第9話、ミシェルの正体
無事帰ってきた私を、ミシェルはうれし涙を流しながら迎えてくれた。
馬車の長旅でさんざん砂ぼこりをかぶったので、身を清めて服を着替えてから部屋に戻る。
「ニーノ、留守を守ってくれてありがとう。父の具合はどう?」
「特製銘柄酒がよほどお気に召したようで、昨日は食事の時間以外ほとんど眠っておられました」
「特製銘柄酒はまだ残っているかしら?」
「はい、昨日私が補充しましたので」
さすが、よくできた侍女である。
そこへ廊下を走ってくる足音が近づいてきた。
「セザリオ殿下! ご朗報です!!」
廊下から叫ぶ家臣の声に、ニーナが扉をあける。
「ルシール様が目覚めたと魔術医が申しておりました!」
私とニーナは顔を見合わせた。それから私はあわてて、
「それはめでたい! 今夜は祝いだ!」
と声をあげて立ち上がる。使用人もうれしそうに、
「厨房係に伝えてきますね!」
と言って去って行った。
「兄が目を覚ましたか――」
私はどさりとソファに腰を落とした。
「そんな暗い目をなさらないでください」
そう言うニーナも険しい表情をしている。
そのとき、次の
「セザリオ様」
とミシェルの声が聞こえた。
扉のほうへ行こうとしたニーナを手で制して、私はみずから歩いて行って扉を開けた。
「聞きました」
とミシェルはいつもと変わらない口調で言った。「ついにきれいじゃないほうのセザリオ様が意識を取り戻したそうですね」
「…………」
私はあっけにとられて言葉を失った。それからなんとか声をしぼり出し、
「気付いていたのか、ミシェル……」
「はい、きれいなほうのセザリオ様!」
彼女は愛らしいまなざしで私をみつめた。
「どうして――」
「私も同じだからです」
そう言って私の手を引き、二人の寝室の大きなベッドに連れて行った。その端に腰かけて、私の手を取り自分の胸に当てる。
――ん? 平たい!?
「だ、大丈夫だよ! 私も小さいし!」
この
「いままでだましていてごめんなさい」
ミシェルは寂しそうにうつむいた。だましていたのは私もなのだが――
「じゃあきみはだれなの?」
ミシェルの長い指をなでながら、やさしくといかける。
「僕は正真正銘アルムハルト国王夫妻の子です。ただし息子だけど――」
「ちょっと待って――」
私は記憶をたぐりよせながら、
「アルムハルト王国に王子がいたなんて記録は――」
「ありません。僕は生まれたときから王女と偽って育てられたのです。父はヴァルツェンシュタイン帝国が拡張政策をとるずっと前から、一人息子を失うことを恐れていました。もし僕が無事に成人し王太子妃をめとることになったら、実は男子だったことを公表するつもりだったのです」
そうか、帝国はずっと前からだまされていたのか。
「でも――」
と私は眉をひそめ、
「今回、帝国に嫁いできたら男子だと分かってしまったのでは?」
「はい、そのことでセザリオ様に謝らなければならないのです。僕は父から、初夜にあなたを暗殺する
ああそれで、あの夜あんなにおびえていたのか。
ミシェルは力なくうなだれて、
「でも、たとえ皇太子の暗殺に成功したって帝国が滅びるわけではありません。しかも僕だけでなく国の両親にも咎が及んだことでしょう。僕も両親も処刑され、国が亡びるのはむしろアルムハルト王国のほうだ――」
遠い目をして窓の向こうをみつめる。外は真っ暗で何も見えない。窓ガラスには、並んで座る私たちが映っているだけだ。
「それは父も分かっていた。それでも僕たちは帝国に
ミシェルは苦しそうに唇をかんだ。私は彼女――いや、彼の肩を強く抱き寄せた。
「僕は心を決められないまま帝国に来ました。次期皇帝になる皇太子がどんな人物なのか、判断してから決行を決めても遅くないと思ったのです」
そうか―― 私はあの初夜に、身の振り方を間違えたらベッドの上で殺害されていたのか。
ふと気付くとミシェルが深い水底のような瞳で、うっとりと私をみつめていた。
「でも僕はおやさしいセザリオ様を愛してしまった。人質のように嫁いで来た僕を気遣ってくれるあなたのまなざし、所作のひとつひとつにお心があらわれていた」
彼はその長い指で、いとおしそうに私の頬をなでた。
「しかもあなたは帝国の未来を変えられる存在だった。だからそんなあなたを傷付けることなんて、とてもできなかったんだ」
ミシェルは私をぎゅっと抱きしめた。その腕の力強さはやっぱり男の子のものだった。彼はくすくすと思い出し笑いしながら、
「残酷な皇太子だと聞いて来たのにかわいい女の子が男装して一生懸命、皇太子の演技をしていて、そんなまじめなところにも惹かれたのです」
私は真っ赤になった。最初からバレていたと思うと恥ずかしくて顔から火が出そうだ。
「異性になりきることの大変さは僕もよく分かっています」
うつむく私の髪を、ミシェルはやわらかくなでてくれる。
それから彼は、自分のドレスのスカートを大胆にめくりあげた。白い太ももには太いベルトで短剣が固定してあった。
「もうこれは不要です。僕、あなたを好きになっちゃったから」
短剣を手に取ると、うやうやしく私に献上した。「僕の愛する人、未来の皇帝陛下。あなたに預けます」
私はそれを受け取りながら、
「でも、兄が……」
かすかに振るえる声で続けた。「兄が目覚めたのよ」
「知っています」
明るい海のようにきらめく瞳が、静かに私をみつめる。その目を見ていると私の気持ちも落ち着いてくる。
「安心して、僕だけのかわいい皇女様。僕に考えがあります」
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