【古代伝奇】イナズマのハヤテ
森新児
イナズマのハヤテ
古代のおはなしです。
阿蘇には大きな山が五つありました。
そのうちのひとつの山のいただきが猫の頭に見えるので、人々はこの山を
山には熊がいました。
猫山(根子岳)のふもとに暮らす人々は、しばしば里へ下りてくる凶暴な熊を【炎】と呼びました。
村人にとってもっとも恐ろしいのは阿蘇山の噴火で、里におりてくる熊はお山の噴火に匹敵するおそろしい存在です。
だから人々は熊を炎と呼んだのです。
猫山にもっとも近いふもとの猫村には狩人の一家が住んでいました。
狩人は代々
「炎を消す風」という意味でハヤテと名乗ったのです。
そのころ猫村にいるハヤテは九代目で、まだ十四歳になったばかりの少年でした。
母は息子を生んですぐ亡くなりました。
ハヤテの父のハヤテもやはり狩人で、息子が五つのとき炎と戦いました。
刀で炎の左目を斬るなど善戦したのですが、結局敗れて父は熊に食べられました。
つまり現在のハヤテにとって、猫山の熊は絶対に仕留めなければならない宿敵で父の仇でもあったのです。
神社の拝殿にすずしげな鈴の音が鳴り響きます。
拝殿の床に十数人のたくましい若者があぐらをかいていました。
彼らの目の前で、白い着物に赤い袴をはいた巫女が黒髪を振り乱し、手にした鈴や玉串を振りまわしながらさっきから舞っています。
二十代後半ですから当時はすでに大年増といわれる年齢の巫女です。
美人ですが細い目がやや意地悪そうに見えます。
若者たちは頬を紅潮させて唇を固く結び、舞い踊る巫女を熱心に見つめていました。
彼らは猫山のふもとの村々で暮らす狩人です。
今日はご神託の日。
このおはなしの季節は秋ですが、この秋も炎が里におりてきました。
冬眠する前にたくさん栄養を取っておこうと熊は考えたのです。
女子どもを食うなど悪の限りを尽くす熊に今年はだれが立ち向かうのか、それが今日決まるのです。
若者たちは緊張した顔で巫女を見つめました。
すると突然、舞いが止まりました。
白い紙を貼った玉串で、つらぬくようにするどくひとりの少年をさして、巫女はいいました。
「猫村のハヤテ、立つべし」
「オオッ」
神社の境内にあつまり、息を殺して室内の様子を伺っていた村人たちの間からどよめきが上がります。
「今年の狩人が決まった」
「猫村のハヤテとな」
「ずいぶん若いいけにえじゃのう」
「バカ、いけにえじゃない。狩人じゃ」
「……」
なんだか妙にはしゃいでいる村人たちの会話を、猫村のハヤテはだまって聞いていました。
村に帰ると長老が自分の家に彼を呼びました。
「もうすぐ冬じゃが今年は天候が悪い。熊は冬眠に備えてたくさん食わねばならんのに、山には木の実ひとつない。だから人を食う。
村の人間がすでに五人食われた。これ以上やつををのさばらせてはならん。ハヤテ。お前は稲妻の夜に生まれた。
猛き風となり、燃えさかる炎を消すのだ」
ハヤテが自分の小屋で身支度していると、声をかけてくる者があります。
見ると高床式小屋の入口に、赤い着物の娘がいました。
長老のひとり娘の
これを、と花は一振りの、鞘込めの小太刀を差し出しました。
赤い鞘の小太刀です。
ほかの季節なら目立つでしょうが、今季節は秋で木々が紅葉しているのでかえってうまくまぎれそうです。
「うちの家宝よ。お山の溶岩をすくってこしらえたってお父が。獲物の急所をとらえたら岩を溶かすほど熱く燃えあがる神剣よ。あんたにあげる」
「ありがとう」
ハヤテは赤鞘の小太刀を着物のふところにねじこみました。
「あした山へ?」
と花が尋ねると、ハヤテはだまってうなずきました。
「食べ物は?」
重ねて花が尋ねます。
「握り飯を持っていく。あとは山でなんとかする」
「ハヤテはまだ十四なのに」
ハヤテと同い年の花は不満げに頬をふくらませました。
「もっと年上の狩人が何人もいるのに」
「神さまがお決めになったことだ。花」
「なに?」
「もしおれが生きて帰ったら、妻になってくれ」
幼なじみの若者にとつぜんそういわれ、驚いた花はなにもいえず、頬をまっ赤に染めてその場から走り去ってしまいました。
ハヤテはまだ暗いうちに村を出ました。
家を出るとき、ハヤテは自分が生まれる前から家で飼っていた馬を解き放ちました。
「青」
夜空の星のように青い瞳の馬の首筋を愛しげに撫で、少年狩人はいいました。
