第六章 降臨 その7

 俺には妹がいる。

 社会的には死んだも同然だが、精一杯生きている。

 最も……ほんの数か月前は死んでいたのだが。


 叶が生贄体質だと分かったのは、幼稚園を出た頃だった。前々から霊体を引き寄せやすい体質だったが、こぼれた血から餓鬼が湧いたことではっきりとした。

 万能生贄だ。

 神堂家は退魔師の名門。本来生贄を管理する側である一族から、万能生贄が出たと知られてはいけない。新品のランドセルは持ち主に出会うことなく押し入れにしまわれ、叶は座敷牢で幽閉されることになった。

 毎日のように、お見舞いに行ったさ。

 叶は会うたびに、笑顔を見せてくれる。だがそれは俺を心配させまいと、気丈に振舞っているだけなんだ。面会を終えて廊下に出ると、牢からすすり泣きが聞こえてくる。


 帰り道、いつも自問自答していた。

 これしか方法がないのか。こんなの死んでいるのと同じじゃないか。

 でも座敷牢にいる限り安全なんだ。生贄にされて殺されるよりはるかにいい。

 これで。いいんだ。


 時間は残酷だが、とても優しい。

 三年も経った頃、叶は監禁生活に慣れたようだ。脱走を企てることがなくなり、座敷牢への幻術迷宮は侵入者への対策用になった。すすり泣くこともなければ、外の世界について聞くこともない。まるで人形のように、ただただ座敷牢を我が家とした。

 俺自身も、慣れていった。見舞いはルーチンワークになり下がった。飾ったトロフィーが、あるべき場所に収められているか確認する。それだけの仕事だ。視線を合わせなければ、言葉を交わすこともない。決められた日に、決められた時間、同じ空間で過ごす。それだけだ。

 そんな堕落した日々が変わったのは、ちょうど半年前のことだ。

 叶の見舞いに座敷牢へ行く時、食事以外の調度品を持たされることが増えた。調理前の食材、裁縫道具、小学校の教科書などなど、叶にそぐわないものを抱えて会いに行く。

 叶は座敷牢の中で、料理を作り、縫物をし、そして算数を学び始めていた。


「居守様なる術士が、私を幻術迷宮から助け出してくださいましたの」

 口を閉ざし拒絶する叶から居守の名を聞けたのは、それからさらに数ヶ月が経ってからだった。

「ン……聞いている。座敷牢への幻術迷宮が不調をきたし、閉じ込められたそうだな。天御門が有する認識耐性持ちが対処したらしいが……結構大変だったらしいな。大事なかったか?」

「それ以上に、得難き出会いがありました」

 感情を忘れて久しい叶が、どこか嬉しそうに声を弾ませている。

「共に座敷牢を出たのですが、とても楽しいひと時でした。私を万能生贄として扱おうとするのですが、お優しい心根が隠しきれないようでして……クスクスクス。私は久方ぶりに、人として扱ってもらえました」

 お前が笑うなんて、何年ぶりだ?

「そうか……」

 意味のない相槌しか、喉から出ない。


「私、構ってもらえたのが嬉しくて、わざと迷惑をおかけしました。それで居守様に怪我をさせてしまい、脱出が遅れる運びとなりました」

 叶が肩を落として、下唇を噛んだ。

「私……何もできなくて……缶詰……でしたか? あれを開けることすらできなかったんです。全て外の者がして下さいましたからね。恥ずかしいやら、情けないやらで、呆然とするしかありませんでした」

 叶が心底悔しそうに、膝の上に置いた手を握りしめた。

「居守様はただ笑って、生きていれば次があるって、そう仰ってくださいました。それで思い出しましたの。私も生きているってことを。そしてもう一度生き直したいと思った次第です」


 つまり俺は、お前を殺していたんだな。お前を守っているつもりが、ただただ墓穴に押し込めていただけなんだな。見舞っているつもりが、墓標に手を合わせていたにすぎないんだな。

 ずしりと、時の重みが心に圧をかける。

「それで居守様と約束しましたの。あの方はまたおいで下さるそうです」

「え……あ……? 本当にそんな約束をしたのか……?」

「お兄様には関係のないことです」

 叶。お前は神堂家の機密だ。存在を知ったら、記憶を消されるに決まってるだろうが。おまけに居守とやらは、認識耐性持ちだ。物理的に消されたに違いない。

 認識改変で消したのとはわけが違う。どうやっても思い出せん。思い出させるには、記憶を物理的に植え付けねばならん。しかしそれは果たして、思い出と呼べる代物なのだろうか?


