朱へ

増田朋美

朱へ

今日も秋が深まって、道路に枯れ葉が落ちるのが気になる季節になった。そうなると、みんな学問しようとか、スポーツしようとか、そういう事を平気で言うのだが、でもそれが、当てにならないというか、多分きっと、当てはまらない人もいるのだろうなと思われるのが、最近の傾向でもある。

その日、浜島咲は、ジャックさんに武史くんの面倒を見てくれと頼まれて、ジャックさんの家に訪問に行った。家と言っても、本当に小さなアパートだけど、ジャックさんと武史くんはそこで静かに暮らしている。

「武史くん、咲おばさんよ。」

咲は、武史くんたちが住んでいる部屋のドアをノックした。すると、すぐに反応があって、どかどかと音がしたと思ったら、武史くんが咲の方へ走ってきた。

「咲おばさんこんにちは。」

しっかり挨拶もできるのは、小学校1年生には、ちょっとありえない話でもあった。

「こんにちは。武史くん、おばさんケーキ買ってきたの。一緒に食べよう。」

咲はケーキの箱を武史くんに見せた。

「どうもありがとう!」

にこやかに笑って、嬉しそうな顔をする武史くんに、武史くん、パパは?と咲は聞いた。

「うん。なんか部屋でボーッとしてる。」

武史くんの言うことは間違いではなかった。まもなく、ジャックさんが出てきてくれたけど、たしかに何をしたらいいのかわからないという顔でぼんやりとしていた。

「どうしたの?なにか浮かない顔をしてるけど?」

咲は、ジャックさんに言った。

「ええ、先程学校から呼び出されましてね。なんでも、同級生のミヨちゃんという女子生徒さんに、武史がカンニングを促したというのです。しかし、武史は、ただ、ミヨちゃんが、学校を休んでばかり居るから、試験の範囲を教えてやったと言っています。どういうことなのか、本人に聞いてもわからないので、今からそのミヨちゃんという女子生徒さんのお宅へ行ってきます。」

ジャックさんは、困った顔で言った。本当に困っている顔だと言うことが、咲にもわかった。

「そうですか。まあ、子供さんの事情は大変ですよね。小学校1年生なのに、色々トラブルがあって大変ですね。武史くんは、あたしが見ますから、ちゃんと、言ってきてください。」

咲は、ジャックさんを励ますように言った。

「そうですね。まだ、女子生徒さんの本名もちゃんと覚えていないようなのに、なんでわざわざ学校から呼び出されなければならないのか。日本の教育機関は、よくわからない事だらけですよ。じゃあ、行ってきますから、咲さん悪いですが、武史のことをよろしくおねがいします。」

「はい、わかりました。私にお任せください。」

ジャックさんの背中を押すように咲は言った。ジャックさんは、あーあ、どうしたらいいんだろうという顔をして、でかけていった。富士市だと車が必需品でもあるが、そこは外国人らしく、ジャックさんは車を使わないのだった。バス停まで歩いていくのが、恒例になっている。日本人であれば、車を買うか、レンタルするなりすると思うが、自分が損をすることが無い限り、車を使わないのがジャックさんのやり方だった。咲は、そこのあたりも、もう少し考慮すれば、学校から呼び出される回数も減るのではないかと思うのだが、自分の意思を曲げないのは、やっぱり外国人だった。

「武史くん、宿題は終わった?終わったら、一緒にケーキ食べようか。」

咲は武史くんにいうと、

「うん、今日の宿題は終わったよ。」

そう言って武史くんは、学習ノートを咲に見せた。確かに勉強熱心で、一生懸命授業についていこうとしているのだろうか、細かいところまでノートに書いているが、その字はまるで下手で、きれいにまとまっているノートとは言えなかった。それでも勉強熱心にやっているのはわかるけれど。

「そうなんだね。武史くん、細かいことまで書いていて偉いわねえ。勉強、楽しい?」

と、咲は、武史くんに聞いた。

「うん。いろんな意見を出したり、時には間違った答えも言うけど、でも先生が訂正してくれたり、みんなでこうじゃないああじゃないって話し合ったりしてとても楽しい。でも、試験は嫌い。」

武史くんは、子供らしくにこやかに言った。これから学年が進むに連れて、試験の点数ばかりが重要視されるようになると、武史くんは学校にいけなくなってしまうのではないかと咲は思った。そういうふうになったら、多分学校はつまらないところになるだろう。

「だってみんな同じ答えを出さなくちゃいけないなんて、ありえない話だもん。」

「そうか、みんなも、そう思っているといいわね。いずれは試験の点数がものをいう学年になるのよ。それを、どうやって切り替えさせてくれるかは、先生の腕にかかってるかな?」

