第11話、クーデターは本当にあったのか?
父の執務室前へ戻ると廊下には騎士団の精鋭たちが整列し、そのうしろには親しくなった大臣などの法衣貴族と魔術医が待っていた。
「皆の者、待たせたな。ルシールは無事ジョルダーノ公国へ逃がすことができた」
「良かった」
と胸をなでおろす大臣たち。「セザリオ殿下は妹思いだったのですな」
本物は違いますけどね。
「では参りましょう」
私はゆっくりと執務室の大きな扉を押し開いた。中からむっとするような強い酒のにおいがわきあがってくる。
暗い室内を騎士たちの持つ魔力の灯りが照らし出すと、執務机に突っ伏していびきをかく父の姿が浮かび上がった。
「診断を」
私の言葉に魔術医が前へ進み出て、父の頭の上で魔道具をかざし呪文を唱える。
「状態異常―― 泥酔しておりますな」
見れば分かるけれど。
「さらになにか睡眠薬か……魔法薬を盛られているような――」
お、まずいわね。
「もしやあの占星術師が――」
私の言葉に騎士団長が、一歩前へ進み出た。父の肩にかかったローブをつまみあげ、
「これはあの女のものでは?」
「そのようですな」
と魔術医。ほっと胸をなでおろす私。動揺したそぶりなどかけらも見せず、
「魔術医よ、ヴァルツェンシュタイン皇帝の政務能力は有るのか無いのか、診断を」
「恐れながら無いと断定いたします、セザリオ皇太子殿下」
魔術医が深々と頭を下げるのを見届けるより早く、
「父を治療院へ」
私は騎士団長に伝えた。
「陛下を都のはずれにあるアルメール治療院へお連れし、特別室へ収容して差し上げろ」
騎士団長の命令を受けて、彼の部下が無駄のない動きで父の両脇へ動いた。父はお抱えの近衛兵を呼ぶこともなく、眠ったまま運ばれていく。私の横を通るとき、そのまぶたがわずかに動いてうつろな目が私の顔を見たような気がした。
「セレーナ……」
ささやくように彼が口にした母の名を聞いたのは、私だけだったろう。私はうつむいて唇をかんだ。いま泣いてはいけない、皇太子として振舞わなければ――。
もし母が生きていたらすべては違っただろう。帝国の平和は保たれ、いまも先生は私の良き相談者で、ミシェルは自国の王太子として幸せな結婚を―― それこそ帝国と対等な和平を結んで、私が嫁いでいたかもしれない。……こんなときまでミシェルと結ばれることを考えるなんて、私どうかしてるわ!
「魔術医、診断書を作成して私の部屋まで届けさせてくれ」
平生を装って告げ、彼の返事をうしろに聞きながら、父の部屋の大きな窓から地上を見下ろす。ほどなくして父を乗せた馬車が正門へ向かって行くのが見えた。
父上、残りの人生をかけて、戦場で若くして散っていった兵士たちへ
自室へ戻る城内の廊下がいつもよりずっと長く感じる。こんなに重かったかしらと思いながら、精緻な彫刻のほどこされた木の扉を押すと、そこではミシェルとニーナ、メイが私を待っていた。
「すべてうまくいきましたか!?」
ソファから立ち上がったミシェルが駆け寄ってくる。海の色をした美しい瞳が不安に揺れる。
「ああ、いまから公式文書を書かなければ。依存症治療のため皇帝をアルメール治療院に入院させるとな」
私は疲れきった声で答えると、書斎机に向かった。
「あのあと、どうなったのですかぁ?」
間延びした声で訊いたのはミシェルの侍女メイ。ん……? メイは侍従ではなく侍女なのよね? 要確認だわ。
ニーナが説明している間に私は皇太子の名で文書を作成する。魔術医の診断書が届いたら添付して、正式文書として治療院に送付するのだ。
「メイたちが計画を立てていたら、一人の家臣さんが『皇帝陛下が倒れております』って入って来たでしょ? そのあとセザリオ様が出て行ったじゃないですかぁ」
メイがやや混乱した様子でニーナに尋ねている。
「そこからみんなに話す必要がありそうね」
私はうっかり女性の言葉に戻っている自分に気付きつつ、文書の右下に日付とサインを書き入れた。
私たちが部屋でミシェルの計画を実行に移すため話し合っていたとき、部屋の外から、
