こういう「韻」の踏み方もありですね。

この作品は、基本的に、1行を同一文字数で仕上げられています。
それが、内容もさることながら、この作品全体を、引き締めているのです。

基本的に韻というものは、音で踏んでいくものでしょう。
ですが、現代のパソコンのワープロ機能の特質を考えた場合、音で踏むよりむしろ、誰もが見て一目瞭然な、文字数(=長さ)をそろえるという「韻の踏み方」というのもありかと、そんなことを考えさせられました。

なるほど、こういう「韻」の踏み方も、ありだな、と。