第8話 神の裏切り



『なんてことだ。』

ニギハヤは一時、息を殺した。

  初夏の夕暮れ時のこの空に、黒々しい積乱雲に太陽が隠れ、黒い太陽が目に映った。八咫烏は積乱雲を避け通り過ぎて行く。

夕焼けがニギハヤの頬を染める。

八咫烏の周りをクルクルと飛行していた花鳥風月の玉姫がニギハヤに駆け寄り叫んだ。

「ニギハヤ様、こんな所でみんなが死ぬのは嫌よ。フフッ。」

「いえ、まだ死ぬとは決まっていませんが。」

「本当にこの天女の花鳥風月は玉姫への信仰の権現でしょうか。僕にはまるで、人が死ぬのが嫌だとこじつけて、殺戮したいと言っている様に聞こえますね。」

玄利が咳払いする。いちごちゃんはニギハヤの一瞬の表情を見逃さなかった。

「ホピ最後の予言……ホピの長老が環境破壊と地球の危機を訴える為、ニューヨークの国際連合へ向かった際に、インディアナ州の工業都市ゲーリーのスモッグと煤煙に煙る空に黒い太陽が昇るのを見て、国連ビルを見た長老はそれが「雲母の家」だと悟り、全世界へホピの予言を伝えたと聞いたわ。あの太陽はそれと似ている。」

八切は、いちごちゃんに視線を向け、二人で調子を合わせ、九字切りをした。

「……予言はホピの道と呼ばれる下の道、謙虚に慎ましく生きる道を選べば……。ホピ(平和の民)の様にとうもろこしを育て、自然と調和して暮らす人が増えれば未来永劫幸せな道が続いていると言う。」

八切はいちごちゃんの横顔を見た。ずっと、見ていたい横顔。

(ホピの予言は救えない事もないと言う話。)

(しかし強欲を貪れば、その先に道はない。……道と言えばこれから起こる事は未知、未知若彦……貴方の道の先には何が待っているのかしら。)

いちごちゃんは頷いた。

『俺も、皆も死ぬのは嫌だな。だが、まあ見てくれ、とうもろこしじゃないが、田んぼの作土層がとても綺麗なもんだ。そして、稲が均一に育っている。均一だと言う事は、養分も均一になっていると言う事。言葉に表せない程、誠に素晴らしい眺めだ。』

玄利はその変化に気が付いたが、他の三人はそれに気が付いていないのか。

「ニギハヤ様その景色も、いち早くジャガーを倒さないと踏み荒らされてしまいますよ。」

ニギハヤの背中に呼びかけた玄利が、振り向きざまに弓矢を差し出したが、ニギハヤは正坐をし、手を膝に乗せたまま笑顔で受け流した。

「ニギハヤ様。」

(玄利の荒魂、フルエユラユラトフルエ。今はまだ、落ち着きなさい。)

『俺流のやり方で、ニャンビー達を救おう。』

「えっ。ジャガーや花鳥風月を消し去るのではなくて?」

『自らパンを作ろうよと言っておきながら、友達だけパンを作って待っていたら、君達ならどうする?』

「それは、自分も直ぐに作り間に合わせます。」

『ん……うむ。まぁ、そう言う事だ。……黄泉の国へ、わし(俺)が生きた時代へまた戻ろうではないか!』

「何を、言っているのですか! そんな簡単に黄泉の国へなど行けないでしょう!」

八切は叫んだ。

『出来ないと思うから出来ない。わしはそれが出来ると思っている。八咫烏よ、丘の江……江津へ向かってくれ。』

ニギハヤがそう宣言すると、コメント欄が一気に沸いた。

「江津! 江津と言えば、エビスの終焉の地。エビスは日本神話では少彦名とも言われているね。」

「少彦名って言ったら、ガガイモの実を二つに割った船に乗って渡来した神だよね。」

「ああ、そうそう、ガガイモって、実を割ると中身が鏡の様に光るって。」

「鏡の様に光るって、それってUFOなんじゃね? 輝き方より、ガガイモの形の方が動くUFOに見えるけど。」

「少彦名と言えば、大国主と国造りをしたって言う小さな神だよね?」

「国造りした後、フラッと常世の国へ消えたって言う。」

「少彦名は「若き日の皇子」って、日の皇子、確か、ニギハヤ様も太陽神ですよね。大国主が三輪の神でニギハヤ、消された太陽神。男神天照。」

「あとさ少彦名って、マジナイの神でもあるよね。」

八切はいちごちゃんと視線を合わせ頷いた。

「大国主と少彦名は日本のマジナイの祖神。吉凶どちらに関しても。」

八咫烏は高速で江津へ向かい飛ぶ。

「なんか皆さん、話がそれていませんか? ニギハヤ様と大国主や少彦名の関連性を議論するのではなくて、ニギハヤ様が黄泉の国へ行けると言う事と何の関係があるのですか?」

玄利が腑に落ちないと、オオカミ君に囁いた。

「玄利君、コメント欄で少彦名は渡来神と言われたのを見ましたよね。」

「はい。」

「少彦名は大国主の若き頃を神格化した物だとも言われている。」

「ええ。」

「大国主といえば、三輪の神。三輪の神と言えば、ニギハヤ様なんだ。」

「はい。」

「それで、ニギハヤ様といえば、呪術の神で間違いないだろう。」

「……だからそれはコメントで知っています。その呪いを使って、黄泉へ行けると言うのですか?」

玄利が持つ、鋼鉄の弓矢が鈍く光った。

「玄利さん、もうそろそろ、この現実を直視しましょう。意外と楽しいですよ。」

「オオカミ君。貴方はこの状況を楽しんでいたのですか。」

「ええ、まあ。ほどほどに。……記紀に残る饒速日命とこうして話せるだけでも、身震いするくらい楽しく嬉しいです。」

「オオカミ君……。」

「玄利君。僕もまさか、神が助けを求める者を助けず、利己的に動くとかとか思いませんでした。現代のスピチュアルリスト達もビックリですね。これがホントの、神視点なのでしょう。楽しいです。」

