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プロローグ


 幸せな生活とは、砂糖菓子のように甘い。

 享受できる時間を至福に思い、ずっと続けばいいのにと夢中になって食べ続ける。

 だが、そんなもの食べ終わってしまえば一瞬にして消える。

 甘いお菓子など、一人二人が「食べたい」と横から割り込むだけで終わってしまうものなのだから―――

「おとう、さま……?」

 そうだ、今日は学校があったんだ。

 いつものように支度をして、新聞を読んでいる父親と微笑みながら手を振ってくれる母親に見送られて玄関の扉を開けたはず。

 そして、帰ってきたら「おかえり」という言葉をもらうのだ。

「おかあ、さま……?」

 でも、今日はいつもと違う。

 あれ、? なんで動いてくれないの?

 ねぇ、どうして? どうして、二人共死んじゃってるの???


『今日も楽しく生きなさい。そうすれば、ソフィアはずっと幸せな時間を過ごせるから』

『ソフィアちゃんはね、幸せにならなきゃダメよ? 家庭を持ってもいいし、夢があるなら追いかけてもいい、なんでもしていいわ……けど、絶対に幸せになるの』


 そんな口癖を、今日は言ってくれないの?

 いつも言ってくれているじゃないか―――幸せになれと、家を出ていく時も家から戻って来る時も、ご飯を食べる時も寝る前もずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと。

 それなのに、なんで今日は言ってくれないの?

「ふふっ……あはははっ」

 少女はその場にへたり込んでしまった。

 口からは乾いた笑い声しか出てこない。死んでいると分かっているのに、どうしてか自分の顔は笑ってしまっている。

 駆け寄ることも、誰かを呼ぶことも少女にはできなかった。

 ただ、笑いながら涙を流すだけ。それこそ、日が暮れるまで永遠と笑い続けた。

「どうし、て……ッ!」

 一つ、父親から聞いたことがある。

 平和に平穏を重ねた甘く幸せな今の世界は全てが表面上のものでしかなくて。

 いつもその裏には国家間における策謀と思惑が入り混じる情報戦が繰り広げられているのだと。

 自身の派閥に敵対する者はすべからく排除され、今日もまた誰もが疑いもしない平和な日常が始まるのだ。

 それを生み出しているのが、人知れず暗躍をする


 父親は国の役人の中でも上に立つお偉いさんであった。

 もしかして、という言葉が脳裏を過る―――


 そして、あれから数日の月日が経った……世の中は、上に立つ者がいなくなっても平和な日常を謳歌している。

「そう、ですか……そう、ですよね……」

 どうして人が死んでいるのに、誰も騒いでくれないのか?

 どうして何事もなかったかのように日々が始まっているのか?

