スィートメモリー

緋雪

僕には甘すぎた思い出

 このご時世、マスクをして、違う形の眼鏡をかけていれば、誰にも見つかるまい。という考えは、それこそ「甘かった」かもしれない。



 地方の空港とは言え、夏休みがまだ終わっていないからか、いつもより遥かに混雑していた。ソーシャルディスタンス、なにそれ? みたいな感じだ。この状態で、自分が知り合いに会う確率は、相当低いだろう。有り難いことだな。残念ながら、旧友と会って、楽しく思い出話に花を咲かせたい、なんて明るい性格ではないもので。


 そんなことを考えながら、空港で時間を潰す。早く着き過ぎた。母が余りに急かすものだから。実家に帰るならまだしも、帰りですよ、家に帰るだけですよ、母上。お土産なんか大して要らないし。

 で、本人は忙しいからって、とっとと帰ってしまった。まあ、いつもそんな人なのだが。


 座っていた場所が悪かったのと、帰宅するときに邪魔で薄着だったからとで、冷房が強すぎて、ちょっと冷えてきた。それで、カフェスタンドで温かいものをと立ち上がった、その時だった。


ひで?」 


 突然、名前を呼ばれてドキッとする。聞き覚えのある、高めの、作ったようなアニメ声。相手もマスクをしていたが、誰だかすぐにわかった。


「あ、佐々木さん」 


 苗字で返す。あ、旧姓かもな。

「もー、美香みかでいいよぉ」

あ、やっぱり苗字が違ってたか。

「久しぶりぃ。帰省?」

「うん」

「東京だっけ?」

「うん」

「あたしも東京なんだよねぇ」

そう言って、美香は自分が住んでいるところの細かい場所まで教えてきた。


「英は?」

「うん。まあ、普通に通勤圏内」

「ふーん」

美香が僕の左薬指の指輪を確認したのがわかった。

「結婚したんだね〜」

「ああ。4年になる」

「そうなんだ~。あたしなんか未だに独身」

「そうなんだ」

「今は、弁護士を?」

「うん」

「英みたいな優しくて頭のいい人、どこかに落ちてないかなぁ」

「さあ」



 美香とは、高校時代につきあっていた。所謂、元カノだ。


 彼女と付き合う前まで、恋愛なんて、自分には無縁のものだと思っていた。僕は弁護士を目指していたから、ある公立の法学部を目指して必死に勉強していた。



 高校最後の文化祭が近かった。


 部活動はしていなかったから、文化祭などには全く興味もなく、クラス展示の方も、熱心なクラスメイトに仕事を任せて、塾や図書館通いをしていた。


長谷川はせがわ、ちょっとは手伝えよ」

流石に、1週間前になると、熱い男たちに捕まる。

 僕は渋々作業に参加した。



 その日は特別暑い日で、作業をしながら、汗がしたたり落ちる。窓から入ってくる風が、熱風だ。

「水……」

手を洗いに行ったついでに、水を飲んでこようと、教室を出かかった時、

「はい、あーん」

そう言って、スプーンに乗せたアイスを、びっくりして開いている僕の口に放り込んだ女子がいた。

 

 佐々木ささき美香みかだった。


 アイスクリームは、冷たくて、とびきり甘くて、その瞬間、僕の心は、佐々木美香に捕らえられてしまったのだった。 


「ヒッ!」 

変な声を上げてしまい、慌てて取り繕う。

「あ……ありがと」

それだけ告げると、逃げるようにして、水を飲みに走った。口の中に、まだ、あの強烈なアイスクリームの甘さが残っていた。消すのが惜しい気が少しだけした。だけど、僕は、甘すぎるものが苦手なのだ。すぐに水で口をすすぎ、水をがぶがぶ飲んだ。

 

 クラスに帰ると、みんながクスクス笑っている。

「長谷川、やるな、お前」

何? 何がだ?