「楽しいですか……。僕にはさっぱりです。そう言えば、若彦さんには、雷光と言う背後霊も居たとか、おっしゃっていたような気がしますが。」

じっと、二人の話を聞いていた八切だったが思い余って立ち上がろうとした。

「……雷光という名の神。名前からして、雷神。ニギハヤ様の背後に居る気配はしないが、これからニギハヤ様が赴く黄泉の雷神と言えば、伊弉冉命の身体から生じた八雷神……八……。八とつく名は、ニギハヤ様をお慕いする我ら一族の名。伊弉諾王朝に追いやられた古代伊弉冉王朝、その一族が落ち延びたのが黄泉の常世の世界。それ即ち、山の世界。山は古来他界と言われ恐れられていた。素戔嗚命が母を求め黄泉の世界へ行ったと言うのは、我ら、八のつく一族が山へ生活の場を移したと言う事。素戔嗚命はハハ(蛇)の居る世界に落ち着いた。……カグツチが伊弉諾命に殺されたのは、伊弉冉王朝が、様々な御業を持って繁栄していたモノを奪い、他のモノに置き換えて両立させたから……なのか。」

あまりにも、高速で擦れた声で呟いたので

(これが、いちごちゃんが良くカカル、神懸かりなのか?)

二人には聞こえていなかった。

「黄泉へ行けば、玉姫の様に雷光さんに会えるかも知れませんよ。ホントに楽しいですね。」

最後の方は小さい声で話していたのでライブ音声にも入っていない。セオリツヒメ達は前を向いて飛んでいるのに玉姫だけは二人を見つめていた。

ニヤリ。

オオカミ君はその微笑を見逃さなかった。


玄利はまじまじと鋼鉄の弓を見つめ、使い方を模索していた。

「玄利さん、ニギハヤ様が言うように、我らは救世主にならなくても良いんですよ。」

オオカミ君は玄利の肩をポンと叩いた。

「ひぇ、オオカミ君、急にいったい、なんなんですか? 勇者にならなくてもいいって?」

「ならなくて良い。」

「オオカミ君、貴方がそんな事を言うなんて、何かお気づきになった事でもあるのですか。」

「確かに、僕は通常、逃げない、先走らない漢だからかな。ですが僕もニギハヤ様のお側に少し居たせいで、気が移っちゃったのかもしれません。」

『ニャンビーは助けるぞ。』

(ニャンビーとして生きるのも楽しいだろうが、簡単にあのテスカトリポカのジャガーに食われるのを見るのも嫌だしな。……ん? テスカトリポカはニャンビーを食うのか? 俺はジャガーがニャンビーを食った姿は見てはいない。俺は確実にニギハヤの意識に浸食されて……いる。)


  日本国の防衛の要、陸空海自衛隊が各地に出現した神々への信仰の形が具現化した花鳥風月に対策を練らない訳は無かった。宇佐野の様に航空救難隊が各地で空へ飛び立ったし、陸自も出来る限り現地に向かい情報を収集していた。

 オオカミ君は、八咫烏の頭の上でふと想いを巡らせた。

「これは、武力攻撃事態だよな。」

眼下に広がる山、川、ゆらりゆらりと揺れ動く花鳥風月。まだ、穂が実らない田んぼで虫を追いかけ、稲と戯れるニャンビー達。神転生者同士なのか、自分の花鳥風月を使い争っている者も居るこの状況は異常事態であり、急を要するだろう。

この事態を引き起こした大本がジャガーとニギハヤなのは分かっている。

「航空救難隊の僕が、航空攻撃する日が来るとは。」

「えっ。オオカミ君、いえ、宇佐野さん、先程から、武力攻撃事態とか、航空攻撃とか?」

「ああ、2003年に制定された有事法の基本となるものです。戦争状態に陥ったと根拠を示したものを武力攻撃事態と呼ぶのだけどね。」

「それで、今の状況が、そうであると思うのですか? 航空攻撃とか、宇佐野さんも前線で戦うのですか?」

「ふふふ、玄利さん。僕は航空救難隊ですが、ジャッジ・システムに割り当てられたら、いえ、僕には、割り当てられる事はそうそうないでしょうが。ですが、窮地に陥ったら法令を無視しても、玄利さん達を護るために何時でも出撃する覚悟はあります。」

「ジャッチ・システム? 弾道ミサイル攻撃とか撃つのですか?」

「玄利さん……。」

オオカミ君は、あの蜃気楼に似た姿の動きが早く多数存在する花鳥風月を弾道ミサイルで攻撃すると思っているのかと口に出しかけ、玄利の持つ鈍く光る鋼鉄の弓矢に瞳が釘付けになってしまった。

(もしや……。もしかするかも、知れませんね。)

「どうか、しましたか?」


八咫烏はどんどん南下していく。玄利の弓矢から視線を外し、ふとオオカミ君は呟いた。

「そう言えば、若彦さんは箱根の芦ノ湖で、九頭龍の花鳥風月に穿たれた穴に連れ込まれた玄利さんを助けに、根の国へ行った。」

(箱根の由来は箱型の峰(山)と言う意味らしいが、もしかして、ノアの箱舟が漂着したのは富士山で箱根に箱舟が漂着したとする説はどうだろう。なんの因果か、箱根の芦ノ湖が神震災の震源地で先ずは白和龍王が、そして、ニギハヤ様の深紅の花の様に散った未完成の九頭龍……。)

