第82話 祝杯をあげる


「貴方には相応しい結末――そして私にも。人を呪わば穴二つ、強い呪いは使用者も殺す」


 骨も残さず灰と化したオーウベン。大樹の上に残された彼の脱け殻のような服を満足そうに見つめながら、ベラトリアは力の抜けたように壁に背を預けてズルズルと座り込む。

 呪い花を使い、己の生命も魔力としたのだろう。大きく肩を上下させるベラトリアの顔色は、既に生気を感じられない程に白くなっている。

 胸元に咲いていた花は枯れていた。本来なら宿主の命を吸い上げ、宝石となるはず。

 その理由をベラトリアは近づいてきたフェルディナンドに伝える。


「宝石を御所望のようだけど、貴方なんかに私を上げる訳にはいかない。私はだけのもの」

 

 それが誰のことなのか、言うまでもないだろう。

 彼女の宝石を手に入れられないことを少し残念に思いつつ、フェルディナンドは気になったことを伝える。


「その呪いが切り札だったんだな」

「ええ、本来はこれで貴方を殺す予定よ」

「どうして、あの時使わなかったんだ?」


 それは城内でベラドンナと対峙した時のことだ。その時にはオーウベンの裏切りもまだされておらず、彼女にとって敵はフェルディナンドだけだ。

 防御魔術も利かず、目と目を介して発動するなら――彼女の状況的にも使うべきだっただろう。


「常世の虫がいたからよ。何をされるか分からない以上、下手には呪いを発動させたくないわよ。ところで、あの可愛らしい常世の虫ちゃんを放置して良いのかしら?」


 ベラドンナの言葉にフェルディナンドは大樹の方へ振り向く。

 驚いたことに大樹は僅かに動いていた。

 何百の絡み合った人間が不気味に蠢く。まるで、何か始めるかのような動きにフェルディナンドは大樹から尋常な程の魔力を感じ取った。

 ヨドウやウンガたちも同じだ。皆、一斉に大樹の方を振り向いており、銃や剣を構えてはいるが――果たして、その小さな武器であの大樹を破壊することが出来るのか。


「オーウベンによる制御が無くなったお陰で、木は常世の虫の力を吸い取っているようね。助かったわオーウベン、貴方のお陰で大樹は魔力の蜜を――世界に呪いの雨をより長く降らせられるわ」

「そして、時間稼ぎご苦労だったわねフェルディナンド。」


 そう告げてベラトリアは口を閉じた。時間稼ぎ、そう――フェルディナンド達は図らずもベラトリアに利用されていた。

 呪いに防御魔術など効かない。

 ベラトリアはすぐにでも、オーウベンを殺すことができた。しかし、少しでも時間を稼ぐためにフェルディナンド達にあのようなことを言ったのだ。

 だが、彼女の身体は既に青い塵と化している。もう、彼女には何も出来ない――そんな彼女を一瞥し、フェルディナンドはすぐさま行動に移る。

 

「どうするフェルディナンド。ベラトリアの言葉通りならば――すぐに止めなければ」

「とりあえずプシュケルを救うのが先だ。あいつが居りゃあ、何とかしてくれる筈だ」

「どうやって助けるつもりだ。相当深くまで飲み込まれているぞ」

 

 フェルディナンドは答えず、技巧銃に不備が無いか入念な確認をしてから刺剣を強く握り直す。彼の仕草を見てヨドウたちは感づいたのだろう、各々覚悟を決めて大樹の方を向いた。


 刹那――フェルディナンドは勢いよく走り出す。

 大樹に囚われたプシュケルを助けるために――ベラトリアの野望を撃ち砕く為に駆けた。

 彼の横を二名の騎士が追随してくれていた。後方ではヨドウとウンガたちが各々武器を身構える。

 

 フェルディナンドの動きに反応して大樹が蔓を繰り出す。無数のヘビのような蔓の襲来。

 その俊敏な動きを彼らは既にプシュケルの操る蔓で飽きる程に見てきている。

 駆ける、跳ぶ、かわす。軽やかな動作でフェルディナンドは蔓の繰り出す攻撃を軽々と避け、只管に駆け続ける。

 視覚外から迫った蔓には二人の騎士の剣が煌めく。サイスィノテラを斬った影響なのだろうか、切断された蔓は再生すらせず苦しみにのたうち回る。

 更に後方からの弾丸の雨。鉄の驟雨が蔓を牽制する。

 横から薙ぐように迫っていた蔓を体勢を低くして回避すると、フェルディナンドは勢いをつけて跳び――大樹の幹に手をかけて登る。人間の絡み合う幹のお陰で足や手を簡単に掛けて登攀することが可能だ。