「今のリアクション、最高だったって、みんなで褒めてたの」

「リアクション?」

「佐々木にイタズラされて、『ヒッ!』って、廊下走って行ったじゃん、お前」

「純粋培養なんだよ、長谷川」

「カワイイよね〜」


 そんなふうに、からかって笑うクラスメイトの中で、

「なんかごめんね〜。あたしがびっくりさせるようなことしちゃったからさぁ」

と、しおらしく謝る佐々木美香がいたのだった。

「別にいいよ。ホントにびっくりしただけだから」

僕は、彼女をチラッと見てそう言うと、不機嫌そうに黙ったまま、作業に戻った。


 本当はドキドキしていた。女子にこんなに近づかれたこともなかったし、佐々木は平気で、僕の口に一度入れたスプーンでアイスクリームを食べ続けていた。これって……「間接キス」じゃん?

「ええっ? うわ〜、マジか?」そう思う気持ちを周囲に気付かれはしないかと、また別の意味でドキドキした。


 佐々木美香は可愛かった。好み云々を差し引いても、クラスで三本の指には入っていたと思う。クルッとパーマをあてたような(本人は天然パーマだと言っていたが)少し茶色がかった髪をポニーテールにして、わからない程度の化粧をして、校則ギリギリくらいの短いスカートからは、スラッとした色白の足が伸びている。

 とてもよく笑う子で、周りのみんなからも好かれていた。男女問わず、沢山の友達がいた。


 要するに……僕の対極にいる子だったのだ。


 僕が、そんな彼女のことを想ったところで……。僕は早々に、この気持ちを諦めることにした。そうだ、僕には関係のない世界の奴らの一人だ。放っておけば、こんな馬鹿げたイタズラのことなんて、みんなすぐ忘れるさ。僕自身だって。 


 僕は僕に言い聞かせると、黙々と作業をしたのだった。




 ……場違いなところに居ると思う。


「あの……なんでここなわけ?」

困ったように僕は佐々木ささき美香みかに尋ねる。

「なんでって?」

「いや……女の子しかいないじゃん」

「そんなことないよぉ。時々、学校帰りの男子も来てるって。聞いてみてよ」


僕には、学校の帰りにクレープ屋に寄ることがあるか否かを問うような友達はいない。


「いや、やっぱ、俺、いいよ」

「なんでだよぉ。この前のお詫びにおごるって言ってるんでしょ。素直に奢られなさいよ」

「あ……ああ。でも、こういうとこ来たことなくてさ」

「あ〜、何頼んでいいかわかんないのかぁ」

「まあ……それもあるけど……」

ここへきて、甘すぎるものが苦手だとは、流石に言いづらい。

「えーと、じゃあさ、イチゴは好き?」

「あ、フルーツはバナナ以外、何でも」

「あはは。バナナ嫌いなんだ。珍しいね〜」

「そう?」

「じゃあ、フルーツで適当に頼んでくる」

「あ、ありがとう」


 そうか。フルーツなら何とかなるか。何か周りの子が食べてるのが、物凄いことになってるが……。

「お待たせー。イチゴがいい? マンゴーがいい?」

「……」

彼女の持っている物を目にして、一瞬固まる。クレープの中には物凄い量の生クリーム。そして、そこに浮かんでいるようにフルーツ。結局、周りの女の子たちが食べてる物凄いのと同じボリュームのやつだった。

 

 ……これを、僕が?

 頭がクラクラしながら、とりあえず、イチゴを受け取る。

「すっごい美味しいの! ここのさ、クリームの甘さが最高!! 食べて食べて」

覚悟を決めるしかなさそうだった。

「いただきます」

一口食べて、もう既に、僕の食べ物ではないとわかったけれど、そこは、彼女の「気持ち」だ。残すわけにはいかない。何より、僕は、彼女に嫌われたくなかった。


 辛いものを食べるのと同じ要領で食べたらどうだろう?1口目の辛さが来る前に、2口目を放り込む、3口目、4口目も同じペースで。

「無理だな……」

声に出さずに呟く。

 辛さは後から来るけれど、甘さはもっともっと早い段階で来る。馬鹿みたいに食いつくことになるじゃないか。

「気を紛らわそう」

 佐々木美香の話を聞きながら、その話を頭の中で英訳する。そうしながら、味を無視して食べた。


 なんとか食べきった。途中出てくるイチゴに救われながら。


「ね? 美味しかったでしょ?」

「あ……うん。ご馳走様」



「じゃあね」

途中から違う方向に帰る佐々木に、僕は声をかけ、去ろうとした。

「ねえ……」

彼女が、僕の腕を掴んできた。驚いて、彼女の顔を見て、彼女の顔の近さに、もっと驚いた。


 甘い。


 え? これって?


