きょうのキョウイチ(2/3)

 京一くんとカザフミさんは体育館を抜け出した。

 ぼくはそのあとに続く。

「どうしてぼくも一緒に行く必要があるんだい」と、京一くんに訊ねてすぐ「行く必要ないのよね、友だちでもないし」そうはっきり伝えておいた。

「きみのチカラが必要だ」と、京一くんは体育館の壁に身を隠しながらいった。「もはや、きみの存在が、チカラになる」

「そんな回答で納得できるやつ、この世にいないよ」

 思いっきりいってみた。でも、効果はなかった。京一くんは、スタッフに目撃されないように、様子を伺い続けている。

 いまから、やましいことをしようとしている人間の挙動そのものだった。

 足軽の衣装姿で、現場を抜け出すなんで、言語道断だった。でも、脱ぐわけにはいかない。脱ぐには衣装さんの技術がいるし、ふたたび着るにも衣装さんの技術がいる。

 いずれにしろ、衣装のまま待機場所を抜け出すなんて、よくない。

 でも、けっきょく、ぼくもついて行くことになった。カザフミさんが、ぷるぷると震えながら、来てほしいと頼んできて手を離さなかった。そのため、無碍に足蹴にしてすることも出来ず、駅まで同行することにした。

「いまです」

 と、京一くんは、薄暗いなかでも異様に光る鳳凰みたいな目で振り返る。

「さあ、行きましょう」

「京一くん」

 ぼくは彼の名を呼んだ。

「七見くん」

 彼もぼくの名を呼んだ。そこへいった。「やっぱりやめよう」

「サイは投げられたんだよ、七見くん」

「その飛ばしたサイをキャッチして地面に叩きつけようよ、力いっぱい地面へ」

「いまだ!」と、彼は無視してそう言い放つ。カザフミさんの腕を掴んで走り出す。「いましかねえ!」

「そんなことはないと思うよ」言いつつ、つい、カザフミさんが心配でついてゆく。

 カザフミさんの顔色は悪い。いますぐ入院といわれても、うたがえない。検査すれば、あらゆる異常値をマークしてしまいそうだった。

 このままカザフミさんを見放したあげく、どこかで天命を尽きられても目覚めが悪い。霊体になって、現れても嫌だ。現れたとして、ハードなお祓いをするのもめんどくさい。

 とはいえ、やはり、脳裏をよぎる。

 衣装で外出していることがバレたら、エキストラもクビになる。

 役者として、失格にされる。役ももらえなくなるかもしれない。

 危険な状況だった。でも、やるしかない。

 そう思って、我に返る。いったい、ぼくはいま、なんのためのリスクをおかしているんだろうか。なぜか役者生命をかけている。

 ここにかける必要は、いっさい無い、役者生命だった。やっぱり、長い待機時間のせいか、刺激につられてしまった感は否めない。

 京一くんはガザフミさんを引き連れ、ととと、闇を渡る。イタチみたいな動きだった。

 とりあえず、スタッフさんにはバレず、体育館から離れ、森のなかに入った。

「京一くん」

「七見くん」

「駅までのルートとか、把握してるの」

「小さなことを気にするんだな、きみは」

 いって、へへ、っと彼は笑う。

「へへ、じゃなくてさ」

 さらに忠言しかけてやめた。時間の消費を事前回避して、スマホを取り出す。

 あの体育館までは、バスで連れてこられたので、正確な道のりはわからない。でも、車窓からの記憶では、木に包まれた中の山をずいぶんのぼった。

 ばくぜんと思い出しながら、駅までを検索すると、とうぜん、山を降りるルートの結果が出てくる。

「七見くん」

「京一くん」

「足軽がスマホなんて持ってるなんてヘンじゃないか」

「いま、このタイミングで、そういう、聞かされたほうが行き場のなくなる考察とかいらないよ」言い返し、ぼくはつづけた。「駅までは、うねうねした峠道を行くしかなさそうだね、バスで来たから覚えてるけど、けっこううねうねして、長いよ。歩いていくと時間もかかる。しかも、京一くんの勢い負けたにぼくたちは、足軽姿のまま出発してしまった。足なんか、足袋だし」

「気にするな」

 と、京一くんは一言いって終わらせる。

 対応が、この惑星ので最高なまでに雑だった。

 ぼくはもう一度、スマホの地図を見た。それからいった。「いまさらだけど、きっと、この峠を歩いて下ってるうちに、日付が変わるし、着いた頃にはガザフミさんの彼女さんも、もう駅で待ってないんじゃないのかな」

