第七章 最弱無害のアンタッチャブル


「終わったのか?」

 神堂が普段の高飛車な態度をかなぐり捨て、不安そうな声で聞いてきた。

「多分な……妖気は感じんし……術式も発動している気配がない」

「アガルタは……?」

「スモーキー・ゴッドと共に……幽世にいっちまったよ」

 ようやく神堂の肩から緊張が抜け、奴はほっと溜息をついた。

「そうか……人間が幽世にいくと、大抵発狂するんだが……妖魔になって生き延びんことを祈るだけだな……さて……居守」

 神堂が俺に向き直り、タウラス・ジャッジをつきつけてきた。

 当然だな。俺は新興宗教の教祖。そして神堂はカルトを取り締まる退魔師だ。やるべきことは一つ。


「教祖なんかになりやがって……ボケカスが。立場上テメェと戦わなきゃならん……わかるなアホタレ」

「まぁな……だが後悔はしていない」

 俺は退魔師にはなれなかったが、悲痛な祈りを聞く奇跡にはなれた。この立場に収まったからには、座敷牢で一生を終えるつもりはない。衛境衆を継いで何をすべきか決めているし、それがどのような反発を招くかも理解している。

 ここで負けるわけにはいかないんだよ。

 レマット・リボルバーを神堂に向けて構え、杏樹を胸にきつく抱いた。

 俺と神堂の鋭い視線が、互いの隙を探して絡み合う。だが不意に神堂は唇の端を歪めると、寂しげな笑いを浮かべた。

「テメェと……組みたかったんだがな……ボケ……」

 神堂はきっとその表情を、隠そうとしたに違いない。俺に背中を向けて、タウラス・ジャッジを懐に収めた。


「今回は見逃してやる。お前コラアホ……高原連れてとっとと逃げろオラ。ユグノーには後日引き合わせて……クソが……」

 さすがのエリートも、今回の戦いは堪えたようだ。神堂はぐらりと傾くと、言い終わらないうちに地面へと突っ伏した。今度はちょっとやそっとじゃ起きそうにないな。

 俺も行動しないと。

 複数の妖気が、こちらに近づいてくる。形式から察するに神道系。数は四つ。フォーマンセルで活動する宗教組織は、日本には一つしかいない。

 いっつも遅いお出ましだな。天御門探索部。来やがったか。

 俺は地面に膝をつくと、立てない杏樹を支えながら視線を合わせた。


「杏樹。これからの話をさせてくれ。天御門に降れば命の補償はされるだろうが、一生座敷牢で過ごすことになる。しかしクロイツに降ったら、きっと良くない結末が待っている。あいつらは処女懐胎ができる、お前の存在を許さないからだ」

「御館様。わたくしは地獄の底までお供する覚悟です。わたくしの血が枯れ果て、命尽き果てるまでお支えします。安住の地を求め、何処までも逃げましょう」

 逃げるといっても、杏樹は失血で動けそうにない。顔面は蒼白で、肌も土気色だ。これ以上無理をさせたら死んでしまう。『これからの戦い』に、ついてこれそうにもない。

「そういう訳にはいかないんだ」

 頬を掻いて、バッサリと切り捨てる。


「ここで逃げちまったら、俺たちは邪教徒だと認定される。そうなったら杏樹は学校に通えないし、パフェなんて滅多に食えねーぞ?」

「そんなこと……どうでもいいではありませぬか!? それよりも衛境衆の使命が――!」

「どうでもいいことがあるか! お前が笑って現世で生きていける! それが俺の衛境衆の存在意義だ!」

 全部まで言わせてたまるか。俺が長になったからには、そんな負担はかけさせない。

「妖魔神格が……曲りなりもまっとうに……普通とはいえなくても、まっとうに生きることさえできていれば、今回のような事件も起きなかったんだ。今の時代は過去の被虐のツケを払っているに過ぎない。きっとまた同じ事件が起こる。だから俺の目指す衛境衆は、妖魔が……神格が……まっとうに生きる手助けをする組織にしたい」

「御館様……」

「だからここで逃げるわけにはいかない。逃げたらカルトだ。ここで踏みとどまって、宗教として受け入れられないといけないんだ」

「ならばわたくしも残ります!」

「さっきも言ったけど……杏樹は万能生贄だから、捕まったら大変なことになる。俺が手出しできないように下地を整えてくるから、それまでマヨヒガに隠れていて欲しい。頼む……」


 杏樹は弱々しく首を横に振った。

「嫌にございます。大正の世にて、私は覚悟が出来ていなかったがため、先代様を一人で逝かせていしまいました。あのような失態を、二度犯すわけにはいかないのです。如何に御館様のご命令と言えど、それには承服しかねます」

「俺は死なねぇよ。杏樹も今日一日見てただろ? 俺はやればできる男なんだよ。な? 必ず迎えに行くから、あと少しだけ。あと少しだけマヨヒガで待っていてくれ」

 不敵な笑みを浮かべて、精いっぱい胸を張る。

 しょうのないお方——と、思ったのだろう。杏樹は口元を綻ばせて、苦笑いを浮かべた。

「かしこまりました。御館様の仰せの通りにいたしましょう」

 穏やかな口調で彼女が呟く。しかし一瞬、杏樹の安らかな表情が消えて、瞳が凄絶な鋭さを帯びた。


「しかしながらこの杏樹。御館様の身に何かあった場合、身を焦がす憤怒を抑える自信がございませぬ。必ずや天御門めらに、報いを受けさせるでしょう……」

 この子……本気だな。怒らせたら倉敷よりも怖いタイプだ。俺がしくじったら……杏樹はアンタッチャブル並みの、世界の脅威になるかもしれない。彼女にはそれだけの素質があるし、動機もある。

 そうならないためにも。

「ああ……ちょっと頑張ってくるよ」

 第七沈鎮丸の力を使い、杏樹を影へ沈めていく。きっと助勢に来た妖魔たちの住まう、マヨヒガへと向かったはずだ。誰も手出しできない、妖魔神格最後の聖域がそこにある。マヨヒガという安寧の地を拠点にすれば、きっと超常存在も現代で、『生きる』ことができるはずだ。

 そのためにも。


 杏樹が影に沈み切ったのを見送ったころ、俺の背中を銃弾が射抜いた。

 意識がまどろみへと沈んでいき、身体から力が抜けていく。

 まったく……こういう時だけは仕事するんだからな。

 天御門め。

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