第3話、婚礼の儀と初夜

 ヴァルツェンシュタイン帝国の皇太子セザリオと、アルムハルト王国の王女ミシェルの婚礼の儀は、いっけんおごそかに進んでいた。だがよく見れば帝国側の騎士団が勝ち誇ったような顔つきで参列し、アルムハルト王国の者たちは涙をこらえて笑顔を作ろうと苦心していた。


 それもそのはず、この結婚でミシェルは人質となるに等しい。


 二年前、ヴァルツェンシュタイン帝国は言いがかりをつけてアルムハルト王国に進軍した。アルムハルト王国は国土こそ小さいが海運のかなめに位置していたから、父は王国の港を欲したのだ。


 優秀な魔術師を多く抱える帝国の魔術騎士団に叶うはずもなく、アルムハルト王国はほどなくして敗北し、ヴァルツェンシュタイン帝国の一部となった。そして終戦協定において両国の融和をはかるためという名目で、アルムハルト国王は帝国に愛娘まなむすめを差し出すこととなったのだ。


 よく見れば大広間のそこかしこに魔術師が立って神経をとがらせている。魔術の気配を察知するためだろう。アルムハルト王国側のテロを警戒しているのだ。


 純白のドレスを着てベールで顔を隠したミシェル姫と並んで、私は複雑な思いでバージンロードを歩いた。控室にあらわれたときすでに、彼女はベールで顔を隠していた。泣いているのかもしれない、と私は心が痛んだ。


 祭壇の前でベールアップをするとき、ミシェルの身長が意外にも私と変わらないことに気が付いた。女性としてはかなり高いほうではないかしら? そういえば肩幅もしっかりしていらっしゃるし、我が帝国を恐れて鍛えたとか? などと考えていると、ミシェルは優雅な仕草で腰を沈めた。ベールの両端を持ってめくりあげると、ピンクブロンドの美しい髪があらわになる。


 目をふせたままかがんでいるミシェルの両腕をそっと支えて立たせてあげる。今夜にもあの冷酷な兄が目をさますかもしれない。今だけでも私がやさしくしてあげたい。


「誓いのキスを――」


 という神官の言葉に、ミシェルがふとまぶたをあげる。明るい海のように透き通った瞳が私を見た。まばたきするたび髪と同じピンクがかったまつ毛がふるえる。


 か、かわいい……! 兄め、こんな美少女を妻にするなんて!!


 私はゆっくりと彼女の肩を抱き寄せると、参列者から見えない角度で唇を重ねるふりをした。横暴な父の命令とはいえ、乙女のファーストキスを女性に捧げる義理はないわよね!


 ミシェルは少し驚いた表情をしたが、そのまま何事もなかったかのように祭壇に向きなおった。まあ彼女も、敵国皇太子の口づけなど欲しくはないだろう。しかも中身は皇女ときている。




 というわけで婚礼の儀は乗り切ったものの、夜になっても兄は目覚めない。


「ちょっと…… 初夜とかどうしてくれるのよ?」


 私は兄の服装のまま、ぐるぐると兄の部屋を歩き回っていた。


「まあ、体調が悪いとか何か理由をつけて、今夜は断るしかありませんよね」


 ニーナの言う案くらいしか私も浮かばない。


「まったくあの父は何を考えているのかしら?」


「電気を消してなさるとか?」


「は? そんなのバレるでしょ、いくらなんでも」


「そうでしょうか? ミシェル皇太子妃殿下は生娘きむすめでしょうから、ルシール様でしたらだませるかも……」


 なんとなくニーナの視線が私の胸のあたりを泳ぐ。


「ちょっとなんか失礼なのよ!?」


 私が声を荒らげると、ニーナは逃げ出した。


「私はとなりのにおりますから、お幸せに~」


「お幸せに、じゃないわよ」


 私はため息をついた。ニーナが逃げ帰ったのとは反対側に、この部屋と同じくらいの大きさの部屋が続いている。そこが皇太子夫妻の寝室として用意されているのだ。


 意を決して扉を開けると、ミシェルはすでにベッドの上に座っていた。


「今日はだいぶ疲れたろう」


 咽頭を下げて、なるべく低い声で話しかける私。


「……はい」


 と答えたミシェルの声が、心なしか震えている気がする。


「今夜からこの王宮がきみの家だ。リラックスしてほしい」


 となりに腰かけると、燭台の炎に照らし出された彼女の頬は青ざめている。


「寒くないか?」


 私は自分のガウンを脱いで彼女の肩にかけた。その肩はまるで初陣ういじんにいどむ少年騎士のように震えていた。


 こんなにおびえるものかしら? なんだか腑に落ちない。私も本来ならあさっての夜、ジョルダーノ公国のユーグ様と初夜を迎えるはずだったが、ここまで思いつめた自分など想像できない。


 とはいっても、人質として差し出された彼女とは立場が違いますわね……


「きみの立場は理解しているつもりだ。この結婚が望んだ結果ではないことも」


 彼女は両手で胸元を押さえたまま、少し意外だというふうに私を見た。


「ヴァルツェンシュタイン帝国の皇太子として謝罪したい。きみにも、きみの国の人々にも」


 兄は間違ってもこんなことは言わない。だが私は伝えたかった。


「セザリオ様…… こんなおやさしい方だったなんて――」


 ミシェルは明るい海の色をした瞳を見開いて、わずかにかすれた声で言った。これほど驚いているのは、アルムハルト王国にも兄の冷血な人柄が伝わっていたからだろう。


「きみが望むなら、今夜は一人で休んでほしい。私たちはこれからもずっと夫婦だ。いそぐ必要はないからね」


 と、ほほ笑みかける私。


「そ、それはそうですが……」


 意外にも困った顔をするミシェル。私はまた違和感を覚えた。


「もし不安ならきみが寝付くまでここにいよう」


「あ、それは―― ではあの、お言葉に甘えて……」


 何か言いかけたものの、ミシェルはシーツの中にもぐりこんだ。


 分からない。彼女には何か秘密があるような気がする。


 結局私は彼女が寝息を立てるまでかなり長い時間、ベッドに座って美しい横顔をながめていた。

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