第七章 最弱無害のアンタッチャブル その2

「居守。復唱しろ」

 天御門探索部の隊員が、俺に顔を寄せて凄んでくる。その額にはうっすらと脂汗が滲んでいるんだが、どうやら天御門はこの事件で不味い立場にあるらしい。その証拠とでもいうべきか、さっきからからめ手を使うことなく、愚直な命令を俺に下し続けている。

「お前は神堂と共に、〇〇市に存在するマヨヒガの対処に当たった。そこではアンタッチャブルのアガルタが神祖召喚を企んでおり、儀式を阻止するためにこれと交戦した。戦闘の末に神祖召喚は防げたものの、お前は妖魔へと堕ちてしまった。そこで止むを得ず、我々天御門が保護をした。どうだ? 簡単だろ? 復唱しろ」


 目が覚めてからずっとこんな感じだ。そろそろいい加減にして欲しい。もっと話のわかる人に直談判したいんだが……この有様じゃあなぁ。

 身体に視線を落として、ため息をつく。

 身体には呪布が巻かれ、中連縄で封をされている。ここまではいい。術師を移送する際の標準的な措置だ。しかし俺はさらに、窓のない密室で宙吊りにされ、四方を無影灯で照らされているのだ。

 明らかに影を警戒しているな。つまり衛境衆のことも、俺が後継者だということも、第七次文明開化政策のことも知っていたということだ。

 忘れていた怒りが沸々と込み上げてくるが、ここは我慢だ。俺はマヨヒガにいる杏樹と、封神されている妖怪を守らなければならんのだ。


 現状確認。

 俺が吊るされているのは多分、天御門器物部が有する呪物輸送用コンテナだろう。外に連れ出そうにも◯◯市には、クロイツが包囲網を敷いている。事件の処理も済んでいないだろうし、宗教関係者の出入りは厳しくチェックされるはずだ。よってこのコンテナは、まだ市を出ていない。トラックか船に積載されて、包囲網が解けるのを待っているに違いない。

 律を宿し妖魔に堕ちた身ではあるものの、天御門は俺を育てた組織だ。多少話が通じると信じていたんだが、このままだと陰陽寮まで連行されてヤバいことをされそうだ。

 埒があかん。とりあえず軽いジャブを放ってみるか。


「あんたらがバチカン聖約を破ろうとしたことは無視ですか? 俺は第七次文明開化計画で、現地に向かったんですがね」 

「ようやく口を開いたかと思えば……居守。勘違いしているようだが、俺たちはお前を助けたいんだ。お前は神格を封神し、世界を救った立派な術師だ。しかし妖魔になったお前の存在を、世界の宗教組織は許してくれない。そこでお前を守る為に、口裏合わせが必要なんだ。わかるな?」

 質問に答えろよ。だから公務員は嫌いなんだ。もう一発ジャブをぶち込んでやる。

「俺が妖魔に堕ちたとか言ってますけど、俺は結界張れませんよ? そのことはよく知ってるはずです」

 衛境衆は他人の結界で術を使うから、結界を張れない。相手が敵意ある術師でない限り、人畜無害なのだ。

「レベル0、クラス0、ランク0。俺は分類的には一般市民ですよ? なんの法的根拠を持って、拘束しているんですか?」

「…………」


 だんまりかよクソが……天御門が嫌いになってきた。しばらくの間、気まずい沈黙が流れる。

「そこで少し待て」

 進展がないまま、たっぷり三十分は過ぎただろうか。探索部が椅子を立ち、コンテナから出ていった。俺を切り崩す策を探しに行ったようだが、俺は絶対に落ちないし逃げも隠れもせんぞ。

 俺が落ちたら、妖魔神格最後の居場所であるマヨヒガも墜ちることになる。

 俺が逃げらた、妖魔神格も現世から隠れ続けなければいけなくなる。

 俺は衛境衆の長として、ここで戦い続けなければいけないんだ。

 じゃなきゃマヨヒガで待つ、杏樹と妖魔たちに合わせる顔がない。そしてきっと第二、第三のアガルタが天国を求めて世界を壊す。

 俺はそんな裏寒い世界で、命を守れる灯になれるはずだ。


 そんなことを考えていると——

 俺の足元を、小さな影が横切っていった。あらーかわいい鼠ちゃんじゃない。どこから入って来たのかな? どうやら探索部がコンテナを出る時に、外から迷い込んだらしい。

 鼠は俺の前で足を止めると、にわかに苦しみだした。まるで内臓を食い荒らされているみたいに、四肢を投げ出してのたうち回る。やがて腹を破って植物の目が出たかと思うと、瞬く間に成長して巨大な果実を実らせた。

 これって……神堂が行った召喚の儀と、全く同じ術式では……?

