第84話 征服 中編・前
大国と隣接する国の一つに王国がある。古代から現代に至るまで、王室はその血を断絶させずに残っており、現国王は百二十代目に当たる。過去多くの戦争や飢饉、病の流行――それに伴う革命などが世界の各国で発生し、時には王族の追放などがあった。
当然王国でも、それらのことは発生したが――永く王国の全てを管理しているだけにあってか、政治・軍事に纏わる手腕は並外れたモノ。幾つか危ない橋を渡りはしたものの、今でも王国は国に王室を構える数少ない国の一つとして、大国と肩を並べ――蜜月の関係でもある。
そんな王国にも呪い花の雨は降った。
白い大理石の綺麗な街並みは絵画の様に美しく、多くの画家にも愛された街。
それは今や、呪いの雨と血で濡れた。
王城のある街では騒々しい警報が雨音に紛れて鳴り続ける。市井の人々は家に施錠を、窓は厚いカーテンで閉じ、家族と共に止まぬ雨の終わりを只管に待ち続ける。
雨の降り始め、そして蔓人間が出現――その異常時に王国の対応は非常に素早かった。この雨が人々を異形の姿に変えることを数時間で突き止めると、国王は速やかに国民の外出を禁じると共に軍隊を出動させ蔓人間の鎮圧に向かわせるた。
大国からの武器を輸入している王国の装備は非常に優れていたが、それでも呪い花の侵食はゆっくりと王国を蝕んでいく。
「全く――早上がりなんてするもんじゃないな」
破壊された屋敷の入り口から侵入してくる蔓人間。その一人の頭部が弾けて飛び、呪いを含んだ血を玄関に撒き散らす。
弾丸は玄関から離れた広間からの放たれた。広間の入り口には大きな机をバリケード代わりに置いてあり、そこから頭だけを覗かせていた三十代手前の男は疲れ切った声で装填を行う。
白髪混じりの黒髪の男は恰幅の良い身体に一目で貴族と分かる華美な服装をしている。屋敷の主であるリブローは銃の柄に肉付きの良い頬を乗せ、続々と侵入してくる蔓人間に照準を合わせる。
国王の政を補佐する職に就く彼。本来ならこの時間も王城での職務があるのだが、仕事の速い彼は業務を終わらせると速やかに自分の屋敷へと帰宅した。
仕事好きではない彼は、客人との会話と酒を楽しんでいたのだが、このような出来事が起こるとは予想だにしていなかった。
その時ばかりはリブローも王城に居れば良かったと悔やんだ。精強な兵士の居る王城であれば、リブローがこうして銃を持つことも無かっただろう。
「リブロー君、頑張ってくれたまえよ」
「はぁ、手伝ってくれませんかね、タキモト博士?」
机に背を預けているタキモトはリブローの隣で暢気に資料を読んでいる。草臥れて少し汚い白衣を纏う初老の彼は片手には資料、もう片手には持つリンゴを齧る。真っ白な口髭にリンゴの汁が付着すると、タキモトは袖で拭う。
「ハハッ、客人であり研究者である私に武器を持たせるのかね?」
「そうですけど……一応、魔術師でしょう、センセイ?」
「フフン、魔術師としての身分は棄てたと言っただろう」
タキモトは古い眼鏡の奥から少し褪せた青い目を輝かせる。穏やかな顔の彼だが、その眼にある魔術師としての確かな冷酷さはリブローを震えさせる。
大国と同じく王国も反魔術主義。ただ、王国は対魔術師に備えて好意的な魔術師や訳アリの魔術師を古くから迎えており、魔術を使用しない彼らとの共同で発明した画期的なモノも多くある。そうした点で大国からは睨まれてはいたが、双方共に長い王室を保つことから見過ごされてはいる。
極東出身の魔術師であるタキモトは大国が行った雲空計画によって引き抜かれた男。ただ、あくまでも魔術師ではあるので王国が迎え入れた、と言う訳だ。
彼は『王国魔術対策局長』として王国に従事している傍ら、魔術の研究者としても世界にその名を馳せている。秘匿されていた魔術なども細かな分析と解説、対策方法を世に教えた為に魔術師からは酷く嫌われている人間だ。
「とある島国の若い研究者からの手紙を元に、苦節数年――ようやっと『新・魔術大全』の編集が終わろうとしているのだ、もう少し集中させたまえよ」
「はいはい、分かりましたよ」