「おまえは草千里に帰れ」
しかし青は離れず、主人の頬をずっとペロペロと舐めていました。
ハヤテが「ほう」と声をあげると、青はすぐ風のように走り去りました。
猫山のふもとに向かったハヤテはそこに湧く温泉に入り、里の匂いと汚れを洗い落としました。
それからひとりで山に入りました。
猫山に入り、ハヤテはすぐに見つけました。
ブナの木の幹に爪で抉った大きな傷痕があります。
(山に入ったばかりなのにもう印が)
おそるべき獣は人間に向かってこういっているのです。
帰れ、この山のぜんぶがおれの縄張りだ、と。
「……」
木の傷を撫でながら緊張に乾く唇を舐め、ハヤテはこころの中でつぶやきました。
(いいや、山はおまえの縄張りじゃない。山は神さまのもんだ。それを証明してみせる)
そう狩人が決意したとき、知らぬ間にふところに入れた手の指先が、固いなにかに触れました。
花がくれた小太刀に触れたのです。
ハッと顔を上げると、ハヤテは自分がいる森をすばやく見わたしました。
山に入って五日目の朝です。
決して眠ったわけではありませんが疲れがひどくて二秒、いやほんの一秒だけ意識が薄れたのでした。
意識が途切れたのはたったの一秒です。しかし
(間合いに入られた)
ハヤテは地面にそっと弓矢を置き、剣を手にしました。
(もう弓は使えん……)
そのとき、一個のちいさな石ころが、自分の足もとへ転がってきました。
石が転がってきたのは自分の前方、斜面の上のほうです。
しかしハヤテはすさまじい勢いで振り向き鞘から剣を抜きました。
うしろからこっそり近づいていた炎が、無言で手を振ります。
巨大な熊の張り手でハヤテの右手は肩からちぎれ、剣と一緒に吹っ飛びました。
炎がやはり無言のまま獲物にのしかかります。
ハヤテは身動きできません。そのとき初めて間近に炎の顔が見えました。
熊の左目がななめの傷でふさがれています。
ハヤテの父が刀で斬りつけた傷です。
そのときハヤテのふところから地面になにかこぼれました。
木洩れ日に照らされ、ほんものの炎のように赤い色が輝きます。
(花がくれた小太刀)
電光の速さで鞘を払い、ハヤテは自分にのしかかる巨大な獣に向かって叫びました。
「おれはハヤテ。イナズマから生まれた!」
虚を突かれた炎が一瞬彫像のように固まり、それから木の葉を散らすおそろしい咆哮がとどろき、同時にハヤテの手からまっ赤な色彩が地上のイナズマのように放たれました。
すぐ熊の咆哮が悲鳴に変わり、やがて朝の森はそれまでの騒乱がうそのように静かになりました……
草千里で青を見つけた花は不吉な思いに囚われ、ひとりで猫山に向かいました。
するとふもとの森に、右手をなくしたハヤテがうつぶせに倒れていました。
花は幼なじみに駆け寄りました。
「ハヤテ」
「仕留めた」
自分のそばにある麻袋を目でさし、ハヤテは笑っていいました。
「中に炎の心臓が。おまえがくれた小太刀のおかげだ。花」
「はい」
「妻になってくれ」
そういって少年は息絶えました。
そのとき少年の左手から、地面になにかがすべり落ちました。血塗れの小太刀が落ちたのです。
「花はハヤテの妻です」
そういうと少女は地面にあった小太刀を拾い、自分の喉を突きました。
花はハヤテにおおいかぶさり、すぐに息絶えました。
阿蘇に冬がきて、春がきました。
それは黄昏時のことでした。
草千里の空で、急に雷がゴロゴロと太鼓を鳴らしました。
すぐ風も吹き始めます。
それまでのんびりと草を食んでいた野生の馬たちはたちまち怯え、安全な場所へと走り出しました。
しかしなぜか青は一頭だけその場から動かず、青い瞳で光る空を見つめていました。
耳がピンと立っています。
「……」
たてがみが風に吹かれて揺れています。
やがて栗毛の牝馬が近づいてきました。
青の女房です。
女房にうながされ、青は走り出しました。
雷はすぐやみましたが、草千里に吹く風はやみません。青はまた立ち止まり耳を澄ませました。
青は風の中に、愛しいハヤテと花が手を取り合って駆けてゆく声を聞いたのでした。
ハヤテと花は楽しそうに笑っていました。
【古代伝奇】イナズマのハヤテ 森新児 @morisinji
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