第86話 征服・後編


 大国には隣接する幾つかの小国がある。元は大国を構成する都市だったが、数百年前に起きた反国運動により国として独立するに至った。

 しかし国家として独立はしているが、大国の支配の根は深く未だに大国の顔色を窺う政策をしているのも事実。その為、大国を嫌う人間からは傀儡国家と揶揄される程だ。

 近年は大国も間接的な支配を強めるために自国の息の掛かった役人を赴任させてもおり、小国内の活動家とその団体とは激しく衝突をしている。

 一時は一触即発の事態にもなった程だ。

 だが、それでも小国の役人たちは大国との関係を決して断とうとはしない。国土も狭く、国力も弱い弱小国にとって大国は大きな盾でもある。

 それに加えて大国からの援助も莫大なもの。経済においても軍事においてもだ。それを断つことは国を傾けることであり、より活動家たちを活発にしかねない。

 

 このままで良い。

 大国に依存していれば、何も問題は無い。

 だが、その幻想は砕かれた。

 突如世界に降った呪い花の雨。呪い花の蜜を含んだ、その雨は人々を異形へと変貌させる。現世に常世の光景を創り出した。

 小国たちも当然その被害を受けた。三日で国は壊滅状態の陥り、街は呪い花により支配された人間たちが闊歩する地獄絵図。

 援助を行う大国は自国の事で精一杯であり、小国たちに回す余力など無かったのだ。

 大国からの役人たちが早々に大国へ緊急避難と言う名目で逃げたことも、国内の混乱に拍車をかけた。元より金や権力にしか目のない連中、小国たちに忠義や奉仕の精神など端から持っていない。

 小国たちは事実上崩壊した。街には呪い花が咲き誇り、よりその支配の地を広めようとしていた。

 小国が呪い花によって占拠されたことが、世界の崩壊を招くなど、大国は知りもしなかっただろう。


 未だに降り続ける呪いの雨。灯りの消える街の至る所に呪い花が七色の花弁を輝かせて咲き、市民が往来する道には蔓人間と異形の怪物が闊歩する。

 生存者など居ないように思える、とある小国の都市。

 だが、その都市での政務を行う砦にはまだ灯りが残っている。

 灯りは炎。砦内の一室に炎が燃え盛る。既に天井にまで到達してはいるが、大きな室内を呑み込む程には巨大では無い。

 炎のすぐ傍には一人の男が居た。整えた茶色の髪は汗で崩れており、纏う背広は三日三晩駆け回ったせいで汗や泥で汚れている。

 男の年は二十代後半なのだが、日頃の激務や生来の悪人面で老けて見える。目の下には深い隈が出来ており、照りつける炎のせいで男の顔は政界の首魁のよう。

 いや、現に彼――この都市の責任者であるハルトマンは国内の政の裏で暗躍する人間の一人。

 大国で学んだ後に、彼は生まれ故郷の小国に赴任するや否や、悪しき方法を用いて傾いていたこの都市を立て直した。

 前任者の反大国政策を棄て、大国に密接し良くも悪くも世俗を優先したのだ。


『綺麗すぎる川に魚は住めない。それなりに汚いほうが心地良い』

 それを座右の銘にしたハルトマンは確かにこの都市を国内一の大都市にさせたが、大国のことをよく思わない活動家達とは激しく対立したのも事実。

 

 ハルトマンは燃え盛る炎の中へ次々と書類を投げ入れる。彼がこうして都市に残っているのは、自分や他の役人達による悪事の証拠隠滅の為だ。

 最後に紙の山を豪快に投げ入れると、ハルトマンは一仕事終えた面持ちで煙草を燻らす。目を瞑り、紫煙が身体中を巡る感覚を愉しむ。

 だが、最後の大仕事が残っている。

 自身の脱出だ。

 煙草を咥えたハルトマンは紙を焼き続ける炎を後にすると、砦内にある自分の執務室へ急ぐ。

 

「イガラ――チッ、どこをほっつき歩いんてんだよ」


 自分がこの国に赴任してから、用心棒の名目で大国から派遣された騎士の名を呼ぶ。

 静かな砦に彼の声が響くが、一向に返事がない。

 ハルトマンは舌打ちをすると、イガラとの合流よりも執務室に行くことを優先する。その内、ヒョコリと出てくるだろうと彼が思ったからだ。

 

