地獄デザイナー
坂井とーが
地獄デザイナー
「仏教コースに、キリスト教コースに、神道コースか」
知らなかった。
西洋化と宗教の自由が、まさか死後の世界にまで浸透しているとは。
俺が初めて来たあの世で最初にやったのは、死後の宗教を決めることだった。
広い荒野にある関所のような場所では、同じ日に死んだ日本人たちが長い行列を作っている。
現世の病院で眠っていた俺を、ここまで案内してくれたのは、小さな鬼だった。
小鬼の身長は俺の腰ほどしかない。青っぽい肌に、長い金髪。頭には角を生やしている。
「人生、まだこれからだったんだよな」
俺は、身勝手な犯行によって命を奪われた。
それも、16歳という若さで。
「それなら、仏教コースがおすすめですね。キリスト教や神道では、死後の世界に行ったきり、戻れなくなってしまいます。でも、仏教では輪廻転生といって、また生まれ変わることができるんですよ」
小鬼が甲高い声で言い、一番長い行列を指差した。
「何というか、都合よく宗教を選ぶところが、日本人らしいよな」
そう言いつつ、俺は仏教コースの行列の最後尾に並んだ。
俺のほかにはお年寄りがほとんどで、若い人は珍しい。
しばらく待って行列がはけると、俺は死後の自己申告書類を書いた。
生前の功徳、特になし。生前の悪行、特になし。
あの世行きの門をくぐったあとも、小鬼は俺の歩調に合わせて、隣をついてくる。
「このあとは、死後の裁判を受けてもらいます。有名な、閻魔大王が出てくるやつですね」
「そういえば、子どもが死ぬと賽の河原に行くんじゃなかったっけ? 永遠に石を積み上げないといけないっていう……」
「よく知ってますね。でも大丈夫ですよ。16歳は、もう大人ですから」
「それもそうか」
「道彦さまは特に悪いこともしていないようなので、裁判はすぐに終わると思います」
小鬼の言うとおり、死後の裁判は驚くほど順調に進んでいった。
まるで俺の保護者面談や家庭訪問が、いつも一瞬で終わってしまうみたいに。
仏教コースでは、7日ごとに7回裁判を受けるらしい。
そして49日後に、輪廻転生の行き先が決まる。
「特に悪いことはしてないけど、別にいいこともしてないんだよな。プラマイゼロの評価になりそうで、ちょっと心配だ」
「だったら、今からでも徳を積みに行きましょう」
「そんなことができるのか!?」
俺は小鬼に連れられて、地獄のお偉いさんだという人に会いに行った。
死者たちが多く歩いている死後の旅路を外れたところに、その立派な執務室はあった。
現世にある建物よりだいぶ大きい扉を開けると、部屋の奥の机には、身長3メートルはあるかと思われる大きな鬼が座っていた。
赤い肌の大鬼は、顔を上げずに問う。
「その者は?」
「死者の木船道彦さまです。49日まで暇なので、何かお手伝いをしたいと」
他に言い方があるだろうと思ったが、大鬼は気分を害した様子もなく、書き物をしていた手を止めた。
「助かる」
「へ?」
そんなにあっさり言われてしまうと、かえって戸惑う。
「死後の世界は前代未聞の人手不足だ。というのも、日本の人口はここ数百年で驚くほど増えた。その数、今や1億人越えだ。年間にして約140万人が、死んでこちらにやってくる」
「はぁ」
「その中でも特に逼迫しているのが、地獄の業務だ。罪のない人間は49日でここを去るが、地獄に落ちた人間は何万年たっても解放されることがない。だから、際限なく人が溜まっていく」
「ああ。近々、地獄の収容人数に限界が来るって言われてますよね」
小鬼がため息をついた。
「その通り。地獄は建て増しを繰り返しているが、それでも間に合っていない。効率化のため、仏教の八大地獄とキリスト教の
「それは、大変ですね」
大鬼が地獄について熱く語るのを聞いていると、なんだか嫌な予感がしてきた。
徳を積むとは言ったものの、地獄でアルバイトをするのはさすがに勘弁してほしい。
そんな俺の心中を察したのか、大鬼がニヤリと笑った。
「安心しろ。いきなり地獄で働けなどとは言わない。貴殿には、新たな地獄を創設する任務に就いてもらいたいのだ」
「地獄を創設!?」
「そうだ。地獄が足りなくなったのだから、新たな地獄を創る必要がある。しかし、地獄の人手不足は深刻で、新設計画に専念できる人材がいない」
「だからって、俺に!?」
「同じ地獄はふたつとあってはならない決まりだ。我々鬼が考えたのでは、どうしても既存の地獄と被ってしまう。それよりは、現世の人間である貴殿の方が、豊かな想像力を発揮するだろう」
「いや、待ってくださいよ。俺、普通のアルバイトがしたいんですけど!」
