きょうのキョウイチ

サカモト

きょうのキョウイチ(1/3)

 体育館は足軽だらけだった、合戦はまだ始まらない。

 もう、なし崩し的に足軽の姿でスマホを操作している人たちも光景にも見慣れていた。いまでは滑稽とも思わない。

 十数時間ほど経っていた。ぼくたちはこの体育館でその時を待っている。ここにはおよそ、百人ほどの足軽が待機していた。

 足軽たちは、タオルで目を覆って眠っていたり、弁当を食べていたり、好みの映画について話している人もいる。なかには演技論を白熱させている一団もある。

 映画の撮影開始の予定時間はとっくに過ぎていた。なにか大きなトラブル発生したためらしく、いまのところ撮影再開の目途は経っていないという。

 ぼくたちは映画に出る。役名はない。

 その他大勢、一介の足軽役の過ぎなかった。

 もしかすると、映ってすらないかもしれない。でも、これも役者の仕事だった。手は抜けない。

 子役時代から数えて、役者を十年やっている。いまは高校二年生で、今日の撮影は、ちょうど、祝日と日曜の連休のため参加ができた。うれしい限りだった。セリフはないけど、映画に出るとなると、やっぱり、いつも心が高まる。

 時代劇の現場も初めてだった。とはいっても、大型バスで連れていかれたのは、山奥の開けた場所だった。時代劇的な城や町のセットはない。

 ぼくたちは合戦のシーンに参加する。わー、っと、場合によっては戦場を走って、斬られたり、矢が頭にささったり、鉄砲に撃たれる。とうぜん、本当にすごいシーンはスタントマンの人になる。ぼくたちエキストラは、撮影現場の高原ちかくのある廃校の体育館で着替えて、撮影開始を待つことになった。足軽の甲冑という特殊な恰好なので、衣装さんも助っ人を呼んでの、おおわらわだった。

 足軽役のぼくたちは日帰りだった。今日中にまたバスで都内に戻る予定だった。陽があるうちに撮影する必要があった。ところが、みんな着替え終わっても、なぜかなかなか撮影が始まらない。エキストラのぼくたちには、撮影中断ということ以外、詳しい情報は降りてこなかった。でも、わけもわからず待つのには慣れている。待つのも役者の仕事だった。

 体育館には、完全な足軽姿の人たちが、壁にもたれかかって、スマホをいじっていたりする。ペットボトルから水を飲んでもいる足軽もいる。それは、まるで、タイムスリップしてきた戦国時代の足軽たちが、現代文明にふれて、堕落している感じに、みえなくもない。

 そのときだった。

「なんだよ!」

 いきなり叫ばれ、ぼくは、びく、っと身を震わせた。

 見ると、二十歳ぐらいの同じ足軽エキストラの人が、スマホを握りしめ、震えている。

 ふだんの髪の色は、黒ではないのか、ちょっと無理やり髪を黒に上塗りしている感じがある。歌も踊りもこなせそうな雰囲気で、かっこいい人ではあった。

 その人は悔しそうな、悲しそうな表情をして、大きくため息を吐いた。スマホは握りしめたままだった。

「あー」と、なにか絶望的な様子で声を出していた。

 ぼくは「どうかしましたか」と、聞いてみた。

「え」その人は、ぼくに声をかけられ、一瞬、眉間にシワを寄せた顔をみせた。でも、すぐにシワをといて「ああ、いや」と、営業用らしい、くだけた表情を見せた。

「あ、ぼくは七見といいます、こんにちは」名乗って、相手の警戒をとく方法をとく。どんな相手だろうと、じぶんから挨拶は基本としていた。「いや、こんにちは、というか、もうこんばんは、ですかね」

