きょうのキョウイチ(3/3)
彼は熊とやり合いながら森の闇の奥へ奥へとなだれ込んでいった。めきめきと枝が折れる音がなって、どたばたと騒音をならす。まるでやさ怪獣映画の怪獣対怪獣の対決シーンみたいだった。
ぼくは、ひとりと一匹の戦闘を追いかけるのがやっとだった。
なんとか、追いついて、スマホのライトをあてると、そこにら京一くんがひとりで森のなかに立っていた。衣装の胸当てには、熊の爪のあとがつき、折れた模造刀を片手にしている。
ぼくは彼へ「熊は」と訊ねた。
「あいつとはもう別れた」と答えを返してくる。
なにか恋愛の結果みたいな言い方だった。
もしかして、脳に爪でも喰らったのだろうか。
そして、カザフミさんの姿がない。そういえば、あのひとは、体育館の方向に走って逃げて行った。死にたくなかったんだろう。
すると、カザフミさんがいない状況を見て京一くんはいった。
「あの人は死んだのか」
「逃げたよ」
「熊も逃げた」
「帰ろうよ、体育館へ」
ぼくは、さまざまなやり取りをショートカットして、そう告げた。
「うん」
予想外にも、京一くんは抵抗しなかった。スマホの明かりを半面にともしながらいった。
「トイレにも行きたい」
退却の理由はそれらしい。
こうして、ぼくたちは森の闇を引き返し体育館へ戻った。スマホの位置情報を見ながらなので、迷わずにいけたし、実際、距離的には、体育館から五百メートルくらい離れた場所だったので、駅まではほとんど近づいていない。駅まではまだ十キロはあった。
けっか、ただの夜の散歩だったといえる。ぼくたちは体育館を抜け出したときと同じように、こそこそと中へ戻った。
体育館の中はもう消灯されていた。仲間であるエキストラの人たちは、ぼくたちがいない間に配布されたらしい毛布に包まって眠っている。明かりがないので、カザフミさんが戻ってきているかはわからなかった。
はたして、あの人は無事だったのだろうか。
「カザフミさんは戻ってるのかな」と、ぼくは京一くんへ聞いた。
「大人だから大丈夫だろう、たぶん」と、ザツ、かつ、単位の大きい回答を返してくる。そして、こう続けた。「オレたちも寝よう、寝れば忘れる」
ぼくたちも眠ることにした。毛布はなかった。これは配布される場面に、いなかったバツにも思えた。足軽姿で雑魚寝する。体育館の床は硬く冷たい。
眠る。夢はみなかった。
そして翌朝になった。体育館に朝陽が差し込む。
足軽姿で、歯を磨いてるとき、スタッフさんから撮影中断の理由を聞かされた。じつは、昨日、このあたりに熊が出没したので、安全確保ができるまで、撮影ができなくなっていたという。
しかし、いまはその熊もしかるべきように確保されたらしい。どうやら、みつけたときは熊も、ずいぶん、疲れてて、かなり捕まえやすくなっていたようだ。
無理もない。熊は、かなり長い間、京一くんとやり合っていた。彼に弱体化させられた。
そして、スタッフさんは、思ったより、熊は早く捕まったので、撮影再開も予定より早まったと教えてくれた。
それはつまり、熊を弱らせた京一くんのおかげともいえなくもない。
でも、誰にもいえるはずもなった。
そのあと探してみたけど、体育館にカザフミさんの姿はなかった。そこに置いてあったあの人の荷物がすべて消えて、甲冑だけが置いてあった。夜のうちか、朝かに逃げたらしい。
それを眺めていると、京一くんがやってきた。
ぼくの肩に、ぽん、と手を乗せる。
「歯みがき粉、あったらかしてくれ」
そして、以降、彼からカザフミさんについて、言われたことも、聞かれることもなかった。まるで、そんなひと、最初からいなかったみたいに。
それから撮影が再開される。
体育館で一晩じっくりと寝かせた足軽たちが、平原に集められた。まずは進軍のシーンの撮影だった。
並んだ足軽たちに朝陽がふりそそぐ、みんなの甲冑がきらめいた。
ただ、京一くんだけ熊にやられて傷だらけだった。足軽姿として、もはや、いろいろな場所が破損している。
そこへ通りかかった監督さんが京一くんの姿を見ていった。
「なんでお前だけ落ち武者なんだよ」
たしかに、どう見ても、京一くんは落ち武者にしかみえない。
でも、早くに撮影再開できたのも、彼が熊とやり合ったおかげとも考えられる。彼が熊を弱らせて、捕まえやすくした。
もちろん、その事実はぼく以外、誰も知らない。衣装で抜け出したわけだし、うまく説明する術も思いつけなかった。
すると、京一くんはあの鳳凰のような眼を真っすぐに監督へ向ける。
そしていった。
「オレならこの状態からでも勝てます」
最強なまでに不正解の回答だった。きっと、クビだ。
でも、ぼくは好きだ。
きょうのキョウイチ サカモト @gen-kaku
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