この世で最も嫌悪する存在 ──後半──
「ぎ……ぎゃあああ! 俺の……俺の腕がぁぁぁ!」
そう、今の音は男が腕を折られた音だ。
咲に折られた腕の。
「あのさ、わたしの身体は六花のもんなんだよね。 だからさぁ……気軽に触ってんじゃないのよ、この変態が!」
「……っ!」
もう我慢の限界だった咲は、もはや春風さんの事なんかどうでも良いかのように反撃。
男を壁まで殴り飛ばしてしまった。
まあその壁自体も、今の衝撃でお亡くなりになった訳だが。
「な、なんだあの女……。 化け物かよ……」
たった一撃。
女の細腕から放たれたパンチにより穿たれた穴に、リーダーの男は恐れ戦く。
俺はその隙を逃さず、
「そこだ!」
「────!」
春風さんを今こそ救いだそうと鉄パイプで男をなぐ…………
「なんだあれ……あの黒くてデカ…………嘘だろ?」
殴ろうとしたがやめ、ジリジリと後ろへ下がっていく。
「は、はは……。 お前バカじゃねえの!? 自分からチャンス無くしやがって! てことは、別にそこまでこの女が大事じゃないんじゃねえの!? だったらこれ以上邪魔すんな! その化け物女は要らねえから、とっととここから……」
なにやら喚いているが、俺も咲も春風さんも今それどころじゃない。
崩落した壁からヤバい奴がお目見えしているからだ。
「ひ……ひぃ!」
「ちょっとあれ冗談でしょ! 六花、あれはわたしも無理! ほんとに無理だから!」
「俺も無理だわ! お前以上に無理!」
「な、なんだてめえら……なにをそんなに…………!?」
俺達の様子のおかしさに男は視線の先を追う。
するとそれを見た瞬間。
「な、ななななんだあの化け物は! ひいいい!」
男はナイフも春風さんもかなぐり捨て、顔をひきつらせ後退る。
だがそれがよくなかった。
「や、やめろ! こっちくんな! ぎゃあああ!」
「うっ、マジかよ」
暗い場所で暮らす生き物は、視力による探査ではなく、振動や音、熱などで判断すると聞いた事がある。
だから大声を出した男に群がり、肉を貪りだしたとしても、なんらおかしな話ではない。
「お前ら、助けろ! いやだ! こんな奴に食われるなんて……こんな終わり方なんざ、いや……だ…………」
地球最古の生物にして、実は肉食かつ生存能力においては他に類を見ない醜悪なる生き物。
ゴキブリさんの変異種も。
「で、でか……。 一メートル越えてるんだけど、このゴキブリ……」
「あばばばばばば……」
残念ながらもう手遅れ。
一匹だった巨大ゴキブリは今や六匹。
そいつらは男の肉を食い散らかしており、もう助からないのはまず間違い。
というかこの短時間で残すはあとこちらに伸ばしていた腕のみとか、怖すぎる。
「……ん? いぃっ! 六花、やばい! 穴からまだ出てきてる!」
「ああくそ、マジかよ!」
穴を見ると続々と黒光りする奴らが登場。
俺はその史上類を見ない地獄絵巻な光景に顔をひきつらせながらも、春風さんに手を伸ばす。
「春風さん……蕾! 来い!」
「六花くん!」
掴んだ。
ようやく掴んだ、彼女の手を。
守りたかった春風さんの手を。
「よし! うおおお!」
俺はその手を思い切り引っ張り、抱き寄せる。
「はぁ……はぁ。 春風さん、無事か?」
「うぅ……。 うぅぅ~……うわぁぁん、六花くーん! 怖かったよぉぉ!」
ゴキブリに対してか、性被害に対してか。
春風さんは俺の胸の中で泣きじゃくる。
俺はそのまるで子供のような春風さんの頭を撫で、抱き締めた。
「もう大丈夫だ、春風さん。 あいつらは一人も残さず死んだ。 春風さんが被害に遭う事はもう無いから安心してくれ。 それでも安心出来ないなら今約束する。 二度と離れない、あんな奴らに春風さんを二度と奪わせないって約束する。 だからもう安心してくれ、春風さん」
「うん……! 私ももう離れない! 六花くんから離れないよ、一生!」
春風さんも俺の腰に腕を回し、抱き合う形になる。
ようやく取り戻せた現実に、ようやく安心する温もりを得られた現実に、俺達は力の限り抱き締め合う。
が、そこで咲が咳払い。
冷たい目でこちらを見下ろしている。
「こほん。 抱き合ってる事とか、わたしを忘れてラブロマンスしてるとことか色々言いたい事はあるけど……。 今は……! 逃げるのが! 最優先でしょうが!」
「「ごもっともで!」」
咲の言葉で落ち着きを取り戻し周りを見渡すと、黒一色になりつつあった。
このままでは俺達まで殺されてしまうので……。
「行くぞ、春風さん! 折角助けたんだ、絶対に生き延びるぞ!」
俺は春風さんの手を握り、引っ張り上げる。
「うん! 絶対に生き延びようね、私と六花くんで!」
「わたしをしれっと抜いてんじゃないわよ! ぶっ殺すわよ……って、きゃああああ! こっち来たぁぁぁっ!」
そこへ襲来する黒の一団。
「ぎゃあああ! キモいぃぃっ!」
阿鼻叫喚とカサカサ音の見事な不協和音。
ゴキブリの足音はかなりの音量だが、それ以上に俺達の声は大きく────
「「「いやあああああ!」」」
スーパーの事務所らしき部屋から売り場。
そこから更にレジまで行き、外へと出るまでその喚きは収まる事はなかったのだった。
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