最終話 二人で旅をしよう
大国や王国などの巨大国家のある中央大陸。海からの玄関口である港に一隻の船が到着した。蒸気による動力が徐々に普及しているものの、その船は昔馴染みの風に帆を受けて海を走らせる帆船だ。木造の船は非常に長く使用されていたのか、全体的にくすんだ色をしており海水の当たる船体には様々な付着物が見られる。
誰も迎えることのない港に到着した船からフェルディナンドは一番に飛び降りると、刺剣を構えつつ周囲を警戒する。ひと気のない港には何隻もの乗り手を失った船が波に揺られ、運ばれる機会を永遠に消失した積荷が無数に置かれている。
不気味な静けさだけを残す港、本来そこで働いていた人々の末路は呪い花の雨によって蔓人間と化したか、或いは死んだかのどちらかだ。積荷の影や海面には死後数日経った数名の彼らの死体を目にするが、蔓人間や異形の怪物は既に去ったようだ。
次いで帆船からプシュケルがふわりと港に足を着いた。彼女の顔はとても不愉快なもので、所々に咲いている呪い花を見ると――より青の双眸を幼い顔に似合わない程に鋭くさせた。
あの島での一件。呪いの雨を降らす元凶であった大樹を止めることができなかった彼ら。幸運にもプシュケルが大事に握っていたヘディナの宝石のお陰で、呪い花の蜜の波濤を浴びることは無かった。
やがて、空を覆う雨雲から降り出した呪い花の雨を体内に入れないよう、フェルディナンドたちは時間をかけて移動を開始した。作戦が失敗した以上、フェルディナンドやプシュケルはともかくとして、ヨドウ達大国の騎士や兵士は速やかに帰還せねばならない。
だが、大国から出発する際に使用した彼らの船は何百もの不運が重なったせいか、港から姿を消していた。他の船を使おうにもエリンキルの指示によって全ての船は沈めていた。
そこでフェルディナンドの記憶を頼りに隠し港へ向かい、そこでこの帆船を見つけられたのは不幸中の幸いだっただろう。
趣味で帆船の操作を学んでいるヨドウと、昔取った杵柄として操縦に長けているウンガの二人が中心になり降りしきる呪いの雨の中の長い航海となった。なお、フェルディナンドは数日間船内を漁り回り、弾切れの技巧銃の代替になる物を探したが見つかることは無かった。
道中目立った災難も無く、七日間かけて帆船が前方に中央大陸を見つけた時に雨は既に止んでいた。
敵の存在が無いことを確認するとフェルディナンドは煙草に火を点ける。傍ではプシュケルが生えている呪い花を片っ端から抜いては海に投げ入れている。
「静かだ……まるで世界が滅んだかのようだ」
船から降りたヨドウが周囲を見渡して呟く。諦観の言葉にも聞こえるが、彼の声色は決して悲観などしていない。それはヨドウの後から続々と港に降り立つ兵士や騎士達も同じ。
「……んで、フェルディナンド、本当にお前とはここでお別れなんだっけか?」
銃を肩に担ぎながら言うウンガにフェルディナンドは頷く。
それは航海の中で彼らと決めたことだ。速やかに大国へ戻る彼らは最初フェルディナンドも付いてくるよう提案してきたが、彼はそれを断った。
大国へ一時的にでも戻る理由はフェルディナンドに無く、そもそも集団行動を苦手として単独行動を好む彼にとって、ヨドウ達の歩調に合わせるのは億劫なのだ。
何より、プシュケルとの契約はまだ続いている。
呪い花の駆除。世界各地に呪い花が蔓延し、彼一人では駆除しきれない作業であっても宝石とプシュケルの為に彼は依頼の続行を心に決めていた。
「寂しい奴だな、せめてお嬢様と屋敷に戻るまでは同行すれば良いものを……」一人の騎士が不満気に言う。その手にはエリンキルが所持し、フェルディナンドに貸した――鍔と柄だけの剣が握られている。
「それはあんた等の仕事だからな……それと、これもついでに持っていくか?」