 そんなの、決まっている。

「お母様……私、幸せになります」

 その前に


「幸せを奪ったスパイを……見つけます」


 第一部


 二年前、産業の発展により著しく成長を遂げた国が───終わりを迎えた。

 技術者や権力者による資本主義の時代は幕を閉じ、新たに共和制を求める国へと変わっていく。

 ローゼス共和国。

 資本主義の政権へ革命を起こし、新たに生まれ変わった国の名前だ。

 富裕層と貧困の格差は革命後に落ち着き、飢えで苦しむ人間も少なくなったように思える。

 正に平和の到来だ。

 これからは今まで積み上げてきた他国にも負けない技術を手を伸ばせなかった若者が学び、更なる発展を遂げていくだろう……は。

 何事も綺麗事では終わらない。

 英雄や偉人が名前を残し、偉業を成し遂げたとしても、必ず美談だけではない背景が存在するのが世の常。

 革命後、平和になったと思われたローゼス共和国でも、それは変わらない。

 平和を維持するのであれば、それなりの労働と代償が必要になる。

 そう、例えば───


「どうしたんだい、坊や? どこか怪我でもしたのかい?」

 街の賑わう繁華街から少し離れた場所にある一つの小さな医院。

 白衣を着た男性が扉を開けると、そこにいたのは鋭い赤目を持った金髪の少年であった。

 見慣れない顔だ。最近ここで働き始めたのだから、そう思ってしまうのもおかしくはないかもしれない。

「怪我、しているように見える?」

「見えないねぇ……だから、うちに何か用かい? ここは医院だから、病人以外にお茶なんか出してあげられないんだよ」

「まぁ、そうだよね。」

 肯定する少年。

 はて、であればどうしてこんな医院に来たのだろうか? 男はそう思い首を傾げ───


「でも気にしないで。僕はただ、密売人を殺しに来ただけだから」


 パァーン、と。

 乾いた音が響き渡る。そのあとに続いたのは、何かが崩れ落ちるような音と、足元に広がる真っ赤な液体であった。

 少し離れた場所にある医院での発砲音など、繁華街を歩く市民に聞こえるはずもない。

 騒ぐとすれば、同じ医院にいる人間ぐらいだろう。

「あちゃー、殺しちゃっていいんですかね? まともなお医者さんだったかもしれないですよ?」

 建物の影から、ひょっこりと一人の少女が顔を出す。

 肩口まで切り揃えた茶髪に琥珀色の双眸、愛くるしい顔立ちと小柄な体躯がどこか小動物を連想させる。

「誰かを救うはずの医者を殺せば、リーダーは後ろ指刺される窮屈な人生への切符を渡されますからね? もしかして、そういうのがお好きだったり???」

「馬鹿言うな。リストに載ってあった資本主義派の密売人だ。でなければ、こんなにすぐ中からお仲間が熱烈な歓迎をしてくるわけがないだろう」

 バタバタと慌ただしい足音が医院の中から聞こえてくる。

 素人でも分かるほど音が大きく、人数が多いのを表していた。少年の言う通り、これが普通の医院ならこれほど足音が響くわけもないだろう。

「数は?」

「音だけで判断していいのなら五十人。金属音も混ざっているので、ご丁寧にライフル装備です」

「カンナが音だけで判断するなら間違いはない。ほら見たことか、普通の医院がぞろぞろ鉛玉ぶっこもうとは思わないでしょ」

 少年は手に持っていた銃を少女に渡すと、懐からが嵌っている手袋をつけ始めた。

「そういえば、サラサの奴はどこに行った?」

「サラサさんなら───」

「私ならここにいるわよ」

 少年達の背後から声がかかる。

 振り向けば、赤髪の女性が肩に少し大きめの日傘を担いでゆっくりとこちらに向かって歩いてきている姿があった。

 加えて言えば、片手で二人の男をズルズルと引き摺りながらのご登場だ。

「見張り二名いたわ。とりあえず片付けておいたけど」

「流石ですね、サラサさん!」

 少女の賞賛の声を笑って返すと、女性は男を適当に放り投げる。

 雑な扱いをされたのにもかかわらず何も反応が見えないのは意識を失っているからか、それとも───

「構えろ、二人共」

 少年の声に、二人は笑みを消してすぐに前を向く。

 視線の先には、銃やナイフで身を固めた人間達がワラワラと押し寄せてくる姿があった。


「仕事だ、とりあえず資本主義派のクソ野郎共を掃討する」


 そう口にした瞬間、手袋に嵌った石が淡く輝きだし……少年の体に弾ける蒼い光が生まれた。


 ♦♦♦


 ベリルレア、という面白い鉱石がある。

 それは人体に身に付けることによって人間に眠る特別な体質を一つ引き出せるといった、ファンタジーな物語に出てくるようなものだ。

 その鉱石は限られた場所での採掘しかできず、現在は世界でもローゼス共和国の王都付近の鉱山でしか採掘ができない。