「それまでに多くのことを学んで、あの方を驚かせたいと思っております」

 叶はそう言って、縫物の針を走らせる。お前……そんなこともできるようになったのか。

 あれだけ殺伐としていた座敷牢が、今では生き生きとしている。胃を躍らせる料理の匂いが漂い、所狭しとパッチワークが並べられ、俺でもわからん解きかけの数式が机に置かれている。

 だが。

 奴は来ない。来れるはずがない。

「最近、笑う練習を始めましたの。感情をあらわにすることなぞなく、顔の筋肉がすっかりなまってしまいまして」

 叶が口角に指を当てて、笑ってみせた。

 つらい。胸が引き裂かれているみたいだ。そうしないと笑えなくなったのは……俺のせいだ。


 そしてほんの数か月前——退魔校の中庭で、初めて奴と出会った。 

「これより、入学試験を始める! 双方前へ!」

 対戦相手として歩み出たのは、認識耐性持ちのランクゼロ。最弱無害の退魔候補生だった。

 テメェが居守か。

 妹はずっと、お前を待っているんだぞ。お前を生きる支えにしているんだぞ。なのに間抜けなツラして、何のほほんとしてんだ。

 その感情が。俺の動きを鈍らせた。

 開始のホイッスルと共に、居守の姿が視界から消える。気が付くと腹に重い衝撃を受けて、地面に膝をついていた。

 待て待て待て。今のはナシだ。油断しただけだ。まともに戦えば、テメェなんざに負けやしない。 負けてたまるか!


 腹を抑えつつ顔を上げると、いつの間にか居守の隣に高原がいやがった。

「杏樹。行くぞ」

「はい。御館様」

 二人は俺に背中を向けて、どこかへと歩き去っていく。

 おい。どこに行く。叶はどうなるんだ。お前が来ないと知ったら……あいつは今度こそ……生きることをやめてしまうかも……。

 認めたくなかった。俺だって、叶を救うことが出来たはずだ。そんな傲慢に身を委ねて意地を張り、時を無駄にし、叶が収まるはずだった居場所を高原にとられてしまった。


 自分が正しいと信じるため、好き放題やらかして、己が強いと妄想した。そして上手くいかないから、言い訳ばかりだ。言い訳。俺の人生のほとんどが、言い訳でできている。

 俺は……卑怯者だ……。

 あいつに……勝ちたかった。そうして……叶に認められたかった。

 目の前に、暗闇の帳が下りていく。

 俺は……俺は……。


『困るなァ……実に困る』

 頭上から、野太い声がかかる。

 誰だ……?

 見上げると赤い束帯を纏った大男が、宙を寝そべっている。

 あ……変な走馬灯だと思っていたが、今までアガルタの奴に幻覚を見せられていたのか。変なものを見せやがって、あのアバズレが。

 ブチ殺してやる。


『変なものとは……ご挨拶だな。暗愚の分際で、口の利き方に気をつけろ』

 大男が佩いた太刀を鞘ごと抜き、先端で俺の背中をこづいた。

『聞けマヌケ。衛境衆と刃を交えること実に六度。二度膝をついたものの、奴らには四度も土を喰らわせてやった。衛境に勝ち星を誇る術士は、日ノ本では片手の指で数えるほどしかおらんのだぞ? それも勝ち越したるは、我が一族のみの勲章なのだ』

 この幻覚は、いきなり何を言いだすんだ。よくよく見てみれば、お前見覚えがあるぞ。確か……神堂家の……神棚で……おい……まさかテメェ。

 我が一族の氏神——鳴守武尊……か?

『とろいのぉ。いまさら気づいたか。しかしこれ以上黒星を増やされては困るなァ……ン? 衛境との誇り高い歴史に、うぬ如きが泥を塗るなと言っておるのだ。さっさと立て。立って戦え。戦って死ね。ここでくたばるのは、我が許さん』


 背中を鞘の先端で、何度か叩かれる。

 おいコラカス。抵抗しないでいれば、好き勝手やりやがって……望むところだ。

 太刀を支えに体を起こし、震える足で立ち上がる。

 あいつは……術が使えなくても……いつだって……誰が相手でも……戦ったんだ。

 俺にだってできないことはない。


 さて。立ち上がったはいいが、アガルタめ幻術結界を張っているようだ。知覚できる情報は、どれもでらめだ。二十人ぐらいいる人間がどれもアガルタに見えるし、絶え間なく罵倒を浴びせてきやがる。おまけにあれはなんだ? 巨大な光の球体が、地面から浮かび上がりつつある。地面も変な傾斜を描いているように感じるし、どんな幻覚を見せられているってんだ……。

「クソ……が……舐め腐り……やがって……ボケナス……」

 タウラス・ジャッジのシリンダーを開き、装填されている落憑弾を全て排莢。封神弾を一発ずつ、指で込めていく。

 一発、二発、三発目——ちゃんと入れよクソが! 四発目をこぼしたじゃないかボケ! 拾う暇なんざねぇ。五発目はよし。合計三発装填した。

 あいつに……これ以上負けてたまるか。


 リボルバーを構えて、狙いを定めようとする。しかし——乱立するアガルタの群れ、そのどれが本物か皆目見当もつかない。迷いが照準を彷徨わせ、恐れが銃を持つ手を震わせる。

 わからん。急に涙があふれてきた。

 ははは……何がエリートだ。俺って……ダメなゴミカスだな……。

『立ってから泣くな。みっともない。立ったからには笑え。まぁ……峠守居も不出来な後継者に、手を貸したことだ。どれ。少しだけ力を分けてやろう』

 鳴守武尊が宙から舞い降りると、そっと俺に寄り添った。

 タウラス・ジャッジを構える俺の腕に手を添えて、銃から震えを取り去った。

『覚悟を極めろ。我が血族よ。積雲を呼べ。夜闇を照らせ。人は光照らす先に必ず闇が立ちはだかるという。されど我より速き闇など存在しないのだ。撃つがいい』


 アガルタの群れから、俺が『これ』と思った一体に狙いを定める。タウラス・ジャッジに気力を込めて、呪詛を唱えた。

 急急如律令……。

『違う』

 急急如律令ッ……。

『違う。二度間違えるなたわけが。我の律を使うなら、正しい呪詛を唱えよ』

 不意に、その言葉が心に浮かんだ。

 雷迅律果!

