第七章 最弱無害のアンタッチャブル その4

「待て! 勝手に入るな!」

 探索部の怒号を受けながら、一人の女性がずかずかと上がり込んできた。

 おっ、シュッとした若い女性だ。軍人がキャリアウーマンに転職したら、きっとこの人みたいな出で立ちになるんだろう。歳は三十前後くらいで、タイトなスーツを着こなした日本人だ。深い切り傷が走る左目を眼帯で隠し、残る右目で周囲に鋭い視線を配っている。首から下げた十字架が、彼女がクロイツの人間であることを教えてくれる。

 すげぇ強いぞこの人。天御門を牽制しているんだろうが、凄まじい妖気を全身から放っている。確実に俺より強い。

 女は俺を見てほくそ笑むと、いったん外を振り返った。

「勝手に入るなと言われても……ここはクロイツの宗教管区だ。神祖召喚事件の後で、こんな不審なコンテナ見つけたら、捜索せんわけにはいかんだろ?」


 ユグノーはこの女と顔見知りらしい。ピクリと眉を動かすと、意外そうに唇を細めた。

「あら、奇跡審査官、西原。お久しぶり」

 つーことは……奇跡認定庁——クロイツの最高法執行機関の人間か。

 西原はユグノーに手のひらを向けて牽制すると、ずかずかとコンテナに上がり込んだ。

「ユグノォ……お前は後だ。そこで大人しくしてろ。私はそこの男に用がある」

「どうぞどうぞ。私は見てるだけだから」


 西原はユグノーの脇を通り過ぎると、俺を尋問していた探索部が追いかけてきた。

「勝手に入るな! ここは天御門の施設だぞ!」

「我々クロイツには今回の事件の捜査権がある。この地を管轄する我々には、優越権があるはずだ。よって事件当時に管轄区内に存在していたこのコンテナは、権利の内だ」

 探索部員もコンテナに上がり込むと、壁際に佇むユグノーに気づいて目を剥いた。

「ユグノー!? なぜここに……さてはクロイツを呼んだのは貴様か! 通りでピンポイントで捜索を仕掛けてくると思った」

 それは本当ですかユグノーさん。にやにやして白々しく口笛を吹かないでください。さては俺を交渉で落とす時間がないと踏んで、膠着状態を作るためにわざと通報したな?


 西原は喚きたてる探索部員を無視すると、俺の前で足を止めた。

「災難だったな。たしか……居守了だな?」

「そうです……居守です」

「まどろっこしいのはナシとしよう。天御門がすぐそこにいるんでな。今回の件はお前が起こした騒ぎだが、全ては神の思し召しということにせんか?」

 西原は俺の前で十字を切る。

「君が望むのなら我々クロイツにて、『聖人』や『使徒』として教義に迎え入れたいと思うのだが……一緒に来てくれるだろうか?」

 それは……なんとも……凄まじいオファーを持ってきたな。次元が違い過ぎて、考えが追い付かない。

 『聖人』はクロイツのシンボル的存在だし、『使徒』だと神の御使いとして重用される。最弱無害だった俺には、到底かなわないようなポストだ。天御門に拉致られるよりいい申し出だし、世界三大宗教のクロイツの庇護を受ければ杏樹も大手を振って過ごせる。


 でも……やっぱり一抹の不安はある。クロイツは一神教で、土着信仰を吸収撃退して拡大した歴史がある。マヨヒガに囲う妖魔神格が、どのような扱いを受けるかが気になる。

 俺が答えあぐねていると、西原との間に探索部員が割って入る。

「相手にするな居守。いいか。クロイツは一神教で、マヨヒガにいる妖魔神格は迫害対象だ。お前の望むようにはならん」

 あ。やっぱり専門家の探索部の人もそう思いますか。ホイホイと返事しなくてよかった。

 西原は邪魔をされて、一瞬ムッと顔をしかめた。だが嗜虐的な笑みを浮かべると、懐から資料の束を取り出した。

「人の悪口ばかり言うな。こっちも面白い資料があるぞ。第七次文明開化計画というものだが……居守氏を退魔用の人的資源にする計画が書かれているものだ。これは明確な人権違反であり、居守氏を保護を任せるに重大な懸念がある。そもそもバチカン聖約違反だ。表に出たら大騒ぎになるぞ」