 執務室へ戻ると、ハルトマンは愛用の鞄の中に必要なモノを詰め込んでいく。容量を超える収容に、鞄は風船の様に膨らんでいる。少しの衝撃で中身を撒き散らしそうだ。

 満足そうに微笑む彼は、そこで扉を叩く音を耳にする。イガラが来たと思った彼は入れと告げたが、次の瞬間扉から現れた女に驚き、咥えていた煙草を落とした。


「クロステンナ……」

「久し振りですね、ハルトマン」


 動きやすい服に身を包み、薄い桃色の髪を靡かせてクロステンナは瞳を鋭くさせてハルトマンを睨む。

 

「てっきり、外に居る連中のお仲間になったと思ったよ。ああ、お父さんは元気かな?」


 ハルトマンは不敵な笑みを浮かべつつ、机の引き出しから秘密裏に入手したやや小型の銃をそっと手に運ぶ。

 クロステンナもそうだが、彼女の後ろに控えている男達から感じる危険な気配をハルトマンの野生の勘が警鐘を鳴らし続けているのだ。


「一年前に亡くなったわ。貴方によって家族一同追放されてから、すぐにね」

「ああ、それは残念だな。しかし、私に知らせてくれても良かったのではないかな?」

「父を殺した貴方に知らせるワケガないでしょ」

 

 クロステンナの瞳がより強くハルトマンを睨んだ時だ。彼は手に持った銃を容赦なく彼女へ向ける。直接的には他人を殺したことの無いハルトマンだが、そうした躊躇いの無さは今までの経験により組み立てられている。

 危険な組織と関係を持つ以上、例え顔見知りの相手にも冷酷に死刑宣告を送る覚悟は出来ている。


 しかし、ハルトマンは予想だにしていなかっただろう。

 瞬間、素早く駆けたクロステンナは銃を掴むと針金曲げるようにグニャリと銃身を曲げたことを。

 唯一の抵抗手段を無くしたハルトマンは、クロステンナが率いていた男達に組み伏せられる。一人の男の腕が彼の頭を掴み、机へと押し当てる。

 その衝撃で鞄が落ち、中身を床にぶち撒けた。


「貴方の悪事もこれで終わり。人による支配も終わる、これからは私達の時代よ」

 クロステンナは胸元を開けさせた。

 控えめな膨らみの中央辺りに呪い花が七色に光り輝く。

「川の清濁はその源にあり。都市に悪が跋扈する要因を作った貴方には疾く消えてもらうわ」

「源――いやいや、所詮私は川の中流で禄を食む身さ。真の源流は大国だろうに」

「そうね、でもその大国も直に呪い花の雨で崩壊する。世界はより良いモノに開花する時なのよ」


 悦に入るクロステンナが扉の方を向いた。そこには全身に軽量の鎧を纏い、手には剣を持つ騎士――イガラが静かに立っている。


「ご苦労だったわね。貴方のお陰でこの男を容易に捕らえられたわ」

「ッ……テメェ、イガラッ! 裏切ったのかッ!」


 クロステンナの言動から全てを察したハルトマンは、怒気を露にして叫ぶ。

 だがイガラは何も答えない。黙ってハルトマンを見続けている。


「地下の牢屋に彼を連れていきなさい。雨が上がった後、この男には惨めな最期をくれてやるわ」


 己の死をはっきりと認識し、ハルトマンは激しく抵抗するが屈強な男達に拘束されたまま、部屋の外へ引きずられて行く。

 イガラはその光景を少し見ていたが、やがてクロステンナに一瞥することも無く、男達に連れ去られるハルトマンの後を黙ってついていく。


 父の仇であり、憎むべき人間の一人を引きずり落としたらことにクロステンナは感極まっていた。 

 しかし、その喜びも数秒に留めると彼女は次なる一手打つべく足早に部屋を後にする。

 誰も居なくなった執務室には、ハルトマンが鞄に詰めていた日用品だけが静かに転がっていた。



 かくして、世界に呪いの雨は七日間降り続いた。  

 呪い花は各地に咲き、蔓人間や異形の怪物が崩壊した都市や街を闊歩する。既に国というものは消失した。

 一方で呪い花と適合した花の魔女達の一部は独自に集団を形声していった。その中には雨を免れた人間もおり、花の魔女へ絶対の服従を誓う。

 他方、生き残り呪い花へ抵抗することを選んだ者達との永き戦乱の世が始まる。


 世界は新たなる一歩を踏み出した。

 新たなる世界の幕開けを――

 新世界の夜明けを――

 新秩序の開花を――

 呪い花は――現世に齎した。

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