「はは」と、その人は苦笑した。

 あ、笑い方もかっこいい。女性ファンとかもつきそうだった。

「ごめん、うるさかったね。驚かせてしまったみたいで」

「いいえ」

「ああ、ぼくは、カザフミっていいます」

「カザフミさんですか。よろしくお願いします」と、ぼくは頭をさげた。それからあらためて聞いた。「あの、大丈夫ですか」

「うん、それがさ、彼女とケンカしたんだ」

 カザフミさんは苦笑もかっこいい。この表情を、待ち受け画像にしたい人もいそうだった。ビジネス的な需要を感じざるをえない。

「彼女さんと、ケンカですか」

「うん、ほら、今日の撮影が長引いてるだろ、予想外に」

「ええ」

 予定では、夕方には終わるはずだった。でも、夜になっても、まだ始まらない。

「じつね」と、話はじめられる。「夕方には撮影が終わるって聞いたたんで、この後、近くの駅で彼女と合流して、そのまま小旅行、的な流れを計画してたんだ」

「そうなんですね」

「でも、ここまで長引いちゃってさ。しかも、彼女の方は、いまもずっと駅で待ってる状態で。で、さっき、連絡あってー、あ、はは、まあ、ケンカだよね」

「それはたいへんですね」

 八方ふさがりの状況を聞きく。しかし、ぼくは、その話に対してまるで無力だった。いい助言も思いつけない。

「しかたないさ」

 と、その人はいった。その台詞も、ため息も様になっている。かっこよかった。

 そのときだった。

「話は聞かせてもらったぜ」

 いきなり背後からいわれ、心臓がとまるかと思った。

 見ると、すぐ後ろで腕枕のまま寝そべっていたその人が身を起こしていた

 その人を目にした一瞬に、ああ、これは目覚めさせてはいけないなにかを目覚めさせてしまったような感覚があった。

 身を起こした彼は、ぼくたちと同じ足軽姿だった。そう、ぼくたちと同じ足軽の衣装の脆弱な甲冑を着ているはずだった、同じエキストラなのは間違いない。

 なのに、荒々しく放埓に伸ばした髪がその頭蓋をくるみ、そこに鳳凰のような眼があり、壮観なあごの骨格を持ち、それらがすべて集結することにより、ぼくたちと同じ足軽なのに、まるで足軽に見えない、名のある山賊の頭領みたいになっている男がいた。

 見栄えはある。

 でも、衣装さん、この人の外見はNGなのでは。

「オレは京一」

 と、彼が名乗った。

「こんばんは」

 そして、きちんと挨拶をしてくる。礼儀ただしい。

 それから、立ち上がり、その鳳凰のような眼で見てくる。ぼくたちを見下ろすかたちだった。

 恐い。その眼で見られ、なぜか、全滅のイメージが頭に浮かんだ。いや、怖いけど、かっこはいい。ただ、もしも、実際の合戦でこの人と遭遇していたら片腕の一本も瞬くまに切って、持ってゆかれているだろう。

 やはり、これはエキストラとしてはダメだろう。目立ちすぎる、背景に溶け込めない、天性の異物感を醸し出している。いったい、誰が採用したんだ。審査をすりぬけてしまったのか。