「箱根の根、根の国の根ともに山と言って、どちらも異界。箱根の九頭龍神社、九頭は国津神の国津から訛りで九頭龍王は龍の総元締めで、九頭龍神社があると言う事はその地が元々国津神の領域だったと分かる。その箱根の芦ノ湖から黄泉の国(過去の日本)へ行き、ニギハヤ様の過去へ、ダイブ。玄利さんは白和龍王に飲み込まれ、平安時代の素性法師と出会い、それから、ニギハヤ様の時代へとダイブ。玄利さんと若彦はジャガーの花鳥風月に追われるようにケツァルコアトルの花鳥風月で諏訪湖近辺に再び現れた。そう言えば、現世に出た瞬間は諏訪湖に居たのに……ああ、そうか、僕同様、若彦さんも守護の助力によってテレポーテーションしたのか。」

眼下とタブレットを交互に見つめていた玄利がオオカミ君の肩を掴んだ。

「これを見て下さい。地図上で言えば、芦ノ湖と諏訪湖は一直線ですよ!」

「一直線?」

直線の先にあるからと、簡単にこじつけられないと思ったオオカミ君だが、

「その、直線上の先には他に何があるかとか、分かりますか?」

二人の疑問にコメント欄がざわつく。

「そうですね……、その先には富山がありますね!」

「そんで、羽咋市があるねぇ! 磐衝別命が領民を苦しめていた怪鳥を退治し、この時連れていた三匹の犬が怪鳥の羽を食い破ったって言う伝説のある所だよねぇ。」

「いや――。なんか、不吉。怪鳥といえば、八咫烏さんじゃ。かっこいい八咫烏さんに何か良からぬ事が?」

一気に、コメント欄が流れる。

「あのあたり、古墳も多いから、何か曰くありげだね――。」

「と、言っていますが、ニギハヤ様。」

『視聴者様は何か羽咋市に暗い曰くがあると知りたいのか?』

「確かになぁ、海からやって来た天津国の帰化人達と、それより先に渡来していた同族同士もしくは怪物とされるのは土着の民だった。その者達の争いがあったのは確かだろう。富山は、白山信仰のメッカで、天津国の神同士でも抗争はあったろう。民話を見ると富山あたりから、諏訪の方へ向かい白山信仰の龍さんが、諏訪周辺に居た龍を淘汰して行くと思われる伝承も幾つか残っている。昔は裏日本と呼ばれる日本海側の方が海外との交流が多く、そして緑豊かで米も良く取れる地であったとか言われているよね。」

「じゃあ、太平洋側にはなんか、古代日本の繋がりとかあったりする?」

「太平洋側は、ムー大陸じゃない? ムー大陸から日本や、シュメールに行ったとかとも、言うね。シューメールはスメラミコトから訛ったみたいな。天皇家の菊花紋もあったりするよ。」

オオカミ君や玄利は盛り上がるコメントを静観していた。

『各、八雲の地……。弥栄に。話は戻るが富山と言えばなかなか、立山を越える事が出来ず人の交流が無かった。とも、されているが。実はそうでもないさ。』

「ああ、ああ、ニギハヤさんがそう言っているのだから、黄泉へ戻ったら羽咋市に行って、八咫烏の羽をもぎ取ってやれば!」

アンチなコメントも大量に流れて行く。

「龍の民話について先程話に上がっていたけれど、怪鳥も、犬も眷属さん、その時代の人だったりするから、怪鳥が八咫烏だとすれば、日本海を北上してきた出雲族と犬、お犬様と言えば、反対側(太平洋側)の埼玉の三峯神社のお犬様が有名だけれど、ヤマトタケルを山で助けた眷属のお犬様なんじゃないかしら。」

いちごちゃんがポツリと言った。

「でも、出雲族と大和……大和国があった場所は三輪山周辺ですよね。そうしたら、矛盾しませんか?スサの王の息子と呼ばれるニギハヤ様は三輪の神。スサの王と出雲は……。」

「出雲は、大国主の国。大国主はニギハヤ様よ。」

「出雲がそれなら、なおさらですよ。おかしいじゃありませんか。」

「あんた、古事記もろくに読んでいないわね。大国主は国を天津神へ譲った、と言われているわ。」

いちごちゃんが会話に割って入った。

「と、言う事は同じ出雲系でも別の流れと言う事ですか?」

(いや、それは……途中で王権を奪われたじゃないのかな。)

体が、ニギハヤの為、声にならない。表に出ているニギハヤが、若彦が発言するのを止める。

『さもありなん。』

「と、言う事は、羽咋市はヤマト系が勝利した地なのですね? 富山は天津神系の白山ククリヒメが勝利したと?」

「羽や尾と名のつく土地は、なんだか臭いますね。……八咫烏勢力もとい、ニギハヤ王朝。」

コメントがどんどん流れる。

「羽……尾。そう言えば、三輪の神様って、龍神らしいよね。日本はドラコニアンの土地って言うし。背中に羽を生やしたドラゴン。日本の天皇はドラゴンだったらしいって、古事記にも書いてあるわ。私、好きなのよ。こう言う、は♡な♡し♡」