 しがみ付いたフェルディナンドを払いのけようと蔓が動くが、それらも全てウンガたちの精密な射撃により阻止されるていた。その間にも彼はがむしゃらに登り続け、ついにプシュケルの細い腕と髪が見えていた場所に到着する。

 

 細い腕を掴んで引っ張ってみるが、ビクともしない。相当深くに居るのか、或いは幹を構成する夥しい数の人間がそれを阻止しているのか。

 フェルディナンドは技巧銃を口に咥えると、刺剣を使って強引に幹を抉り穴を作る。元は人間とは思えない程に硬いが、魔術を練った金属の刺剣は必死な持ち主の思いに応えてくれる。軋む音を発しながらも、刺剣は折れること無く徐々に幹を――人の身体や四肢を剥がしてゆく。

 途中噴き出す不気味な輝く血には細心の注意を払う。触れれば――自分も呪い花の鉢となる。


「……フェルディナンド、か」


 彼女の気だるげな声が初めて彼の名を呼んだ。

 やがて見えてきたプシュケルの顔。外の喧騒や明るさに気付いたのか彼女は目を開くと、普段通りの幼くも妖しい表情をしてフェルディナンドを見つめた。

 ただ、ベラトリアの言う通り力を吸われているのか、彼女の様子は少し気だるげだ。 


「さっさと出やがれッ! このバカでかい木を何とか――」

「いや、無理だ。それは出来ない」

 プシュケルは目を伏せて言う。

「誤算だった、ここまで成長されていては最早私一人で何とか出来る代物ではない。この木はすぐに溜め込んだ花の蜜を天へ噴き上げる――空は雨雲、蜜を含んだ雨で世界は花に覆われる。今なら間に合う、逃げろ――私のことなど捨て置いて」

「だったら、尚更お前が必要だろがぁッ!」


 フェルディナンドの上げた大きな声にプシュケルは目を丸くさせた。普段の彼女であれば、五月蝿そうに不快な顔をして憎まれ口を叩いていただろう。


「世界が呪い花に覆われるなら、増々お前が居ねぇと話にならねぇだろうがッ! 何より、俺は宝石以外にも手に入れたいからなぁッ」


 あの夜、思った彼女への欲望。

 美しき彼女のその全てを、保存したい。

 蝶のように美しい彼女に――かつて野山を駆けて蝶の蒐集に勤しんだ己を。忘却の海に沈んだ、かつての感情の高ぶりをフェルディナンドは思わず吐き出した。

 その言葉の意味を理解できず、小首を傾げるプシュケル。

 思わず口にしたその言葉にフェルディナンドは恥じた。そして、その高ぶりをかき消すように素早く技巧銃の銃身を取り外すと、鉤縄専用のモノに取り換える。

 

 撃つ先はヨドウたちが居る場所。銃声と共に、太い縄の先端に取り付けられた鋭い鉤が彼らの近くへ突き刺さる。その間にフェルディナンドは銃身を取り外しプシュケルの手に持たせると、縄を彼女の小さな身体にグルグルと巻き付ける。

 ヨドウたちもフェルディナンドの思惑に気付き皆を呼び寄せると、縄の部分を持ち――まるで綱引きのような形になって合図を待つ。

 合図を出す為にフェルディナンドが縄を揺らした時だ、その時に近くに光り輝く宝石を見つける。七色の宝石は――恐らくカトレリアの宝石。その色は今までの宝石よりも、遥かに美しく輝いてフェルディナンドの気を惹く。


 今、手を伸ばせば――簡単に手に入れられる。


 思わず手を伸ばしそうになる――だが、同時に幹から抜け出していたプシュケルを奪い返そうと蔓が迫った。

 

 ああっ――くそッ!


