お願いだからエルトルージェさん、どうか俺をドキマキさせないで

龍威ユウ

第1話:寝込み襲うのやめてもらってもいいスか?

 窓の方を見やれば、今日も相変わらず雲一つない快晴がどこまでも続いている。


 清々しいほどの青にさんさんと浮かぶ日差しはとても暖かくて、その下を優雅に泳ぐ小竜達はさぞ気持ち良さそうだ。


 ――俺にもあんな翼があったなら……。


 なんて、馬鹿馬鹿しい。いくら願ったところで、所詮は人間。


 いきなりミュータントのように翼が生えたならばいざ知らず。


 祓御ふつみ 景信かげのぶはどこまでいったって人間のままだ。それ以上でも以下でもない。



「――、ところでいつまで物思いに耽ておられるのでしょうか? いい加減起きてくださいませんとせっかくの朝食が冷めてしまいます」

「……えぇ、そうですね。あなたがいるからこうして現実逃避の一つや二つ、三つとしたくもなるんですよ」



 ベッドは一人用に設計されているのだから、当然一人が入れば余裕なんてほとんどない。


 ギリギリ、それこそ身体を密着させればまぁなんとか行けなくもないだろうが、そんなことをする相手もいないければ、そもそも気さえまったく起こらない。


 わざわざ好き好んで自分のゆったりとできるスペースに他人を招くなど疲れるだけだ。


 だと言うのにこのメイドはこちらの安眠スペースを平気で妨害してくるから、景信からすればたまったものではなかった。


 一般市民と言う立場にありながら、景信には専属メイドが一人だけいる。


 名前はエルトルージェ・ヴォーダン――腰まで届くさらりと流れる銀の長髪と、滅多なことでは変わることのない能面が特徴的なこの女性だが、人間ではない。


 髪色と同じく銀の毛並みはふわふわとしてさぞ心地良さそうだ、獣の耳と尻尾がこの女性にはある。



「――、ってそんなことよりもちょっといい加減に離れてくれませんか? 毎度毎度人のベッドに勝手に入り込んできて暑苦しいし、決まって悪夢ばっかり見るんですよ」

「悪夢、ですか? それはおかしいですね。私がいつもこうしてカゲノブ様を抱きしめているので、見るのは甘くておいしい夢のはずなのですけど……」

「なんて自分に都合のいい解釈……! 万力で絞められたり、大岩に身体が押し潰されそうになったりと、もう最悪の目覚めばっかりなんですよ」

「固い……? カゲノブ様、一度病院へ行きましょう。きっと触覚に何かしらの異常があるとしか考えられません。でもその前に、じっくりと触ってみてください。一応柔らかさと大きさについては自信がありますので」

「いや結構ですから! そ、それよりも朝食があるんですよね!? 早く食べに行きましょうよ、俺なんか腹減ってきちゃいましたから!」

「むぅ……仕方がないですね。私は一しがないメイド。主人の命令には愚直なぐらい従うのが役目……」


 その主人の断りもなしにいきなりベッドに入ってきておいて、何を言ってるんだこの駄メイドは……すこぶる本気でそう呆れつつ、パタパタと獣耳を揺らして退室したエルトルージェの背中を景信は溜息を混じりに見送った。



「あれがケモノビト……か」



 ケモノビト――獣としての特徴を持ち合わせた人種を総称する言葉で、現在の世界の利権を人類に替わって掌握している。


 ――人類はもうこの世界にはいない、か……。


 この事実は未だに衝撃的であるし、受け入れらえずやっぱり自分は夢でも見ているのではないか。この考えがどうしても景信は拭えなかった。


 なんせ普通に起きたらまったく見知らぬ世界が目の前に広がっていたのだから。


 いつものように学校にいって、家で両親とご飯を食べて、明日は休みだからどんな風にしてすごそうかと計画しながら心地良い眠りに就いた。


 いつもとなんら変わることのない、すっかりとマンネリ化して退屈極まりない日常は、次の日には完全に失われてしまったなど、果たして誰が考えに至ろう。


 ――どうして俺だけが……。


 両親も友人も、とにもかくにも人間と言う種族がこの地上から完全に消滅した今、何故自分だけがこうして生きているのかが、景信は今も不思議でならない。


 古代遺跡――と言う名の病院の地下深く。ひんやりと凍てついた鋼鉄の棺、って言うのは恐らくコールドスリープのこと。


 何かしらの原因があってコールドスリープについたのだろうが、如何せんまったく身に憶えのない景信にとっては謎のままでしかない。


 たった一人だけの人間。知っている者はもうほとんどないし、発見された古代遺跡――もとい、病院に行ったところでこの事態が解決するはずもなし。


 こんなことだったら、いっそのこと――



「――、死んでいた方がマシだった。なんて言わないでくださいねカゲノブ様」

「エルトルージェ……」

「私にとってカゲノブ様は今となっては掛け替えのない存在です。ですからこうして私は専属メイドであることを誇りに思っています。この世において私が仕えるご主人様だけはカゲノブ様だけということを、どうか憶えておいてください」



 ――本当に、このメイドは……。

 ――よくもまぁ、そんな台詞を恥ずかしげもなく……。



 彼女なりの気遣いなんだろう。それだけを言って再びさっさと行ってしまうエルトルージェの後ろ姿に、景信は静かに頬を緩めた。



「あ、ところで朝食はアーンし合いながら食べましょうね。これは決定事項であり、それ以前にこの国の仕来りですので」

「絶対に嘘じゃん!」



 やっぱりこの専属メイドと一緒にいるとドッと疲れる。

 微笑みから一変して、呆れと共に景信は深い溜息をもらした。

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