フェルディナンドはエリンキルの宝石を取り出した。彼女の命を吸い取った呪い花の宝石が空に昇る太陽の光を浴びて光り輝く。
「いや、それは貴殿が持っておけ」ヨドウが手で押し返した。
「良いのか?」
「お嬢様に世界を見せてやってくれよ」ウンガは言う。
この手の例え話を好まないフェルディナンドだが、いつもなら茶化して返す己の悪癖を抑えて彼は宝石をしまう。
すると、その動作を待ってからウンガが何かを投げた。素早く掴むと手に当たる小さな箱の感覚。フェルディナンドは手の中を見ると、そこには煙草の箱――中には数十本の煙草が入っている。
「では、しばしのお別れだフェルディナンド。何かあれば、何時でも大国のお嬢様の屋敷に戻って来い。私達はそこで必ず――待っている」
全員揃った敬礼をするとヨドウ達は足早に大国の方角へと向かった。
「……んで、どうすりゃいいんだ?」フェルディナンドは紫煙を吐く。
「同じだ、花を駆除する。だが、貴様と二人でこの汚らわしい花共を抜いて駆除するのは億劫だ。そこで、まずは呪い花の鉢となった人間や花の魔女どもを始末する」
プシュケルは近場に咲いていた呪い花を全て抜くと、フェルディナンドを見る。
「現世は今や常世となった……だが、それは決して最悪などではない。現世の空気が常世に近くなれば、常世に住まう私――常世虫も現世に来れるだろう」
「故に貴様は思うがままに武器を振り、魔女から宝石を得るが良い。そして、私のこともな」
妖しく笑うエリンキルはまるでこちらを揶揄うような表情を見せる。
彼女は覚えていたのだ、フェルディナンドがあの時思わず口走った言葉を。
気まずい気分に黙り込むフェルディナンドにプシュケルは嗜虐心をくすぐられたように、さながら獲物を弄ぶネコのような瞳と仕草で彼に詰め寄る。
「しかし、驚いたな。貴様が私をそのように見ていたことを……な? こんな小さく貧相な身体の何処を気に入ったのだ、ん?」
小首を傾げて悪戯に笑うプシュケル。
フェルディナンドはゆっくりと紫煙を吐いた後、己の欲望を口にする。
「お前を標本にしたい――俺はお前を見て、かつての感情を、小さい頃に蝶の蒐集をしていた時の高ぶりを思いだしたんだよ」
「ふむ、想定していた答えでは無かったが……構わんよ。この身は花の駆除が終われば役目は終わり、常世に戻ること出来ないこの身は朽ちるのみ。貴様の好きにするが良い」
プシュケルはあっさりとフェルディナンドの欲望を肯定した。彼の解答には僅かに不満を見せていたが、彼の欲望自体に嫌悪を抱いた様子はない。
「貴様には最後まで付き合ってもらうぞ? 逃げれるとは思うなよ――フェルディナンド?」
陽の光を浴びながらプシュケルは微笑む。妖艶を纏う嗜虐性と年相応の愛らしさ、それでいてこちらを真っ直ぐに見つめる青い双眸は獲物を逃さぬネコのようで、真に頼れる人を見る目でもあった。
様々な感情を内包して――笑う姿は複雑な輝きを放つ宝石のよう。太陽の光にとても映えている。
「わかってるって……さて、どっから行くか……」
紫煙が吐き出し、フェルディナンドは空を見上げる。横目で見るとプシュケルも空を仰いでいる。
太陽輝く青い空には、呪い花の残滓は無い。海のように広がる青の中に柔らかな白い綿雲が浮かぶ。
空には七色の橋がかけられている。雨の後に見える虹はとても美しいのだが――呪い花の花弁を彷彿とさせるだけに気分は曇り空。
せめて、これからの旅に少しでも幸があることを心に思いながら――フェルディナンドとプシュケルは静かに港を後にする。
旅は続くよ、どこまでも。
戦いは続く、その日まで。
茨の道程を進む二人に――
一握りの祝福の
呪い花と花喰蝶 金井花子 @yanagiba0731
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