 ちょっと西原さん。何であなたがその書類を以っているんですか。その書類データは、倉敷ちゃんしか持っていないはずだ。

 ふと脳裏に、倉敷のイカれた笑顔が思い浮かんだ。

『私は事件が終わっても、了ちゃんと神堂君に責が回らないように工作するから』

 倉敷ちゃん……さすが天御門の爆弾娘だ。いい仕事してくれるじゃないか。

 ネタで直接脅すんじゃなくて、対立相手にばら撒いてやり合わせているのか。これなら倉敷は矢面に立たなくていいし、間に立って調整する必要もない。天御門とクロイツが牽制しあうことで、俺は条件の良い方に転がることができるわけだ。

 そうと分かれば無駄なことを言わず静観し、最良の条件を見逃さないよう集中するべきだな。


 西原は懐からナイフを取り出し、俺を縛り上げる呪符に切り込みを入れた。

 俺を信頼して、解放してくれるらしい。身体に力を入れて呪符の裂け目を押し広げると、コンテナへと降り立つ。くそ。長時間吊り下げやがって。身体の筋肉が吊りそうだ。

 西原は振り返って、コンテナ内の一同を見渡した。

「納得いかないなら、これから私の演説を聞いてもらおうか……クロイツの十八番だ。論争では負けんぞ」

 まぁ……助けてくれたことだし、話だけ聞いてみるか。



「居守氏はこの第七次文明開化計画の命令により、アガルタに帯同して〇〇市に入った。そして同計画書に則り、天御門はアガルタと神祖召喚を行おうとした。居守氏はは神祖召喚に反対し、贄姫を保護。そして我々クロイツと協力し、アガルタと戦闘を行った」

 〇〇市の林道に、西原の熱弁が響き渡る。

 青空の下に急遽設置された円卓にて、三つのグループに分かれての弁論大会が始まった。

 クロイツは西原と、何故か清澄先輩が代表を務めている。天御門からは探索部が二人。うち一人は天御門探索部の責任者である、霧島部長だ。日本退魔界の聖地——陰陽寮で、デスクワークしているような雲の上の存在だ。わざわざお越しいただくとは、何が何でも俺を手中に入れたいらしい。


 俺はボッチなんだが、ユグノーが対面に腰かけて気を使ってくれている。

『天御門は妖魔神格を保護名目で、軟禁拘束する連中しかいないと思っていたのだけれど……あなたは気に入ったからサポートしてあげる。別にあなたの選択に口は挟まないけど、もし私の気にいる答えだったら、うちで預かってる生贄体質の子。何人か預かってくれると助かるわぁ。あの子たちも、社会で生きて欲しいから――』

 青空会議に移動する際、ユグノーはそう俺に囁いた。

 思えば彼女は神堂が紹介してくれた術士だ。

 もっと信用すればよかった。


 西原の熱弁は続く。

「あとは現場から察してもらえる通りだ。居守氏とクロイツは、アガルタの撃破とスモーキー・ゴッドの封神に成功し世界を救った。だな? 清澄」

 名前を呼ばれて、清澄がびくっと身体を跳ね上げた。昨夜の交戦で目の当たりにした、唾をまき散らして吠え猛り、破壊衝動に身を任せて狂喜乱舞する面影はどこにも見当たらない。意気消沈して黙り込み、青ざめた顔を肩の間に埋めているんだけど——さすがに怒られたか。

 毒島が見当たらないのは、クロイツ教的な意味で『説教』されているからだろうか……だとしたらエグイ話なので、これ以上考えるのはよそう。


「そのとぉりでございます! エヘエヘ……〇〇市の山中で、贄姫を連れて逃げる居守氏とばぁーったり鉢合わせましてぇ、事の次第を窺って街へと逃れたんですぅ~……」

 派手に歴史を捻じ曲げているが、クロイツにつく場合はこの嘘に縋るとこになる。ツッコみを入れるのは我慢しておこう。

「私は居守氏を隣街へ逃がそうとしたのですがぁ、天御門の術士に攻撃を受けましてぇ……贄姫を奪われたために武装車両で追撃ぃ。件の緑地で最終決戦と相成ったわけでありますぅ……」

「よし。もう喋るな清澄」

 清澄が語り終えたところで、すかさず西原が釘を刺す。


「そういう訳だ。天御門がバチカン聖約を犯した証拠は、第三者から提供されている。第七次文明開化計画の書類データで、電子証明書付きだ。このような無法を犯す組織に、居守氏の身柄を渡すことはできない。もし強硬に身柄を奪うつもりなら、正義を示すためにこのデータを開示せざるを得ない」