「大変です、皇帝陛下が倒れております!」
という大きな声が聞こえたのだ。ニーナが扉をあけ、私は座ったまま、
「どこで?」
と尋ねた。
「陛下の執務室で―― たったいまルシール様が意識を取り戻されたとお伝えにあがったのです! そうしたら執務机に、こう――」
机に覆いかぶさるジェスチャーをする男。よほどあわてているようだ。
「それで横には怪しい占星術師の女がおりました」
私は彼に、この件を騎士団長と実務を取り仕切っている法衣貴族に報告するよう頼むと、一足先にニーナと二人で執務室に向かった。
父の執務室に入ると、さきほどの家臣が言った通り、あの占星術師が眠っている父の横に立っていた。彼女は自分のローブをそっと父の肩にかけてやった。私はその姿に母を重ねていた。
「お休みになられたようです」
彼女の静かな声が、夕日が細く差し込む部屋に染み渡った。
「お前はここで何をしている」
私の問いには答えず、
「あなたが必要なのはこれでしょう?」
彼女の一方の手には父専用のすかし入り便箋、もう一方の手には睡眠薬が混入してある酒瓶。私の代わりに受け取ったニーナを先に戻らせる。
「なにを知っている?」
彼女はゆっくりと私の横を歩み過ぎ、たった今ニーナが出ていった扉の前で足を止めた。
「今夜は月が新たに生まれる日。帝国の体制が生まれ変わる日です。大切な人々を守りながら、魂の声に従って行動なさい」
背を向けたままそれだけ言うと、部屋から出て行った。月が生まれる日とは新月のことか?
「おい待て!」
我に返った私はあわてて廊下に飛び出した。だが右にも左にも彼女の姿はない。かわりに向こうから騎士団長と法衣貴族たちがあわただしく近づいてくるのが見えた。
私は彼らに声をかけた。
「あなたがたのほうへ占星術師の女が行かなかったか?」
しかし一同、首を振るのだった。
「セザリオ殿下、陛下が執務机に突っ伏されたまま動かないと――」
私は再度執務室へ入り、彼らに父の様子を見せた。
「酒におぼれた父は目を覚まさないようだ」
彼らは父の様子に驚いた。
「これほど弱っておられたとは――」
「私は父の体調を心配している」
と、暗鬱な表情でつぶやく私。それから皆と執務室から出たあとで、ぐるりと一同の顔を見回した。
「私の考えでは―― 治療に専念するため、父はアルメール治療院の特別室に入るべきだと思う。帝国の政治については皇太子の私が責任を持ちたいと考えているのだが、どうだろうか」
大臣たちは沈黙した。私の言葉の意味するところを察して、空気が一気に張りつめた。
最初に口をひらいたのは騎士団長だった。
「セザリオ殿下は無意味なブリューム侵攻をやめる決断をされ、実際に前線までおもむいて自ら和平を結ばれた方だ。その功績を信じて、私はあなたについていこうと思う」
「ありがとう、騎士団長。ほかの皆は私のやり方を支持してくれるだろうか」
皇帝を廃して自分が実権を握ろうという皇太子に、大臣たちもうなずいてくれた。
「私どももセザリオ殿下を支えましょう」
「複雑な事情をともなう結婚だったミシェル妃殿下に信頼されているのが、セザリオ殿下の人柄を示す何よりもの証拠ですな」
と言ってくれた者もあった。これについては私を受け入れてくれたミシェルに感謝したい。
この場で私たちは話し合い、魔術医に父の様態を証明させること、父が自分の近衛兵を呼んで抵抗する恐れがあるから、騎士団長が精鋭の部下を連れてくることを決めた。
「妹のことなのだが――」
最後に私は付け加えた。「妹が大階段から落ちた日まで父は元気だった。目覚めたばかりの彼女がこの現実を見てショックを受けるのは避けたいんだ」
「そうですな。近衛兵と魔術騎士団が衝突する可能性もあります」
「万一、魔術戦になる恐れを想定すると、妹殿下の身が心配ですな」
騎士団長の言葉を受けて、
「では私は、妹を城外の安全な場所へ避難させる
「かしこまりました。ではまた一時間後、ここで会いましょう」
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