!』

 宴会をした家を出る寸前に、いちごちゃんにアメノワカヒコ終焉の地の詳細を聞いていたから、瞬時に答えられた。……頭の中はごちゃごちゃで混乱と恐怖が入り混じっている。

『日吉ダム……。日吉と言えば山王信仰。大己貴命……。本当に何処をとってみても、ニギハヤ様の足跡ばかり。何と説明したら良いのやら、若彦さんが眠っている間にニギハヤ様は……。』

八彦は、ため息をつき、心配そうに見つめてくるいちごちゃんの視線に頷いた。オオカミ君はそれを、静観している。

(……大国主は一人じゃない。複数人の王が居た。そもそもが、素戔嗚命もスサの王(歴代の)となるわけで。全てが全て、ワカヒコやニギハヤ様の功績ではないだろう。)


  ――若彦が眠りについていた三年三ヶ月の間、ニギハヤは花緑青の髪の上に青大将を乗っけて、未来の世界で見た田畑の仕組みを思い出し、出来る限り再現しようと躍起になっていた。

『若彦は自然科学に精通しているのだが。』

そう、若彦が取得していた技術を大いに駆使しようとしたが、あらゆる身体パラメーター値がほんの少し違う過去の人達に、未来の技術を使った強制労働は一草噛み砕き、少し変換してからでないと、強行も強制も出来ない。田んぼに出来る地形も現代と異なり平野よりも山の斜面が多く、鋤床層を固くする作業に大半の時間を削られなかなか作業が進まず。少し進んでは壁にぶちあたるの繰り返しだった。

『頭は有っても、手足が動かぬとはこの事だな。しかも、自然環境も未来と今ではかなり違う。虫も鳥たちも、その他地を這う者達も同じ顔ぶれではない。そもそも、この時代に未来の英知など、必用ないのかも知れん。そもそも、未来には完全に失うテクノロジーが今はある。それを、今、利用した方が、この時代に住むモノには幸せなのであろう。』

ぬらっと、青大将の青ちゃんがニギハヤの顔の中心まで降りて来て細かく舌を出すとぺろりとニギハヤの鼻頭を舐めた。

『そうだな、これ以上進めぬのである。そろそろ、わしもこの重大な荷から降りよう。』

背後を歩いていた玄利とオオカミ君の方へ振り返り。

『わしは若彦へ意識を明け渡す。この三年と三ヶ月の間に民衆に、君達へ、伝えたい事は伝えた。……江津の浜へ行きわしは暫く眠るよ。未来のわし、若彦はなかなか、煮え切らんだろうが、迷いを立ち切ってやってくれ。』

『はい。』

三人は、江津の浜へ行き、ニギハヤは眼を閉じたのだった。


  全ての元凶とも言える、若彦が諏訪湖から過去へ去った後、テスカトリポカの花鳥風月ジャガーは諏訪湖を拠点都市とし、世界中に現れた神々の花鳥風月と争い、ほぼ世界統一を果たしかけていた。

毎日の様に、生贄のニャンビー達が籠に詰められトラックでジャガーの元へ運ばれて行く。狩られるニャンビーはお腹を見せ、やめて! と、抵抗するが、弱肉強食のこの世界でニャンビーはライオンの檻に入ってしまった猫のように無力である。

世界は、神々の意識に覚醒した戦い逃げ惑う人間と、現実逃避に走ったニャンビーで溢れかえっていた。食われる為に狩られるニャンビー達は何も知らにゃい。

ニャンビーは短い夏の日本の人工自然の中で産まれてこれ以上無いって言う位、日本の閉ざされ育まれた自然に触れ、遊んでいた。

ジャガーに支配された国々の神はうなだれ、肩を落とし強制労働に従事させられるか、地の底へ潜り姿を隠したり、若彦達の様に過去、もしくは遠い未来へ逃げた。

圧制の元であったが、暫くすると、混沌とした世界もそれなりに秩序立って、狩られる者、狩る者、双方無心のままに時間だけが過ぎてゆく。

  少し、不可解だったのが、日本各地に現れた龍神の花鳥風月と、龍神系統の神転生者はジャガーの花鳥風月が猛威を振るっていても、沈黙を貫き通し、龍に付随する、八咫烏の花鳥風月、蛇の花鳥風月達、蛇や龍に親和性のある狐や狼の花鳥風月も立ち止まったまま動かなかった。まるで狛犬である。

