第六章 降臨 その6

「杏樹!?」

 杏樹に引き留められる形で、攻撃の機会を失してしまう。胸元に視線を落とすと、彼女は目を見開いて俺を見上げていた。驚いているというよりは……何かに気づいた感じだった。

「幽世のマヨヒガは……御館様より一時期お預かりしていた物。元来御館様が……人柱となるべきなのです。第七沈鎮丸は……現世と幽世をつなぐ呪物。そしてわたくしは……万能生贄の贄姫……ああ……そういうことだったのですね……」

「杏樹……」

 胸を寂しさが貫く。朦朧とした意識でも、考えることは衛境衆の使命のことなのか。お前には……もっと他の生き方を、生きる喜びを知って欲しかった。それが叶わなかったならせめて――せめて命がけでお前を守ろうとした、人間がいたことを知って欲しい。親父とおふくろが、俺にしてくれたように。

 杏樹を強く抱きしめる。


「斉射用意!」

 エクソシストの怒号が鼓膜を貫く。もう間に合わない。エクソシスト、アガルタ、そしてスモーキー・ゴッドを一度に相手にする術がない。

 せめて少しでも長く杏樹を守ろう。スモーキー・ゴッドの拘束を続けて、杏樹の盾となって襲い来るであろう銃弾の嵐に備えた。

「わたくしは愚か者です……何故命を授かったか、それを以ってどのように生きるのか……やっと理解したのですから……」

「もういい……もういいんだ……お前は役目を果たした」

 虚しさが声をかすれさせる。

 だが――杏樹は俺の顔を両手で包み込むと、血の気の失せた顔を希望できらめかせた。

「いいもなにも……これからにございます。影を拝借……」

 杏樹は首から垂れた血を指ですくうと、俺の影の上に垂らした。

「東昇西沈吾座不転……日影より出でて月光へと沈むべし」

 杏樹の消え入りそうな呪詛が、夜の冷たさに吸い込まれていく。

「撃てェ!」

 エクソシストの号令。静寂を破る銃声。アガルタの高笑いが響き渡る。


 その中で。

 俺と銃弾を隔てるように、影からずるりと灰色の壁が浮上した。

「えっ? あっ? ぬりかべ……?」

 教科書でしか拝んだことのない姿に、思わず言葉を失ってしまう。根絶は江戸後期。時の天御門が抹殺した、この世に存在しないはずの妖魔。

 ぬりかべは襲い来る銃弾を、灰色の身体で受ける。泥に銃弾が沈む鈍い音が幾重と奏でられるも、一発も貫通しなかった。やがてマイクロガンが弾を撃ち尽くしたのか、銃身が空転するかん高い金属音だけが残った。

 エクソシストから驚愕の悲鳴が上がる。

「防がれたぞ!?」「何だ……? 別の神格を召喚したのか……?」「装填作業急げ! ただでさえ神格が出かかっているんだ! これ以上増やさせてはならん!」

 マイクロガンの回転音が止み、装填を急ぐ金属音がする。作業が終わる前にとっとと突っ込んで無力化すべきだが……いや……このぬりかべ様が気になって動けねぇ。

 君さ……俺の影から出てきたよね? それって俺がマヨヒガの人柱になったことと、多分関係しているよね? 俺の影を出入り口にして、杏樹の血で召喚されたってことでいいのかな? ちょっと……勘弁してほしいんですけど……話についていけそうにない。


「肉王様……」

 杏樹が嬉しそうにつぶやく。ぬりかべは俺と杏樹を一瞥すると、軽く前に傾いた。どうやら……お辞儀をしたらしい。そして影の中に戻っていき、入れ替わりに別の人影が這い上がった。

 おかっぱ頭をした、空色の着物の少女だ。座敷童に似ているが、体躯は高校生に近しい。座敷童が霊的に成長した、座敷童女で違いない。座敷童自体は現代でもたまに見かけるが、成長した存在は極めて珍しい。だって……その調子で成長したら、危険な妖魔に進化する恐れがあるからね……その前に対処しちゃうから珍しいわけだよ……。

 座敷童女は居住まいを正すと、杏樹に深々と頭を下げた。

「杏樹様。お久しゅうございます。帝都の学び舎で別れて以来にございますね」

「座敷童……っ」

「はい。今では静音の名を頂き、マヨヒガの奥にて妖魔様たちのお世話をしております。全ては新たな御館様を、お迎えするこの時を待ってのこと……なのですが」

 座敷童女が、俺に視線を移す。なんか物凄く不満そうな顔をしているけど、俺が天御門だからか? それとも頼りなさそうだからか? あ……露骨にため息をつきやがって。これは多分、その両方の理由で落胆しているなぁ……。


「まぁ良いでしょう。居澱御前。御館様の危機である。参れ」

 座敷童女——静音は踵で俺の影を二度叩くと、影へと帰っていく。そして三体の妖魔が新たに浮上した。

 先陣を切るのは、熊手を構えた小さな子供。その背後に大鎌を担いだ少女が控え、最後尾には着物を纏った大柄な女性が、大きな壺を抱えている。見て察するに、熊手で相手を転ばせ、鎌で切りつけた後、壺でどうにかするらしい。このスタイルに該当する妖怪は、世界広しと言えども一つしかいない。

 鎌鼬だ。イタチは日本に太古から存在する妖獣だが、狐と狸の勢力争いに敗れて衰退したはずだ。確か鎌倉後期には姿を消したはずなんですけど……ていうかこいつら人の形をしているぞ!? 化ける能力を持ったイタチ――貂だ! 一匹でも専用の社で祀られるべき超常存在が、三匹集まって鎌鼬になってやがる! どんだけ贅沢な話だ!?