いちごちゃんがニヤニヤして話す。オオカミ君が胡坐から、正座に座り直し、

「法隆寺の五重塔初層酢塑群像の中の一つに、釈迦の入滅や遺骨を分骨する所が描かれているが涅槃の場面を表した北面に鳥頭形とか、人間とは思えない従者像があるんだ。」

『うむ。』

「そう言えば、ニギハヤ様って、どうして頭に蛇乗っけているのです?」

『いや、コイツは勝手に俺の頭に乗っている。』

「蛇に注目する? 俺は、ニギハヤ様の花緑青の髪の毛の色と、薄青の瞳の色が気になる!」

「ニギハヤ様は、三輪神社の蛇神様なら、真の姿がドラコニアンでも不思議じゃないですよね――。」

「でも、三輪神社の神様は、確か小さな蛇じゃ、なかったっけ?」

(その当時の天津神に、小さき蛇と揶揄されていたって事じゃないのかな。)

若彦は幽体が少しずれた瞬間、そう思った。声としては誰にも届けられないが。

「そう言えばさ、三輪の神様のお力添えが無ければ、平安に都は築けなかったとか。」

『ふふふ。』

「ニギハヤ様! 真のお姿はまだ、僕たちに見せていないと言う事ですか。」

『その通り。……見てみたいのか?』

「見せて頂けるのなら。」

ニギハヤは、ツンと前を向くと、

『いや、君達はわしを、わしの国を想像して楽しんでいた方が良かろう。さあ、先を急ごう。』


  暗雲が立ち込めるエリア、上空にやって来た。雲に近い場所に来たせいか、全身を薄っすらと静電気が取り巻いているようだ。

『八切、苦しいか?』

「いえ、体中がピリピリと痛くて。」

『セオリツヒメの花鳥風月よ、八切を補助してあげてくれ。』

ニギハヤがそう言うと、八咫烏の周囲を飛んでいたセオリツヒメが二人飛んで来て、八切をそっと二人で覆い込むように抱きしめた。

「不甲斐ないです。有難うございます。セオリツヒメの花鳥風月。」

セオリツヒメ達は、クスクス笑う。

(美しい人達だが、姿は人間なのに、その感覚が無いのが少しだけ、怖い。)

周りを見れば、いちごちゃん達も二人一組もしくは三人で覆われ、座っている。

(日本神話でヒトに纏わりつく女と言えば、伊弉冉に纏わりつくヨモツシコメ……。これから、ニギハヤ様が向かうのは、若彦さんの前世、黄泉の国……。そう言えば、素戔嗚命は母を恋し思い、黄泉の国へ行く。……最終的には、黄泉の国の王に素戔嗚命はなり。大国主は黄泉の国へ出向きスセリビメとの婚姻を素戔嗚命に希う。……素戔嗚命の息子のニギハヤ様が黄泉へ行くのは現実的な空想なのかも知れない。(現代のニギハヤ様は、なんの因果か、若彦さんで独身だ。こう言っちゃなんですが、女性にモテそうなタイプではありません。)そもそも、ニギハヤ様の奥様、ミカシキヤヒメは事代主の妹説があり、事代主は諏訪湖の祭神タケミナカタ……ニギハヤ様。事代主は、一言主、我ら修験者の開祖役行者とも繋がりが……悪い事も一言、良い事も一言で言い放つ神。ニギハヤ様が戦などについてあまり語ろうとしないのはそのせいなのか? ……一言じゃなくて、言葉が多く、時々毒舌吐くのは若彦さんの影響でしょう。)

「八切さん、黄泉の国と言われている土地はあるそうですよ。僕たちの思う精神的なものではなくて。ですが今、向かっている丘の江、江津ではないそうです。」

八切のうるさい頭の中が一瞬にして空になった。

「不覚でした。本当にあるのですか、日本に黄泉の国が。」

「素戔嗚命が実在するように、黄泉の国と呼ばれる場所もあるらしいです。伊弉冉命の墓所も。伊弉冉命に纏わりついていたのは、八神の雷の神ですよ。黄泉の国の神達です。」

「八……。そうですね、そうでした。黄泉の国の八神の雷の神……。決して黄泉は異界ではない。」

オオカミ君は静かに微笑んだ。八切も八神の雷の神は知っている。

(八岐大蛇も、荒れ狂う山や川と言われていますが、八人の原住民の王。何処をどう見ても、天津神に八のつく民は虐げられ滅ぼされて行った。ニギハヤ様は素戔嗚命のご子息であると言うが、いや、目の前に居るニギハヤ様は天火明命では無い饒速日だと……目の前に居るニギハヤ様は僕らの絶対的な味方だと……信じたい。)

 もわっとした、風がニギハヤの頬を撫でた。眼下を覗くと、広範囲に及ぶ山火事が発生している。

『山火事だな、止めに行こう。』

(黒雲から既に遠く離れている。科学的に雨を降らすにも降る雲粒が大気中にある様に思えない。絶望的だ。ニギハヤ、どうするつもりだ?)

若彦もニギハヤに同調出来なければ、何も分からない。

「はい、畏まりました。」

八咫烏は急降下し、現場へ向かった。

『先客か。』

青龍の花鳥風月と、背中に乗った少年の神転生者が真っ青な空に何か透明な球体を投げ込み、龍の嘶きと共に雨雲が巻き起こり大粒の雨がザアザアと降った。無事、山火事は鎮火した。

 八咫烏はそれを見届けると再び浮上し、江津へ向かう。

「昔話の世界観そのものだったわね! 少年が龍と一緒に雨を降らすなんて、超ドキドキしちゃった! あたしも、あの青龍の背に乗りたかったぁ! ホント、びっくり。」

いちごちゃんは顔に纏わりつく髪を払い、八切を見た。

「感心している場合ですか。あの山火事はどうして起こったのかを僕たちは考えなくてはいけません。」

「ハァ――ン。八切ったら、堅物なのだから。どこぞの花鳥風月か、神転生者が暴れまくって山火事を引き起こしたのでしょう。……これは私のいけない性癖なのかもぉ。私、炎を見ると興奮するのよね。多分、古代の神々にとっても古代人にとっても、火を扱うと言う事はとても神聖視されていた。そして、さっきの話にも出ていたけれど、火雷神、雷は天から火をもたらし、山野が燃やされると燃えた場所から新たな命、緑がもたらされる。火は禍も命ももたらす。火はとても神秘的な科学的現象よね。八海山尊神社へ帰ったら、火渡りでもやろうかしら。」