咲は、とりあえず武史くんの話に合わせた。部屋の中には、父親のジャックさんが描いたと思われる水彩画が飾ってあった。風景を描いたり、女性を描いたりしている。それはごく一般的な画家の描いた絵で、ルノアールのようなところもあるきれいな絵である。でもその中に、明日の神話のような気持ち悪い絵が置いてある。それは息子の武史くんの描いた絵だ。なんで、お父さんのジャックさんが、こんなにきれいな絵を描くのに、武史くんは明日の神話のような絵を描くのかな、と咲は思った。

「じゃあ、宿題終わったみたいだから、ケーキ食べようか。」

咲は、武史くんをテーブルに座らせて、ケーキの箱の蓋を開けた。子供だから、いちごショートを食べるかなと思ったら、意外にも武史くんは、ガトーショコラを取った。

「僕、甘すぎるのはあまり好きじゃないんだ。だからこういうのがいい。」

子供らしく、ベラリベラリとケーキを食べるけど、食べているのはガトーショコラである。なんだかその子供らしくない武史くんを、咲はちょっと将来が心配になる気がしてしまうのだった。

「美味しかった。咲おばさんありがとう。」

武史はケーキを食べ終わって、咲に言った。咲は、ジャックさんに頼まれた事をちゃんとやらなくちゃいけないと思って、武史くんにできるだけ気軽な気持ちで、こう尋ねた。

「ねえ武史くん。お友達に、試験の答えを教えたんだってね?」

武史くんはやっぱりそれかという顔をした。

「教えたわけじゃないよ。ただ、ミヨちゃん、試験の範囲がどこからどこまでなのかわかってないみたいだったから、ここからここまでって言ってあげたの。」

「ミヨちゃんという生徒さんは、なんていう名前なの?」

咲は武史くんに聞くと、

「えーと、えーとねえ。なんとか美代子。」

正確には覚えていないらしい。

「そうなんだ。じゃあなんで、ミヨちゃんという生徒さんが、試験の範囲がわからないで困ってたの?」

咲が聞くと、

「だって、試験前の二週間前からずっと学校に来てなくて、プリントなんかは机に入れて置いてと先生は言うけど、それも入らなくなっちゃったんだよ。でも試験の日に学校に来たんだよ。久しぶりに学校に来たのに、試験なんて、びっくりするでしょう?だから教えて上げたの。」

と、武史くんは子供らしく答えた。

「そうなんだ。どうしてミヨちゃんは学校に来られなかったのかな?」

咲はそうきいた。武史くんはちょっと小さな声で、

「わかんない。」

と言った。

「先生は熱が出て休んでいると言ってたけど。」

確かに、風邪を弾いて熱が出ただけで、二週間も学校を休むとは、ちょっと考えがたい。ましてや今はインフルエンザが流行している季節でも無いので、何週間も休んでしまうのは、おかしな話である。

「きっと、熱が出て休んでいるわけじゃないよ。ミヨちゃん、友達がいないから、きっと学校にき辛くなったんじゃないのかな。」

武史くんの言う通りかもしれなかった。今の時代、不登校の生徒さんが、クラスに一人か二人は居るという時代であるから。

「そうなんだ。それで試験の日に久しぶりに学校に来たのね。」

「そうだよ。それじゃ困るでしょ。試験範囲だって、何も伝えられてないんだよ。それなのにいきなり試験を受けても、何もわからないのは当たり前でしょ。だから、試験範囲を教えたんだ。それだけの話しだよ。」

「なるほど。」

咲は、武史くんの理屈は間違ってないなと思った。それで試験範囲をミヨちゃんという生徒さんに教えてしまったのだろう。確かに、ミヨちゃんが、試験範囲を知らないというのは、可哀想な話でもある。しかし、それを頭ごなしにカンニングという教師も、困ったものだなと咲は思った。

「それなのに、担任の先生は、ミヨちゃんにカンニングさせたから悪いんだっていうんだよ。なんか変だよね。」

と、武史くんは話を続けた。

「この間ね。読み聞かせのおばちゃんが来てね、本を読んでくれたんだよ。タイトルは忘れちゃったけど、誰かを好きになって、その人に親切にすることを愛って言うんだって、教えてくれたんだ。だから、そのとおりにしただけなのにさ。担任の先生は不正行為をさせたなんて怒るんだ。」