 子供は表出するなり、熊手を構えてエクソシストの陣地へと突っ込んでいく。駆けながら自らの影に、熊手を差し入れて思いっきり引く。するとエクソシストの影から熊手の先端が飛び出し、全員の足を引っかけて転倒させた。

「お姉ちゃん! 後はお願い!」

 子供が自らの影に沈んで消えると、大鎌の少女が走り出す。大鎌を頭上で回転させて勢いをつけると、這いつくばるエクソシストめがけて大きく振るった。一陣の風が巻き起こり、それは斬撃の嵐に成長してエクソシストたちを飲み込んでいった。哀れエクソシストは衝撃波に打たれながら、台風にあおられたように空高く舞い上がった。

 おお。すげぇ。今の風で、アガルタの蜃気楼も吹き飛ばせた。浮上するスモーキー・ゴッドの前で、仁王立ちになるその姿が露になった。

「姉上! 後を頼み申す!」

 大鎌の少女が影に消えると、のそりと大女が動いた。壺から軟膏を掌にすくうと、アガルタと宙を舞うエクソシストたちに投げつけた。飛び散る粘液がつぶてとなり、標的めがけて飛んでいく。

 アガルタは身を翻して躱したが、舞いあげられたエクソシストに避ける術はない。軟膏で身体をからめとられて、その粘り気で身動きが取れなくなった。

 後に残るのは、アガルタのみ。


 鎌鼬たちが影に帰っていき、またもや別の妖魔が影から現われる。隻眼、片足の、燃えるような赤い髪をした女性だ。左腕で松葉杖をつき、右腕には銃を握りしめている。

「イッポンダタラ……」

 山に住まう妖魔だが、発生時期によって形態が異なる。毛むくじゃらの動物の個体もいれば、鍛冶師の姿をしている個体もいる。そして中世に姿を消したため、その詳細はよくわかっていない。

「赤城様……」

 杏樹が呟くと、イッポンダタラの赤城は、その頬を優しく撫でた。

「すまんな杏樹。苦労を掛けた。さて、お主が後継ぎか。憎き天御門が、よもや衛境を継ぐとはなぁ……」

 赤城は複雑そうに、唇を歪める。だがそれは一瞬のことで、手にした拳銃に素早く弾丸を込めていった。

 その拳銃。八発装填可能な回転弾倉と、散弾実包を発射可能なアンダーバレルを有する稀代の珍銃——ルマット・リボルバー。しかし俺が今まで使っていた前装式の旧式ではなく、九ミリ実包が使用可能な後期生産型だった。

「本来なら、井上慎之介様のために拵えた銃である……が、このままでは杏樹の命が危うい。これ以上衛境衆を召喚しては、杏樹の命が尽きるであろう。受け取れ」

 赤城はそう呟くと、リボルバーを俺に投げて影に消えた。


「助かったぜぇ……」

 ここまでお膳立てしてくれたんだ。御館様としてしっかりと締めなければなるまい!

 正面のアガルタ、その背後にそびえるスモーキー・ゴッドと相対する。

 アガルタは分身を生み出そうとしているようだが、俺に認識改変は効かない。そして開けた場所で蜃気楼を生み出すには、時間が足りないようだ。憎らし気に俺を睨んで、スチェッキンを構えることしかできない様子だ。

 スモーキー・ゴッドは影の鎖で縛っているものの、三分の二が現世に姿を現している。拘束を解いたら、数秒を待たず顕現するだろう。

 ならまずは、スモーキー・ゴッドの封神が先だ。


 銃口をスモーキー・ゴッドに向け、狙いを定める。

 その時ふと、アガルタの顔が視界に入った。

 笑っていやがる。不敵に、いやらしく、裏寒いものを湛えながら。俺とアガルタの視線は重なることなく、どうやら俺の背後を見ているようだ。

 まさか。

 背中で何者かが立ち上がる気配がする。肩越しに振り返ると、神堂が太刀を支えに身を起こすところだった。

 意識を取り戻したのか。

「クソ……が……舐め腐り……やがって……ボケナス……」

 神堂は震える指で、タウラス・ジャッジに封神弾を込め始めた。一発、二発、三発目は込め損ねて地面に落し、その際四発目が指の隙間からこぼれた。そして五発。合計三発。神堂はシリンダーを銃身に戻し、撃鉄を押し上げた。

 俺の脳内を、高速で情報が駆け巡っていく。

 アガルタは結界を張っている。神堂とは影でつながっていない。つまり。

「ナメるなァァァァァァッッッ!!!!!」

 神堂は俺に向かって、タウラス・ジャッジを構えた。

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