第3話 悪魔の微笑み
酔っ払いの間を縫うようにして、俺たちは歌舞伎町を駆けていた。
「ここよ」
立ち止まったのは、地下の店へと続く階段の前だった。
眼鏡越しに見れば、看板には「mode」と書いてある。
「行くわよ」
「俺も!?」
「当たり前でしょ」
「どこが!」
全然当たり前ではない。
「いいから行くのよ」
「ちょっ」
女が俺の腕に腕を絡ませた。ぎゅっと寄り添ってくる。
胸の膨らみが腕に当たり、近づいた髪からいい香りがした。
ここでもずるずると引きずられるようにして、階段を降りていく。
バーの入り口はのっぺりとしたドアだった。女の目には重厚な木製の扉にでも見えているのかもしれない。
バーの中は薄暗かった。
眼鏡をかけたが、光量は変わらない。そういう設定になっているのだ。
裸眼で見てわかったが、カウンターは珍しく本物の一枚板でできているようだ。
女はテーブルへと俺を引っ張っていき、俺たちは隣り合って座った。
「怪しいヤツがいないか視て」
「怪しいヤツってどんな」
こそこそとささやき合う。
「不審な素振りをしてるヤツよ」
「誰を探してるですか」
「ヤクの売人。殺された男は取引相手だったの」
「そんなの見てわかるわけないでしょう」
だいたい、取引って何だよ。初耳だぞ。
「いいから視て」
視ろと言われても、カウンターの客は一人でグラスを傾けているし、テーブルにカップルが二人いるだけだ。怪しい客などいない。
カウンターの前に座っている男の横顔をじっと見ていると、ふと男がこちらを見て目が合った。
男は自然に目線を逸らす。
怪しいと言えば怪しいが、怪しくないと言えば怪しくない。
俺はふと男がグラスを持っている右手に目を留めた。
スーツの袖口から見えるワイシャツの袖が黒く汚れていた。
「何かついてる」
「どこ」
「手首」
女は男に目を向けた。
だが、見えてはいないようだ。
「血?」
「そこまではわかりません」
「血だとすれば、犯人かもしれないわね」
そうこうしているうちに、男はカウンターの中のマスターに何やら話しかけ、そして席を立った。
「逃げられるわ。行くしかない」
「あいつかどうかわからないですよ」
「逃げられるよりマシよ」
女が立ち上がった。
と、その時。
入り口の扉が勢いよく開かれた。
そして数人の男たちがなだれ込んできた。
「警察だ。全員そこを動くな!」
俺たちが監視していた男は身を翻し、カウンターを乗り越えた。
グラスが床に落ちて割れる音がする。
男は店の奥へと逃げようとした。
「逃がさないわよ」
女が軽々とカウンターを越えて追いかける。
店の奥へと入る前に、女は男を組み伏せていた。
* * * * *
「違う。違うんだ。殺す気はなかったんだ。本当だ」
連行されていく男の後に続いて、俺は地上へと階段を上がった。
そこにはパトカーが数台停まっていて、男はその一台に押し込まれる。
「遅かったわね、
女はさっき先頭に立って店に入ってきた警察に声を掛けた。
「
「彼のお陰よ」
女――長谷は俺を親指で差した。
本村が俺の首に掛かっている眼鏡に目を留める。
「ブラインドか」
「そうよ」
「ブラインドなんかに何ができる」
「ブラインドだからこそ視える物があるわ」
「後で吠え面かくなよ」
「今かいてるのはあなたでしょ」
長谷が江野本を鼻で笑った。
くっ、と悔しそうな顔をして、江野本が
「あの」
俺は長谷の背中に声を掛けた。
「用が終わったみたいなんで、俺は帰りますね」
捕まった男の手首についていた染みが血のような物だということは俺が確認したが、血だと確定したわけではない。
しかし、ほぼ自供したようなものだ。
一件落着。お役目ご免。
「何を言っているの?」
女は振り返って腕を組んだ。
「あなたは私の目だって言ったじゃない。これからも協力してもらうわ」
「いや、俺、仕事があるんで……」
「辞表は提出済みよ。あなたは今無職なの」
「冗談」
「本当よ」
「嘘だろ?」
「本当よ」
「ブラインドが就ける仕事なんてそうそうないんだぞ!?」
ブラインドを支援してくれているNPOを通じてようやく見つけた職だったのに。
「私に協力するしかないわね」
長谷はにっこりと笑った。
俺には悪魔の微笑みにしか見えなかった。
冷凍睡眠で200年、世界はAR全盛期になっていた 藤浪保 @fujinami-tamotsu
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