 なぜか、ジャガーの花鳥風月も、その者達がその場に居ないかのように振舞っていた。

ただし、日本以外のドラゴンの花鳥風月は、違った。各地で、血で血を洗い、日本へはるばる遠征して来るモノさえいた。なかなかのアグレッシブな花鳥風月と神転生者達である。


  高天原に玄利によって打ち込まれたミサイルにより、高天原のDNA工学研究所が破壊された。そこで働いていたDNA研究員「織女」達に多数の死者が出た。これには、強かにDNAを操作し侵略し続けようと目論んでいた男神達が一斉に立ち上がった。

その場所が、天へ帰ってしまった天津神の大元の神が残した最後のDNAに刻み込まれた英知の欠片が残る研究室だったからだ。そもそも、その研究所に残る英知でさえ、過去のロストテクノロジーだ。その為、「織女」がその巫力を使い、薄く残る過去の記憶を読み取り、DNAテクノロジーを日々少しずつ織上げていたのだが。

「何もかも……より自らの一族が繁栄する事だけを願い。それは、行われていた。」

『若彦……さん?』

「ふふ、あと、もう少しで「織女」はその全てを「織りあげて」しまう所だった。」

花緑青の髪の毛が追い風に流れ、目の前に居るが、玄利からは若彦の顔は見えない。

『若彦……。』

呼ばれた若彦は花緑青の髪を掻き分け、霧に包まれつつ玄利の方へ顔を向けた。

その顔は、頭に乗せた青大将の青ちゃんのそれに少し似た。空想だと思っていた恐竜の顔そのもので艶のある鱗は白く艶やかに光っている。花緑青の髪は羽毛に変わり頭から背中にかけてふんわりと風になびき。大きな四枚の翼をキリリと広げ、瑠璃色に輝く瞳がギラリと玄利を見つめた。四人に恐怖で背筋が凍りついた。

『その、お姿が、ニギハヤ様の誠のお姿ですか?』

「誠とな? ……貴様の心眼ではその通りに見えるのだろう。そら、今しばらくこの刃の先に見える光景を高みの見物でもしていよう。」

ニギハヤの持つ直刀の先を、四人は時間も忘れ見下ろした。

 昼を待たずに、高天原へ、玉姫が沖へ停泊させておいた船団が混乱に乗じ奇襲攻撃を仕掛ける。蠢く敵、味方。

(敵も味方ももはや、蠢く虫にしか見えない。驚くも無い、神の視点はコレなのか。)

玄利、八咫烏から落ちそうになった。

「どれどれ、玉姫はどこかな。」

ニギハヤは背中をぼりぼりと掻いたと思ったら、細い葦のずいを一本取り出して、望遠鏡代わりに覗いた。

『葦のずいから天井を見る……、ダジャレですか?』

余りにも滑稽だったので、玄利の緊張の糸が切れた。

「良く見えるのだ。この葦は。……ああ、玉姫が天津神に狙われておる。このままではいけない、我は助けに行かねばならぬ。」

『しかし、貴方は、史実だと、玉、いえ、アメノサグメにそそのかされ、殺された! 今、玉姫を助けに貴方が行けば、相手の思うつぼなのでは! 絶対にダメです。』

玄利は、持っていた鋼鉄の弓矢を差し出した。

『貴方は、呪術の神、この梓弓で遠隔攻撃されれば、良いでしょう! 僕より威力のある攻撃が出来るはずです。』

ニギハヤは梓弓を受け取ると、にこりと笑い突き返した。

「その、生弓矢で玄利は高天原のDNA工学研究所を破壊した。それで、宜しい。未来へ土産として持っていけ。わしには、この生刀がある。わしはこれから、生刀を使う。」

『それが、生弓矢と生刀! 大己貴命が黄泉の国から素戔嗚命から奪い持ち去ったと言われる神宝ですね。』

オオカミ君が身を乗り出して言った。

『それなら、もう一つの神宝、生詔琴もありそうですね。』

『八切君、疎いね。生詔琴は、僕のニギハヤ様に頂いたこのギターです!』

「ハハッ。少し、現代風にアレンジしてみた。良い品であろう?」

おちゃめに微笑む人型龍神ニギハヤは、若彦を含むニギハヤそのものの優しさに映る。

(青信号、皆で渡れば怖くない?)