いちごちゃんは眼下を見下ろした。

「そう言えば、ニギハヤ様って元伊勢の籠神社の主祭神で、その神社にはホオリべと言う神事を司る神官がいて、神饌として牛をニギハヤ様の為に屠り、火で焼きつくすの。」

いちごちゃんのうっとりとした声に反応したのか、流れを変えるコメントが流れて来た。

「確かニギハヤ様の父、素戔嗚命はスーサでその屠りの儀式やられていたかも……。西洋では神に牛を一頭丸ごと灰になるまで焼いて供えると言う神事があったと言うし。そう考えると、別段不思議な神事ではないんだよね。」

「生贄神事と言えば、やっぱ、先程までいた諏訪湖の諏訪大社でしょ。赤い衣を着た少年とか鹿を捧げたらしいじゃん。特に少年を捧げた神事の何度目かの時に、少年を助けたって言うドラマチックな事件あったよな?」

「そうそう、それから、捧げられるのが人から鹿の頭に代わったって、話。」

コメントは流れるが、それについて全くニギハヤは答えなかった。

(ジャガーに生贄を望むとは恐ろしい事だと言っていたニギハヤ様が、自身も生贄を捧げられていた。呪術に長けたニギハヤ様、そして周辺の神官達が牛を使って祭事を行っても何ら不思議な事ではない……が。やはり、太古の神とは恐ろしい存在だ。僕も八海山尊神社の花鳥風月、龍の神転生者らしいが、僕は雷や火で人々を襲いたいとも、生贄が欲しいとも思わない。ただ、一緒に居るといつも笑顔になれる、楽しく明るい、いちごちゃんと修験道の極意を極め、ずっと傍に居たいと思う。だから、きっと、ニギハヤ様も……。)

八切は腑に落ちない。

『八切、わしの事が恐ろしいか。』

「はい……。」

(ニギハヤ様が怖い……。でも、ニギハヤ様は若彦なのだ。同じ現代に生きる。山野が好きで女は好きだが妄想の息を越えないエロ小説好きなムッツリ。)

『ハハハ。そうだそうだ、若彦もわしもただの男だが?』

「ほほほ、ニギハヤは自分をただの男と、していたいのよね。」

セオリツヒメの一人が口元を隠し、ふふふと笑った。

『八切、ライブはこれで終わりにしよう。』

「はい。」

八切はライブを終えると、コメントは鬼の様に流れて止まった。

「なぜ、今ライブを終えたのです? これから、過去、黄泉の世界へ行きニギハヤ様の……。」

『八切よ。秘密にしたい。現代の電波は波長が優しすぎ、時空間の壁を乗り越えられん。ライブで実況中継しても映らん。』

「秘密ですか。」

「あ、あそこ辺りじゃない? 江津!」

いちごちゃんが指さした。


風が凪いだ。

八咫烏が急降下する。

頬に先程山火事で感じた熱気と似たような暑さを感じるが目視出来ない。


暑さで目を一瞬閉じた瞬間、水をかけられ目を覚ました。仰向けに寝ていたようで、傾きかけた眩しい夕日が眼に突き刺す。夕日を避けた腕を見れば、逞しく鍛え上げられた小麦色の腕、起き上がればはらりと流れ落ちる花緑青色の髪。

(俺の今の姿は、ニギハヤなのか?)

『la la la……all of that is me……』

ジャー―ンとギターの音色に悲しい歌声が波に乗り、かき消されるように響いていた。

『ニギハヤ様? それとも……若彦君。』

胡座をかきその上に情熱の紅、アコースティックギターを置いて、微笑むオオカミ君がいた。

『オオカミ君。all of that is meって、その訳は、その全てが私。どして、そんな歌を?』

『ああ、やっと……。戻られましたか若彦君。見て下さい。この広い大海原を。きっと、若彦、君もこの大海原を見渡して見れば、きっと、そう思えますよ。死に戻るではなく、詩に戻ると……。』

オオカミ君はギターのピンと張られた弦を見た。

『あっ、もしかして。ここは、ニギハヤの居た世界なのか。また、舞い戻った俺……。踊れや、歌えや。やいやいのやいッ。』

ショックを隠し切れず小躍りする若彦の視線の先に、この時代では華やかな上衣を着た使い女が目の前いた。

「さあ、行きましょう。天津神々の使者がお待ちです。」

『あま……。』

(お前もだろが。)

とは、言えず。若彦が言葉に詰まっていると、背後から、ギターを背中に抱えたオオカミ君が使い女の前に出て若彦の手を取り、耳元で囁いた。

『ここは、過去の江津です。江津は、少彦名、恵比寿……(若い男)の終焉の地。』

『終焉の地って、おい、お亡くなりになった土地って言う事ですよね?』

『ええ、そう言われています。』

微笑みもしない氷の眼差しでオオカミ君は若彦を見た。

「そこの二人、何をひそひそと。皆、宴会の場で待っておられますよ。」

『ううっ。』

若彦は頭に激痛を感じ、その場に倒れ込んだ。

(終焉と考えた瞬間に頭に電撃が走る。これは死以外の何かを拒絶してる……何をだ? 俺は何を考えたくないんだ。身体がそれを感じる度に頭がかち割れそうだ。それでも、前に進まなければいけないのか?)