 凄まじい己の中にこみ上げる誘惑を断ち切り、フェルディナンドは幹に刺していた刺剣を抜いて蔓を切断する。

 それとほぼ同時にヨドウたちが縄を引いたので、フェルディナンドはプシュケルを抱えつつ大樹から勢いよく離される。

 カトレリアの宝石はそのまま大樹の中へ吞み込まれていった。


 屈強な連中によって引かれた縄の勢いは凄まじかった。縄を片手に刺剣を手に持ったままプシュケルを胸に抱えたフェルディナンドは宙を舞った後――背中から盛大に地面へと放り出された。

 肺の中の空気が全て押し出されるような感覚。碌に受け身も取れずに全身を強く打ち付けたフェルディナンドだが、それでも柔らかな土の地面はある程度の衝撃を緩和してくれた。

 少々不安だったのは落下地点に咲いていた呪い花を潰し、その蜜に傷口が触れることを危惧していたが、事前にヨドウたちが丁寧に取り除いていたお陰で回避できた。


「大丈夫かっ、フェルディナンド」ウンガが真っ先に駆け寄って来る。その顔に少し前の蟠りの感情はもう無かった。

「もう少し、丁寧に引っ張れよな……」

「軽口を叩けるなら、大丈夫そうですね」メイガンはしゃがみ込みながら、こちらを見つめている。

「よしプシュケルは救出したな。それで、フェルディナンド、次はどうするんだ」


 興奮気に聞いてくるヨドウにフェルディナンドは言葉を詰まらせる。プシュケルを助けはしたが、彼女の言う分によれば既に大樹による蜜の放出を止める術はない。

 ヨドウたちにどうやって説明するかと悩むフェルディナンドだが、驚いたことに彼の胸板に頬を付けたままのプシュケルが申し訳なさそうな声で同じことを告げた。

 

 彼女の言葉に一同は絶句した。

 当然だ。彼らは呪い花を駆除する為に来たのだ。

 その目的が果たせない所か、呪い花の蜜を含んだ雨が世界中に降れば――どうなるか。雨が齎す現世の世界の終末を、常世の世界の開園を彼らは脳に浮かべる。

 幾人かの兵士は銃を落とし――その絶望の開幕から現実逃避をするように頭を抱えて大声で喚き出す。

 

 そして、無情にも大樹は動き始める。

 幹が数倍にも膨張したかと思うと、内部の蜜を急速に動かしているのか隙間から青い光の流動が見えた。プシュケルが居た場所からは、溢れた蜜が幹の表面を濡らしている。

 やがて、広がる枝の辺りから強烈な青の光が迸る。同時に噴水のように蜜が小さく噴き上がる様が見えた。

 そこで彼らはやっと気付いた。

 この部屋に天井は無く、雨雲の覆われた夜空が広がる。既に雨が降り始めてるのか、冷たい雨の雫がフェルディナンドの頬に触れた。


 本当に何も出来ないのか、フェルディナンドは己の問答する。

 いや、まだだ。

 まだ、一発残っている。

 技巧銃の銃身を取り換え、静かに狙いを定める。

 撃つべき場所はプシュケルを救出した時に開けた穴。

 無駄に終わるかもしれないが、それでもやってみないと分からない。

 フェルディナンドは引き金を引く。

 放たれた弾丸はそのまま穴へ吸い込まれ――大樹の中で激しい爆発音をさせた。常世の力が働いたのか、それとも火薬が過剰反応したのか――それは解らない。


 その爆発で大樹は幹に大きな穴を開け大量の蜜を放出した。噴き出す蜜の量は異常な程で、幹を少しだけ萎ませる。

 だが、同時に噴き出した大量の蜜は根元を軽々と飲み込むと、そのままフェルディナンドたちの方へ迫る。

 彼らはその時――自分たちの終わりを感じ取った。

 思わず目を瞑るフェルディナンド。彼はその間際、プシュケルが手に持っていた宝石が光ると――太い蔓が自分たちを囲うのを確かに見た。


 そして同時に枝の辺りから噴き出した蜜がまるで間欠泉のように空へ噴き上がり――雨雲に青の輝きを纏わせた。



「……勝った」


 呪い花の蜜を含んだ雨が降り始めるのを感じ、ベラトリアは勝利に微笑んだ。

 噴き上がり続ける蜜は――まるでかのよう。

 その光景に満足しベラトリアは青い塵と化した――

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