(8)


 上方へと向かう肉塊の進路をふさぐように、暘谷剣に乗った大河が躍り出る。


「逃がすか、よっ!」


 剣を軽く蹴って、浮いたそれを手にした大河は、思いきり振り被って肉塊へ一撃を与えた。切り裂くまではいかないものの強い衝撃を与え、壁面を掴んでいた肉塊の手の半分が剥がれる。


「せぇーの!」


 まるでバットを振り回すようにもう一撃与えて、大河は肉塊を壁面から完全に引き剥がした。宙に浮いた肉塊は手足を触手のように伸ばして壁面を掴もうとするが、掴む前に大河が剣で斬り払う。

 斬られた手足をばたつかせながら肉塊が落ちていくのを、大河は再び剣に乗って追いかけた。


「白蓮! このまま落としていいの?」


 下方に広がる常夜街の町並みを見ながら大声で尋ねる大河に、白蓮が答える。


「ある程度小さくしておけ」

「わかった、ぶつ切りくらいだね!」


 剣を振るうよりも包丁を扱う方が得意な大河はそう返しながら、近くの屋根に飛び移る。足場を確保した大河は剣印を結んで集中し、暘谷剣を黒い肉塊へと向けた。

 白蓮もまた虞淵剣を操り、茉衣子を狙って向かってくる肉塊を切り刻んでいく。

 宙を飛ぶ黒い剣の動きは、大河のものよりも複雑かつ俊敏で、鋭い。あっという間に肉塊の手足を斬り落として、浮かび上がる口を切り裂く。

 白黒の双剣は交差するように飛び、時に高く澄んだ音や激しい光を発した。柄の房飾りがはためき、玉は星のようにきらめく。優雅さと苛烈さを兼ね備えたそれらは、激しく美しい剣舞のようであった。


 自在に舞う双剣によってぶつ切りにされた肉塊は、ばらばらと常夜街へ落ちていく。

 肉塊の一つが民家の屋根にぶつかる寸前、ジュッと音を立てた。肉塊は赤い口を限界まで広げて、耳に突き刺さるような悲鳴を上げる。そうして、端から溶け出していき、燻る黒い煙を上げた。

 他の肉塊もまた、回廊や屋台にぶつかる前に音を立てて溶けだし、次々に悲鳴を上げる。


 肉塊には分からなかっただろうが、上空で見ていた大河は気づく。

 肉塊の落ちる場所をすべて囲うように、大きな光の円が街の中に浮かんでいたのだ。

 赤い光を放つそれは、巨大な陣だ。呪術の勉強中である大河にすべての文字は読めないが、除不浄符や破邪符に描かれるものと似ている。どちらも穢れを祓い、災いを消す意味を持つ。

 すべての肉塊が陣の範囲に落ちて、ジュウジュウと音を立てていく。焼肉のホルモンみたいだ、と大河は呑気に考えながら陣の近くまで降り立った。

 茉衣子を抱えた白蓮が虞淵剣で降りてくるのを待っていると、大河の近くに落ちていた肉塊が赤い口を歪に動かす。


「……オま、エ……ヨう、りュウの、コ……いつ、カ、くワレる、ゾ……びゃ、くレン、にッ――」


 言葉が急に途切れたのは、肉塊を踏みつけた足のせいだ。

 肉塊を陣に押しつける足は、黒革の長靴ブーツに包まれている。断末魔を上げる肉塊を、足は無情にも踏み潰した。


「――ああ、汚れてしまったな」


 淡々とした声の主は、堂々とした体躯に深紅の長袍をまとっていた。

 高い背に長い手足、彫りの深い整った顔立ちをした男だ。垂れた眦に凛々しい眉を持ち、精悍さと色気を兼ね備えた美丈夫で、微かに上がった口の端や睥睨する眼差しからは傲慢さと冷酷さが滲み出ていた。

 長い黒髪を撫でつけ、後ろできっちりと一つに束ねた美丈夫に、大河はあからさまに顔を顰めた。


劉帆りゅうほ……」

小猫シャオマオか」


 片頬を上げて笑う男の名は尚劉帆。

 常夜街に幾つもある組織の中で最大の『龍霞ロンシア』の頭領であり、白蓮の古くからの知人でもある。

 そして、大河の天敵でもあった。

 にやにやとした嫌な笑み(大河にはそう見える)を浮かべる劉帆に、大河は言う。


「小猫じゃない、大河だ! 相変わらず物覚えの悪い奴だな」

「名は体を示すと言うが、貴様が大河という器か? せいぜい小河だろう。俺より大きくなってから言え」

「小さな川はいずれ大河に繋がるんだぞ。俺は大器晩成型なんだ!」

「はっ、口だけは達者だな。師匠の影響か?」


 鼻で笑う劉帆に、大河はムキになってさらに反論しようとしたが、その前に白蓮が降り立った。


「劉帆、子供をからかうな。お前もいちいち相手にするな、大河」


 大河を軽く諫めながら、白蓮は虞淵剣を鞘に戻す。白蓮の横には、地面に下ろされた茉衣子がへたり込んでいた。

 すでにほとんどの肉塊が陣の上で消滅しており、燻る黒い煙だけが辺りに漂う。


「……お、終わったんですか……?」

「ああ、あなたを狙うものは消えた」


 呆然とする茉衣子に劉帆が近づき、腕を取って立ち上がらせる。


「まずは謝罪を。我が領内でこのような事件を起こして申し訳ない。治療費や諸々の迷惑料は、龍霞が支払わせてもらう」

「え……ろんしあって、あの『龍霞』? ……あ、あの、別に怪我もしていないし、大丈夫です!」


 茉衣子は目の前の美丈夫に頬を赤らめながら、慌てて首を横に振った。


「白蓮さんや大河君に助けてもらったし、そもそも私が紅包を拾ったのが悪いし……」


 だからお金とかは別に、と言いかける茉衣子に、劉帆は苦笑する。


「受け取っておいた方がいい。己のためにもな」

「え?」

「何だ、気づいていないのか」


 劉帆が横目で白蓮を見やると、白蓮が扇をばさりと広げた。


「……浅川茉衣子。身体に戻りなさい」


 白蓮の言葉と同時に、茉衣子の輪郭が揺らいだ。

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