最終乳 おっぱいを基準に人生を生きてきたから

『―——!』

 紫の魔乳はまだ揺れている。

 その震えが止まるまで、何度も刺した。滅多刺しだ。

 その美しく完璧な曲線が失われるまで、艶やかな色がなくなるまで。

 完全に原型を無くすまで。肉と血の塊になるまで。



「……はっ、はぁっ、はぁ……!」

 眩暈がする程に息が切れ、我に返るまでには幾許かの時間が必要だった。


「……!!」

 斃した魔王の亡骸を見下ろした俺は、目を見張る。


 両眼を見開いて絶命している魔王の頭部は、禍々しい水牛のそれだった。


 ――俺は、こんなもんの、おっぱいを追い求めていたのか。

 魔王を仕留めたことで、俺の資格は健常な状態に戻ったという事らしい。 


 つまり――。


「―—トルテ!」

 弾かれた様に振り返り、石床に倒れている仲間の元へ駆け寄った。

 まだ死んではいない。その胸はぷるりともしないが、微かに息をして上下して――

 いや、そんな事はもういい。


 俺は、その時ようやく、初めて共に旅してきた女性の顔を知る。

 背筋に熱い何かが走り、全身に鳥肌が立った。

「ユミちゃん……?」

 とっくに忘れていた、幼馴染の顔だった。

 もっと正確に言えば、きっとこんな人になっているだろうな、と想像し続けていて、いつしか再会を諦めていた旧い恩人だった。



「これで、終わり」

「これで世界は浄化される……やったね」


 胸と口から血を流しながらも、トルテは目を必死に開き、俺の目的の達成を祝福してくれる。

 俺は躊躇なく抱き起そうとしたが、トルテの身体は光に包まれて、その中へ溶け、雪の様に舞い上がっていく。


「トル……ユミちゃん」

「これは、あなたの物語。魔王はあなたの奥底を支配していた概念の象徴。それはやっぱりあなた自身の手で打ち破らなければならなかったもの。それを果たしたことで、この世界を縛っていた呪いから、あなた自身が解き放たれたの」


 死にかけてるのにそんな判り易い説明をしてくれなくたって!


『ほんと茶番だよね。付き合わされる身にもなってみろって話だよ』

『……キモいことには変わりないし』


 ――カーチェ、アオイ!

 振り返った俺はまた絶句した。


 魔王の一撃に呑まれた二人はやはり、一瞬で身体を焼き尽くされていた。

 今、並び立ってこちらを見ている二人の姿は、白く鈍く輝く思念体だった。



『お、説明しなくても理解わかるようになったかな?なら私たちの仕事はここまで。お疲れさまっ』


 カーチェは、細かいディテールこそ違えど、散々2D格ゲーでお世話になったキャラクター達が、様々な記憶で上書きされた集合体。

 アオイは、同じく、その……初めて『お世話になった』キャラクターの……多分ファンタジー系の女性魔導士的なアレの総体。


 おっぱいを基準にパーティメンバーを選んだのは、必然だった。



 俺はまた、ユミちゃんを見る。ボウウィング?弓?こじつけにしても無理がある。

 

 久しぶりに、本当に久しぶりに、まっすぐに。人の目を観る。

 少し気が強そうで、けど目尻は少し下がり、優しさを宿した黒い瞳。

 髪は茶色のストレートボブ?髪型の名前は全然知らないけど。とにかくまっすぐに流れる明るい髪色は綺麗で。



「……もう、判ったよね?」

 ユミちゃんは首を僅かに傾げ、弱々しく笑う。


「……うん」

 俺は頷いた。


 ユミちゃんの身体を包んでいた光と同じ白光が、魔王の亡骸、仲間たち、そして王座の間全体からも立ち昇り始める。


 ―—これは俺の物語。その幕引き。


 光に包まれて消えてゆく魔城。

 俺は目を瞑って天を仰ぎ、これから起こるであろう、そして既に起きてしまった結末を迎え入れた。




―――――――――――――――――――



「……ねえ、あの子ったらまだ部屋に閉じこもって。可哀相だけど、もうこれ以上甘やかすのは良くないよ」


「カウンセリングも効果なし。先生とも俺達とも目を合わそうとしないしなあ。全く兄貴たちは面倒を起こしてくれたよ。どうせなら一緒にあいつも連れてけばよかったのに」


「本当、最悪だわ、私たちは私たちの子供が欲しいのに」


 ぼくは、ふすまの向こうで話しているおじさんたちの会話を聞いていました。

 ぼくのお父さんの、おとうとふうふ、という人たちです。


 ぼくのお父さんとお母さんは、交通事故で死にました。

 居眠り運転したトラックが対向車線をはみ出してきて、正面衝突したのです。


 事故の瞬間は覚えていません。

 気付いた時には、前の座席はぐちゃぐちゃに潰れていました。

 さっきまで笑っていたお父さんとお母さんの頭もです。


 それから人の顔を見ると、お父さんとお母さんの、あの顔を思い出します。

 悲しくて、辛くて、気持ち悪くなってしまいます。だからもうぼくは一生、これから先、ずっと、人の顔は見ないで生きていこうと思いました。



―――――――――――――――――――



 俺は草原に立っていた。

 仲間たちとの旅立ちの場所。

 

