第七章 最弱無害のアンタッチャブル その4
「質問があります」
おもむろに口を開くと、霧島部長に睨まれた。『俺がまとめるから貴様は黙ってろ』って心の声が、円卓越しに聞こえてくるみたいだ。
残念だが黙る気はない。
俺の未来だ。杏樹の明日だ。そして二人で目指す、これからの生き方だ。
霧島部長を無視して、シスター西原に顔を向ける。
「クロイツについたら……杏樹はどうなりますか? 彼女は万能生贄です」
「居守! 耳を貸すな!」
霧島部長の隣で探索部員が声を荒げたが、ユグノーがすかさず円卓を手のひらで叩いて黙らせる。
「ちょっとあなたうるさいわね。黙りなさいな」
西原は突然の質問に面食らったようだ。氷の仮面が砕けたかと思うと、目を丸くしてやや取り乱した。まぁ……天御門に属する人間が、クロイツの移籍を口にしたら驚くのは当然か。
しかしそのツラはいただけないな。俺をガキだと舐めてかかり、薄ら笑いを浮かべてやがる。
いいか。お前らにいいように使われるつもりはない。対等の条件で取引ができないなら、別の方法を選ぶだけだ。俺の気迫が伝わったらしく、西原は薄ら笑いをやめて、スンと緊張で鼻を鳴らした。
「もう一度質問します。万能生贄の杏樹を、どう扱ってくれるのですか?」
「殺すなんて物騒な真似はせん……だが処女懐胎ができる人間だ」
西原は人差し指を立ててメスに見立てると、すっと自らの腹を縦に裂いた。
「子宮は摘出させてもらう」
「ダメだ。受け入れられない。杏樹の人としての幸せが一つ減る」
西原が唇の端を釣って、嫌な笑みを浮かべた。
「違うな居守。子宮を摘出し、妖魔の力を失って、初めて人としての幸せを享受出来るのだ。召喚能力のある血を絞り出さんだけ、温情だと思うべきだ」
それまで黙っていた霧島部長も、組んだ手に口を埋めながら頷いた。
「万能生贄を野放しにすることはできん。それに貴様もだ、居守了。衛境衆のマヨヒガを継承し、その身に多数の妖魔神格を宿しているのを知らんとでも思ってるのか? 貴様も収容対象であることを踏まえたうえで、自らの態度と身の振り方を今一度考えるんだな……異教徒を殲滅するクロイツより、勝手知ったる天御門の方が良いだろう」
随分な物言いだな部長。天御門は飴はなしで、鞭しかくれないってわけか。
「だったら天御門につくわけにもいきませんね……」
霧島部長も、口の端を歪めて嫌な笑みを浮かべた。
「貴様何か勘違いしていないか? 妖魔風情がモノを言える立場か?」
舐めるなよ。俺はもう、退魔候補生の居守了じゃない。
俺は忘れ去られし宗教組織、衛境衆が長——居守了だ。
やはり——俺がアンタッチャブルになるしかない!
足元の影に念を込め、収めていた骨造りの呪杖を浮上させる。
「アンタらも勘違いしていないか? 俺ぁ大人しく捕まるつもりはないぞ」
俺が第七沈鎮丸を取り出したのに反応して、天御門の探索部員とクロイツの清澄先輩が素早く反応する。双方が懐から拳銃を取り出そうとしたが、時すでに遅し。既に俺の影は足元を這い、探索部員と清澄に繋がっていた。影から触手を伸ばして、二人の身動きを封じた。
「試しにやり合ってみますか? 言っておきますが、ここでつかまるほど間抜けじゃないですよ? 俺が逃げている間に事件は明るみになり、火消しに追われることになりますよ」
西原が敵意を芽生えさせながら露骨に顔をしかめ、霧島部長はポーカーフェイスを保ちながらも眉をひそめた。
そりゃ困るよなァ。クロイツは事件に対応し民間に被害を出した挙句、容疑者の捕獲ができませんでした。天御門はバチカン聖約を破り、その結果生まれた妖魔が世界に解き放たれることになるんだから。大、大、大、スキャンダルだ。
「俺を捕まえるどころじゃないでしょうね。せっかく初期捜査に乗り出して、好きに情報操作ができるのに、旨味が消えてしまいますよ」
精一杯の虚勢を張って、天御門とクロイツの大物に凄んで見せる。
たっぷり数分の沈黙——俺にとっては永久ぐらいに長いが流れた。
やがて霧島部長が俺を顎でしゃくった。
「それでは……どうしたいというんだ?」
ようやく話が分かるようになったか。
「俺からの提案をさせて頂きます」
*
俺の話を聞き終えて、霧島部長は深いため息をついた。
「つまりだ……お前の提案をまとめよう。お前と万能生贄——高原杏樹は、天御門の退魔育成校に在学中の身ということだな?」
そう。俺と杏樹の身柄は、天御門が監視する。
杏樹は封印から目覚めたんじゃない。元々この世界にいて、退魔校で勉学に励んでいた。しかしアガルタが生贄体質を目当てに拉致し、神祖召喚を目論んだ。だから俺と神堂で追撃したんだ。