「わしには、青信号なぞ見えないが。」

ニギハヤはすっと、立ち上がった。

直刀を用い、剣の舞を低く高く、祝詞を口ずさみ舞い踊る。

重い水蒸気をたっぷり含んだ黒雲が上空に引き寄せられていく。

「オオオゥ――……。雷を纏いし我が剣よ、雲を貫き、雷を轟かせ、わしになみなみの雨をもたらせ、共起させよ!……ウオオオゥ――。」

共起の所で、直刀を天へ突き立てた。

直刀は空気中の微粒子に反応し小さな火の粉を散らした。

演舞が済むと、綺麗に正坐し、瞼を薄く閉じた。

八切、いちごちゃん、玄利は今から何が起こるのかと戦々恐々。

暫くすると、黒々とした雨雲の合間から、稲光と爆音が。途切れなく、轟音と共に雨が大地に滴り落ちて行く。

「こんな近く、水が電気を帯び、大きな雨粒が遥か下大地に落ちて行く。神の存在とは……、この間近に感じる、自分自身と周囲の常に共振する自然の事なのか……。」

ニギハヤは感嘆する八切を見つめ、少し震えていた玄利の手を握ったが、直ぐに落ち着いたので離した。

ニギハヤの頭にとぐろを巻いていた青ちゃんは頭の上で出来るだけ小さく身体を巻いて頭をぴったり身体に付け目を閉じた。ニギハヤはすっと、青ちゃんを衣の胸元へ入れ、しっかり抱きしめた。 


  高天原は想像絶する豪雨に襲われ川が氾濫した。敵、味方無く、轟音を上げ蛇行しながら荒れ狂い氾濫する大河。河口水域の水面から荒れ狂った黄水龍が飛び出し、みるみるうちに平野を水没させ、見え得る限りの眼下の大地は泥沼になって行く。

「神の御業と、わしは言わない。さあ、君達と未知若彦の未来へ帰ろう。」

ずぶ濡れの五人と一匹を乗せた八咫烏は、本州を北上していく。

誰かがそう言上げした訳ではない。

黒雲はその勢いを増し、高天原に留まらず、八咫烏の尾を追い、本州に上陸し各地に甚大な被害を及ぼしながら移動する。

こんな時も大気は踊る様に生き生きとしている。

 ひりひりとする腰の痛みに気が付いた玄利は、衣を脱いで、腰を見た。愛用の鞭を腰に巻いてた事を思い出した。

 暫く飛んだ八咫烏は、諏訪湖上空へ戻ってきた。

「水鏡、未来の諏訪を映し出せ。」

和舟の舟底に似た諏訪湖も、記録的な暴風雨により水は茶色に濁り、普段より量が増してた。このままでは、下流域に甚大な被害を及ぼしてしまいそうだ。

諏訪湖は大きく波立ってはいたが、腕組みして仁王立ちするニギハヤはお構いなし。

諏訪湖は巨大な鏡となり、ジャガーの花鳥風月がニャンビーを飲み込んで行く姿を映し出した。日本、そして世界中の神々、花鳥婦月が地球を破壊し尽くさんばかりに暴れまくり自然を破壊しまくる姿を映し出した。

――その点でだけで言えば、なんと穏やかな日本の龍神や、その神転生者は沈黙を続けている。

「あの、白き龍も、この期に及んでも動かぬのか、……泣いているのか。」

白い龍の花鳥風月の下に、白い衣を身に纏った巫女がこちらを、いや、空を見上げ呆然と立ち尽くしている。

「我らを駆逐しておきながら、我に指示を仰ぐと言うのか? 最後の最後をぬかりよる。」

ニギハヤは苦虫かんだ微笑みを浮かべた。

「キン。」

金属音が耳殻をつんざいた。

天津神がニギハヤの戦気に気付かぬはずは無かった。

八咫烏は無数に打ち込まれた「鉄の矢」をかわし、諏訪湖へ垂直に降下していく。

「御神渡りは、もう、これっきりにして欲しい。君らに託した我がスサの神宝を存分に活用し、皆、仲良く遊べ。ココロを熱く振るわせ! 風は清かに。火雷はすがすがしく。ミチ鳴るモノへ繋げ。」

