第10話、月のない夜のクーデター
普段は使われていない廊下を西の塔へ向かって走った。
「セザリオ殿下、ルシール様は最上階でお休みになっております!」
私の姿をみとめた番兵が
「少ししたらドラーギ将軍と私の侍従であるニーノという少年がやってくるはずだ。通してやってくれ」
「承知いたしました!」
門番の声が黒ずんだ石壁に反響した。石を切り取った小さな窓から頼りなく西日が差し込む。私は息を切らしながら、
「父上ったら、ハァ、皇太子が倒れたことを伏せるためとはいえ、ハァ、最上階に幽閉しなくてもいいのに!」
ようやくたどり着いた小部屋に足を踏み入れると、侍従が驚きの声をあげた。
「えっ、セザリオ様が二人!?」
病室の床には大きな魔法陣が描かれ、五芒星の頂点に置かれた燭台の上ではロウソクの炎があかあかと燃えていた。五芒星のラインが重なる五箇所に魔術医が立って、回復呪文を唱えていたようだ。
「あれは俺様の妹、ルシールだ」
ベッドの上から聞こえる小憎らしい声にはいつもの覇気がない。
「お兄様が眠っていらっしゃったあいだ、代わりを務めておりました」
私はベッドの足元でうやうやしく礼をする。
「俺様の代わりだと?」
「はい、アルムハルト王国のミシェル様との婚礼の儀にお兄様として出席いたしました」
「ああ、俺様が落馬したのは婚礼の前日だったか。ミシェルも不運だったな。せっかく嫁いで来たのにお前のようなオトコ女が皇太子のふりをしていたとは。俺様が目覚めるのが待ち遠しかったに違いない」
そんなわけないでしょ。ミシェルは私に夢中よ。
「それが、お兄様―― ミシェル様は、何と言いますか――」
私は言いよどむ演技をする。
「早く言え」
気の短い兄にせかされて、
「
「なんだと!? 肖像画で見たところ、可憐な少女かと思ったが分からぬものだな」
ですよねぇ。私もミシェルからこの案を聞いたときは、いくらなんでもあなたが
そのとき予定通り、あわただしく扉がたたかれた。入れとも言われぬうちにニーナが転がり込んでくる。
「た、大変です。ミシェル様がクーデターを起こしました! 魔術騎士団のほとんどが彼女側についています!」
わなわなと震える彼女を支え起こす。まったくたいした演技力だ。
「嘘だろう?」
兄は眉をひそめ、魔術医や侍従は怪訝な様子で顔を見合わせる。彼らはほとんど連日病室にこもっていたとはいえ、急激な状況の変化を怪しんでいるようだ。
「お二人とも、早くお逃げください!」
悲鳴のような声を出すニーナ。
「逃げると言ってもどこへ――」
兄が困った顔をしたとき、タイミングよくドラーギ将軍がかけ込んできた。
「皇太子殿下! 私が護衛いたしますからジョルダーノ公国へお逃げください!」
「俺様がジョルダーノへ? なぜだ。ルシールの婚約先ではないか」
将軍はすぐに、持っていた手紙を兄に手渡した。
「こちら、たったいま皇帝陛下が急いでしたためられたジョルダーノ公爵宛ての手紙です」
兄は手紙をロウソクの明りのほうに向けながら、
「皇太子セザリオとその妃ミシェルの起こしたクーデターにより、皇女ルシールの身に危険が迫っている。皇太子夫妻を処刑し城内に平和が訪れるまでかくまってほしいだと!?」
ドラーギ将軍が私に向きなおり、
「申し訳ございません、ルシール様。あなたは皇太子殿下として宮殿に残って下さい」
と苦汁をにじませた表情で敬礼する。私は覚悟を決めたように目をふせ、
「分かりました。私が兄上の代わりに処刑されましょう」
「な、なるほど…… 皇太子である俺を守るために――」
兄は納得すると私に目を向け、
「ルシール、お前の死は無駄にはせん。最期に帝国の役に立てることになって良かったではないか」
と唇の端をつりあげて、父のようなことを言う。親子そろってよく似ていらっしゃること。
私は毅然とした口調で言ってやった。
「帝国のために命を捧げられるなら本望です」
これは嘘ではない。皇女とはそういうものだ。だが、皇帝だろうが皇太子だろうが、国――つまりは
「お兄様さえ生きていらっしゃれば、帝国はまた復活できますから」
「くっ、まさかアルムハルト王国に乗っ取られるとは――」
兄もそろそろ信じ始めたようだ。ニーナはドラーギ将軍に指示されて私の部屋にドレスを取りに行った。
「ん? そういえばドラーギ将軍がなぜここにいる? ブリューム地方で戦っていたはずでは?」
「殿下、わが軍は無事勝利を収め、私はいま帰ってきたところなのです」
勝利を収めたかどうかは置いておいて、今日帰還したのは本当。
私もうなずいて、
「そうなのです。だから将軍はまだミシェル様に誘惑されていないのですよ」
「そうか」
兄は納得した様子で手紙に視線を落とした。「確かにこの手紙は父の筆跡だし父のサインもある」
書いたのは私ですけどね。
「俺様はジョルダーノ公国へ逃げることとする。ここにいる侍従も連れてゆくぞ。それからまだ体調が不安だから魔術医もだな」
ええ、いってらっしゃい。それでユーグ殿にかわいがられてくるといいわ。
侍従たちに手伝われながらニーナが持ってきた私のドレスに着替え、こっそりと塔の裏口から逃がす。示し合わせたように馬車が止まっている。しかしこんなにたくさん侍従や魔術医が乗るとは思わなかったから、若い侍従には馬車の天井に座ってもらうことになってしまった。
私は布に包んだ宝飾品を兄に差し出した。
「これは私の持っていた宝石です。処刑されるのを待つ身にはもう必要ありません。どうか道中なにか困ったことがありましたらお使いください」
まあ後日、持参金としてジョルダーノ公国へは資金送金するつもりだから、あなたに不自由はさせないわ。ユーグ殿との愛の日々に骨をうずめてちょうだい。
「おお、ルシール。感謝する!」
兄は感動に声を震わせた。素直でよろしい。いま渡した宝石類は未婚の娘がするもので、ミシェルと結婚したいまの私にはちょっと合わないのだ。母の形見のアクセサリーがたくさんあるから今後困ることもないだろう。――ってもう私が公式の場で女性用の宝石を身につける機会なんてないかしら? かわりにミシェルを着せ替え人形にして遊びましょう!
「それではお元気で。私の分も生きてくださいましね」
私が感動の別れを演じていると上から、
「おーほっほっほ! この国は今日からアルムハルト王国のものよぉ!」
と、けたたましい裏声で叫ぶミシェルの大根演技が聞こえてきた。兄が馬車に乗り込んだのを確認して私は城壁を見上げ、しっしっと手を振って中に入ってくれるよう促す。
御者が魔力で光を灯し、馬車は月のない空の下、一本道を遠ざかっていった。
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