それで満足だろ。天御門が神祖召喚を企んだ事実は消えるし、俺の身柄を確保できるんだからな。俺としてもよく知らないクロイツの庇護下より、勝手知ったる天御門の方がまだ動きやすい。杏樹も学校に通えるし、本当のウィンウィンってやつだ。
西原もどこか不満そうであるものの、俺の提案を復唱する。
「そして居守氏と神堂氏は我々クロイツと協力し、〇〇市にて行われた神祖召喚事件に対処した。その際起きたクロイツの法律違反は、不可抗力だと証言してくれるんだな?」
そうだ。今回の手柄は、全部クロイツにくれてやる。お前らが起こした手荒い捜索はなかったことになる上、神祖召喚を阻止したなんて大手柄を発表できるんだ。クロイツ教内ではもちろん国際社会に対しても誇れる所業が、お前のものになる。
最後にユグノーが、その提案を待っていたといわんばかりに相好を崩した。
「あなたは身分を隠し、天御門に在学していたアンタッチャブル。だけどアガルタが幻術でその立場を奪ったために、正体を現して名誉と立場を守るため奮闘したということね?」
しょうがないだろ。自分の身は自分で守るしかないんだからな。これでアンタッチャブルを締め付ける理由も消えるわけだ。みんなハッピーになれる、最高の提案だろうが。
俺は胸にわだかまりとして残る不安を、ため息に変えてすべて吐き出した。身体に残ったのは覚悟だけ。もう振り返らない。
「この主張が認められないなら……俺は戦います。そうなれば事件は明るみになる上、あなた方は今の地位を失い、俺の対処に一生を費やすことになります。そんなのは嫌でしょう? 俺もアンタらにかまけて一生を言終えるのはごめんだ」
霧島部長は口をへの字に曲げて、会議に終止符を打つように机をノックした。
「そちらの主張は理解した。持ち帰って検討する。上の決断を仰ぐまで、現状維持を要求する」
西原も深くは追及せず、椅子から腰を持ち上げた。
「私もだ。その提案を実行するには情報改竄の規模がでかすぎて、流石に私の裁量では判断できん。とりあえず双方の上部組織の判断を仰ぐまで、お前が満足のいく現状維持案を話し合いで決めようか」
逃がすかってんだバカタレ。俺の満足のいく現状維持案が、アンタッチャブルになることだ。組織力の違いから長期戦にもつれ込んだら、俺がジリ貧になって全てを失うことが目に見えてんだよ。
第七沈鎮丸で影を伸ばし、いつでも姿をくらませられるよう近場の木陰へとつなげた。
「ここで決めてください。それが叶わないなら身を守るために、俺はこの場を去ります」
たっぷり。
本当に実際の時間で、十分以上の時が流れた。
決断に躊躇し、時間をかけることで俺に隙を作ろうとした節さえもあった。
しかし俺が揺らがず、逃亡の決断を下そうとした矢先だった。
不意に霧島部長が口を開いた。
「ユグノー? アンタッチャブルは了解しているのか?」
ユグノーは欠伸を噛み殺しながら頷いた。
「良いも何も、それが事実なんだからしょうがないじゃない。彼は二年前からアンタッチャブルだったわよ?」
「そういう路線で行くのか。私はいいだろう。しかし今回の談話、過去の改竄内容は、全て改変耐性を持つ媒体に記録として保持する。メリットがなくなれば、即座に破棄するぞ。西原さん。あなたはどうする?」
霧島部長に話を振られて、西原さんは悩まし気に唇を噛む。やがて口の端を歪めると、浅く頷いた。
「いいだろう。既にこの会議でのやり取りは記録しているんだろう? 天御門が条件を飲んだのに、私が蹴ったため化け物が野に放たれた――と吹聴されたらかなわんからな……乗った」
「よろしい。では——密約を交わそうか」
*
透き通るような空の元、条項を一つ一つ確認しながら組んでいく中で、ふと西原さんが呟いた。
「コードネームは?」
霧島部長が苦笑いを浮かべる。
「気が早くないか?」
「いや。アガルタがアンタッチャブルに認定されたのは二年前だ。辻褄を合わせるには、居守氏にもコードネームが発行されていないとおかしい。アガルタの記録を上書きするのにも必要だ」
しばしの沈黙。不意に霧島部長が、俺の持つ杖に目を留めた。
「その杖……第七沈鎮丸と言ったな? 沈めて……鎮める」
「はい……そうですが……なにか?」
「……ベリアル」
俺は小首をかしげた。何でクロイツの悪魔の名前が出てくるんだ? そんな俺の心を見透かしてか、西原の訝しげな顔を目にしてか、霧島部長はつけたした。
「ベリアル……埋葬の意味で、ベリアルだ」
最弱無害のアンタッチャブル 完全版 水川 湖海 @Koumi-Minakawa
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