ニギハヤは玄利、八切、いちごちゃん、オオカミ君を軽く蹴り落し、青ちゃんを胸元から出すと、じんわりと潤む瞳で見つめる青ちゃんを放った。

「こちらの事は、心配するな! わしは死ぬまで遊びつくす! 君達が、この時代に関わった件はフォローしておくから、わしの事は忘れよ……。」

落ちて行く四人は、ニギハヤの爽やかな笑顔の中の白い歯の輝きまで見て、諏訪湖に沈んで行った。

「変形せよ、我が誠の姿……花鳥風月、青龍。」

人型龍神ニギハヤの姿が若彦へみるみるうちに変わり、青龍へと完全変神した。荒れ狂う青龍と黒雲の下で、幽体の若彦の制止虚しく、青龍は細い河川の幅を広くその身で削り、大洪水から下流域の村々を助けた。

 あれ程黒々としていた雲が切れ、合間から太陽の光が眩く諏訪の地と高天原を照らす。

青龍の若彦を頭上に見出した村人たちが口々に感嘆の声を漏らす。

「青龍、太陽の子が、わしらを助けたんだ!」

その歓声と共にニギハヤの意識が眠り、若彦の意識に代わった。気恥ずかしさに、瞬時に青龍若彦は辰野まで飛び、人気の無い藪の中へ飛び込んだ。

「‼」

男女が致していた……。

「すみませ――ん。」

「ぎゃあぁあぁ――!」

男女は合体したまま悲鳴をあげた。

「ああ! 悲し。」

(後の世に、近所の川から龍神が乙女を嫁にくれと突撃して来たとか言う昔話が語られちまうんだぜ――。少し、ヤル場所を考えて欲しいもんだぜ。)

暫く裸のままで怯える男女を舐めるように観察した後、近場で変化を解き人型ニギハヤに戻った。男女の声が遠のくのを確かめ、若彦は八咫烏を呼び諏訪の地を離れ、京都、アメノワカヒコの終焉の地、日吉へ赴いた。


  勢いよく暗い水底へ落ちた四人と一匹は、気を失っていた。ジャガーの足元、渚に打ち上げられていた。ジャガーは打ち上げられた四人と一匹を肩ひじついて興味新々に、ニャンビーを食い散らかしながら見つめていた。

夕闇迫る頃、青ちゃんにチロチロと鼻先を舐められオオカミ君が目を覚ました。

「青ちゃん……。生きていたのですね。」

「オオカミ君、僕たちは現世に戻って来たようです。」

玄利の視線に続き、諏訪湖上空を見上げた。

「間近で見ると、本当に巨大なジャガーだな。」

「ニギハヤの御霊分けした神転生者にそう言われると、耳の裏がこそばゆいぞ。」

ジャガーは耳の裏を後ろ足で数回掻くと、襲い掛かってきた。

「ガ、オォ――。己はテスカトリポカ、ジャガ―……トナル、この姿はヒトなり。我はヒトの浅ましさを映す鏡なり。そなたの友はヨイの口の神王。貴様らはヨイの同族よ! 果たしてこのわしを倒せるかな?」

シュルシュルと、青ちゃんがオオカミ君の前に小さな鎌首をもたげ立ち上がり叫んだ。

『沈黙しろ、荒ぶる過去の神々よ!』

時空間が止まり、ジャガーの振り上げられた爪先が青ちゃんの鼻先で止まる。

尻もちをついた玄利の背後から、雷光が現れ、腰に巻いていた鞭を取り出し玄利に渡し、玄利に憑依すると。

『月影の雷光よ、その清浄で静かなる雷の下、世界中に蔓延る花鳥風月の御霊を鎮め、夜見へおくれ。黄泉へおくれ。』

言上げした。

  日食だ。

月と太陽が重なり合い暗い。

 玄利雷光の呼びかけに、日本中、世界中の山河から光を帯びた巫覡、賛同する花鳥風月、神転生者が現れ、その手に持った鈴や笛、様々な神器で子守歌に似た暖かい調べと甘い香りで建物や藪に隠れ凌いでいたニャンビーを外の世界へ連れ出した。

玄利雷光は鞭で大地を叩き、地面の振動数を上げると、諏訪の大地が呼吸し、胸にめいいっぱい空気を吸い込んだ。

『ふう。』

『強制排除霊鎮め!』

青ちゃんは諏訪湖に飛び込んだ。

「ぽちゃん。」

ジャガーの時空間停止効果が切れた。

小さい水しぶきが上がり。

大きな水しぶきが上がった。

 円陣の中に神代文字を描き、そこでオオカミ君はギターを淡く静かに奏で、それに合わせるように玄利がこの世の歌とも思えない美声で低く高く歌う歌声は湖畔に響き渡る。

水しぶきが渦を巻き、中心から小さな水龍の花鳥風月となり躍り出た。水龍は光る粒になり空を駆け昇る。それに続けと、猛スピードで世界中から龍の花鳥風月が寄り集まり、巨大な大気、電を帯びた水龍に成った。雷水龍は飛び上がったジャガーを一気に飲み込み、ついでに世に蔓延った、争い続ける花鳥風月と神転生者、巫覡、外へ引きずり出されたニャンビーを飲み込み、下方へ爆龍雲を、霧を発生させ、全世界の音をかき消した。