「十七歳だ」

 と、彼、京一は年齢をあかしてくる。なぜ、あかしてくるは不明だった。

 というか。

「あれ、きみは、たしか同じ高校の」

 ぼくは彼を知っている。同じ高校の生徒だった。たしか、学年も同じ二年生で、クラスは違う。

「ああ」

 彼、京一くんは、うなずいた。

「偶然ではない。七見くん、きみを追いかけてきた」

 ぼくを追ってきたのか、名前も知られている。とりあえず、コワいことを言われた印象しかない。

「七見、君が俳優をしているという話を聞き、そして、俺も、この合戦に参加したくてな。もぐりこんだ」

「違法にかい」

「いや、書類審査に通った」

「そうなんだ」と、そういう感想しかいえない。

「で、話はきかせてもらった」

 京一くんは、カザフミさんへ向かって。仕切り直すようにいった。

「カザフミさん、とかいいましたっけ」京一くんは、腕を組みながら確認した。

「ああ、はい………」

「あきらめてはいけません」

 京一くんは、いい声で言った。

「あきらめ」

「彼女さん、待ってるでしょ、いま、駅で」

 問われたカザフミさんは「ああー」と、声を出し、やがて「………いや」と、いって固まった。

「会いに、行きましょうぜ」

 京一くんは、カザフミさんに詰め寄り、そういった。

「会いに」

「いますぐ」と、京一くんは言う。

 ぼくは「なう?」と、横から聞く。

 彼は「なう」と応じた。

 カザフミさんは、まるで突然、腎臓でももがれた人みたいな戸惑い方で「………いや」と、口ごもった。

 今回もぼくは思う、そうなるしかない。

「待ってるでしょ!」と、とたん、烈火のごとく京一くんが吠える。「会いに行きましょう!」

 蓬髪の足軽に、激しくそれを提案される。きっと、現代人の誰にだって、未曾有の体験だった。ぼくなら、うまく処理できる気もしない。

 ましてや、カザフミさんはどうだろう。怯えている。かっこいい顔に人が、ぶるぶる震えている。

「あの、京一くん」それでもぼくには他人事だった。それもあり、介入するぐらいの余力はあった。「だいじょうぶかい」

「だいじょうぶなものかよ」

 そう返される。それは、いったいどういう返しなんだろうか。

 そして、だいじょうぶじゃないのか。まあ、だいじょうぶにはみえない。彼の精神、および頭脳などを含めて。

「カザフミさん!」と、京一くんはヒートアップした。「あなた、それでいいかい!」

「………いや」

 と、しか、カザフミさんはいわなくなっている。そろそろ、精神が限界かもしれない。

「今日という日は、今日、たった一度切りないんだ!」

 まあね。と、ぼくは傍から思っただけだった。

「だったらぁ!」京一くんは、拳を握る。「今日という日に、すべてを賭けるしかねえ!」

 激しくそれをぶつけてくる。

 なぜ、それをカザフミさんにぶつける。理由は見えてこなかった。

「だから、いますぐ! 彼女さんの待っている駅まで行ってください!」

 ロジックがとんでもねえ。

 でも、それはそれとして。

「京一くん、だめだよ」と、ぼくは彼に教えた。「ぼくたちは撮影再開を待ってるんだ、ここを離れるワケにはいかないよ」

 と、言葉が通じることを信じて怪物へ説得を試みる気持ちで伝えた。

 そのときだった。スタッフさんが体育館へ入ってきた。

 そして、みんなにいった。

「もうしわけありません! トラブルがまだ解決しなくって! ほんと、すいません! ちょっとスケジュールの急な変更で、明日の朝ですね! 撮影を! ほんとすいません、で、たいへん申し訳ないんですが! みなさん、ここで朝まで待ってていただけますか、あああ! すいません! ほんとすいません! みなさんの事務所の方には、こちらから契約の、その、拡張というか、あの、ご説明いたしますので、どうか、朝までここでお待ちください! あ、あと、重ね重ね、申し訳ないんですが、衣装の方は、兜の方は脱いでいただいて大丈夫ですが、甲冑の方はですね、なるべき、着たままで……」

 深々と頭をさげてくる。

 正直、ぼくはいままで撮影で、こんな状況になったことがない、はじめてだった。しかも、朝までこの足軽の姿を維持しろという。

「へへ」

 と、きこえ見ると、京一くんが笑んでいた。

「カザフミ、さんよ」そして、口を開く。「風が吹いてるぜ、いけるますぜ、こりゃあ」

 いって、から鼻をすする。

「駅まで行って、朝までにもどりゃあいいってことじゃないか」

「いやいや」と、ぼくはいった。「足軽の姿は維持しないといけないから」

「なら、決まってるだろ」

「え」

「この姿のまま、行く」

「ふつうにだめでしょ」

「まかせてください、カザフミさん。オレが着いていきますから」

「京一くんも同行する設定だったの」

「ああ」

 彼は目を閉じてうなずいた。

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