「地獄に普通なんてないですよ。それとも道彦さまは、罪人を切り刻むお仕事がやりたいんですか?」
小鬼が無邪気に尋ねる。
そう言われると、地獄新設の方がマシに思えてくるから、不思議だ。
「収容人数は1000万人を予定している。維持管理が簡単で、人員を必要としない地獄を創ってくれ」
「結構な無理難題ですね!?」
「そうか。うまくやってくれたら、裁判で便宜を図ってやろうと思っていたが」
「え。できるんですか?」
「まかせておけ。貴殿も、来世が牛や豚では悲しかろう。何になりたい? また人間か? それとも、現世で人気の猫がよいか?」
「……話がわかるじゃないですか」
大きくて怖そうな見た目をしているが、中身は案外、学校の先生よりも親しみやすいかもしれない。
「でも、それとこれとは話が別です。ただの高校生に地獄を創れなんて、荷が重すぎます!」
「そうか。ならば、いいことを教えてやろう」
大鬼はそう言って、手元の台帳をぱらぱらとめくった。
「貴殿を殺した男――増田
思いがけない名前が出てきて、体がこわばる。
「……知っています。魂だけで病院を彷徨っていたときに、ニュースで見ました」
「では、その男も新設の地獄に送られる予定だといったら、どうする?」
「あいつが!?」
俺ははっとした。思えばあの男も、俺と同じ日に死んだ。
仏教コースを選んだなら、俺と同じ道筋をたどっているはずだ。
増田は、うちの窓を静かに割って、リビングに侵入してきた。そして、偶然トイレに起きていた俺と鉢合わせし、ナイフで刺した。
物取りの犯行だったらしい。だけど、殺傷能力の高いナイフを持っていたあたり、住人に対する強い殺意を感じる。
本当に、身勝手きわまりない犯行だった。
この仕事を引き受ければ、俺は自分を殺した男が落ちる地獄をデザインすることができる。
「やります。俺、あいつが落ちる地獄を創りたいです」
俺が死後の世界に来てから、すでに2週間が経っていた。
残りは5週間しかない。
そうと決めたら、さっそく地獄の見学を始めた。
案内は、俺の担当の小鬼がしてくれる。
「俺に一番苦しい地獄を見せてくれ。あいつが落ちる地獄を創るからには、最悪の場所にしたいんだ」
「では、最下層の無間地獄を見に行きましょう。道彦さま、後悔しないでくださいね」
そうして連れて行かれたのは、地下深くに掘られた、洞窟のような場所だった。
最下層にある巨大な鉄の扉は、向こう側から灼熱の炎に焼かれて、真っ赤な光を放っている。
「開けますよ。決して近づかないでください」
門番の手によって扉が少し開かれただけで、中から轟音を伴う炎が吹き出してきた。
燃え盛る炎の音に混じって、罪人たちの断末魔の悲鳴が聞こえてくる。
「やっぱりいいです! 閉めてください!」
俺が叫ぶと、巨大な鉄の扉は瞬く間に閉じられた。
死んでいるのに、心臓が暴れるような感覚に襲われる。
あの扉の中では、罪を犯した者たちが、毎秒ごとに壊れるほどの苦しみを味わっているのだ。
ここにあいつを落としたら、どれほどすっきりするだろう。
俺は死んだ瞬間のことを思い出した。
恐怖、パニック、硬直。
腹を突き破った、焼けるような痛み。
そして、刺された俺を見つけたときの、母さんの悲鳴。
残された家族の悲しみ。
俺を殺した犯人にも、そんな地獄を味わわせてやりたい。
俺は間借りした執務室に戻ると、夢中になって原案を描いた。
相互地獄。
罪人が持ち回りで罪人を焼く地獄。週に一度、罪人を焼く側に回った者は、ひととき炎の苦しみから解放されながら、明日には焼かれる側に戻ることを恐れ続ける。
腹虫地獄。
罪人は巨大な寄生虫の卵を、腹の中に産み付けられる。やがて卵がかえると、寄生虫は罪人の肉体を内側から食い荒らし、外に出てくる。
共食い地獄。
罪人は細く長い土管の中に、縦一列に詰め込まれる。やがて飢えと渇きに苦しみ、目の前にいる人の足を食べ始める。しかし、自分自身も、後ろにいる人から足を食われることになる。
「…………」
こんな残酷なことを、俺は考えられるのだ。
犯人は俺と5歳しか違わない、21歳の男だった。
中学卒業と同時に社会に出ていて、家族はいなかったという。
もし、俺に心配してくれる家族がいなかったら、俺は同じような罪を犯さずにいられただろうか。
罪を犯したあいつと、こんな残酷なことを思いつく俺は、案外紙一重なのかもしれない。
何かがうまくかみ合わなければ、俺があちら側の人間になっていた可能性もある。
罪を犯した人間は、死後、どんなところに行くべきなのだろう?