 これこそ、産業国家と呼ばれるローゼス共和国の大きな要因とも言えよう。

 たが、それも一部の人間しか知らない話。表向きには、そんな鉱石は存在しないと思われている。

 だからこそ、表向きの場所に流出しないよう国の中枢が抱えておくのだが……時折、情報の漏洩から始まった内緒の密輸が生まれてしまう。

「資本主義のサルめ……またこんなに溜め込んで」

 赤い髪と同じ色をした液体を袖で拭いながら、女性───サラサが吐き捨てるように口にした。

「医院の地下にはベッドがあって、その下にはベリルレアの箱……宝探しゲームでもしているみたいですね〜」

 そう呟きながら、ベッドの下からいくつもの箱を取り出していく少女───カンナ。

 蓋を開ければ、緑色の鉱石がいくつか詰め込まれており、それはどこか少年のつけている石と同じように見えた。

「宝物が国の秘匿事項なら笑えないよ。主催者を殺して奪うっていう強盗に早変わりするんだから」

 少年───サクはベッドに腰を下ろしながら、つまらなさそうに口にする。

「それにしても、資本主義派の密輸も増えてきたわね……情報部の見解は正しかったかしら?」

「局の内部に資本主義派が紛れ込んでるって話ですか? まぁ、こんなに資本主義派の人間が密輸していれば、疑うのも分かりますけどね」

「上が何を思っているかなんて関係ない。僕らは黙って共和国の平和に貢献すればいい。そのための情報部だ」

 表向きの平和が続き、裏での抗争が広がっている中、共和国は南北で派閥が分かれてしまった。


 現在の共和国を維持したい共和国派。

 かつての資本主義を取り戻したい資本主義派。


 その共和国派では、資本主義を取り戻そうとする人間を食い止めるために一つの組織が作られた。

 それが情報部。治安を維持するための軍部統括部が生み出した、が集まる集団だ。

「まぁ、そうですね〜。誰にも褒められはしませんけど、金はガッポリもらえるわけですし!」

「金しか見えてない資本主義の猿共と同じ考えをするなって言ってるでしょ?」

「でも事実、お金がないと生きていけない世界じゃないですか? うちのリーダーだって、わけですし」

 チラりと、カンナはサクの方を見る。

 相変わらず無表情で、どこか冷たい雰囲気を感じた。

「僕には治したい奴がいるから……資本主義の猿共にはなりたくないけど、金がないと意味がないのは事実だ」

「それは、そうだけど……」

「……まぁ、無駄口叩かずにさっさとベリルレアを回収して出るぞ」

 そう言って、サクは立ち上がると箱を抱えて部屋を出ようとする。

 それに続いてサラサも、カンナも背中を追った。

 その時───

「でもリーダー……いいんですか?」

「ん? 物も回収したし、資本主義派の密売人は全部殺しといたでしょ」

「いえ、奥にまだ一人いる音が聞こえるんですけど……」

「はぁ?」

 サクの足が止まる。

「リストにある猿は全員殺したわよね?」

「でも、さっきから小さな呼吸音が聞こえてきます。まぁ、私の耳の精度を疑うのであれば気のせいかもしれませんが」

 今回、局から与えられた任務は『医院に偽装したリストに名を連ねる資本主義派を殺す』こと。

 リストに書いてある人間は全て殺したのは、三人で確認したはず。

 となるとカンナの気のせいか、あるいは───

「……聞こえてくる場所を教えて」

「あいさー!」

 そう言って、可愛らしい敬礼のポーズを見せると、物すら置かれていないコンクリートで作られた壁の方を指さした。

 何もないじゃないか。そう思ってしまうのも不思議ではない。

 しかし、ここは医院に偽装した密売人のアジトだ。

 当然、見せかけだけでないのは疑う余地もない。

 サクは懐から手榴弾を取り出してピンを抜くと、そのままカンナの指さす方へと放り投げた。

 すると小さな爆音と振動が響き、コンクリートの壁が一瞬で瓦解する。

「こr、地下で投げるものじゃないわよ」

「普通はこの程度じゃ崩れないよ」

 でも壁は崩れている。

 つまりは、地下にもう一つ部屋があったということだ。

 崩れた壁が砂埃を上げ、しばらく室内に立ち込める。

 徐々に砂埃は床へと沈み、崩れた壁の景色が晴れていく。

 そして───

「ねぇねぇ、リーダー。この場合ってどうすればいいんですかね? 指示をプリーズなんですけど」

「おい、僕も聞いてないぞ」

「確かに、これはおかしな話ね」

 視界の晴れた先───そこにあった空洞に、一人の少女の姿があった。

「あなた方は患者……というわけではありませんね。どうやらのようです」

 その少女は手足を鎖で繋がれており……薄らとこちらに向かって笑みを浮かべていた。

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