アルタイル

ハヤシダノリカズ

アルタイル

 たて横高さで表されるのが三次元空間。そこに時間の概念を加えて四次元の時空とするのが人間の知覚の限界である。五次元や六次元のナニカを未だに人類は共有認識として持っていない。


 だが、在るようで無い、無いようで在る……そんな世界は人によって生み出され、人によってその存在を信じられ、人に信じられる事で概念としての存在が揺らぎながらも在り続ける。それは例えば天国や地獄であり、それは例えばファンタジー異世界であり、それは例えば絵本のような世界であり、絵本のような世界がアヴァンギャルドに先鋭化したならば、そこにはシュルレアリスムの世界が概念として成り立ったりもする。それらはもしかしたら五次元や六次元の世界という事になるのではなかろうか。


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 ある日、彦星が天の川のほとりに腰を掛けて釣り糸を垂らしていると、少し離れた水面みなもを何かが跳ねた。「今、跳ねたのはなんだ?」と彦星が目を凝らしていると、そいつはさっきよりも少し上流で、すなわち彦星に少し近づいたところで再度跳ねた。それは【思い出】で【楽しかった】という鱗を纏って【日曜日】という尾びれを大きく勢いよく動かして、天の川の水面を跳ねた。

「おぉ、元気良くて美しい思い出じゃ。アイツをなんとか釣り上げたいものじゃ」彦星はそう独り言を言いはしたものの、先と変わらずじっとしている。


 彦星は華々しい釣果を得ようなどとは思っていないらしい。ただ、じっと、糸の先の天の川の水面を眺めている。水面の中に、あるいは川のほとりに現れては消えていく様々なものを目の端に捉えては、それを愛でるように眺めて、時折独り言を呟くのだ。

 すると、今度は天の川のふちから一匹の【倦怠感】がのそのそと這い上がって来たのが見えた。【諦観】の瞳はくすんで濁っている。【月曜日】の尻尾が重々しい。

「おぉ、つらそうな事じゃ。だが、お主も人の世のことわりの一員。この川の流れから逸脱しっぱなしという訳にはいかんのじゃよ」彦星はそう言いながら、その倦怠感をやさしく拾い上げ、天の川に戻してやった。


「彦星さーん」

 対岸から彦星を呼ぶ声がする。

「おぉ、織姫」彦星はやさしく目尻を下げて織姫に応える。

「今日も釣りをしているのー? 今日はどうー?」織姫は天の川を超える声量を意識しているのか、情報量の少ない言葉を間延びした声で彦星に届ける。

「あぁ、いつもどおりだー。でも、ちゃんと来年の七夕にはまたおもしろい話を聞かせられると思うよ。劇的に変わったように見えても人の世は変わらないねー。相変わらず、喜んだり悲しんだりしているよー。それが、いいねー」

「そうねー。それがいいねー」そう言うと、織姫はスッと去って行った。


 織姫が対岸から去ってしばらくすると、彦星が眺めている浮きがチャポンと大きく沈んだ。「おっ、これは大きいぞ!」彦星は意気揚々とソイツを釣り上げる。

 キラキラと輝く【期待】という鱗に包まれ【火曜日】の尾びれが元気そうにピチピチと跳ねているそいつは【約束】だった。


 彦星がその約束から針を外してやると、そいつは一枚の短冊に姿を変える。


「いい子にしてるので もういちどだけ おかあさんにあいたいです」

 短冊にはそう書いてある。彦星はその短冊を額に当てて、目を閉じる。すると、その短冊を書いた者のその当時の情景が浮かんでくる。


「おとうさん! 七夕って、願いを書いたら叶うんだよね! 織姫さまと彦星さまが、僕の願いを叶えてくれるかも知れないんだよね!」

「あぁ、そうだぞ。いい子にしてたらきっと、な。それに、お母さんもゆうくんがいい子にしてるのを見たいと思ってるハズだからな」

「うん!」

 短冊に書かれた幼い文字を読みながら、父親は幼い息子に応えている。目は潤んでいるが、それをグッと飲み込むように力強く答えている。


 彦星は目を開けて、懐からスマートフォンを取り出して操作する。画面には【発信先 あの世総合本部受付】と出ている。

「あ、もしもし?いつもお世話になっております。天の川の彦星ですけど。えぇ。今日はゆうくんという男の子の亡くなった母親をですね。ええ。そうですそうです。そう、いつものように、ゆうくんの夢の中にちょっと小一時間ほど……ええ。ええ。はい。ではそんな感じで。よろしくお願いします」彦星はそう言って通話を切り、スマートフォンを仕舞った。

 そして、手に持った短冊に彦星がフッと息を吹きかけると、短冊はまたさっきの様に期待という鱗を纏った約束に姿を変えた。


「人間達の強い思いが詰まった短冊は、年に一度だけ強固な橋となってワシと織姫を引き合わせる。年に一度だけのその逢瀬の後は、その短冊はほどけて天の川を回遊するようになる。流石に織姫との逢瀬のその日に願いを叶えてやることは出来ないが」

 火曜尾かようびをゆうゆうと揺らして、彦星の手から約束が泳いで離れていく。

「縁あるものの願いは叶えてやりたいと思っておるよ」

 彦星はそう言って一匹の約束を見送った。

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アルタイル ハヤシダノリカズ @norikyo

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