その姿を見て、天女は嫌らしく笑った。

『all of that is me……。』

(その全てが、わたし……。)

オオカミ君は若彦を立ち上がらせ、自分の肩に若彦の腕をまわすとハミングした。

((大丈夫です。僕に任せて下さい。きっと上手く行きますから))

じっと、オオカミ君が熱い視線を送ってくる。

(いいよな、お前は。俺は……今から死ぬって分っていて行くんだぜ。)

パンパン。

『いたっ。何するんです。』

お尻を叩かれた。

『良いですか、僕が今から、若彦さん、貴方とテレパシーで会話出来るようにします。その時になったら、テレパシーで会話しましょう。』

「また、何を喋っているのです。お早く。」

天女は少しキレ気味だ。

『俺、テレパシストじゃないのに、そんな簡単に出来るものなのか。俺、全く出来る自信ない。』

『大丈夫です。若彦君は僕が、人の気持ちをよむ事が出来る事を知っていますね。』

『うん、知っているよ。』

『僕に出来て、貴方に出来ないはずかない。なんたって、若彦、貴方の守護霊と僕の守護霊は分け御霊なのですから。』

オオカミ君の拳が微かに震えている。

『分け御霊……。』

『僕と、貴方は。元は同じ魂、同じもの……同胞なのです、同じタイプのもの、つまり「モノ」とは大和言葉で霊を表わします。同士魂ならば、感覚で使える。元々の動物的感覚を駆動(櫛もしくは奇、奇御霊を)する、神宝の力を使い易いのです。』

『はぁ。』

『そんなに、自分自身の感覚を信じられませんか? 貴方は野生児なのに、動物に戻れないと? 笑えてしまいます。』

『ええ。全く。僕は野生児ですよ。オオカミ君も。オオカミ男ほど文武両道な漢が、精神的なモノをそこまで信じるとは。それで、他人を救って来たかと思うと。』

(笑えると言うか、怖いな。)

『思うと? 僕は、確かにメディックとして救助した経験人数はまだ少ないですが、これから、生きて現代へ帰ったら……前以上に現代科学ではまだ証明できない、力があると信じて生きて、生き抜いて、少しでも多くの方を助けていけると僕は信じます。』

『はぁあ。貴方はヒーローですね。』

『何を、言っているのです若彦君! この世界へ僕たちを連れてきてくれたのは、他ならぬ、若彦、貴方自身、いえ……ニギハヤ様自身なのですから。』

『またまたぁ担ぎすぎですよ……ニギハヤがヒーローですか。なんとなくあっちの世界でニギハヤだった時の記憶がある気がするけど。肝心な所を教えてくれない。あの男が本当にヒーローなのか?』

『肝心の事を教えてくれないとは、彼の死の際の事をですか?』

『なかなか直球ですね。死をと言うか、どんなことをして、そうなってしまったのかを、そして、どうすれば、現代の世に現れた花鳥風月を鎮めるのか、ニャンビーを元の人間に戻す手段を。なぜ、何も教えてくれないのか。全部、俺達で考えて行動しなくては、いけない。そんなんじゃ、俺は信じられない。俺は思うよ、自分が偽物なんじゃないかって、さ。』

『偽物ですか……。』

目の前に、宴会場が迫ってきた。先に授けられた弓矢を持った玄利といちごちゃんが天津神と思われる、使者の男女二人と見つめ合っている。

若彦はオオカミ君と離れないように、右隣に座るよう促し、男女の前に座った。

「早速だが、ワカヒコ。そこにおわすニギハヤ大王がこの神の国を数年で治めたと聞く。よくやった。さあ、我らに主権を渡し、貴様は天津国へ戻られよ。」

(ああ? 主権を渡せと言われて、簡単に渡せるかって――の。このストレートな展開。古事記では、高皇産霊神に使わされた雉が忍びやって来て、アメノサグメ(玉姫)にそそのかされた俺が雉を弓矢で射殺した、その矢が高天原へまで飛んで行き、高皇産霊神にその矢で俺は射殺されるはずじゃなかった? これじゃあ、まるで……。)

(そうですよ。僕もそう思います。)

(オオカミ君?)

隣に居るオオカミ君の表情さえ見えないが、若彦はなぜだかオオカミ君がそう言った気がするのだった。

『挨拶も無しに、いきなり国譲りですか、阿保ですか?』

「阿保? さあ、貴様こそ、早くこの地の主権を我らに譲ったと言上げするのです。」

気の強そうな女の使者がつんざく声で叫んだ。

 声としては見えないが、周囲、大勢の群衆がざわめき立つ。他人の心の響きの波が若彦を襲う。

『痛っ。』

頭を抱え、若彦は身体を屈めた。

見れば、男女と若彦達の宴会が執り行われる大きな木造の家の周りに群衆達が集まって来ていた。

若彦を見て憐れむ声や、嘆きの波動が一気に若彦を襲ってくるのだ。

(ニギハヤ様を信じ、従って来たのに、何処の輩かも知れぬモノに主権を渡してしまうのか?)

