第8話
強く握られた手と、瑠花のことを覗き込む詩織の顔。
──その瞬間、瑠花はスッと心臓のひきつりが治まっていくのを感じた。
「どうした?」
「……母が倒れたって……」
「今の連絡は誰から?」
「……父……」
握られた手をグッと引っ張られた。
「行こう!」
詩織は瑠花の父親である亮に、いとも簡単に電話を掛け、母親が運ばれた病院を聞きだした。
「串木田駅17:28発の電車! 走らないと間に合わないぞ!」
隼人が携帯を片手に叫ぶ。
「瑠花ちゃん、私がおぶっていくわ!」
瑠花の目の前に飛び出さんばかりの莉子の腕を隼人が引っ張る。
隼人の目配せをきっかけに、詩織と瑠花は教室を飛び出した。
◇
──乗り込んだ電車は県を跨いだ。瑠花の実家、そして母親が運ばれた病院は電車で一時間程度の所だと瑠花は言った。
道中、瑠花は淡々と話した。
自分のことをとびきり愛してくれている母親と、そんな母親にしか興味を持てず、一度だって自分のことに見向きをしてくれなかった父親のことを。
◇
ベッドに横たわる瑠花の母親・梨佳の落ち着いた容態を確認すると病室を出る。
「俺だって分かってんだ、変わりたいんだよ!」
瑠花に向かって亮は叫んだ。髪を掻きむしりながら。
「でも変われないんだから仕方ないだろ!」
自分の感情を独白するだけ。そこには、保護者としての責任など微塵も感じられなかった。
ーー子どもみたいだ、と詩織は思った。
詩織は自分のやや後ろに立っている瑠花の顔を見る。
なんの感情も感じられない表情のなかで、桜色の唇だけが僅かに震えていた。
◇
──亮が目の前の相手にも感情があるのだ、とある日、ふと気付いたのは自分の妻である梨佳に向ける、あどけない笑顔を見た時だった。
それまで“無”の存在でしかなかった自分の娘が猛烈に愛おしくなった。
……だからといってガラリと変えられる器用さがあるはずもなく。現状を変えるためには自分が努力をしなければならないという理論を亮は持ち合わせていなかった。
「……あなたが私に興味がないのと同じように、私だってあなたに興味なんてない!」
言い放った言葉はまるで自分に言い聞かせるかのような叫びだった。
──静寂が病室を包む。
その時。
ポツリと詩織が呟く。
「……親子喧嘩ができるなら、まだ取り戻せるよ」
「……親子喧嘩……?」
詩織はにっこりと微笑んで頷く。
それを聞いた途端、棘が落ちていくかのように、強張っていた自分の表情が緩やかにほどけてゆくのを瑠花は感じた。
◇
──詩織は交通事故である日突然、いなくなった父の姿を思い出していた。
ヤンキー漫画が好きで、いつもオールバックにし、周りに怖がられながらも誰よりも正義感が強い父の後ろ姿を。
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