第5話

 ――来る時は急峻に感じられた坂道も、帰りはあっという間である。うっかり前のめりになって転げないように注意しながら、父の背を追った。

 下り道をつとめてゆっくり歩きながら、父が思い出したように訊ねた。

「貞信は中学を卒業したら、どうするつもりだ」

 父は、ちゃんと自分のことも心配してくれていたらしい。

「父上のように、教師を目指します」

 そう言うと、父はそうか、と頷いた。

「教師であれば、戦に出なくて済むからな。もっとも、男子たるもの、武術は身につけたほうが良いが」

 実際に、何度も戦場に立った父らしい言葉だった。もっとも貞信は、運動はやや苦手なので、黙って微笑を浮かべるに留めた。

 ちゃんと、勉強をしているか。

 はい、会津中学ではいつも成績上位者に名を連ねています。

 そんな親子らしい会話をいくつか交わした頃、再び工場の機械音が聞こえてきた。

「もう少しだけ付き合ってくれるか」

 そう言うと、父は一旦家の前を通り過ぎ、貞信がこの家に来る時に通った道をたどり始めた。

 その途中には、小さな寺社があった。門標には、「心安寺しんあんじ」とある。

「ここは?」

「武谷家の菩提寺だ。先祖に、挨拶をしていきなさい」

 その言葉に、胸が熱くなった。父は、確かに自分を息子として認めていたのだ。そして、ずっと父親としての愛情も持ち続けていたのだろう。菩提寺に連れてきてもらったということは、武谷家の一員として認められたことにほかならない。

 墓前で先祖に手を合わせると、見知らぬ人達の情愛を感じられるような気がした。


 翌日は、父に連れられて福島の師範学校に見学に行った。このために、わざわざ父は休暇を取ってくれたらしい。それだけでなく、「長男です」と言って学校のあちこちを案内してくれた。父もこの学校の出身だとかで、懐かしそうにあれこれと語った。

 師範学校の場所は繁華街からは半刻ほど歩くが、学校の近くに下宿すれば、不自由はないだろう。

 帰ってくると、血を分けた弟たちの相手をした。特に上の弟は、負けん気が強い。独楽回しで貞信に負けると、本気で悔しがった。そんな弟を見ると、自分の小さい頃を見ているようで、微笑ましかった。だが、父がしっかり躾けているのか、行儀の良い子供たちだった。

 またあるときは、弟たちは文机に座って書を練習していた。千紗によると、剛介の父親は二本松藩校の書道の師範だったという。つまりは、貞信のもう一人の祖父だ。剛介の美しい文字は、その祖父の影響なのだろう。もしかしたら、貞信の勉学の能力は、剛介譲りかもしれない。


 その夜、あまり子供たちには聞かせたくない話だからと、弟たちが寝静まるのを待って、父は少しだけ昨日の話の続きをしてくれた。

 父がようやくのことで二本松に帰郷したのは、戊辰の戦いから長い年月を経てからだった。それも、若松で偶然二本松の人に声を掛けられたのがきっかけだったという。父に声を掛けてくれた人物は、今や福島の自由民権運動家として名高い、安部井磐根。磐根が親の心について教えてくれなかったら、戻らなかったかもしれない。

 親は遠く離れていても、我が子を思うもの。

 その磐根は、年の離れた弟を養子にしていたが、西南の役で戦死したという。磐根自身は、公には「弟は国のために殉じた」とだけ語っていたが、剛介自身も何度も命拾いをしたことを思うと、やりきれないと述べた。

「争いは、勝っても敗けても人の心に傷を残す。その事を覚えておいてほしい」

 西南の役に出たのは、当時の上司が薩長の人間で、その上司の気まぐれからだった。だが、その気まぐれに乗じて九州へ赴かなければ、かの地の人間の苦悩を知ることもなかっただろう。

 そして、かつての仇敵にも情を掛けられる人間であることは、弱さではなく強さなのだと仰って下さったのは、会津の丸山様だった。それでも、この話を伊都が知れば、下の兄を失った伊都は大いに傷つくに違いない。

 伊都を傷つけたくない。それだけは、約束してほしい。

 父は、貞信に強く念を押した。

(そのためには……)

 自分は父のように強い人間になれるだろうか。人から傷つけられても、その相手に情をかけられるような、そして大義のために私情を乗り越えられるような、そんな強い人間に。

 いや、きっとなってみせる。自分は、その父の息子なのだから。

 貞信は、力強く頷いた。


 ――二本松での日々は、あっという間に過ぎていった。

 会津へ戻るその日、すっかり世話になった今村一家に、頭を下げた。

「父上。千紗さま。お世話になりました」

 挨拶をする貞信に、千紗はにこりと微笑みかけた。その傍らでは、弟たちが父母にまとわりついている。

「お名残り惜しゅうございます」

 千紗の笑顔は、何の屈託もない。このような母親の元で育ったら、きっと伸び伸びと育つだろう。だが、自分には伊都がいる。ここへ来たときは二親揃った弟達を羨んだが、今は素直に、父は別の家庭でも幸せなのだろうと認めることができた。きっと、会津で母や自分と暮らしたときも、幸せだった日々があるに違いない。

「お兄ちゃん、また来てね」

 上の弟が、にっこりと笑った。その笑顔は自分によく似ていて、確かに血のつながりを感じた。

「うん。福島の師範学校に合格したら、また来るから」

 貞信も、弟に指切りをしてやった。そんな兄弟を、傍らで父が愛しそうに眺めている。

 家に戻ったら、父と暮らした日々について母と語り合ってみようと、貞信は思った。弟たちがこれだけ父に大切にされているのだ。きっと、会津にいた頃の父も、自分のことを大いに可愛がってくれたのだろう。

「遠藤貞信」

 父は、優しい声色で語りかけてくれた。

「お前は、会津の大切な御子だ。これからどのようなことがあろうとも、それを忘れずに、誇って生きよ」

「はい!」

 父の言葉に、貞信は、力強くうなずいた。


 ――目の前に、会津に残してきた長男がいる。今しがた掛けた言葉は、剛介が会津を出る時に、貞信に掛けた言葉だった。言いながら、不意に涙が滲んだ。

 あの時の言葉通り、貞信は立派に成長してくれた。それは、亡き清尚や伊都の教育の賜だろう。

 目の前にすっくと立っている長男は、あの頃の自分と瓜二つだった。ただ違うのは、長男は血に塗れた道を歩もうとしているのではなく、もっと穏やかな道を歩もうとしている。そのことは、同じ年頃で銃剣を握って戦場に立った剛介にとって、大いに慰めとなった。

 来年の春、貞信が福島の師範学校に入学したら、また自分に会いに来るかもしれない。今度は、秋の提灯祭りに連れて行ってやろう。そして、長い年月が経ってしまったが、初孫に会うのを待ち望んでいた父母のところに、連れて行ってやろう。

 貞信は会津の御子でもあるが、剛介と伊都の大切な息子でもある。二本松と会津の血を引く我が子は、きっとこの先も逞しく育っていくに違いない――。



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直違の紋に誓って~Spin Off~父の背中 篠川翠 @K_Maru027

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