確かに学校に絵本の読み聞かせをしてくれる人が、来てくれることがある。多分その本はとても大人っぽい内容の本だ。もしかしたら、外国人が子供向けに描いた本かもしれない。そういう本には学校の授業以上に素晴らしいものを描いてくれるときがある。だけど、学校の先生が、その本と、真っ向から対立することもある。

「そうなんだ。武史くんはすごいものを学んだのね。それは、ちゃんと自分に自信を持っていいわよ。でも、その事を実践するのは遠い将来かな。まだ、一年生なんだし、そういうことよりも、学校の勉強のほうが、優先になっちゃうな。」

咲はとりあえず、現実を言った。

「それより僕は、ミヨちゃんが学校に来られないのが気になる。」

武史くんは他人のことで悩んでいるのは、とても素晴らしいことである。本当に試験の点数ばかりが優先される学校ではなくて、こういう事をもっと評価してあげてもいいのに、と咲は思った。

「ねえ咲おばさん。僕、どうしても聞きたいんだけどさ。ミヨちゃんに、好きだから学校に来てほしいと伝えたいんだ。だから、」

武史くんが聞いた。

「愛の色を教えて?」

子供ならではであるけれど、答えるのが難しい質問だった。まあ、武史くんという小学校1年生の男の子が愛という言葉を使うのはまず、ありえないことであるので、多分本で覚えた事を軽く言っているんだろうと思った咲は、そうねと言って、

「忠実な愛の色と言ったら、朱色ね。昔話にもそう描いてあるわ。」

と答えた。

「そうなんだ。ありがとう。じゃあお花屋さん行ってきてもいい?」

いきなりそういう武史くんに、咲は、また驚いてしまった。

「お花屋さんって、誰に花をあげるのよ。」

「ミヨちゃんに決まっているでしょう。学校に来てって、お花を贈るんだよ。」

どうやら本気らしいので咲は困ってしまう。

「何のお花をあげるの?」

思わず咲が言うと、

「わかんない。お花屋さんに聞けばわかるかな?」

と、武史くんは言った。

「すぐに買いに行きたいから、お花屋さんに行こう。」

そういう武史くんに咲はどうしたらいいのかわからなくなった。武史くんはもう出かける支度を始めている。咲は、なんでこうなってしまうんだと思いながら、武史くんに着いていくことにした。幸い花屋さんは、ばら公園近くにあった。歩いていける距離だから、すぐに帰ってこれると思った。咲は武史くんと一緒に、おててつないで、野道をゆけば、なんてでかい声で歌いながら、お花屋さんに向かった。

お花屋さんに行くと、お花屋さんには先客がいた。何故か、今西由紀子が花を選んでいたのである。

「こんにちは。」

咲は別に由紀子に敵意を示しているつもりはなかったが、由紀子はちょっと変な目つきをした。

「あら、浜島さん。」

由紀子は、咲に言った。

「どうしたの、誰かに花でも贈ろうと思ったの?」

咲が、好奇心でそうきくと、

「ええ、ちょっと、切り花でも置いてあげようかなって。」

と由紀子は答えた。

「切り花?誰かに置いてあげる?」

咲が聞き返すと、

「部屋があまりにも殺風景だから、そこに花を置けば明るくなるんじゃないかと思ったのよ。」

由紀子は答えた。

「お客さん何の花にしましょうかね?こちらで任せっきりというわけには行きませんよ。どのはながいいかは、お客さんに決めてもらわないと。誰にお花を贈るつもりなんですか?」

花屋の店主が、由紀子に聞いた。

「はい。私が、一番好きだと思っている人に、できれば、希望が湧いてくるような花を置いてあげたいです。」

そういう由紀子に、咲は、水穂さんにあげたいんだなと、すぐに感づいた。

「はあ、つまり由紀子さんがあげたいという人は、右城くん?」

咲がそうきくと、由紀子は、小さな声でええと答えた。

「希望が湧いてくるってことは、右城くんなにか絶望的なの?」

咲がそう言うと、由紀子は口をつぐんだ。彼女の表情から咲は思わず、

「そんなに悪いの?」

と由紀子に聞いてみる。由紀子は小さく頷いた。

「昨日、倒れちゃったんです。もう私も、どうしたら、いいのかわからなくて。私が居るんだって気持ち伝えたいけど、口ではどうしても言えなくて、それで花をおいてあげようって思ったんですよ。」