 固唾を飲んで見守っていると、果実を破って一人の女性が歩み出てきた。上品な長髪にきめの細かい肌をもち、そのどちらもが透き通るような白い色をしている。金と銀のオッドアイはどこか抜け目なさを感じさせるが、見るもののを安心させる穏やかな雰囲気が宿っていた。衣服の類は纏っていない。蔦の枝葉が大事な部分を覆い隠している。

 アンタッチャブルの手配書で、アガルタの次に人気がある女。


「古き良き魔女……ユグノー……?」

「あら。衛境の長に名を知られているなんて、光栄ですわ」

 ユグノーは口に手を当てて軽く微笑むと、ゆっくりと歩み寄ってきた。

「知らない方がおかしい……あんたアンタッチャブルだぞ」

「あら……そうなの? 私はただ草木を愛でて生きているだけなのにねぇ。どうして目の敵にされなければいけないのかしらねぇ。まぁ、世間話は後にして、最初に祝辞を述べさせてもらうわね。衛境衆の襲名、並びに復興。おめでとうございますわ」

 ユグノーは俺の前で足を止めて、深々と頭を下げた。


「ど……どうもありがとう……」

 これはご丁寧に。吊り下げられていて身動きが取れないので、芋虫のようにのたくって返礼にする。

 ユグノーは面白おかしそうに喉を鳴らして笑っていた。やがて先ほどまで探索部がかけていた椅子に腰を下ろすと、鋭い視線で見上げてきた。

「それで後を継いだはいいものの、その後が宜しくないご様子ね。このままだと天御門に監禁されちゃうんじゃないかしら? そこで今日はお得な取引を持ってきたんだけど——」

 おやおや。話の行方が不穏になってきたぞ? 今まで完全認識耐性であることをダシに、さんざん利用されてきたんだ。えげつない要求をされることが、容易に想像がつく。

 さて、お前は何が欲しいんだ? 顎でしゃくって先を促す。


「あなた幽世に居住空間を持っているそうね……日本だとマヨヒガって言うのかしら?」

「それがどうしましたか?」

「今じゃマヨヒガはとっても貴重なのよ。現世と幽世の境界が曖昧だった中世でしか、建てることができない代物だからね。だから取引。私たちアンタッチャブルをその中に引き入れてくれるなら、この世界の退魔組織から保護してあげるわよ」

 そうきたか……天下のアンタッチャブルを、総出で味方につけられるなら心強いことこの上ない。ユグノーもそのことに自信があるのか、ほくそ笑みながら決断を迫ってくる。


「悪い取引じゃないでしょ? あなたたちは世界最高峰の術士によって守られる。そして私たちは人類の手の及ばない安住の地を手にすることができる。ウィンウィンって奴よ。私たちは手出しされないだけで、人類に敵視されていないわけではないの。そろそろ拠点となる場所が欲しいのよ。あなたもこのまま吊られていてもしょうがないでしょ? どう?」

 どうもクソもない。そんな提案を受けられるか。大切な人が待つ家に、自分より強い不審者を入れられるかってんだ。俺なんてソッコーで殺されて、マヨヒガは乗っ取られ、保護している妖魔神格にも魔の手が伸びるに違いねぇ。そうしたらまた、アガルタみたいに世界を天国に作り替えようとする輩が出る。 

「お断りさせていただきます」


「即答……? どうして?」

「マヨヒガには様々な妖魔神格や呪物を祭っている。俺も把握していないが、きっと現世に出るだけで世界を変えちまうような超常存在もいるはずだ。そこにホイホイとアンタッチャブルを入れられるわけねぇだろ。あんたら何が狙いだ?」

 ユグノーも所詮はアンタッチャブルか。彼女の顔から柔和な笑みが消え失せ、不服そうに唇を尖らせた。強大な術を使って、好き勝手に生きてきた連中だ。少しでも思い通りにいかないと、すぐに顔に出るんだから。

「それを聞くまで、首を縦に振れませんね」

「私たちの狙いをあなたが知る必要はないわ。せっかくのオファーよ? 答えはイエスかノーでお願い」

「じゃあノーだ。お引き取り願おうか」


 ユグノーは背もたれに身体を預けると、軽いため息をついて足を組み替えた。

「ふーん……まぁいいけど。じゃあこれからどうするつもり?」

 詮索好きな人だなぁ……できれば放っておいて欲しいが、怒らせてちょっかいだされてもつまらない。支障ない程度に受け答えだけしておくか。

「行く宛てもないし、逃げたら指名手配待ったなしですからね。公に存在を認められるよう、ここで粘るつもりです」

 今回の事件は規模がデカすぎる上に、クロイツも噛んでいる。天御門と言えど、隠蔽することはできないはずだ。いずれ落としどころを模索して、取引を持ち掛けてくるはずだ。俺はそれまで、天御門の姦計に耐えるほかない。

