テーマ:ラブソング

弓チョコ

テーマ:ラブソング

「音楽は、世界中にあったんだ」

「はい?」


 僕は恋愛の経験が無い。

 そして、恋人が欲しいと思ったこともない。

 さらには、一生それで良いと思っている。

 恋愛感情がわからない。そりゃ、誰か女性を見て可愛いとか、エロいとか思わない訳じゃない。

 けどそれが、恋愛だとは思えない。


 ふたりきりの教室にて。先輩がまた、何か言い始めた。

 ホワイトボードに、簡単にデフォルメされた世界地図をキュキュっと描いて。ぐるりと赤のマーカーで囲む先輩。


「コロンブスが新大陸を発見した時。そこには文字は無かったんだ。世界史では既に『近代』に入っている時代にだ。そういう、昔からずっと交流の無かった文化圏同士でも、『人間』として、共通するものがある」

「共通するもの?」


 僕に背を向けたかと思えば、ホワイトボードにキュキュっと。

 そして書き終わり、くるりと僕へ振り向く。長い髪がふわり。


「『神への信仰』、そして『音楽』。……最後に『武器』」


 僕は、勉強ができる方ではない。試験の成績は真ん中から少し下くらいだ。特に趣味やバイトなんかがある訳じゃないけど、だからといって勉強に集中できている訳でもない。


 先輩は違う。テスト期間が終わるといつも僕に、自慢の成績表を見せてくるから知っている。どの教科も大体2〜3番目。1番の時もあった。

 頭が良い……というより、勉強ができる。


「人間は元々、狩猟採集民族だった。これは人間が人間である以上、どこに居てもそうだ。だから、武器はあった。さらに言えば、人間は人間である以上、必ず争い合う。同じ文化圏でも、民族ごとの戦争はあちこちであった。だから、武器は当然にあった」

「……まあ、自然界でも牙とか爪とか、武器は生存に必要ですもんね」

「その通りだ。なんだ分かってるじゃないか」


 そして、好奇心旺盛だ。僕より精神は幼いかもしれない。時々そう勘違いしそうになる。

 僕が、つまらない人間なだけなのに。


「そして神様だ。名を変え、姿を変え、場所を変え。全く外との関わりを持たなかった部族にさえ、『それ』はあった。必ずだ。何も、神はキリスト教の神だけじゃない。全能でなくても構わない。『信仰の対象』があったんだ。大自然に捧げる、歌と踊り。神に捧げる舞い。イメージできるだろう? 分かるか後輩くん。『信仰』と『音楽』は、常に密接に絡み合っていた。ほぼ同義と言って良い」

「それは流石に……」


 先輩はいつも、何かを考えている。小さな顎を、小さな指で支えて。視線は真っ直ぐから少し下辺り。思案のポーズ。


 ああ。趣味と言うなら、先輩のこのポーズを眺めているのは好きかもしれない。何か言ってくれそうな期待感がある。真剣な表情に、惹き付けられる。


 その、思案したことを。僕に嬉しそうに報告してくれるんだ。目をキラキラとさせて。


「ここで、愛を歌わせてくれ」

「はい?」


 その、キラキラさせた目を閉じて。先輩が歌い始めた。また始まった。先輩の、『何か』。いつも急だ。

 そして。

 わくわくする。


 先輩の声は聴いていて心地良い。勉強が捗る気がする。演説も歌唱も。


 無理をして、一番を目指さなくて良い。人は誰しもが、生まれた時から特別な唯一だから。


 そんな歌だった。誰もが知っている曲。確か、もう解散したアイドルが歌っていた筈。メンバーはひとりひとり、今でも根強い人気があるアイドルグループの。

 きっと誰もがびっくりするだろう。いきなり歌い出すなんて。

 僕は動じない。先輩がこういう、自由な人間だと知っているから。


「……御清聴感謝するよ」

「いえ。やっぱり歌上手いですね先輩」

「はははっ。照れるよ」

「……あれ。愛って言いました? これラブソング……か」

「そうだよ。分かってないなあ君は」

「はあ……」


 ふたりきりの教室。窓からは運動部の声掛けが聴こえる。吹奏楽部の練習も聴こえる。


「『歌』は、『全てラブソング』だ。何故なら起源は『信仰』だからな。愛を表現する手段がラブソングだ。たとえ、たいやきが踊る歌でも。昔流行った電波な曲でも。……分からなくても良い。別に、今私が歌った曲がどうとか言うつもりも無い。私にとっても特別思い入れがある訳じゃない。けど後輩よ」