罪人に肉体的な痛みを与えることは、果たして正しいのだろうか。
思い悩みながらあの世を散策していると、大地のひび割れから花が芽吹いているのを見つけた。
アスファルトを突き破って咲くタンポポのように、こんな場所でも咲く花があるのだ。
「それは彼岸花だな」
同じく休憩でもしていたのか、俺の隣に大鬼がやってきた。
「現世でも秋になるとよく咲いています」
「死後の世界では一年中咲いている。別名、地獄花や死人花、葬式花とも呼ばれるが」
「恐ろしい名前で呼ばれてるんですね」
「地獄の中にでも咲くくらいだからな。それに、その花には毒がある。人間が食べると中毒症状を起こすようだ」
「へぇ。危ない花なんですね」
地獄の中に咲く毒花。
突破口が見えた気がした。
「小鬼、彼岸花をたくさん集めてくれ」
「集めて、どうするんですか?」
「まだ決めてないけど、花の毒が何かに使える気がするんだ。毒を飲む地獄って、まだなかったよな」
そうして、地獄の建設予定地に、小さな赤い花畑ができた。
彼岸花地獄。
罪人は飢えて彼岸花を食うしかなく、絶えず中毒症状を起こして悶え苦しむ。
「いや、罰が軽すぎるか」
体を引き裂かれたり火であぶられたりする痛みに比べて、下痢嘔吐では弱すぎる。
赤い花畑は地獄らしくて壮観だが、苦痛の面で見劣りする地獄では、大鬼も納得しないだろう。
「では、アレンジしてみてはどうでしょう? 花言葉を使ってまじないを掛けるとか」
「花言葉?」
「いわゆる、言魂というやつですね。彼岸花の花言葉は、いくつかあります。たとえば『悲しい思い出』、『想うはあなた一人』、『また会う日を楽しみに』」
「へぇ。よく知ってるな」
「死後の世界には、想い人に彼岸花を送る風習があるんです」
「こんな恐ろしい名前の花を?」
「だって、ここにはほかに綺麗なものなんてないんですから」
「鬼なのに、ロマンチストなんだな」
「これでも私、女の子ですよ!」
「道理で、声が高いと思ってた」
「感想はそれだけですか!?」
悲しい思い出。想うはあなた一人。
地獄の中に咲く、唯一の綺麗なもの。
……できた。俺の思い描く地獄。
その地獄の名は、
そこに落ちた罪人が彼岸花の蜜を吸うと、現世で出会った大切な人の幻覚を見る。
蜜を吸っている間は幸せな思い出に浸れるが、やがて罪人は自分が罪を犯して地獄に落ちたことを思い出す。
大切な思い出は自分の手で壊してしまって、二度と元には戻らない。そのことに気づいた罪人は、血の涙を流してむせび泣くだろう。
俺が原案を提出した地獄はすぐに承認され、十王と呼ばれる管理者たちの手によって数日で完成した。
どこにでも咲く彼岸花を改良して使うから、管理も楽なのだという。
「やりましたね、道彦さま。完成した地獄を、さっそく見に行きましょう」
「いや、地獄だぞ。罪人じゃない俺が行っていいのか?」
「もちろんです。道彦さまは、地獄の創案者ですから」
その地には、一面に彼岸花が咲いていた。
まるで赤い海の中に立っているみたいだ。
収容人数1000万人の地獄はどこまでも続いており、周囲は見渡す限りの地平線だった。
やがてここに罪人たちが群がって、花の蜜を吸うのだろう。
「綺麗ですね」
小鬼がしゃがみこんで、花を一輪手折っていた。
「そんなもの、どうするんだ?」
「想い人に贈るのです」
「おい、その花は地獄を見せるんだぞ」
「わかっています。だけど、私の想い人は、地獄で長年苦しんでいて、私の顔も忘れてしまっているのです。この花の幻覚を見れば、もしかしたら思い出してくれるのではないかと……」
「死者だったのか、お前も」
小鬼がここで働いている理由が、なんとなくわかった気がする。
俺も小鬼の隣で、地獄の大地に膝を突いた。
「道彦さま?」
それは地獄であり、誘惑でもあった。
たとえ幻でも、蜜を吸えば生きていた頃の思い出に浸れるのだ。