『そうだ!』

 鳴守武尊が俺の腕を掴み、狙いを修正した。銃口が向いたのは、無意識のうちに『こいつだけは違う』と思い込んでいた分身だった。



 神堂。俺は納屋でお前と組むことにした時、何があってもお前だけは信じると決めたんだ。

 正直この世界で、お前以上の術士を知らないし、お前以外に背中を預けたいとも思わない。俺はお前と肩を並べて戦えることを、誇りに思っている。

 だから――神堂の銃口から逃れることもせず、背後すら振り返らずに、俺はただただスモーキー・ゴッドへの狙いに集中した。

「ナメるなァァァァァァッッッ!!!!!」

 神堂が絶叫と共に狙いを変えて、アガルタに狙いを定めた。

「東昇西沈吾座不転!」

「雷迅律果!」

 俺たちの呪詛が、夜の世界を支配した。

 二発の銃声が夜の静寂を破る。放たれた銃弾には呪詛がのり、俺の弾丸はドリル型の魔法陣を構築し、神堂の弾丸はネット型の魔法陣を展開した。


 俺の封神弾がスモーキー・ゴッドに着弾し、弾体から呪布が放出される。呪符はスモーキー・ゴッドにまとわりつくと、弾丸の回転力を以ってその全身を縛り上げていった。

 スモーキー・ゴッドを拘束する鎖から、浮上する力が抜けていくのを感じる。これなら鎖の力だけでも、影の中に引き込めそうだ。

 古の神よ……このまま幽世へとお帰り頂きます。すかさず第七沈鎮丸を構えて、必死で祝詞を上げた。

「東昇西沈吾座不転。東昇西沈吾座不転。日影より出でて月光へと沈むべし」


 神堂の封神弾もアガルタに命中し、彼女は光のネットで身動きを封じられた。アガルタの幻術結界が解かれ、周囲を支配していた緊張が抜けていく。同時にアガルタが魔法陣に注いでいた妖力が途切れて、スモーキー・ゴッドの抵抗が一層弱まった。ここまでくると、封神を阻むものは何もない。スモーキー・ゴッドは呪布に全身を包まれて、巨大な岩の御神体へと姿を変えた。

「東昇西沈吾座不転。東昇西沈吾座不転」

 ひたすら祝詞を重ねつつ、魔法陣を俺の影で覆い尽くす。ここで焦ってミスをしたら、元の木阿弥だ。ゆっくりと鎖を手繰り寄せ、丁寧に影へ御神体を沈めていく。

「東昇西沈吾座不転。東昇西沈吾座不転」

 御神体の半分が埋まり、その上半身を飲み込んでいく。スモーキー・ゴッドが生み出した世界が夢幻と消えていき、元ある物理世界が息を吹き返し始めた。歪な熱帯植物がしおれていき、歪曲した地面が平面に戻っていく。芝生に充満する霧が薄れていき、見慣れた風景が安堵をもたらした。


「東昇西沈吾座不転。日影より出でて月光へ沈むべし!」

 呪詛を唱え切ると、鎖がスモーキー・ゴッドを引く力が強まった。

「鎮めぇぇぇぇぇぇッッッ!!!!!」

 アガルタの魔法陣が光を失い、杏樹の出血がピタリと収まった。

 ずるりと、御神体が大きく沈み、影に飲まれていく。俺と神堂が固唾をのんで見守る中、スモーキー・ゴッドが幽世へと帰っていく。

 神祖召喚の儀が……終わる……。

「まってよ……いかないで……私を置いていかないで……」

 アガルタが封神されたまま地面をのたうち、幽世へと還るスモーキー・ゴッドに歩近寄っていく。

 お前何してるんだ!? そのままだと俺の影に落ちてしまうぞ!? スモーキー・ゴッドはまだ沈み切っていないから、影の力を解くわけにはいかない。しかし人間が幽世に落ちたら物質の身体を失い、精神も融解して間違いなく死ぬ。これだけのことをして、勝手に死ぬのは許されんぞ!?


「アガルタッ! よせっ!」

 俺の必死の呼びかけも虚しく――アガルタは御神体と共に影に堕ちていく。やがて。御神体が完全に沈み切り、影の表面が軽く波打ったかと思うと、辺りは静けさが支配した。

 終わった。

 なんつーか……すっきりしない幕引きだ。アガルタだって……救えたかもしれないのに。己の無力を痛感し、声にならない言葉が肩を震わせる。

 慰めるように、杏樹の震える手が俺の背中をさすった。

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