(やはり、ニギハヤ様は海の向こうの輩と縁が切れていなかったんだ。……あれだけ、信じていたのに。)

『……簡単に、俺の事を信じるな!』

若彦は、つい叫んでしまった。

ざわつく群衆。

「ふふふ、と、言う事は我らの勅諚を破ると申すのですね。」

女は顔を扇で隠しニヤリと微笑んだ。

『ん? 勅諚と申されましたね? つか、この時代の天皇って誰だよッ! 勅諚とは天皇の仰せと言う事だろう! お前らにとって未知な世界に生きる俺はそう先生から習ったぞ! お前らの言う天皇はどの時代の、どの天皇かは知らんが、いや、知りたくも無いが、俺は勅諚など承っていねーがな!』

「ンまっ。どの時代って何よ? ……あぁ、我らの天皇を侮辱するとは何事ッ!」

「そうだそうだ。」

少し、気の弱そうな男が使い女の加勢をする。

「良いわ、若彦貴様は謀反を起こしたと、お伝えします。」

『謀反でも、何でもいいわ! どうせ、貴様らは俺の忠誠を疑って、俺を殺すって算段だろう。潔く、ここに居座ってやるわ。』

「ああ嫌だ。汚らわしい。」

女が叫んだ瞬間、今まで静かに黙っていた群衆が立ち上がり、女に山刀の切っ先を向けた。

「今に、見てろ! 若彦、貴様に必ずや天罰を下してやるからな!」

女は、わなわな動揺している男を連れて先程の浜辺へ、そう、江津へ戻って行ってしまった。

若彦は使者の後ろ姿を見送りながら、頭を傾げた。

『あれ?』

『どうかしましたか?』

オオカミ君が心配そうに話しかけてきた。

『あのさ、俺、雉の鳴女を殺せだなんて、玉姫、いや、アメノサグメに言われていないけど?』

『そうですね。』

『もしや、さっきの使者の女が高皇産霊神に使わされた雉の鳴女だったのか?』

『鳴女……ですか。』

『ああそうだよ、オオカミ君、玉姫、いや、アメノサグメがその雉の鳴き声を聞いて、不吉な鳥だから射殺すようにって、俺に、アメノワカヒコに言ったって言う一文があるんすよ。』

『いえ、僕もそれは、先程若彦さんの心の声を聞きましたので。……古事記は編纂されたものですから。それより、鳴女とは、中国か、韓国の方の文化……人が亡くなると、親族の代わりに雇われた泣く女って聞いた事が有ります。』

『鳴く女ねぇ。なんか、曰くありげじゃないの。』

いちごちゃんが二人の間に割り込んで来た。

『曰くって?』

『だって、そうじゃない? あちらのどなたかが無くなったので鳴女が鳴いたとも、とれるじゃない。まあ、古事記では鳴女自体がお亡くなりになったと言う事になっているけれど。こちらもあちらもまだ、皆、無傷のままなのによ。しかも、何処へ行ったのやら、噂の玉姫さんは。古事記によると、玉姫がこの場に居ないとおかしいでしょうに。関わっていない。それで、その鳴女は、若彦の側で鳴いたって言うじゃない。誰か若彦の隣で鳴いたかしら?』

『鳴いたと言うか。普通に捨て台詞吐いて帰っちまった使い女が居たけど。』

『……その、捨て台詞が、鳴いたって事なんじゃない。とんだ、泣く違いだわね。』

いちごちゃんがこりゃ、たまらんとジェスチャーする。

『いちごちゃん!』

玄利がそれを止めた。

『気配がします。まだ、あの使者の仲間が、ほら、あそこの崖の上から覗いて聞き耳を立てています。』

視線に気が付き、人間の頭が藪の中へ一つ引っ込んだ。

『アレまっ、凄いわね、流石よ。あんな遠くに居る人の気配に気が付くなんて。』

眼を真ん丸にして、いちごちゃんは玄利の肩を叩いた。

『オオカミ君が若彦さんに、出来ると信じるんだと仰っていたので。僕にも何か力になれないかと。』

『いちごちゃん。』

若彦がいちごちゃんの肩を叩いて言った。

『多分、今、いちごちゃんが言っていた、鳴いたのかしらって言う話、聞かれていたんだ。』

オオカミ君と八切は大きく頷いた。

『いや、いやん! ちょっと、待ってよ! 私は玉姫じゃないわ! それに、この時代に生きていた人間でも無いわ。若彦、貴方だって、ニギハヤ様の……。』

『ニギハヤのなんだって!』

若彦の頭突きがいちごちゃんにクリティカルヒットする所だった。

(ニギハヤ、ニギハヤって、俺に何でも責任負わせ、俺を、ニギハヤを担ぐの、もう、うんざりだ!)

『まて、若彦。古事記の太安万侶の序文には古事記は天武天皇が稗田阿礼命じて、よみあわせた帝紀と旧辞を編纂、したものだ。』

『そうだが、何が言いたいんだよ!』

『そう、頭に血を登らせるな。要は……。』

若彦の背中を優しく摩り八切は遠くを見た。

『歴史は勝者のみの記録、しかし勝者はその後に事実によって裁かれる。』

いちごちゃんは腰に手をあて仁王立ちになり夕日に向かって叫んだ。

『あいつら、歴史の勝者だからって、いちごちゃんと、男のイチモツを持ってご登場の玉姫と区別くらいつかなかったのかよッ。』

一同、腹を抱えて笑った。

『確かにねぇ。玉姫ちゃんと、私は全くの別人よ。』

『……と言う事はこの時、玉姫は歴史の表舞台に出てこなかったってわけだ!』

『そうなるのかしらねぇ。』

『あっ。』

八切がため息をついて、いちごちゃんの肩に手を置いた。

『鳴女は、一つの説に、忍びの先駆けとも言われていますが。』

『忍びか、忍びこそ、源流にはニギハヤ様御一行って、感じよね。』

(暗に、天津神一派はニギハヤ一行がやった謀反だと記録に残したかったと言う事か。自分らの神聖さを落とさぬように。俺らは殺されなかったけど、玉姫は、忍びの玉姫はもう、殺されていてもおかしくない。)