「長谷川だから、あんなイタズラしたんだよ、あたし」

「えっ……えっ??」

「鈍感だなあ」

「いや、待って、その、あの……」

僕は大いに慌てる。


 いや、待て、これは? このシチュエーションは? 今、キスされたよな? もしかして? あれ??


長谷川はせがわ英人ひでとくん、あたしとつきあってください」

佐々木ささき美香みかに、改まったお辞儀をされて、更に慌てた。

「あ……は、はい」

どう答えていいのかわからないまま、出てきた言葉がそれだった。

「やった!! じゃ、また、明日ね~!!」

彼女は、嵐のように去って行った。


 え……?


 家に帰って、着替えもせずにベッドに横になる。

「キス……した?」

僕のファーストキスが、あんなにショッキングな感じで奪われようとは……。

「奪われるって……普通、男からいかない?」

いや、文句があるわけではない。っていうか、あるわけがない。相手は佐々木美香。密かに好きだった女の子だ。そう、ほんのちょっと前までは、ホントに密かに。でも、今は、まさかの、


「つきあってるのか、俺たち?」


 想像したこともないシチュエーションが空からいきなり降ってきた、みたいな感じだった。


「甘かったな……。」


 その前に二人で食べたクレープの生クリームの味がした。

 実際、あのスイーツで胃がむかむかして、もたれているのに、水や苦いコーヒーを流し込むのが勿体無いような感覚だ。


「うわ〜、どうしよう、彼女できちゃった〜。」


 枕に顔を押し付けて、ベッドの上でバタバタした。


 ご飯だと呼ばれても、親の顔を見られなかった。



 翌日には、もう皆知っていて、どうやら佐々木は、自分から公表したようだった。

「ねえ、ひでって呼んでいい?」

「い、いいけど」

「じゃあさ、あたしのことは美香でいいよ」

「あ……うん」


 大体、佐々木は、いや、美香は、僕の何がよくてつきあいたいと思ったんだろう? からかわれてるわけじゃないよな? そんな感じでもなかった。



 ただ一つ困ったのが、彼女が大のスイーツ好きだということだった。しかも激甘。僕は、いつも、それに付き合わされる羽目になった。


 カフェでも、生クリームてんこ盛りのパンケーキやチョコクリームがこれでもかと塗ってあるケーキなんかを頼んだ。一緒に頼んだコーヒーや紅茶にも、たっぷりと砂糖やミルクを入れる。

 僕は、彼女に付き合って、ケーキは頼むけれど、一番甘くなさそうなものを頼み、一緒にエスプレッソダブルを頼んだりもした。眠れなくなりそうなカフェイン量が、かえって深夜勉強する分には、役に立った。


 美香は、昼間会っているのに、夜も電話をかけてきた。こっちは受験勉強をしないと……と思いながらも、嫌われたくない一心で、彼女のお喋りに付き合っていた。


 そんな中途半端な試験勉強をしていたせいかもしれない。僕は最終模試で酷い成績を取った。


 恋愛……その甘さに溺れているうちに、僕は……。気づけば、本気で自分の将来を考えなければいけないことになっていたのだった。



 最終模試の結果が悪すぎたから、少し受験勉強に専念したいんだ、と言った時、美香の顔は少し曇った。が、

「そっか。ひでは、弁護士目指してるんだもんね。勉強、頑張って」

明るく笑って言ったから、わかってくれたんだと思っていた。



 だが、それは、僕の勘違いだったことに、入試の結果が出てから気付く。

「美香、3組の沢田と付き合ってるみたいよ」

「うっわ。いつから? 長谷川どうなったのよ?」

「さあ? 大学落ちたから、捨てたんじゃない?」

「あははは。沢田って医学部入ったんだっけ?」

「美香、わかりやすぅ〜。」

そんな、女の子たちの会話が、其処此処そこここでヒソヒソと囁かれていた。


 ショックだった。


 美香が欲しかったのは、僕自身ではなく、自分の彼氏のステータスだったのだ。

 