 八切、いちごちゃん、オオカミ君、玄利、そして、ニャンビーは大地に足を付けたまま押し流されず、ピリッとした霧がかすめて行った。

 月が太陽から離れ、太陽の光が燦燦と輝く。

『遊べ、遊べ。よ――し、それ、やい! 遊んじゃお♡』

青ちゃんが空から降って来て、オオカミ君の頭の上にフワッと着地した。

『遊びは、人生を豊かにする、魂振りなんだぞ♡』

「魂振り……ですか。」

オオカミ君が青ちゃんの身体に触れると青ちゃん笑顔で鎌首上げ少し左右に揺れ、

『この時代の人ってさ、過去の重い糸でフクを織り続けている。その糸はさ、何時でも断ち切れる糸。夜も昼も無く働く割には、遊べない♡ 自然の中で霊振れば、今回みたいな黄泉帰りしたくなる人もきっとそのうち居なくなる♡』

「黄泉帰り? 僕は黄泉の国へ、過去の国へ行きたいとは微塵も思っていませんでしたが。」

玄利は愛用の鞭に似た細い青ちゃんに親近感が湧き手を伸ばしたが、シャ―――と威嚇されてしまった。

『若彦は、もっと、田で遊びたいと思ったニギハヤの霊。もっと、もっと遊びたい♡ と言う思いが本人から離れ、未来へタイムワープしたの。』

「え? そんな説明で今回の黄泉帰りとか、神震災を説明しちゃうの?」

いちごちゃんは呆れて、手でジェスチャーした。

『説明出来ちゃうのさ。本当のアメノワカヒコはこの僕ですし。』

矛盾に満ちた想い空気を消し去る様に青ちゃんは、オオカミ君の頭からゆっくり回転しつつふわりと浮かび上がると霧に包まれ、一人の青年に姿を変えると、霧ヶ峰の藪の中へ消えて行ってしまった。

「青ちゃんがアメノワカヒコだって皆知っていましたか? 八切さん、いちごちゃん、オオカミ君、青ちゃんを追わないのですか、追ってもっと詳しくお話を聞きたくありませんか?」

玄利は重い鋼鉄の弓矢を背に担ぎ、後を追いかけようと歩き始めたが、三人はその場を動かない。

「どうして、皆、追わないのです?」

「触らぬ神に祟りなし。」

オオカミ君は流し目で。

「神が言わぬことを、人間の私らには知る葦もいえ、由もないのです。」

八切は頷き、頷き言った。

「真実は藪の中……。まるで私達長い間狐に化かされていた気分ね。」

いちごちゃんは八切の手を取り恋人結びした。

「狐じゃなくて、子蛇だったけどな。」

八切といちごちゃんは手を強く握り、ため息まじりにおかしそうに笑い合った。二人は玄利とオオカミ君に軽く会釈すると、青ちゃんとは反対方向の経ヶ岳へ歩いて行ってしまった。

「残るは、僕達ですね。目の前には不動の山があります、登山しますか?」

玄利はオオカミ君を誘ったが、オオカミ君は丁重にお断りした。それでも、玄利は自称若彦の消えた藪へ入って行ってしまった。

「仕方ないですね。山の知識が無い人を一人で行かせる事は出来ません。」

その後、五人の姿を見た人は誰もいない。戦後最大級の神災害により、亡くなった人として、箱根の芦ノ湖湖畔に佇む白龍神社の境内に建立された慰霊碑に名前が刻まれた。


  玄利と雷光の呼びかけに応え現れた巫覡と神転生者は、未だ夢見心地で現実逃避し、自然と戯れ、自然体で生きたいと希うニャンビーを的確に集め保護し、過疎化し荒れた山里を神器で瞬く間に現代版のエデンの園を作り上げた。

エデンの園はニャンビーと過去記憶に囚われ苦しみもがく神転生者の憩いの場になった。 

  

