第85話 征服 中編・後
呪いの雨が降り続いて、二日目。
大国近くの森の中。鬱蒼とした木々に深い茂みは古くから人を迷わせる場所として知られおり、今宵の日は空を覆う暗い雲と降りしきる呪い花の蜜を含んだ雨のせいで視界は最悪。
普通の雨ですら足を踏み入れないその森、しかも今降っている雨は呪いの雨。当然、呪い花の宿主となった蔓人間が闊歩しており、出歩くことは死を意味する。
その森の中を一人の若い兵士と少女が駆けている。手を引かれている少女の胸元には七色の花弁を持つ花――呪い花が咲いている。雨に濡れた少女の顔は不安気に、兵士を見つめている。
二人がどうして森に逃げ込んだのか、言うまでもないだろう。
若い男は大国の一般兵士、少女は病弱の母に代わって市場で働く身。二人の馴れ初めは市場であり、そこで少女を助けたことをきっかけに二人は仲良くなった。もっとも、兵士の男からすれば十代程度の彼女を恋愛対象として見ることは無く――言わば兄と妹のような関係に近い。
少女も男によく懐き、二人の仲の良さは市場の人々もよく知るものだった。少女が密かに男に恋をしていたのも――言わずもがな。
そんな時だ、世界に呪いの雨が降った。大国は特に被害が多く、二日目になった今でも混乱状態は続いている。兵士である男は当然、蔓人間や謎の怪物への対応を行う身の筈だが――少女を連れて森の中へと逃げていた。
理由は簡単だ、呪い花の宿主となり殺されそうになった少女を助けるためだ。呪い花を宿しながらも蔓人間とならない彼女だったが、それでも殺そうとする兵士たちの隙をついて男は助け出した。
そうして、大国から森の中へと逃げ込んだ訳だ。
「――ッ!」
雨音に紛れ、何か蔓を切るような音を耳にした男は少女を抱えると、素早く身体を投げ出す。
間もなく男の居た場所に人ひとりを簡単に潰してしまいそうな岩が落下した。
「ほう、避けるか」
何処からともなく低い男の声がした。次いで雨を斬り裂くように一本の矢が飛来する。
所持している銃を反射的に構えると――幸運にも矢は銃によって弾かれた。
この攻撃を男は森に逃げてから数時間後に受け続けていた。
一連の呪い花による世界同時攻撃に対し、兵力を補充すべく大国は国に属さない便利屋や殺し屋と言った裏家業の人間も動員して事態の収束を図ろうとしていた。
今、男と少女を襲撃しているのもそれに関連する人間だろう。奇襲を繰り返すのは彼らの常套手段だ。
「――埒が明かんなぁ、依頼も山ほどある以上、手早く済ますとするか」
その声と共に樹上から一人の男が飛び降りた。全身に黒い服装を纏っており、頭部には鍔の広い羽飾りの帽子を被っている。鼻から下を布で覆い隠している為に人相は分からず、人殺しに慣れた感情の無い双眸が二人を冷たく睨みつける。
兵士の男はそこで彼が持っている武器に気付く。
黒塗りの弓。
かつては武器として使われ、銃の登場と共に徐々に使用者は減っている。それでも未だに狩りの場や好事家や銃の配給が済んでいない国家では現役だが、大国やその近隣国家では珍しい武器である。
それだけに弓を武器に使う人間は知られていることが多い。
「マイルズ……」兵士の男は銃を構えながら、その名を呟く。
そして、躊躇なく撃った。マイルズから少女を守るために。
だが、マイルズは素早く身を翻して弾丸を回避すると、矢筒から抜いた矢を抜く。
「撃ったな? それが何を意味するか分かって撃ったなよな? 一度でも相手に敵意を放てば、二度とは戻れぬ殺しの道。命を奪うか、奪われるか――いや、大国の兵士には耳タコか」
マイルズは流れるような動作で矢を放ち――素早いステップで兵士の周囲を移動しながら、少女を執拗に狙う。兵士は少女を守りながらマイルズを狙うも、彼の動きを捉えるのが精一杯で放った弾丸は暗い森の中に消えていく。
「その花野郎を守りたいなら、必死にやれよ。守りたいんだろ、守るんだろ? やれよ、必死に守れよ――必死に守ってやれよッ!」
