秋の風吹く夜の帳の中で

「ふぃー、ごぶれいさまー。 あれ、六花なにしてんの?」


 台所で明日に向けての作業中。

 濡れた髪をタオルで拭きながら、咲がわざわざ隣までやって来て尋ねてきた。

 わざとなのか胸元が開いており、慎ましやかな胸元がチラリ。

 心臓が一瞬跳ね上がる。


「あ、ああ……さっき隣の部屋で見つけた非常食とか飲み水をリュックに詰めてるんだよ。 明日バタバタしたくないからな」


 傍目から見たらポーカーフェイスに見えるだろうが、実は内心バクバクである。

 女の子の風呂上がりっていうのは、なんでこう魅力的で扇情的なのだろう。

 髪の水滴を拭う仕草、ほんのりと紅潮した肌、漂う甘い香り。

 見ているだけで心臓が高鳴ってしまう。

 この部屋の元住人が持っていた、もっさいスウェットに身を包んでいたとしても。


「ふーん、そっかぁ。 ……ん? なに六花、ジッと見つめて。 あっ、もしかしてわたしの胸見て欲情しちゃった? にひひ」


 どうせこいつは、俺がまた興味ない振りをして誤魔化すと思っているに違いない。

 その通りです。

 

「う……うるさいぞ。 もう寝る時間なんだからさっさと寝ろよな」


「はーい。 じゃあおやすみー。 ……六花は寝ないの?」


 咲は寝室の扉を開けながらベランダを一瞥。

 不安げな表情で尋ねてきた。

 俺はそんな彼女の不安を理解しながらも……。


「すまん、今は寄り添ってあげたい」


「ふんっ、あっそ! おやすみ!」


 ありゃあ相当怒ってるな。

 咲はムスッとすると、扉を思い切り閉めた。

 バンッと。

 俺はその音が耳に残るなか、二つのコップそれぞれに水を注ぎ、晩飯の残りであるサラダチキンと共にベランダへと向かう。


「…………」


 闇夜に煌めく星を眺めながら物思いに耽る春風さんは、来客に気付いてない。

 そこで俺は窓を、コンコンコン。


「やあ、そこの綺麗なお姉さん。 一杯お付き合いして貰えませんかね」


「あ、六花くん……」


 ようやくこちらに気付いた春風さんは、風に桃色の髪を揺らしながら儚げな微笑みを見せる。

 俺はそんな彼女の隣に寄り、手すりにもたれながら水を差し出した。


「……ありがと。 六花くんって未成年だよね。 お酒飲んで良いの?」


「残念、これはただの水だよ。 喉乾いてると思ってさ」


 そう告げると、春風さんは肩に頭を置いてくる。

 深夜に恋人が語らう時のように。

 彼女居た事無いから知らんが。


「そっか……優しいね君は、本当に」


「そうか? 別に普通だと思うけどな」


「優しいよ……胸が苦しくなるくらい、優しい……。 あんなに傷付いたのに、今度こそ本当に死んじゃうかもしれないのに、こんな私の為に来てくれた。 それがとっても嬉しかったんだ」


 深夜、そして星空の下という雰囲気にでも当てられたせいだろうか。

 春風さんが俺の手に自分の手を重ねてきた。

 指で手の甲をなぞりながら。

 なんかエロい。


「その……春風さんはもう他人じゃないからな。 あんな奴らの好きにはさせたくなかった。 それだけだよ」


「……そっか」


 なぞるどころか、指と指の隙間に自分の指を絡めてきたんだが。

 流石にこれはいかん。

 幾らなんでも意識してしまう。


「あー、えっと……春風さん。 悪いんだけど、俺は……」


 と、彼女から離れようとしたその時。

 春風さんは俺の手を取り恋人繋ぎにすると、瞳を潤わせて……。


「好き」


 人生で初めての告白をされた。


「え……」


 春風さんが俺を好いているのは彼女の言動から察してはいる。

 だがまさか色々あったとはいえ今日の今日に告白されるとは思わず、俺は面食らってしまった。

 その反応が彼女に我を取り戻させたのか。

 彼女は手をパッと離すと。


「……あっ、私……」


 きっと告白するつもりはなかったのだろう。

 春風さんの顔に、やらかしたという色が浮かんでいる。

 

「ご、ごめんなさい……! その……勢い余ってつい……! 六花くんは咲ちゃんが好きなのに、こんなの迷惑だよね……」


「……ごめん。 春風さんの気持ちは嬉しく思う。 でも俺は春風さんの知っている通り、咲が好きなんだ。 だから気持ちには応えられない。 本当にごめん……」


 彼女の淡い恋を終わらせる言葉に、春風さんは口を硬く結ぶ。

 そんな彼女に俺は何も言えず、ただただ時間だけが過ぎていく。

 彼女も同様にショックで沈黙を守り続けている。

 今まで感じた事のない気まずさに、俺も春風さんも、一言も言葉を交わさない。

 そこへ、彼女の心を代弁するかの如く、冷たい秋風が吹いた。

 とても冷たく、どこか悲しげな風が。


「春風さん、風邪引くから中に入ろうか」


 ようやく紡げたそれだけの言葉。

 気まずさから発したその言葉に、春風さんは頷きリビングに入る。

 そして、俺も続いて段差に足をかけようとした時だった。

 どうしてか、春風さんが部屋に入りきらず、段差に足を乗せたままこちらに振り向いたのである。

 

「春風さん、どうかした……」


 俺は不思議に思い、尋ねようとした。  

 だがそれ以上言葉を繋ぐ事は出来なかった。


「…………ん」


 何故なら春風さんが自分の唇で、俺の唇を塞いだからだ。

 そう……俺は今日、初めてキスをした。

 今日初めて出会った女性と、甘く蕩けるような大人のキスを。

 幼い頃から憧れていた咲ではなく、大人にも関わらず子供みたいに目が離せない春風さんと。 

 俺はキスをした。

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神獄戯曲ディバインズコード @belet

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