すぐに現実に引き戻されて、二度と戻らない時間のまぶしさに苦しむことになったとしても。
その誘惑は耐えがたく、俺は花を口に運んだ。
だが、花が唇に触れる前に、誰かが俺の手から花を払った。
顔を上げると、大鬼がそこに立っていた。
「なんでだよ。夢を見てもいいじゃないか。16歳で死んでもう二度と戻れないなんて、つらすぎるじゃないか!」
俺の叫びが、徒花の海に吸われて消える。
「貴殿の判決が出た」
ああ、そうか。今日は49日目だ。
「どこへ行けばいいんですか?」
「現世だ。貴殿の肉体は蘇生された」
「は? それはどういう……?」
「貴殿は男に刺されたあと、意識不明の重体で眠っていたのだ。現世では植物状態というらしいだが、その体が、どうやら息を吹き返したようだ」
「そんなことって……。いや、待ってください。まだ心臓が止まっていないのに、どうして死後の世界に連れてこられたんですか?」
俺は死後の世界の案内人である小鬼を見た。
「あれ? 10年前だったら、確実に死んでいる状態だと思ったんですけど……。医療の進歩って早いですね」
「つまり、お前のミスじゃないか!」
「ごめんなさい!」
小鬼は平謝りだった。それこそ、これ以上責めるのが心苦しくなるくらいに。
「嘘だろ。帰れるってのかよ。何週間もかけて、やっと諦めがついたのに……」
赤い花畑が涙でにじんだ。
「俺は何しに来たんだよ。死んだと思って、地獄まで創って、ただ働きをしに来たのか?」
「申し訳ない。いつか貴殿が本当に死んだときには、今度こそ裁判での便宜を図ろう」
「お願いしますよ、ほんと」
「ごめんなさい、道彦さま。でも、死んだときにはまた会えますね」
小鬼がぺろりと舌を出した。
「やっぱりもっと反省しろ!」
大鬼に連れられて徒花地獄を出るとき、見知った顔とすれ違った。
それは、俺を殺した男だった。
男は彼岸花の海を見ると、それが何かを本能的に察したみたいに、花をかき集めてむしゃぶりついた。
やがて地獄に、最初の絶叫がこだまする。
その後、現世に戻った俺は、無事に病院で目を覚ました。
あれから2年。
俺は建築デザインに興味を持ち、大学もその方向に進学を決めた。
一度は死んだと思った俺が、こうして未来をつかみ取れるなんて、本当に奇跡のようだ。
そして、高校の卒業式の日。
3年間通った学舎に別れを告げた俺の元に、一通の手紙が届いた。
封筒には、あの懐かしい彼岸花が添えられている。
差出人は、死後の世界の大鬼だ。
俺が創った地獄は、高い評価を受けているらしい。
そして、人口増加により地獄の定員問題を抱えているのは、日本だけではない。
今や世界中の、あらゆる宗教で、地獄は限界を迎えていた。
『今度はアメリカに新たな地獄を創ってほしい。報酬は相談しよう。現世との往復手段はこちらで手配する』
「いや、ちょっと待ってくれ!」
2年前に手違いで訪れたあの世。
次に行くのは寿命を迎えたときだと思っていた。
だけど、大鬼や小鬼のことを思い出すと、なぜか懐かしくて泣きたくなってくる。
また会う日を楽しみに――
それも、彼岸花の花言葉のひとつだった。
『ついては今宵0時、迎えの者をそちらに送る』
「迎えの者? というか、今何時だ!? あと5分しかないじゃないか!」
俺は慌てて着替えを始めた。
地獄に行くなら、汚れてもいい服装がいい。
でも、一応仕事なのだから、ラフすぎる格好もよくないだろう。
スマホは? 財布は?
そんなのいらない。ただ、スケッチブックと鉛筆があれば。
5分後に、部屋の窓ががらりと開いた。
「道彦さま、迎えに来ましたよ」
懐かしい小鬼の声。
「今行くよ」
と、俺は答えた。
地獄デザイナー 坂井とーが @sakatoga
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