マイルズは怒気を上げた。憎悪を含むその声に、兵士は何処となく彼の後悔を感じた。
彼に何があったのか――それを知る暇は無かった。
素早く間を詰めたマイルズ。
マイルズは長い足で兵士の身体を蹴り飛ばしつつ、彼の身体に二本の矢を放った。右肩と左太腿に矢が突き刺さり、彼は呻きを上げた。
立ち上がろうにも、力が出ない。
その間にもマイルズは少女を地面に倒すと、両脚で少女の腕を拘束しつつ胸元に咲いている花に咲いている花を強く掴み引き千切ろうとする。
「やめろ――やめろッ!」必死に立ち上がろうとしながら、兵士は叫ぶ。
「ほら、守れよ。必死に立って死に物狂いで守れよ――死ぬぞ? こいつが死ぬぞ?」
兵士を待つようにマイルズは少女の花を掴んでいたが、彼が遂に立ち上がれないことを確認すると――躊躇なく花を引き千切った。
小さく少女は声を上げ――息絶えた。
その姿を見て満足そうに、だが次には激しい怒りを抑え込むかのようにマイルズは手にした花を地面に叩きつけて潰す。
「くそ……くそっ……穢れた花め、お前のせいで……お前のせいでッ!」
何かの仇を取るようにマイルズは憎しみを口にしながら、花を潰す。
彼は気付いていなかった。
背後で倒れていた兵士が起き上がったことを――
胡乱な目つきで全身に蔓を生やしていたことを――
既に彼は呪い花の宿主になっていたことを――
マイルズを襲うと飛び掛かろうとした兵士は、次の瞬間に背後から振り下ろされた鋼鉄製の鉄球――刺が無数についている――を先端に付けた棒で頭部を破壊された。
「ラグラス……」
兵士が倒れた音に気づき、振り返ったマイルズは棒を手にした女の名を口にした。
マイルズと似た服を纏うラグラス――彼女の白い頭髪の上にはウサギの耳が生えており、胸元には呪い花が咲いている。
「マイルズさん……」ラグラスは不安気に彼を見ている。
「助かった――いくぞ、このクソ花を残らず殲滅しなければならない」
マイルズはラグラスを一瞥すると、次の依頼を受けるべく大国へと向かう。冷たい態度だが、彼の眼は僅かに暖かみがあった。冷徹な仕事人の彼だが、かつての仲間たちからは非常に慕われていたリーダーであり、ラグラスも彼が本当は優しく笑顔の絶えない人間であることを知っている。
だからこそ、あの一件以降、笑顔の無くなったマイルズをラグラスは不安に思いつつも、彼の邪魔をすることは出来なかった。
振り続ける呪いの雨の中――マイルズとラグラスの姿は森の中へと消えた。
「……」
頬に当たる雨に少女は目を覚ます。
勢いよく上体を起こす――胸元には花が咲いていた。それに驚き少女はぬかるんだ地面を見る。そこには確かにマイルズが潰した呪い花があった。
自分の身に何かが起きたのか分からず、混乱する少女だったが――そこでやっと兵士の死体を発見した。覚束ない足取りで、泥や水を跳ね上げながら少女は駆ける。
頭部を破壊された兵士は既に死んでいる。揺すっても動かない彼の身体に、呪いの雨が降りしきる。
自分を守ってくれた彼。
雨に濡れた少女の頬を暖かい雫が落ちる。
彼の身体に触れていた少女は一冊の本に気付く。
それは大国の騎士としての在り方を示す本。大国の騎士のみならず、それに憧れる者たちは皆その本を肌身離さず持っていると言う。
男が騎士に憧れていたことは少女も知っていた。
その本を少女は取りす。兵士が何度も読んだのか、本は折り目がついており表紙には大国の騎士による署名がされている。
「忘れない……絶対に忘れない……」
少女――ベルギルスタはその本を強く抱きしめる。
彼が自分を守ったことを忘れないように。
ベルギルスタは彼の銃を手に取ると、そのまま森の中へと――マイルズたちが向かった場所とは反対の方へ、森の最奥に繋がる道へ歩き出した。
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