「はい」


 先輩は確か、もう成人年齢だ。投票にも行ったらしい。まだ高校生なのにと言うのが大半の中。


「神。音楽。……武器はまあ置いておいて、人間として『外せない』これらを、私なりに言い換えたい」

「……どうぞ」


 ふわりと黒髪。そしてキュキュっと音。書き終わって、またふわり。


「信念。娯楽。だ」

「……信念ですか」

「ああ。私は無宗教だ」

「はい」

「……と、言っていた。今までな。勉強不足だった」

「はい? あ、家は真言宗みたいな」

「いいやそうじゃない。人は皆、何かを信じているということだ。それは神の実在でも良いし、神の救済でも良いし、何かの主義でも良い。信じるという表現じゃなくても良い。言語化していなくたって良い。この、心に」


 どん、と。

 右拳を握って、胸に持ってくる先輩。


「『なにかひとつ』。誰しも譲れない『なにか』を持っている筈だ。自分で気付いていない奴も居るだろう。私の言葉を疑う奴も居る。けど、なにかひとつ。『ここ』にあるものが、ある。それらは沢山の名前で呼ばれる。心とか。神とか。信仰とか」


 とんとんと、強調するように。

 グッと、握り締めて。


「『愛』、とかな」

「…………なるほど」


 思わず僕も、自分の拳を胸に当てる。……なんだろう。僕の信念は。

 気付いていないんだろうな。


「娯楽はまあ、精神安定剤だよな。仕事だけして生きられる人は稀だろう。息抜きは必要だ。人間である以上、必ず」

「それは分かります」

「武器は、それこそ君の言う通り、生存に必要だ。論ずるまでも無い。とりわけ、別に軍事力だけを言う訳じゃない。資力や学力、コネなんかも、ここに分類される」

「……武器、だけ言うと、戦争反対派とかがうるさそうですけど」

「言わせておけ。あいつらも結局、選挙で勝たなければと、戦いを肯定しているだろう。そういうものだ。否定もできない。国の方針を決めるのは投票だ」

「…………政治家は何かと黒い噂があったりしますけど」

「ああそうだ。だから私が、『なにかひとつ』通そうと思う」

「えっ」


 ふわり。

 風が部室に入ってきた。カーテンが揺れる。先輩の髪も一緒に。


「私は東大を目指すよ。学歴が全てとは言わないが、『有利』であることは事実だ。行けるなら行っておきたい。国を。法律を。日本を変えるには、近道だろう。勿論正攻法でだ。不誠実な方法で票を集めたり、暴力的なことをしたりするのは私の信念に反する。今を変える為に、今の正攻法で、今を変えられる地位に登り詰める」


 宣言した。


「政治家になるんですか」

「ああそうだ。違憲だなんだと騒いで裁判を起こすのもひとつの手かもしれないがな。私には変えたい制度、作りたい法律がある。ならば国相手に喚くのではなく、候補に立って国側として歌いたい」


 この人はやるだろう。好奇心と信念に従って。強い人だ。僕には分かる。毎日……聞いているから。


「君もやろう。私に付き合ってくれ」

「!」


 ラブソングの話をした後で。

 付き合ってくれ……。いやいや。

 私と、じゃない。

 私に、だ。


「僕の成績、知ってるでしょ」

「教えるさ。テスト用の勉強など、コツさえ掴めば簡単だ」

「……それは先輩だけでは」

「私はな。信念に従って、法案を武器に、政界で働きたい。後は何が足りない?」

「…………えっと」


 じっと見詰められる。綺麗な瞳。思わず反らしてしまう。理由はある。ホワイトボードに書かれた文字。


「……娯楽?」

「ああそうだ。私はな。こうして、自分の考えを聞いてくれる誰かが欲しいんだ。それが私の娯楽になる。……皆うんざりして、居なくなったろう。君だけが残ってくれた。いつも、助かってるよ」

「!」


 驚いた。

 僕が、先輩を娯楽に感じていたけど。

 お互いにそうだったとは。


 ふたりきりの。


「一足先に、東大へ行ってるから。付いてきてくれよ」

「…………本気ですか」

「無論だ。私は君に言っている」


 これはわくわくじゃない。

 心臓が。


 先輩が僕を、求めている。


「分かりました。けど、勉強は本当に見てくださいよ」

「ああ当然だ。ありがとう。私のラブソングは届いたようだ」

「なっ……。からかわないでください」

「ははは。照れるな」

「え? いや……。え?」


 ふたりきりの教室。


「そういや、通したい法律があると言ったな。これまでの日本では無かったんだが……」

「気が早いですね……。聞きますけど、僕政治も分かんないですよ……」

「歌詞の意味が分からなくても聴く曲はあるだろう?」

「えっ」

「聴け。いつも通り。私のラブソングを」

「……それ、恥ずかしいからやめてください」


 今気付いた。僕の信念。


 先輩がいつも通りであれば、僕に恋人は要らない。


 けれど毎日、この歌手を独占したい。

 いつかこの人のラブソングが、国内、世界に、響き渡るまで。

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