「へー。それがいつになるか、わからないのに?」

「杏樹と妖魔は百年待った。俺もそのくらい待てますよ」

「アンジュって……?」

「アンタに話す気はありませんよ」

 アガルタの同類と分かったからには、気を許すわけにはいかない。きつく口を結び、黙りこくった。

「あら。警戒されちゃった。残念……」

 ユグノーは軽く鼻を鳴らすと、懐にから銀色のケースを取り出した。


「ハーブ吸ってもいいかしら? 怪しくないヤツ」

「それよりお引き取り願えませんかね。そろそろ天御門が戻ってきますし、いくら粘っても俺の気は変わりませんよ?」

「天御門はどうでもいいのよ。どうせ私に手出しできないんだから。それよりあなたにもう一つ聞きたいことがあってね……アガルタはどうなったの?」

 嫌なことばかり聞いてくるな。知らないとすっとぼけたいが、アンタッチャブル相手に下手な嘘をつくと、バレた後が怖い。正直に話すか。

「スモーキー・ゴッドと一緒に、幽世に堕ちましたよ」

 ユグノーは鼻で笑いながら、ハーブに火をつけた。

「ああ。やっぱり地下世界の旧神を呼び出したんだ。時代に合わないからやめておけと言ったんだけど……それ以外の安らぎを見つけられなかったのなら——いずれにしろ今となっては好都合ね……」

 ユグノーが煙を吐くと、辺りに脳に抜ける爽やかな香りが充満する。臭いにはいい思い出がなくなったな。アガルタのせいで、マリファナを思い出してしまう。

 俺が顔をしかめて睨みつけると——驚くほど慈愛に満ち溢れた、柔和な表情のユグノーと目が合った。


「あなた……アンタッチャブルになりなさいな」

 いきなり何を言いだすかと思えば。思わぬ提案に、少しの時間言葉を失ってしまった。

「無理……ですね。アンタッチャブルになるには、ランクが六以上必要です。俺のランクはゼロ。国連教会の会議は開催されず、承認のされようがない」

「いいえ。会議は必要ないわ。だって空席が一つあるもの」

「どういう……意味ですか……?」

「今回の事件で、我々アンタッチャブルの立場も危うくなったのはわかるわよね? 身内がバチカン聖約を犯したんだから。そして事件の対処はあなたと神堂君で果たされ、戦後処理は天御門とクロイツで行われている。身内が起こした不祥事だけど、私たちは関与を許されていない。この事件をネタに、規制が強まることを考えると頭が痛いわねぇ」


 ユグノーはハーブを床に投げ捨てると、両手の指を胸の前で合わせた。

「だからこうしたい。アガルタは幻術を使って、世間にアンタッチャブルの一席にいると誤認させた。そして立場を利用して事前工作を行い、神祖召喚を行おうとした。本来のアンタッチャブルであるあなたは、世界と名誉を守るためにこの事件に対処した」

 床でくすぶるハーブの残り火を、彼女は踵で踏みにじる。

「あなたがアンタッチャブルになれば、宗教組織はおいそれと手出しできなくなる。そして私たち現職も、今回の責任を取らなくていい。主犯格のアガルタは幽世に消えてしまったし、異議申し立てをする人間もいないわ。どう? もちろんバックアップはするし、過去は捏造してあげるわよ」


 俺が……アンタッチャブルになる……?

 確かにアンタッチャブルには、過去改変が可能な術士がいる。やろうと思えばできない事ではない。

 しかし当然ながら世界の退魔組織には、そう言った過去改変を警戒している術士たちが存在する。そいつらを誤魔化すには、国連教会に参画する宗教組織の後ろ盾が必要だ。

 今回の場合だと——クロイツと天御門か。この二大組織が俺をアンタッチャブルと認めれば、他の宗教組織も黙認せざるを得ないだろう。


「認めますかね?」

「認めざるを得ない。あなたは放置するには、あまりにも危険な力を秘めている。だけどランク0であるあなたを、拘束する法的根拠が存在しない。現状あなたを監視下に置くためには、何らかの宗教的立場に任命するしかないのよ」

「あなたを信用しているわけじゃない。乗らないといったら?」

「強要はしないわ。私の話はこれでおしまい。その気なら援護するけど、クロイツも、天御門も、あなたに地位を薦めてくるでしょう。どの誘いに乗るかはあなた次第ね……ほら。おいでなさったわ」

 ユグノーが背後を振り返ると、コンテナの扉が開き始めた。

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