 振り返ると、初めに訪れた街が見えた。

 俺はそのまま、ふらふらと街へ向かう。


 街人たちの顔や姿も、全て判る様になっていた。

 

 行き交う人々は皆、嬉しそうに笑って俺を出迎えた。

 そして、俺がそれぞれの顔を見届けると、仲間たちと同じように、街の風景と共に光へ溶けて、消えていく。


 俺は呆然としながらも、仲間たちを選んだ酒場に辿り着いた。


 酒場に群れているのは、中学?高校?とにかく、クラスメイトたち。

 希薄な交友関係。顔や目を合わせない俺を気持ち悪がった連中……いや、俺自身が遠ざけていた人たち。


 最初に訪れた時は気にも留めなかった酒場の店主が、カウンター越しの俺に笑い掛けていた。


「谷村先生、すいません。先生が言ってたこと、やっと判りました」


 中学三年生の時の担任だった。

 真面目に進路も考えず、ただ自分の価値観に没頭していた俺を、根気強く叱ってくれていた、ただ一人の先生。


 先生は一度だけ頷いて、そして消えていった。


 本当は心を開きたかったクラスメイトたちと、酒場の姿を模した学校の追憶と一緒に。



――――――――――――――――――



「たっくーん!ねー、たっくんてばー!」


 玄関からぼくを呼ぶユミちゃんの声がしています。


「ほら、タカシ。お隣のユミコちゃんが迎えにきてくれてるよ」

「あれからもう半年も経ったんだからそろそろ幼稚園に行かなきゃ」


 おじさんたちは優しく言いますが、ぼくは知っています。


 ぼくが幼稚園に行かなければ、児童相談所から咎められると思ってるのです。

 そんな面倒が嫌だし、僕がずっと家に居るのが嫌だし、近所の人たちに変な噂が広まるのが嫌なんです。最初は皆に同情されるのが気持ち良かったし、僕と仲良くできれば美談の主人公になれると思っていたんでしょう。


 けど僕は、そんな事は判ってました。子供だって子供なりに理解するものです。


 ユミちゃんとは幼稚園で一緒になった友達です。

 両親の事故以来、幼稚園に来なくなったぼくを心配してくれていました。


 だからぼくはおじさんたちの為じゃなくて、ユミちゃんの為に、部屋を出ました。


「迎えにきたよー。幼稚園に新しい先生がきたの!ほら、行こっ!」

 

 僕は、ユミちゃんが純粋に差し出してくれた手を取って、引っ張られるように家を出ました。



――――――――――――――――――――――


 俺は何時の間にか、オーパイ国の女王、デッカ=オーパイの前に立っていた。


 ――ぼくが休んでいる間に幼稚園に来たという新任の先生は、ふくよかな女性でした。


 その並外れたおっぱいのでかさは健在だ。


 ―—うわー、すっごくおっきい!


 幼少の俺が初めて目にした巨乳。

 まだ小さい俺には、こんな風に観えてたのか。

 

 すっごく失礼だけど、正直顔はイマイチ。

 だけどそのおっぱいの逞しさ、優しさ、大きさだけは鮮烈に覚えていた。


 そして幼稚園も、俺にとってこの城程に広く感じるものだったっけ。

  



 確かにこれは俺の物語で、俺の世界で、俺の走馬灯だ。

 異世界なんて都合の良い世界はなかった、

 俺はやっぱり死んだ。いや、まだかな。これから死ぬんだ。

 その一瞬で、俺の脳が創り出した、悪ふざけ極まりない茶番だった。

 

 他人の顔が観えず、声も聴こえないのは、今までの人生そのものだった。

 それを俺は、心の何処かで悔やんでた。


 それを、おっぱい大好きー☆だなんてくだらない偏愛でねじ伏せて、現実に生きる身の回りの人たちとしっかり向き合ってこなかった。


 ここは、自らの手で始末をつけて、これまで関わってきた人たちへの贖罪を成す為の煉獄だ。



 

 そしてこの、逆行する走馬灯の行き着く先は、もう判っていた。



 俺は、最初に旅立った家の前に居た。

 ここで待っている誰かに会う為に。

 出逢ってしまえば、その人たちも光に消えてしまうだろう。

 それが怖く、寂しく、哀しかった。


 可能なら、永久にこの世界が続いていけば良いと願いたかった。


 しかし、辺りを見回すと、遠くに連なる山々や、青空と浮かぶ雲も光に包まれて溶けていく。選択の余地はない。もうすぐなんだ。


 俺は、家からにこにこと笑いながら出てきたふたりに再会した。


 少し悲しそうではあった。でも、俺を労わるように。


「おかえり」

「よく頑張ったね」


 思い出の中の姿そのままの二人が、ちゃんと観える。


 涙が溢れ、

「とうさん、かあさん」

 やっとの事で、二十数年ぶりに、呼べた。


 ふたりは微笑んだまま、周りの風景と共に去っていく。


 触れようと手を伸ばした。

 指先の感触だけが残った。


 僕の指先も、溶けていく。




 ただいま。そして。

 何かを誤魔化すための、かけがえのなかった愛に、さようなら。






  『おっぱいを基準にパーティメンバーを選んだらえらいことになった』

    

                   おしまい。

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おっぱいを基準にパーティメンバーを選んだらえらいことになった Shiromfly @Shiromfly2

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