若彦は、きょろきょろ辺りを見渡したが、玉姫の気配すらない。

『だとすると、あれもこれも、勝者が編纂した偽りの史書と言う事になりますね。』

首から下げたギターの位置を変えつつオオカミ君が八切を見た。

『じゃさ、今ここに居ない玉姫は、天照大神の元へでも行っているのかしら?』

ポロロンといちごちゃんはオオカミ君のギターの弦をはじいてみた。

『あら、このオオカミ君の神宝のギター私でも音が鳴らせたわ。』

『いちごちゃん、僕もそうだと思います。僕、先日の夜にニギハヤ様と遅くまで話していた玉姫の姿を見ました。』

玄利がすかさず話に割り込んだ。

『おいちょっと、待て。先日の夜って? 先日の夜はまだ、俺達まだ、現代に居たよな?』

『いえ、こちらに僕たちが来てからの先日です。……若彦さん、貴方はこちらの世界に来る前から意識はニギハヤ様で、こちらに来てから三年三ヶ月ほど経っています。』

『その間に、ニギハヤ様は……後世の私達の為を思って、そう、特に若彦、貴方にとって大切な事をしていたのよ。……勿論、玉姫も……多分ね。』

『そう……だったのか。』

『そうです。……まず、ニギハヤ様がされた事は。』

『っか、大切な事ってなんだ? そう言って、また何もしていなかったじゃないか。』

若彦は、また担がれそうな雰囲気に飲まれたくない。引き留める人を避け、江津の浜へ走った。

男女の使者を乗せた船が沖合に黒く姿を留めている。

打ち寄せる波の音だけ大きく聞こえてくる。

『そうだ。子供の頃、何処かで聞いた事がある。水の力を使ったフリーエネルギーの舟の技術があると。』

誰に言う訳でもなく。若彦は呟いた。

『んで、日本人は大和言葉を使うから、心穏やかで優しいとも。生活の節々に自然と共存し大切に暮らしている日本が世界の雛型であると言うのはある意味最もなお話なのかもしれない。狭い島国で肩を寄せ合って生きているから、人間関係の形成がしやすかった、だけなんだと思うけど。さ。』

少し、大きな声で海に向かって叫んでみた。

『日本から五色人が世界中に広がったって言うじゃない。初めのうちは日本の天皇の支配が世界中により良く施され、幸せな時代だった。でも、大洪水の後、天皇が世界行脚出来なくなると、世界の秩序は崩されたと。こうやって、天津国の奴らがこの島国へ徒党を組みやって来るのも頷ける。』

どんどん、気分が高ぶってくる。

『道半ばで、何故、天を行脚した神は国を捨て何処かへ行ってしまったのだろうか。国々は混乱したって聞いたけど、アマノウキフネは有ったわけだから、少しずつでも、荒廃した大地を再生し、混乱した人民を導く事も出来ただろ。』

『結局、やりっぱなしで逃げた、俺も現世からこの時代のニギハヤになり、逃げた。今頃、テスカトリポカのジャガーの奴が、ニャンビー達を食べまくっていやがるだろうな。……もう、三年三ヶ月、三年経ったんだ。今帰ったら、俺は浦島太郎そのものじゃないか! 見かけも、筋骨隆々だが、オッサンだし!』

心なしか、オッサンって言葉が波の音にこだましてくる。

『天へ昇った天皇の記憶を残した書物。偽書と言われているけれど、戦中に焼かれず、残ってくれて良かったよ。とんだオカルトかと思って読んだり、勉強出来たからこそ、こんな時にこそ、心を落ち着かせてくれるものは無い。……実際、物自体ないけれど。過去の歴史に学べるモノは一杯あるって、分かったよ。』

『日本と少しだけ思想が似ているのに、イスラム教の善なる教えを教え広める者、それがイスラムの使徒だとも言われていたような。善なる教えを伝え、広めるって。いやいや、イスラム教以外でも初めの教えは善なるもの、「モノ」は原初の神から初まったはず。なのに。』

『どうしてだ、これって時にヒーロー達は姿を消す! ニギハヤ! そして俺ッ。今、ここに俺が居るって事は、俺が何か回避出来る可能性があるって事だろ、なあ、そうだよな、ニギハヤ。俺が上手く立ち回れれば、俺も玉姫も殺されずに済むだろう?』

(俺は、死にたくない。死ぬと分かっていて、何もせずに死にたい奴なんかいるのか?)

『ああ、いない。いないさ、そんなヤツは。』

足を肩幅に開き、腕組みをした。頭上でゴロゴロと雷鳴が聞こえてきた。

『共鳴、鏡明……あぁ、共鳴。神々はこうやって、神々が生きていた時代に既に、神自身が神殺しと言う、神としてあるまじき神威を汚す裏切り行為をしていた訳だが。いいや、それは思い思いの神の偽善の善を盾に戦をし、国を奪い、ヒトの魂を奪う。……死ぬ寸前、それをやった神は何を思うのか。』

『心底、神と言う、崇拝される存在にガッカリするぜ。』

『極大ブーメラン……だな。』

打ち寄せる波の、音は昔も今も全く変わりはしない。背後を振り返ると、山野が見えるが、山野の草木は現代とは少し違う。自然淘汰されたものや、人間の手で絶滅に追い込まれたものがあるのだろう。

波の音に向かって、男ひとり夢想するのも、なんだと思うけれど。もし、意識の具現化が出来るとするのならば、意識するモノの空間に、放つ。若彦は自分が心底思う感情をぶつけてみるのも一興だと思った。


『もう暫くしたら、日が沈むわ。』

暗く影を落とす若彦の背中に、いちごちゃんが静かに話しかけてきた。

『俺、なんかさ……。』

『ん? どうかしたの?』

『これ、俺が持っていても良いのか。』

『なによ、持っているって?』

そう言うと、いちごちゃんは若彦の前へ回ってそれを見た。



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