(9)


 白蓮が扇を一振りすると、茉衣子の身体は砂のように崩れて宙へと舞い上がる。そうして、今まで茉衣子がいた場所にひらひらと白い人形の紙が落ちてきた。

 地面に着く前にさっと拾い上げた白蓮の手元を、大河が覗き込む。


「蔵さんの?」

「ああ。これで彼女の霊魂を固定していたようだな」


 紙人形には、癖のある字で『浅川茉衣子』と書かれていた。陰陽局の鈴木が書いたものだ。


「……浅川さん、自分が霊魂の状態だったこと気づいてなかったね」

「常夜街では霊魂が安定するからな。感覚も地上と異なる」


 そう、茉衣子は蓮夢堂に来た時点で――いや、鈴木と会った時点で、すでに霊魂の状態であったのだ。

 鈴木は出会ってすぐ、紙人形に彼女の霊魂を移し、人の形を取らせていた。彼女の霊魂を安全に蓮夢堂まで運べるようにしたのだろう。のらりくらりの昼行灯に見える彼だが、一応は陰陽師の端くれであり、それなりに術を使える。

 白蓮は紙人形を折り畳んで、ふっと息を吹きかける。人形は鳥の形を取り、白蓮の手から飛び立った。

 主人の元へと戻るそれを見上げていると、くくっと低い笑い声が響く。


「なるほど。何も知らされていなかったのか、あの娘」


 気の毒にな、と劉帆は言う。

 自分が霊魂であることも、そして――


「囮にされたこともな」

「……」


 茉衣子を狙うものを手っ取り早く片付けるためには、探すよりもおびき出す方が早い。しかし、白蓮が側にいれば相手は警戒して近寄ってこない。そこで白蓮は、あえて茉衣子から離れて、不在を狙った相手が茉衣子の元へ集まるようにした。

 結界に使っていた呪符も弱いもので、わざと相手が結界を破りやすいようにしていた。

 また、白蓮は『龍霞ロンシア』に一連の始末を頼んでいた。あの化物を消滅させた、常夜街に描かれた大きな陣は龍霞が用意したものだ。

 すべての準備を終えたところで、最後に大河が茉衣子を連れて窓から逃げる。おびき寄せた相手を逃げ場のない空中に引きずり出し、まとめて始末するという手順だった。


 劉帆の言葉に白蓮は黙ったままだったが、大河がくわっと口を開く。


「そもそも龍霞があの紅包ホンパオを放置していたからだろ! いつもでかい顔して、街の治安は俺が守るとか言ってるんだから、ちゃんとしろよな」


 大河の反論に、意外にも劉帆は「それは悪かった」と素直に謝った。

 拍子抜けする大河は、勢いを無くして口をもぞもぞと動かした後、傍らの白蓮を困ったように見上げた。

 白蓮は小さく息を吐き、扇を閉じながら言う。


「いくら龍霞といえ、地上から来た人間の観光客すべての面倒を見ることは不可能だろう。ましてや、規約を破りあんな危険な物を持ち帰ってしまう者にも非はある。だから浅川嬢を囮にすることを厭わなかった。己の蒔いた種は己で刈り取ってもらう。だが、それで彼女を危険に晒したのは私のミスだ」

「え、違うよ、それは俺がちゃんと浅川さんを守れていなかったからで……いてっ!」


 大河の言葉を遮るように、白蓮は扇で彼の額を打った。大河が額を擦っていると、劉帆がふんと鼻を鳴らして背を向ける。


「……とりあえず、蓮夢堂には一つ借りだな」


 本来、今回の事件は白蓮一人で片付けられたものだ。紅包の化物を空中で塵にするまで刻み、消滅させることもできた。だが、敢えて最後の始末を龍霞に任せたのは、彼らの縄張りで起こったものだからだ。

 そのことをよく理解している劉帆は、それ以上白蓮に突っかかることは無く、部下を引き連れて去っていく。

 残された白蓮は、「さて」と身を翻した。

 時計台の針は、卯の刻(六時)を指している。はるか頭上の藍色の空は少しずつ白み、朝を迎えようとしていた。地上では一日の始まりの時間だが、常夜街では終わりを示す時間だ。


「帰るぞ、大河」


 歩き出す白蓮の後を、大河は追う。


「ねえ、結局あの化物って何だったの? ぶよぶよした肉の塊みたいだったから、太歳たいさいとか、視肉しにくとか……」

「あれはそんな大層なものじゃない。常夜街だから形を取れただけであって、地上ではただの雑霊だ。喰われた霊魂達のなれの果て、というところだな」


 最初はおそらく小さな死霊か、あるいは怪であったのだろう。小さな紅包を餌に人間を引き寄せては魂を喰らい、多くの人間の欲と魂が集まって、あれだけの大きな化物に育った。


「そっか、じゃあ食べられないのか……」

「……昔から意地汚い子供だと思っていたが、お前はそこまで……」


 白蓮に蔑んだ目で見られ、大河は慌てて首を横に振る。


「別にあれを食べようとしていたわけじゃないよ! ほら、視肉だったら仙薬の材料になるんでしょ? 食べたら俺の霊力ももっと増えるかなーって」

「そんな旨い話があるものか。紅包を拾うのと同じことだぞ」

「うう……」


 百蓮にぴしゃりと言われて大河は項垂れる。


「まだまだ修行が足りんな」

「わかってるよぉ……あ、そうだ」


 大河ははっと思いついたように顔を上げた。


「『わたキョン』の第十二話からの花嫁人形編に出てくる四番目の被害者の名前は――」

「何を言っている。第十二話は凶宅編の最終話だ。花嫁人形編は第十八話からで、実際の被害者は三人だけ。四人目になる前に食い止めたが、それを四番目というのであれば……」

「あ、うん、大丈夫、わかった」


 それでこそ白蓮、わたキョンのガチオタ、と一人納得する大河に白蓮は眉を顰めたものの、さっさと歩き出す。


「さっさと帰って、『私と僵尸』を見るぞ」

「はーい。ホント『わたキョン』好きだね」

「何せ主人公の一人が僵尸だからな。あいつの行く末を最後まで見てやろう」

「……白蓮と同じだから?」


 尋ねる大河に、白蓮はわずかに目線を寄こし、片頬を上げて笑っただけだ。


 その白い珠のような肌が熱を持つことは無く、胸の奥にある心臓が鼓動を刻むことは無い。


 元・道士で、現・僵尸。

 それが白蓮の正体であった。


 僵尸になって数百年の彼は、僵尸の強靭な肉体と怪力だけでなく、並み外れた霊力を併せ持ち、陰の気に満ちた常夜街では向かうところ敵なしの男だった。




 お茶と茶菓子を用意してスタンバイし、『私と僵尸』のDVDを流し始めた頃、さっそく鈴木から連絡があった。

 マンションのベランダから錯乱状態で飛び降り、意識不明の重体だった浅川茉衣子が、意識を取り戻したそうだ。

 常夜街での出来事は覚えているようで、白蓮達に礼をしたいとのことである。生気の戻った頬はわずかに赤らみ、「あれは白蓮さんに恋しちゃったんじゃないですか?」と鈴木の余計な一言まであった。


「『わたキョン』みたいに恋が始まるとか?」

「それは無いな」


 大河と白蓮はDVDを鑑賞しつつ、そんな会話を交わしたものだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

常夜街鬼譚 ~見習い道士と冷徹師匠~ 黒崎リク @re96saki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