  八咫烏の背に乗り、アメノワカヒコの終焉の地へ降り立った若彦は日吉の村人に暖かく迎えられ――。

「諏訪の人と、同じくこちらの人達も、俺を担ぐ気か。俺、担がれるの嫌いなんだよ。」

若彦は、日吉の地で現代以上に担がれ、死ぬまで日吉の地で自然科学を駆使し、鳥獣、虫たちと遊び戯れ、時々ニギハヤに意識が変わり治水工事や田畑を耕し、玉姫の事を心の片隅で想い、日本各地を行脚し、命尽き果てる前に再び終焉の地、日吉へ戻りその生涯を閉じた。

『嘘つき玉姫……ああ――、もう、俺は絶対逢いたくない。』

『……命名それは体を現す霊。霊は生きている間に輝き、死したら大地の根幹へ紡がれる。綾。忘れ去るのがDNAに紡がれた幸せ、命を次世代へ紡ぐ安らぎだ……。』

――大洪水の時、ニギハヤは葦のずいから高天原を覗いたが、ただの葦。望遠鏡みたいに見えるはずがない。若彦は葦を見る度、玉姫の顔を思い出しては泣いた。

ニギハヤの遺体は葦の船に乗せられ、八咫烏に先導され桂川を下って行った。

 葦の船は、太陽の船……。黄泉帰りをしたと豪語するニギハヤの葬儀には打って付けだった。


天津神の使者の女性を毒矢で射殺した玉姫は、大洪水でその命を失っていた。

――長い時間をかけ、天津神のDNA工学研究所は再建され、そこで新たに産み出(リライト)された「からだ」にしばし宿った玉姫だったが、大元のDNAは玄利によって放たれたミサイルにより、地下宮殿ごと吹き飛ばされた為、完全復元は出来なかった。

それでも一応、玉姫の霊はその神力を発揮し、味方も敵も欺き忍び生き抜いた実績により後世に編纂された歴史書は内容一文も変わらずに、天津神の神意が繁栄された。

リライトされた玉姫の霊は、日本の神の一柱とし、照天神社で、「縁を探す女神」とし、その御霊は祀られた。

変わった事と言えば、己の人生一代で己の過去と未来を消し去ったニギハヤ。未来へは、未来が無くなり、ストーカーもとい、守護霊にも、妻にも玉姫が成れない事実がそこにあるだけだ。

  神災害が治まってから、再び、古事記や偽書と言われていた書籍が顧みられるようになり、感の良い日本人は神転生者でなくとも、神器を何もない空から見出し、利用し、花鳥風月を乗りこなした。

空気中の原子を使い、宇宙を駆ける乗り物も作れるようになった。

 この世こそ、ニギハヤにリライトされてしまったのか。

いや、これこそが、リライトされた玉姫の、天津神の狙いだったのかも知れない。

 薄暗い夕暮れの丘をとぼとぼ歩いていたら、前から見知った顔によく似た霊が駆け寄って来た。

「ああ! あんた! そっちに行くの止めなって、地獄だよ!」

「地獄? ああ、そうですか。」

ニヤニヤ。

「退屈な天国より楽しそうだから、俺、こっち行くわ。」

「ああ! ホントにもう、地獄が楽しそうって、なに馬鹿な事を言ってんのッ。まあ、あたしには地獄に親友の眷属が居るから、融通利くように口利きしてあげようか?」

「ああ、余計なお世話! 塩まくぞ。えいッ。祓い給え、清め給え、タマ、リンリン。」

「なによっ、しょっぱ。塩ってここに持ち込めたの?」

「ええ、僕の特権みたいですよ。」 

ニヤニヤ。

「じゃなくて! あたし、あんたの為に何年も前から、年に一回しか貰えない上等な鏡餅を御年賀に地獄と天国の眷属に渡しているの。まぁ、どっちともと買収している、みたいな。」

「あ――あっ、お疲れ様。それに、鏡餅が勿体ない。ご自身で食べた方が良いですよ。(供えた人の心をくみ取ってあげて下さい。)しかし、なんですね? 今あなたは眷属さんを「親友」って呼んでましたが、買収していたの? (なんの、会社組織だよ。)……そう言う所、少し姿が変わって見えるけど君の嘘は、僕を生かす為の嘘……玉姫。」

