破滅と再生の萱原

みなもと十華@『姉喰い勇者』発売中

破滅と再生の萱原

 昭和二十年


 人間の焼け焦げた臭いと纏わりつくハエの中で目を覚ました。視線を横に向けると蛆が集った焼死体が、山のように並べられている。

 どうやら爆撃に巻き込まれ黒焦げになった私は、死者と間違われ遺体安置所に運ばれたのだろう。


 遺体安置所である公園を出ると、空襲で混乱した人々の泣き叫ぶ声が響き渡り、トタンの上に乗せた負傷者を運ぶ者が行き交っている。


 ここ、武蔵野には大きな航空機工場があり、度々攻撃の標的にされ爆撃を受けていた。しかし、高高度からの爆撃は周辺の家々にも落ち、多くの民間人を巻き込み犠牲を広げる一方だ。


 記憶が混乱している。私は、いつからそこで寝ていたのか。死体に間違われたくらいだから、誰の目にも明らかなほど体の損傷が激しかったのだろう。


「記憶……そう、記憶だ」


 私は声に出して呟く。どうやら声は出るようだ。損傷した喉も再生されたのだろう。


 私にとって記憶とは、無限にも思える膨大に積み重なる牢獄のようなものだ。千二百年以上にもなる永遠とも呼べる記憶は、常に私の心に枷のように絡まり、決して至ることのない『死』という概念に憧れるだけなのだから。


 私は人間ではない。人は私を八百比丘尼やおびくにと呼ぶ。もう数え切れないほど遥か昔、ある男から貰った肉を食べ、私は人間ではなくなった。人魚の肉だと知らずに食べた私は、永遠の時を生きる不老不死の存在となってしまったのだ。


 年を取らない私は一か所に長く住むとこができず、日本各地を転々としてきた。誰もが私を気味悪がり、時には物の怪のように扱われることも一度や二度ではない。


 親しい人も次々と死に、世を儚んだ私は尼となり諸国を巡ったのだ。それは、自分の生きた証を残す旅だったのか。それとも死に場所を求める旅だったのか。今となってはよく分からない。


 昔ばなしによると、入定にゅうじょうし仏となったと伝わっている。だが、現に私はまだ生きているのだ。


 当て所もなく彷徨った私は、ある時ここ武蔵野に辿り着いた。当時はまだススキが生い茂る原野であり、身を隠し密やかに暮らすには丁度良かったのだ。だが、後に人が集まり集落になると、水を引き開拓により豊かな耕地へと変貌を遂げる。


 私は極力人と関わらず息を殺すようにして生きてきた。だが、近代に入り戸籍制度が整い始めると、私のような世捨て人にも家制度に属さねばならない事態となる。

 そして、初期の混乱に乗じて戸籍を手に入れ今に至るのだ。


 親しい人を何人も見送ってきた私としては、これ以上人と親しくするのには躊躇せざるを得ない。もう人を見送り取り残されるのはたくさんだった。



「工場が跡形もなく…………」


 暫し記憶の旅路に出ていた私が顔を上げると、度々爆撃されながらも持ちこたえていた工場が瓦礫と化していた。周囲の民家も防空壕ごと破壊され被害が出ているようだ。


「日本は負けるのか」


 ラジオや新聞は『全力を挙げて敵を粉砕』や『極めて困難なる状況下、寡兵よく戦い』と発表しているが、敵の爆撃機が首都の上空を飛び回っている現状では、日本が負けていることくらい私でも分かるというものだ。


 見るに堪えない凄惨な光景に背を向け、私は隠者のように暮らす自宅へと向かった。




 状況は悪化の一途をたどる。三月に入ると東京の下町に大規模な空襲があった。敵は目標を軍事施設や工場から民間人へと変更したようなのだ。新型の焼夷弾を使い、人口が密集した下町の木造家屋を狙った無差別爆撃が行われた。

 東京は壊滅的被害を受け、街は黒焦げになった遺体が山積みとなり、川には超高温で燃焼する炎から逃れるため飛び込んだ人の死体で水面が見えぬほどだったという。



「この国は亡ぶ。街は焼かれ社会基盤は破壊され食料の配給も滞っている。もはや復興は不可能だろう」


 何度も地獄を見てきた私だが、近代に入ってからのそれは少し違う。新しい文明を取り入れ近代化した結果が、この悲惨な状況だというのなら遣り切れない思いだ。




 昭和三十九年


 結論から述べれば、日本は滅ばなかった。様々な要因が重なり、奇跡の戦後復興を経て高度経済成長期へと入ることとなる。


 その間にも色々あった。

 戦勝国となった国々は仲間割れを始め、また新たな戦争を起こす。あの大戦は一体何だったのか。戦争により焦土と化した日本が、他国の戦争により特需となる。結果的に、その戦争が日本の復興を後押しすることになるとは、何という皮肉なものなのか。


 都心には大きな電波塔が建ち、戦争により返上されていた東京五輪が開催された。

 東京を焼いた計画実行者が勲章を貰い、それまで軍神と祭り上げられていた人々は迫害対象となる。げに恐ろしきは人々の心変わりだろう。信じるものは百八十度変わり、民衆は新しい流行に熱狂する。



 ここ武蔵野にも都営住宅や団地が立ち並び、人口も増え商店街も活気づいた。それに伴い昔ながらの原風景は消えつつある。


「この辺りも変わったな」


 戦後の混乱期に新たな戸籍を手に入れた私は、まだこの武蔵野でひっそりと生きていた。昔から見続けてきた景色は宅地へと変わり、再生と発展を遂げ豊かになったのだが、少しだけ消えゆく原風景に寂しさを感じている。




 令和四年


 私はまだ武蔵野にいる。

 航空機工場の跡地は公園となり、あの時のことを知らない子供たちの楽しそうな歓声が響いている。戦争を体験した者も少なくなり、人々から記憶も薄れつつあるようだ。


 世界が平和になったかと言えば、そんな理想の世界など訪れるはずもなく。現に外国では戦争が絶えず、今も悲惨な状況に身を置く人は数え切れないくらいだ。

 人の命は短く、死という決して逃れられない運命には逆らえない。人は死により、それまで経験した体験や記憶は消失してしまうのだ。だから人は何度も忘れ、過ちを繰り返すのだろう。

 永劫の時を生きる私のように、実際に身をもって体験し続ける者はいないのだから。


「風が気持ち良い……」


 もう何百年も見続けてきた武蔵野の風景を眺めながら呟く。相変わらず私の中では膨大に積み重なる牢獄のような記憶に囚われ続けている。人が忘れる生き物だとすれば、私は重なり続ける生き物なのだろう。


 樹木の間を通り抜ける風に身を委ねながら、今日も私は武蔵野の地で変わり続ける景色を眺めている。


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