第6話 リプロダクション2

「子供を産まない理由は、私みたいなことになるのがわかっているから。要するに戸籍のない子ね。私は戸籍を二度と持つ気はないの。意地でも持たない。持てばどうせ今までの私の苦労がなかったかのように振る舞うのが公務員なの。それもわかるんだけどね。」

「ごめんね。子供欲しかった?」

 そう言って彼女は笑った。僕は笑って首を横に振った。今までの僕なら子供を作らない結婚や交際といったものを考えられなかっただろう。なぜならそれが「普通」だから。そうすることがあたりまえのことなのだと考えていたし、そのあたりまえからはみ出さないことが大事なのだとさえ考えていた。

 ただ、僕は今、一歩そのあたりまえから足を踏み外した。彼女と付き合った瞬間からそれは予定されていたのかもしれない。


 彼女はアルコールとともに生まれた。母親はアル中で、出産の瞬間まで酒を飲み、痛みを誤魔化していた。そして母親がその大量のアルコールを畳の上に吐くと同時に、名前のない咲は母親の膣を通って、世界へと投げ出された。それは文字通り投げ出されたようなものだった。咲は母親の枕営業によって生まれた子供だった。だから、母親は言ったのだ。

「店長、この子の責任をとってください。でないと私はこの子供を捨ててしまいます。私には育てられませんから。」

 母親の言葉はある意味正しかった。もてない責任をその人間におしつければ、破滅へ向かうのは当然なのだから。店長は困りながらもその子供を引き取った。従業員が犯罪で捕まれば人員も減るし、評判も悪くなる。それに、当時咲の母親はその店の一番人気だった。たぶん咲の美貌もその母親譲りなのだろう。

 店長はその子が産まれて何日たつのか知らなかった。そもそも拾ったようなこの子供の母親が誰なのかの証明もできていない。だとすると出生届を出せない。そこで彼の思考は止まった。そしてそのまま育てていくことだけが選択肢として残った。


 それだけの内容を話したあと、なおも彼女は話を続ける。彼女の人生は無難な特徴のない僕と比べ、話すべきことが多くあった。

「それでね、そのまま父親の経営するキャバクラでバイトをするようになったの。だから枕営業も父は許さない。」

「お母さんは?」

 そう尋ねると彼女は少しだけ眉根に皺を寄せて、

「私が物心つく前にやめたそうよ。だからお母さんの顔は知らない。」

 と応えた。

 戸籍がないまま生きることの大変さを僕は想像した。僕の想像できないようなことまでもがたぶん障害となるのだろう。病院へも行けないし、歯が痛くても歯医者へも行けない。彼女はどうやってそんな障害を乗り越えてきたのだろう。

「そういえばさ、堕ろすって病院行けないのに、どうやったの?」

 僕はずっと気になっていたことを尋ねた。

「それに関してはそういうところがあるのよ。この業界で妊娠なんてよくあることでしょう? だからそれ専属の医者がいるのよ。もちろんただで堕してくれるし、非公式だから戸籍もいらない。」

「へー。」

 僕はなんだか不思議な感慨を覚えた。命を救うための医者ではなく、生まれ出る命の息の根を止める医者というのは、どこか矛盾しているように思えたのだ。しかし、それで咲のような子供を産まないことにつながっている。それがはたして許されることなのかどうかわからなかった。当事者でない人間はそれでも産めというのだろう。もしかする幸せになるかもしれないなどという、責任のとれない仮定法未来を並べて。しかし当事者からするとそれはあるていど確実性のともなった未来なのだ。不幸は、繰り返される。

「もう寝よう。明日も仕事でしょ?」

「うん。」

 咲の言葉に頷く僕。布団に入り電気を消す。僕のとなりに咲が潜り込んでくる。長い髪の毛からは少しだけ汗の匂いがし、あわせてタバコの匂いが髪の表面から漂った。深く息を吸い込み、その匂いを僕の中に入れる。戸籍なんてなくても咲はちゃんとここにいる。それだけでいい。それだけのためになら、僕は自分の「普通」という砦も壊していい。目を瞑り、僕は深い眠りの海の中へと潜っていった。

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死にたいと星に願う 青空卵 @seiyatoguchi

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