魔術師としての身分を棄てた――即ち、今後魔術を使わぬと国王の前で申した彼を思いリブローは再び戦闘に戻る。
広間にはリブローの他にも使用人たちが居るのだが、皆揃って武器等を持った経験も無い。便利とは言え危険な武器である銃を持たせるわけにもいかず、彼らには槍などを持たせて窓からの侵入者への警戒をさせている。
無論、リブローも軍人ではない。ただ、国王の息子の狩りに付き添っている為銃の扱いには知識があるが――異形と化したとは言え市井の民を撃つのは気が滅入る。
軍隊からの応援も期待はしているものの、蔓人間の対応に追われているのか彼らの姿は一向に見えない。
「ったく、何だよこれは一体……何が起きているんだ」リブローは蔓人間を仕留めながら呟く。
「……常世花或いは呪い花、それだろうな」
リブローは資料の余白部分に何か文を記しては消している。彼は本の作成のきっかけになった若い研究者への献辞文を考えているようだ。
「常世にのみ咲く花でしたっけ? 大昔の極東の国では、常世の女王と常世の力を持った民によって世界を支配していた、とかでしたか」
よく客人としてタキモトを招くリブローは、彼らからその話を聞いていた。
「あの七色に輝く花弁からしてそうだろう――常世が現世に、世界は遂に変化を迎える時になったのかのう……」
「あれが人類の新たな変化なら……私は願い下げですけどね」
リブローが再び蔓人間へ銃を向けた時だ――外で凄まじい破壊音が響いた。次いで屋敷の玄関が完全に破壊され――砂煙と雨粒が室内に広がる。
そして、四足の大きな怪物がそこに居た。人間の胴体を横に著しく伸ばしたような身体で、肥大化した頭部にある裂けた口には蔓人間の腕を咥えている。
「おいおい、ありゃあ、何だよ……」
リブローは銃を下げてしまう。
見たことの無い怪物の姿に彼の本能は戦いではなく、危険の警笛を脳に響かせる。
流石のタキモトも事の重大さに気付いたのか、資料を素早く鞄に仕舞い傍に置かれていた銃を手に取る。
その怪物は広間にいるリブローたちを見つけ、凄まじい速度で迫る。リブローとタキモトは同時に銃を放ち、弾丸は確かに怪物に命中したが止まらない。
しかし、次の瞬間だ。屋敷の壁が破壊されると同時に一つの影が怪物へ飛び掛かり――その細腕で頭部を砕いた。
絶命した怪物は屋敷内に血をまき散らしながら、大きな音を立てて斃れた。四肢は僅かにビクビクと動いていたが、それもやがて止まり――大量の血が屋敷の床を赤く染める。
「――! アンティーヌ君⁉」
怪物に横に立つ血濡れた片手の少女を見てリブローは思わず叫んだ。彼女の父とは交友がありそれ故にアンティーヌのことも幼い時から、よく遊び相手になっていたものだ。
薄い赤の髪も、身に纏う黒を基調とした服――彼女の家は代々王室や関係者の墓苑を守る一族――も血に染まっている。
アンティーヌはリブローの方を見つめる。青と紫の混じる瞳はうつろで焦点の定まらない眼差しだった。
彼女は何か言おうと口を開きかけ、力なく崩れ落ちる。
飛び出したリブローはたるんだ身体で精一杯に走る。そんな彼の後ろをタキモトもついていく。
「アンティーヌ君⁉ 大丈夫か――っ、これは」
彼女を抱えたリブローはそこでアンティーヌの胸元に咲く七色の花弁の花に気付く。
「常世の花。リブロー君、すぐさま手を放したまえよ。彼女は既に……ん?」
背後に立つタキモトは銃を構えながら言う。銃口はアンティーヌの小さな頭部に向けられている。
だが、彼はアンティーヌの異常に気付いたようだ。
確かに呪い花の宿主にアンティーヌはなっていたが、その姿は蔓人間と化していない。そして、アンティーヌは急に身体をリブローから離すと――ふらつきながら玄関へ向かう。
そこには既に数名の蔓人間が集まっており、アンティーヌはリブローとタキモトを守るように両手を広げて蔓人間の行く手を阻むように立つ。
「どうしたんだ、アンティーヌ君……」
驚愕するリブローを前に、アンティーヌは蔓人間たちへ飛び掛かった。
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