玉姫は、急に俯き視線を合わせず両手を背中にまわし、キュっと握りしめ、ツンツンした気を張った。

「玉姫。」

若彦は出来るだけ気持ちを込めて歌うようにゆっくり空気を振動させつつ、己の身体もそれに共振させ変化させた。

「ニギハヤ♡」

屈託のない笑顔で、玉姫はニギハヤに抱き付いてきた。そっと、玉姫の頭を撫でる若彦だが、そっと、その「カラ」から抜け出し、大好きになった桂川のせせらぎに戻った。

「地獄の沙汰も、なんていうけど。俺は、玉姫のお陰で冥界からも……とんずらしたぜ。」

薄い円形状の石を投げ、水切りした。

玉はとんとんと、水面を跳ね、ちゃぷんと水底に落ちた。

背後に人の息遣いを感じた。なんだろうと、振り返ると、

「貴方は、日吉のアメノワカヒコの花鳥風月か?」

久しぶりに若彦が話しかけられた!

「‼」

藍色の生地に金色の模様が美しい直垂を着た神職の男だった。

「……いえ、俺は若彦です。」

「禍を成す神でなければ、高天原へ行きなさい。」

「いや、あんたの言う高天原とは自分のいる場所や、神を呼び込む信者の心の内の宮殿の事でしょ。俺の居場所はこの日吉の桂川だし、信徒なんて誰も居やしねぇよ!」

お互い、久しぶりに話せて、なんだか面白くてニヤニヤ笑ってしまった。

「うふふ、それはどうでしょうかね。」

男は、もふふわっとした御幣を背中の腰帯から抜き取ると、若彦の前でそっと数回振って見せた。

「‼」

御幣に吸い寄せられ、若彦は鳥もちみたく御幣にからめと取られてしまった。

「今日から、僕らが貴方の信徒ですよ。」

藪の中から、深緑の直垂を着た美しい女性が御幣をフリフリして満面の笑みを浮かべる男の元へ息を切らせ駆け寄って来た。

「もう、八切ったら、慌て過ぎよ! どんなに星の運行で、ここ百年なら、今日のこの時間にしか、あの方に会えないからって――。」

(ん? あの方って、俺の事? 八切? もしかして、君達は……。)

女性が大事そうに抱えて持って来た桐の箱、御身代箱を男は即座に受け取るとあれよあれよと言う間に若彦憑きの御幣を箱に納め朱色の紐を蝶の形に結び閉じた。

野太い男の叫び声が、二人が通って来た獣道の奥から聞こえてきた!

「おい、またアイツらに先を越されてしまったか!」

「ボス、じゃあ日吉の花鳥風月の種はもう無いのですね?」

「無いじゃねぇ! ある! 奴らの抱えている御身代箱を奪うのだ!」

「はっ、はひっ!」

普段、藪を歩きなれていない黒スーツの男達は慌てて、藪を縦横無尽に駆けまわる神主達を追う。

(おっ、おっ、俺……、担がれているぅ!)

「ふふっ、大丈夫です。僕らに任せて下さい!」

「まかせてぇえ! 楽しひぃ――!」

(いやいや、いやいや……お前らに任すと……!)

神主のオオカミ君が崖を飛んだ!

いちごちゃんも飛んだ!

烏帽子も飛んだ。御幣も御身代箱の中でふわりと浮いた。

(ぬぉぉぉぉ――、俺もまた、飛ぶんかい!)

「我が御霊、霊風の龍のお出ましだぁ!」

八海山尊神社の龍、霊風の龍の花鳥風月が虚空に現れ、御身代箱を抱え持つ八切を頭で受け止め、八切は両手を広げいちごちゃんを抱き寄せた。霊風の龍は追手を巻き空高く舞い上がり消えた。

  信州の雪解け水が、鈍く光る鋼鉄の弓矢を川下へ押し流してゆく。不思議な事に弓矢は互いを引き合い離れず磁石の様にくっつき流されてゆく。

 諏訪湖から遠く鳴神山に、霧がかかる時、人知れずギターの音と狼の声が微かな雷鳴と共に聞こえてくると言う。鳴神山から降りてきたニャンビーが語っていた。

  花鳥風月や神転生者、神器と言う新たなテクノロジーで、古風な力(ロストテクノロジー)を求め、奪い合う世の中になってしまったが、ニギハヤが剣の舞を行った生刀だけ、今でも行方……知れずだ。

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幸せな嘘つき女神は俺を知らない @mittunohikari

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