 結局、僕たちの関係は、自然消滅という形になった。



「ねえ、カフェスタンド行くんでしょ?」

空港内で、何か美しい思い出話をしていたらしい美香の、その言葉に、現実に引き戻された。

「あ、ああ。そうだった」

「一緒に行ってもいい?」

「どうぞ」

「あそこに凄い美味しいパフェあるの知ってた?」

「そう」

素っ気ない態度を見せる僕に、彼女は少し戸惑いながらも、カフェスタンドについてきた。


 最近のカフェスタンドは、僕がちょっと前まで立ち寄っていた所とは、随分雰囲気が違う。昔は、こだわりのコーヒーが中心だったように思うのだが、今は、パフェやスイーツ、サンドイッチなんかも置いているところもあるようだ。


「えっとぉ、季節のフルーツスペシャルパフェとぉ、チョコバナナのホイップタルトとぉ、あとカプチーノを」

注文を聞いているだけで、胃が気持ち悪くなってくる。しかも、30も半ばになろうというのに、まだその喋り方なの? 若干呆れながら、僕は、コーヒーだけ頼んだ。僕が注文している間、彼女はスタンドの脇で、カプチーノに砂糖を入れている。


 僕は先に近くの席に座った。

「おまたせ〜。あ、砂糖とミルク、あっちだよ。」

「いや、いいんだ」

「あれ? ひでは、スイーツ頼まなかったの?」

「うん」

「スイーツないのに、ブラックコーヒーって珍しいね」

「いつもだけど」

「え? ……ああ、男の人だけだとスイーツって頼みにくいもんね。いいよ。1個あげる。えっとぉ、英はバナナが苦手だからぁ……」

「全部苦手なんだ」

「え?」

「昔から、甘いものは苦手なんだよ」

「え……だって……」

美香が明らかに驚いた表情をした。僕は静かに言った。

「君が好きだって言うから、合わせてた。」

「だって……英も好きだったじゃない?」

「それ、僕に聞いたことないよね?」

「だって……」


 うつむいて、それでもスイーツを平らげる。無言で食べきった後、顔を上げると、彼女は笑って言った。

「ねぇ、英の名刺もらえない?」

「名刺? なんで?」

「何か相談したくなることもあるかもじゃん。」

「何か相談しなきゃいけないことが?」

「い、いや、そういうわけじゃ……」


 こいつは、今度は弁護士狙いなのだな、と思った。こうやって、相手の男のステータスばかり気にしているから、呆れられて捨てられてきたのだな、と。


「君はさ、世の中まで『甘く』見すぎなんだと思うよ。それ以前に、自分を磨かなきゃ。」

「磨いてるじゃない。ほら。」

手入れの行き届いた肌や髪、抜群のスタイルに合わせた高級感のあるワンピース、ヒールの高すぎない上品そうな靴。

「そうだね。外側はね。」

「なっ……なによ! もういい!! じゃあね!!」

美香は怒って、早足で去って行ってしまった。



 僕は、お土産を買う。

「これを」

「小さい箱のでよろしいんですか?」

「ええ。十分です」

とても小さなチーズケーキを4個詰め合わせたものを頼んだ。以前、取引先から貰ったとき、ここの空港で買ったと知り、話がはずんだケーキだった。

 妻もとても喜んでいた。

「凄く美味しい。物凄く上品な甘さで」

あなたでも食べられるかもよ。そう言って、彼女は笑った。


「そうだよな。スイーツに罪はない」

僕は、妻の喜ぶ顔を想像しながら、それを受け取ったのだった。

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