「いや、彼女は待っているはずだ」

 根拠はゼロだろう。でも、腕組みをした京一くんは言い切る。

 カザフミさんはコメントをしない。どうやら、京一くんがコワいらしい。やはり、どこかのタイミングで、殺害されるとか、思っているのかもしれない。

「峠道は遠回りだ」京一くんは、やたらと絵になる横顔を見せながら言う。「山をまっすぐくだろう」

「山をまっすぐくだる」

 口きき返すと、彼はうなずいた。そして言う。「その方が、ショートカットだ」 

「ショートカットというか、ぼくたちの生命がカットされるような気がしてやまないよ」

 教えてあげるも、京一くんはまた、へへ、と笑っただけだった。

「さあ、他人の彼女が待っている、行こう」

 京一くんは特殊な発言をは放つ、山へ入ってゆく。

 と、その後ろ姿を見て気づく。

「あれ、京一くん、もしかして、衣装の刀まで持ってきたの」

「ああ」

 彼がうなずいた。

 刀といっても、足軽が持つは、長い刀じゃなくって、短い小刀だった。ぼくたちにメインの武器は、槍だった。槍はスタッフ管理だった。

「本物の足軽だったら刀を所持して歩くだろう」

「本物の足軽ではないからね、ぼくたち」

「それに、本物の合戦だったら、甲冑で森を抜けることもあったはずさ」

 いろいろ言ってこられても困るだけだった。正気を保つため、とりあえず、ここがカザフミさんの様子をうかがう。カザフミさんは、運命にされるがまま、京一くんへ続こうとしていた。

 断ればいいのに。もしかして、こういう意思の弱いところが、彼女さんと揉めるポイントになっているのではないか。つい、邪推してしまう。

 その間に、京一くんはどんどん山へ入ってゆく。遭難の懸念はあったけど、スマホの電波は届くし、充電も充分だった。モバイルバッテリーも携帯している。いざとなれば位置情報はとれる。救難連絡もできる。

 長い待ち時間に倦んでいた。しかも、さらに朝まで待つという。もう少しだけ、付き合ってみてみることにした。興味ある人体実験を観賞する気分に近い。

 それに、もしかりにこれが映画だったとしたら、カメラ役と機能できるのは、ぼくだけだった。

 と、などなど、ふむふむと、頭のなかで、同行する理由を生産しながら、山をくだる。森のなかへ入ってゆく。

 幸い、今夜は月が明るく光っていた。森のなかまで多少の光が届いている。京一くん、カザフミさん、ぼくの順番で歩く。ほうほう、謎の鳥が鳴いていた。川もないのに、なぜか、カエルの、があがあ、という鳴き声もきこえる。

 カザフミさんとぼくが、手にしたスマホのライトで行き先を照らす。なぜ、先頭を行く京一くんがスマホのライトで照らさないのかというと、彼はスマホを持っていなかった。

 なのに、先頭を行く。

 と、そのときだった。

 ぼくたちはその森のなかに設置された、その看板に遭遇する。

『熊、出没注意』

 足軽が三人横並びになって、看板をみつめる。

 そして、京一くんが口を開く。

「つまり注意さえすれば、たとえ熊が出ても大丈夫という意味の看板だな」

「この看板をそう解釈したとするなら、きみはぼくと同じ試験を受けて、同じ高校に入ったとは思えないよ」

 とたん、背後でがさがさっと音が鳴った。

 振り返り、スマホのライトを向ける。

 ぼくたちのいる位置から、三メートルくらい先に、大型犬くらいの大きさの熊がいた。かんたんにいた。

 四本足でそこにいる。どう見ても、犬じゃない。

 時間差で、京一くんもカザフミさんも振り返る。みんなで、熊を見た。

 瞬間、カザフミさんが悲鳴をあげる。けど、京一くんが素早く、カザフミさんの口を手でおおって阻止した。けっか、ぐががが、っと、苦しむような声を漏らす。見た目だけだと、殺害の最中にみえた。

 とうぜん、ぼくにしても、落ち着いていられない。走って逃げたかった。逃げるべきだった。

 ただ、この二人を置いて逃げていくわけにはいかない、と、つい、道徳心が余計にも機能してしまって、その場にとどまってしまう。

 そして、心のどこかで、果たして、京一くんは、この状況をどうするのか、気になったのもある。

 京一くんは、カザフミさんの口から手を離した。

 カザフミさんは、やや酸欠なのか、意識が朦朧としているのか騒がない。

 熊の方は四つ足のまま、ぼくたちを見ていた。うなってもいない。専門家でもないので、いま、この熊がどういう状態なのか判断はつかなかった。

 すると、京一くんが前へ出た。

 それから、腰に下げた模造刀を抜く。

 自然体で柄を握る。

 まさか、正面からやる気なのか。

 そして、彼は言った。

「クマった、クマめ」

 あ、こいつは脳の何かが根本からダメだ。

 そう理解した直後、熊の様子が豹変した。猛って京一くんへ襲いかかる。怒りをかったらしい。

「ああ!」ぼくは声をあげた。「おもしろくないのに、なんかおもしろいことに!」

 そして、京一くんと、熊は絡み合って、森の奥へと吸い込まれたように消えてしまった。

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