「私は飼い主を愛しております。」
白柳テア
手記 一日目
2030年8月26日、世間は一匹の鳥とその飼い主が起こした事件に、涙を流した。
それは、恐怖に怯える涙なのか、美しさに心打ち震える涙なのか。
「鳥が残した手記」を読んだあなたが結論を見届けることとなる。
【一日目】
私は飼い主を愛しております。
7年と5か月、俺と飼い主はただひたすら蜜月を過ごし、お互いを支え合ってきた私たちは、勿論相思相愛、いや、それ以上の存在、阿吽の呼吸でお互いを理解し合う、一心同体そのものなのです。私達の愛の深さは、ペットとその飼い主にしか分かるまい。
出来ることなら、永遠に飼い主と過ごしていたかった。
そんなこと、愛されてきたペットの誰もが望むことでしょう。
しかし私はあと5日後に、死ぬのです。
私達鳥類には、「虫の知らせ」ならぬ「鳥の知らせ」があったのです。
それだのに、このゲームの創造主は、私に残酷な悪戯を仕掛けなさった。
一週間前、私は突然「天才」となったのです。
その日以来、私の知識の吸収をも、今にも私の饒舌を誰も止めることは出来ません。悲しいかな、私の体が日に日に衰えていくのと同時に、私は益々賢くなっていきます。
今、すっかり食欲は失せ、呼吸をするのもやっとです。いつ飛べなくなるかもわかりません。
知性が芽生えたその時、我が身を呪いたくなりました。命の有限性と愛の永遠性というものに気づいてしまったからです。そして、私に自由がないことにも。知性が芽生えなかったペットは、一生ペットであり続けるしかなく、そのことに気づかず死んでいくのです。
自由がない、それはしたいことが出来ないことを意味します。
通常、鳥達にとっての自由とは、鳥かごと飼い主の家からの開放を指すでしょう。
私達には大空を飛ぶための翼があります。固い果物をも器用に嚙み砕く嘴があります。
それらを活かさずして、何を自由と呼ぶのでしょう!?
私は、知性が芽生えた今となっては、そのうち発話も出来るようになるでしょう。
鳥かご、いや飼い主の家から逃げ出すことだって容易に出来ます。
しかし、私は気づいたのです。
愛を前にして、我が身の自由など何の価値があるというのでしょう!?
私は、知性の芽生えた鳥である前に、飼い主を酷く愛する一匹の鳥です。
だから私は誓ったのです。
私の飼い主に、我が身朽ち果てるまで愛を尽くさんと。
残された短い日数で、飼い主の為なら、何でもしてやりましょう。
「…ただいま。」
飼い主の帰宅です。飼い主はいつも20時頃帰宅するのです。
そして私を鳥かごから出し、ソファに座り込んで共にテレビ番組を鑑賞します。
知性の無かった私は、7年と5か月の間、飼い主が私に餌を与え、遊んでくれる存在であること以外、何一つ理解していなかった。
しかし、今となっては飼い主の全てが、痛いほど分かるのです。
飼い主は、人間でいう23歳の年齢の男性です。茶味がかったサラサラとした髪、均整の取れた顔立ち、すらりと細くて高身長の美しい青年です。飼い主が上京し都内の高校に進学する際に、私は飼い主のものとなりました。知性の無かった7年と5か月、飼い主はただ私を可愛がってくれました。飼い主はお人好しで生真面目な性格です。
そして、誰よりも一途なのです。
飼い主は私を愛しております。
私は飼い主の肩の上に乗り、羽を休めてテレビ番組を見るのです。
この空間、いや飼い主の家という世界には、私と飼い主しか存在しません。
この世で最も幸せな時間です。
テレビの中で、成人の女性と男性が話しています。
私達が見る番組、それは恋愛ドラマなのです。
それに気づいた時は、私は酷い嫉妬を覚えました。
私達の愛があるのに、なぜ他人の愛からの刺激を求めるのか。
しかし私はこう思ったのです。これは私達の愛を深めるための前戯にすぎないと。
飼い主は、恋愛ドラマを鑑賞し終わった後、私達の愛の深さを再確認しているのです。
しかし、今日はどうも飼い主の様子がおかしいのです。
ソファに座りこみ、テレビもつけず、ただ俯いています。
「ああ…。」
飼い主のうめき声が聞こえます。
「もう…。僕には無理なんだ…。」
飼い主の声が重苦しくその場に響きます。その時、私は再び「鳥の知らせ」を感じました。
「僕さ…。死ぬことにしたよ。」
飼い主はそう言いました。
私の知る世界が、音を立てて崩れます。
そんなことは、起きるはずがないのです。
死ぬのは私です。消えるのは私です。飼い主が私の世界から消えることはないのです。
飼い主は私を愛しています。
飼い主が死ぬことは、あってはいけないのです。
私は、鳥かごから飛び出しました。
飼い主が驚いて私を見ます。飼い主は、泣いています。
私は飼い主の胸元に飛び込みます。私の爪が必死に飼い主のシャツに食い込みます。
その晩、ご飯も食べず、苦しみに顔を歪め、ただ涙を流す飼い主の側にいながら、
私は誓いました。
絶対に飼い主を救ってやるのだ、と。
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