第83話 征服 前編


 世界に降りしきる呪いの青い雨。発生源となった島国を拠点に、呪い花の力で世界中の空を埋め尽くす雨雲はほぼ同時に世界へ呪いの蜜を降らせた。

 それは遠く離れた極東の島国にもだ。

 発展している本都に比べ、古風な木造の家屋が並ぶ大きな街。多くの人で賑わい、夜も絶えぬ明かりで灯される不夜城もかくやの極東の島国随一の歓楽街。

 毎日、酒に酔った連中の騒ぎや乱闘などで血の絶えないその街は――

 いまや、違った理由で凄惨な血に染まっていた。


 呪い花の蜜を体内に入れた人々は、すぐにあの蔓人間と化し周囲の人々を襲い始めた。

 親も子も、親友も同僚も、男も女も関係なく。

 呪い花の鉢となった彼らから蜜を飲まされ、呪い花の侵食は瞬く間に街全体に広がる。

 逃げ惑う人々。そして、胡乱な動きと不気味な身体の動かし方で追いかける蔓人間。

 その群衆の中を駆ける一つの影。

 腰に差した太刀が抜かれ、雨雲覆い群衆紛れる中で眩しい銀の煌めきを放つ。

 群衆の最後尾から吶喊した者は、抜いた太刀の一振りで蔓人間を仕留める。腰から右肩を大きく斬り裂かれ、そこから呪いの蜜を混じらせた血が噴き出す。

 呪いを媒介する血を体内に入れないように、太刀を持つ者は大きな合羽を纏った上に口や鼻も頭巾で隠している。頭部には鍔の広い帽子を被っており、唯一露出している目を防いでくれている。

 

 そのまま彼は次々と迫る蔓人間を一刀に両断していく。切断された四肢や首がそこら中に散らばり、足元には降り溜まった雨に混じる呪いの血が草履を染める。

 一息をつく暇もない。次から次へと押し寄せる蔓人間――その幾人からは見たことのない七色の花を体中に咲かしている――を斬り伏せていく。

 だが、彼はその対処に激しく追われていた為に、路地の横から忍び寄っていた蔓人間に気付いていない。

 足音を殺し、路地から出てきた蔓人間はそこで駆け出した。気付いた時には、既に眼前まで迫っている。太刀を振るが――間に合わない。

 

 その時だ、雷鳴と間違う程の爆音がする。同時に蔓人間は大量の血を噴出して、横から来た弾丸に身体を弾け飛ばした。衝撃に耐え切れず両腕が千切れて、宙に血の線を描いて飛ぶ。


「助かりました、ヘンロクさん」

「油断禁物だぞギショウ」


 大柄な男に番傘を広げさせて、雨から身を守っているヘンロクは極東で現役使用されている旧式の銃に弾を込める。西洋品である外套を羽織りつつ、頭部には菅笠を被る和洋折衷の装い。

 ヘンロクは口と鼻を覆っていた布を取り、片手に持ってた煙管に口をつける。 


「状況はどうだ?」ヘンロクは煙を吐きながら訊ねる。

「最悪ですよ。街はほぼ壊滅状態、警邏連中も半壊して本都まで撤退。もう、この街は終わりです」

「何を言うか、まだ我等が残っている」


 ヘンロクの叱責に、己が如何に浅はかな言葉を口にしたギショウは慌てふためいて謝る。

 彼らはこの街に拠点を持つ私設の警備集団。もっとも国内の街の警備などは警邏と言われる国の組織の業務であり、彼らはそこに属している訳でもない。

 ヘンロクを中心に無法者連中で構成された組織ではあるが、他の街で犯罪を行うような組織と違い、あくまでもこの街を守ることを生業としている。確かな実績やその腕っぷし、から街に生きる人々からは愛されている集団。

 勿論、違法な集団ではあるのだが――警邏たちもこの街と強く根付いた彼らを排斥することは叶わず、その仕事ぶりを大目に見て放置していた。もっとも一部の警邏はヘンロクの組織と繋がりを持っており、付かず離れずの関係を築いていた。


蔓人間やつらの駆除を続けよギショウ。だが、危険は冒すなよ」

「大丈夫です。でも、もし危ない時は助けてくださいね。ヘンロクさん、昔は凄腕の剣士だったそうじゃないですか?」

 ギショウは子供っぽく笑う。

 昔のヘンロクが極東随一の剣士であり、同時に非常にヤンチャをしていたことは警備集団内では有名な話だ。

「ふん、既に戦いからは引いた身だ――疾く行けい、ギショウッ!」

 

 天真爛漫な笑みと共にギショウは素早く、降りしきる呪いの雨の街を駆けていく。真面目で人柄の良い彼だが、若さゆえに危なっかしい面も複数抱えている。

 ヘンロクは傍にいる大柄な男にギショウへ付随するよう命令する。


「常世花……」


 番傘に当たる雨粒、空を覆う灰色の雨雲。雨はまだ止むことを知らず、永遠とも思えそうな長い呪いの雨。ギショウが殺した蔓人間をヘンロクは見つめる。息絶えた彼らの身体からは、七色の花弁を持つ呪い花が無数に生えている。

 そして――流れ出た血液からも次々と呪い花は開花する。既に街の殆どは咲き誇る呪い花によって埋め尽くすされようとしていた。


「……忌々しい呪いの花め」


 ヘンロクは生えていた呪い花を踏みつける。ぬかるんだ地面と靴の間に花を挟み、何度も捻るように花を潰す。泥の中に七色の花弁が穢く輝く。靴裏には花の一部とベタリとした蜜が付着している。

 呪い花、そして常世信仰衆。

 かつて国内で流浪の旅を続けていたヘンロクは、その名をよく耳にしていた。大昔極東の島国を統治していたという常世の女王。そして、異常な力を齎した呪い花。

 その時は眉唾物であったが、その力をこの国は求めた――いや、この国の軍隊は求めた。

 西洋諸国による東方遠征により絶望的な被害を受けた『極東国軍』――彼らは、常世の力を獲得し再び強い国を再興をさせようと常世信仰衆と結託していた。

 その後、連中がどうなったかはヘンロクも知らないが――この雨が降った今、少なくとも常世の力は現世に芽生えた。


「これもお前らの仕業なのか――常世信仰衆、オーウベン」


 雨の降りしきる空を見上げ、ヘンロクは呟いた。

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