手記 二日目
今日から、私は必ず飼い主を救ってみせます。
飼い主が私より先に死ぬ道だけはこの世のどこにも存在しないのです。
飼い主は、今日仕事へ行きませんでした。
飼い主が平日の朝家を出ていかなかったのは、初めてなのです。今は、昨日の服装のまま、ソファで寝ているのです。
私は飼い主をじっと見つめます。まずは注意を引かなければなりません。
しかし、私の体は一段と衰えました。息をするのもやっとです。
飼い主が、私の存在に気づくには、どうしたらいいでしょうか。
心が飼い主の名前を叫びます。
しかし心がいくら叫んでもそれは伝わりません。胸が張り裂けそうです。
人間は、意思を伝えるために発話の能力を獲得しました。
それなら、今まで知性の無かった私達鳥類が試してこなかったそれを、私が実践したらいいのではないか。私の鳥類の中の分類はセキセイインコのオスです。既に言葉の一つや二つ発したことがあります。何を話せば振り向いてもらえるのか。私は言葉を選択します。
「起きてください」
私は弱くなった肺に精一杯空気を吸い込み、その言葉を発しました。
飼い主の体が少しばかり動きます。首を少し上げて声のする方を見ます。
私はもう一度言葉を発します。今度は飼い主がしっかりと私の姿を目に捉えました。
「リーベ…?」
飼い主が消え入りそうな声で私の名前を呼びます。ああ、久しぶりに私は私を呼ぶ透き通る声を耳にしました。リーベ、それはドイツ語で「愛」なのです。そう、私の名前はリーベ。
「飼い主、私です。私は、話せるようになったのです。」
「…?これは、夢?」
飼い主は表情を変えずにそう言います。
「いえ、夢ではありません。」
「君、どうして喋っているの?」
飼い主はそう尋ねました。今ここで、あなたを救うためと言っても、飼い主は信じないでしょう。ただ私が、飼い主に望むこと。それで飼い主を苦しめているものから、救ってやれるのなら…。
私は、言葉を選択します。
「飼い主の笑顔を、もう一度見るためです。」
「ぼく…の…?」
飼い主は困惑しています。ただ、不思議なことに、私が話していることには、そこまで驚きを見せていないようなのです。
「はい。だから私と少し外へ出かけてはくださいませんか。私も飼い主の生きる世界を見てみたいのです。」
「ごめん…僕 行きたいところなんてないよ。君をどこにも連れていけない。」
違うのです、飼い主。違うのです。
「良いのです。飼い主のことは私が一番理解しています。私の記憶を辿り、飼い主との思い出の場所に行くのです。」
どうか…。私の声が届くことを、今は願うしかありません。非力な私は、声でしか訴えることが出来ない。飼い主はしばらくして、少しだけ体を起こしました。
「…い…いいよ。だけど、僕は一体何を…。これは、現実なのか…?」
ああ、飼い主。私の声が届きました。
私は、飼い主を外の世界へ、連れていくことに、成功したのです。
私は自分の体重を何とか支えながら、飼い主の少し前を飛んで、飼い主が一番笑っていた場所へと連れていくのです。飼い主はゆっくりですが、私の後ろをついてきてくれます。
初めは…ああ、そうです、あの場所しかありません。私は飼い主を近くの小劇場に連れていきます。今は、私達が初めて一緒に見たコメディ恋愛映画が再上映されているのです。私はタイトルを選択します。
「ドゥ・ウィ・ミート・アゲイン 初夏の恋人たち」
これは、孤島にセカンド・ライフを探しに来た引退後の教師が、元女優で現在はバーを経営している女性と恋に落ちるというものです。平凡な教師という第一印象と、秘められた過去と隠された身体能力の高さというギャップが笑いを誘うのです。
誰もいない劇場に入ると、私たちは肩を寄せ合い、映画を見始めました。2時間ほどの上映時間が終わり、飼い主の顔を私は覗きます。
「私は飼い主を愛しております。」 白柳テア @shiroyanagi
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