全く、右城くんも鈍いなあと咲は思った。由紀子さんがこんなに思ってくれているのに、なんでそれにも気が付かないのか。これでは由紀子さんが可哀想である。

「由紀子おばさん、お花をあげるなら、朱色がいいよ。だって咲おばさんが、愛の色っていうのは朱色だって教えてくれたんだ。由紀子おばさんが、言う言葉は愛の言葉ってことでしょ?それなら、僕と同じ。朱色がいい。だって僕もミヨちゃんが好きだし、ミヨちゃんに学校に来てほしいって思うから、朱色の花をあげるの。だから由紀子おばさんもそうして。」

不意に武史くんがそう言うので、はあ?と思わず咲は思った。なんでそんな事言うんだろうと思ったが、武史くんの表情から、何も悪気はなく、真面目に答えを考えているということがわかった。武史くんは、子供ならではでも、ちゃんと他人のことを考えているのだろう。

「武史くん、ありがとう。じゃあ、あたしもそうしようかな。確かガーベラの花言葉は希望だった。だから、ガーベラの花束を作ってください。」

由紀子は、武史くんに励まされて、そういった。花屋の店長さんは、はいわかりましたと言って、

「お色はどうしますか?」

と由紀子に聞いた。由紀子は、武史くんに言われたとおり、

「はい、赤い色にしてください。」

と答えた。花屋の店長さんは、そのとおり、赤いガーベラの花束を作ってくれて、由紀子に渡した。由紀子は、ありがとうございますと言って、それを受け取って、その代金である3000円を支払った。そして、

「ありがとうございました。」

と言って、花屋さんを出ていった。

「そうかあ。花も頼りにしなければ行けないほど、右城くんも良くないか。あの人も、罪な人よね。由紀子さんがあれだけ思ってくれているのに、気が付かないんだから、全く。」

咲が思わずつぶやくと、

「お花屋さん、僕にも花束を作ってください。僕もクラスメイトのミヨちゃんに学校に来てくれと花をおくりたいです。同じ様に赤いガーベラの花で作ってください。」

と、武史くんが急いで言った。花屋さんは、わかりましたと言って、同じくガーベラの花束を作ってくれた。

「ミヨちゃんが早く学校に戻ってきてくれるといいね。」

花束を受け取った武史くんに、花屋さんは優しく言った。

「1000円で結構ですよ。」

そう言われたので武史くんは、1000円を支払った。花屋さんは領収書を書いて咲に渡した。武史くんはとてもうれしそうに

「お花屋さんありがとうございました。とても嬉しいです。」

と頭を下げて、花屋さんを出ていった。武史くんが、スキップしながら帰るのを眺めながら、咲は、大人の感情は伝えないほうがいいのではないかと思った。いずれにしても武史くんは、ミヨちゃんという女子生徒さんに、花を渡して、励ましてあげることができるだろう。

一方、ジャックさんは、学校からかなり遠く離れたところにある、桑平という屋敷にいた。確かに一般的なサラリーマン家庭とはちょっと違う、大きな屋敷だった。応答したのも、女中さんがするほどだから、かなり裕福な家だろうと思う。ジャックさんは、とりあえず、女中さんに案内されて、桑平家の今へ通された。恰幅のいい、ミヨちゃんこと桑平美代子さんのお父さんが、ジャックさんを迎えてくれた。

「本当にすみませんでした。うちの武史が、申し訳ないことをしました。」

とジャックさんはとりあえず謝罪をしたところ、桑平さんは、にこやかに笑った。

「いえ、形式上はそうなるのかもしれませんが、美代子はとても嬉しかったそうです。みんなが自分のことを、妬んだり、嫌な人だと言ってくるなかで、なかなか学校にいけなくなってしまっていましたが、武史くんが、親切にしてくれたそうで、とても喜んでいました。」

「そうなんですか?」

思わずジャックさんはそう言ってしまう。

「ええ。美代子は、保育園時代から、よく熱を出して、欠席が続いてしまう問題児でしてね。病院でも見てもらっているのですが、精神的な問題で、医学的には異常がないので、私達も困っていたんです。先生もこれ以上欠席が続いたら困ってしまうと言っていたので、武史くんがああしてくれて、美代子はとても嬉しかったそうですよ。学校の先生は、変なふうに取りますけどね。私達は、武史くんに感謝したいですよ。」

桑平さんはジャックさんに言った。

「そうですか、、、。」

ジャックさんは申し訳無さそうに言った。

「とりあえず、学校には謝りますが、でも、この話は、決して悪いことではありませんからね。気にしないで、これからも、学校を続けていってください。」

「ありがとうございます。」

ジャックさんは、日本の教育制度というものはよくわからないという顔で、桑平さんにそういった。なんでかわからないけど、日本というところは、何でも良いところを隠してしまうんだなということがわかった。




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