 西原は小首をかしげて、霧島部長を睨み据えた。

「大人しく居守は渡せ。そうすれば引き換えにデータは帰してやる」

 霧島部長は円卓に肘をつき、組んだ手で口元を隠してしばらく黙っていた。西原の弁論が始まってから、ずっとこんな調子だ。

 だが勝ち目のない議論を前に、委縮しているわけではなさそうだ。そんな野郎は人の皮を被った魑魅魍魎が蠢く、退魔界で生きていけない。部長は冷静さを失わない強い瞳を、じっと西原へ注いで隙を伺っているのだ。


 霧島部長は手から口を離すと、渋い白髭が覆う唇を割った。

「クロイツ側の主張を鵜呑みにするつもりはないが……おおむね事実だったことは認めよう。そしてその活動でかなりの法律違反を確認している。そちらに対しての弁明はないのか? 法律違反のほとんどが、そちらの清澄春香が起こしたものだ」

 霧島部長が机を指で鳴らすと、隣の探索部員が資料の束を取り出した。段取りがいいというか、如才がないというか……ここにいる人数分の冊子が手早く回される。

 この資料ってひょっとして……興味がてらに表紙をめくると、血走った目でわめき叫ぶ清澄の写真が目に入った。とあるアパートの玄関で、一般男性と取っ組み合いをしてる姿が納められている。

 しかし清澄お前……一般市民を殴ったらダメだろ……後ろでお父さんの娘さんガチ泣きしてるじゃないか……。

 倉敷ちゃんがどうやってこの写真を手に入れたか気になるところだが、野暮なことは聞くまい。


 西原がゲロを拭いたぞうきんをつまむように資料をめくっていくのを他所に、清澄は資料にかじりついて読みふけっていく。やがて清澄は資料を引きちぎると、紙吹雪に変えて空に放り投げた。

「これは悪魔の仕業ですわ! でっち上げの捏造! 罠です! 私は清廉潔白なシスター・清澄! こんな不埒な真似は致しません!」

 いやあんた。そこまでガッツリ写真撮られてて、その言い訳は通らんと思うが。

 霧島部長はなおも攻撃の手を緩めない。

「他にもあるぞ。敷地外持ち出し禁止のマイクロガンの携行、違法改造車両の運転、大口径機関銃の所持。そして清澄春香自身にも、男性関係に関する黒い噂がある」

 流石部長。クロイツの弱点が清澄だと踏んで、情報を固めてきたか。

「あはー!!!??? ちょーっと何言ってるかわかんなーい!!! 黙れよ陰陽師ー! お前の奥さん拉致るぞー!!!?」

 清澄が円卓に身を乗り出して、霧島部長に凄んでいる。お前それで引くのはパンピーだけだからな。日常で魑魅魍魎とカルトを相手にしている部長がビビるはずもなく、しらけた視線で答えるだけだった。


 西原は軽いため息をき、資料を閉ると円卓を滑らせて部長の手元に帰した。

「清澄。黙れ。「げっ……! はぁい……すいません」クロイツはアンタッチャブルと戦うために、日本の法を犯したのは間違いない。退魔法違反が十二点、道交法違反が三十一点、宗教倫理違反が三点か……宗教倫理違反については真摯に受け止めるが、それ以外はやむを得ないものだったと理解していただきたいものだ」

 霧島部長が嘲笑う。

「おいおいおい……その宗教倫理違反が問題だ。氷系統の妖魔を、洗脳してこき使っていたようだな。そんな連中に居守の身柄を預けるなど、何処の宗教組織も許さんだろう」

 西原は面白くなさそうに唇を尖らせたが、霧島部長はそれを目にして嬉しそうに笑みを浮かべる。

「それにクロイツの管轄地は、ただでさえ日本に少ないんだ。大事な教区を失いたくないだろう? 居守を引き渡せ。そうすれば何も言うまい」


 それから霧島部長と西原は、冷たい視線を重ね合った。双方に譲るそぶりは欠片もない。どちらもが相手が視線をそらし、譲歩することを求めて、視線を注ぎ続けていた。

 天御門とクロイツ。お互いに切り札をきった。それが決定打とならなかった今、水面下で相手の弱みを探しているに違いない。双方とも決定打を手にするまで、膠着状態を維持したいんだろう。

 しかしながら神祖召喚未遂は大事件だ。いつまでも隠し通せるものじゃない。世界の宗教組織が関心を抱いているだろうし、何らかの報告を上げなけりゃ調査機関が乗り込んでくる。そうなりゃ天御門の失態も、クロイツの横暴も、全てが白日の下にさらされる。

 当然俺も座敷牢で、一生を終えることになるだろう。

 時間がないんだ。

 俺の付け入るスキがそこにあり、この機を逃しては挽回のチャンスはもうない。

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