その五


「――王宮から出ていけっ!!」


 突然響き渡った罵声に、人々はぎょっとして立ち止まった。


 十時、王宮一階大階段脇。

 一時間前に開店した『カフェ・フォルコ』には、本日も店長代理のイヴが立っていた。

 この前日、一月ぶりに帰国した店長オリバーは、旅先で手配していた荷が届いたために席を外している。

 荷の中身は、言わずと知れたコーヒーの豆――アンドルフ王国の要人達の試飲を経て、期間限定で『カフェ・フォルコ』の品書きに加わることになった、新しい品種だ。


「お待たせしました。シナモンコーヒーでございます」


 湯気を立てるカップをカウンターに置いて二歩後ろに下がったイヴは、罵声が聞こえた王宮の玄関に目を遣る。

 カップの中身は、豆と一緒にシナモンを挽いて淹れたコーヒーで、注文者はイヴが離れたのを確認してからそれを手に取った。


「なんだ、あれ。騒がしいな……」


 カップに口をつけつつ、イヴの視線の先を訝しげに見るのは金髪碧眼の優男、ダミアン・コナー。

 二股騒動にイヴを巻き込んだ末、彼女の胸ぐらを掴んだところをウィリアムに見咎められ、一晩留置所に放り込まれた、あのダミアンだ。

 その後、一連の関係者に真摯に謝罪したことでひとまずはお咎めなしとなったものの、ウィリアムからはイヴに手が届く距離まで近づかないよう言い渡されている。

 それでも、週に三度は『カフェ・フォルコ』に顔を出すのは、彼が純粋にイヴの淹れるコーヒーを気に入っているからだ。

 この日もウィリアムの命に従って、イヴからは距離をとりつつをシナモンコーヒーを堪能していたダミアンだが、なおも続いた罵声にそれを吹き出しかけた。


「そこの小娘! 聞いているのか! おい、お前だ――イヴ・フォルコ!!」

「――げほっ……イ、イヴさんに言ってたのか!? って、あれ、まさか……」

「その、まさかですね――メイソン公爵閣下です」


 王宮一階正面玄関は、この時騒然となっていた。

 今朝早く、議席剥奪の通達を受けたメイソン公爵が、それを不服として押しかけてきたのだ。

 とはいえ、これは想定の範囲内。

 玄関を守る衛兵が集まって、彼の侵入を阻止していた。

 メイソン公爵が城に入ることを制限する理由はないが、彼は国王陛下から『カフェ・フォルコ』への接近禁止を申し渡されているため、店からほど近い場所にある正面玄関は利用できないのだ。

 また、ウィリアムが直々に手配した信頼のおける衛兵――いつぞやイヴが侍女との仲を取り持ったオズ・ウィンガーも、『カフェ・フォルコ』の側で警備に当たっている。

 玄関にはすでに何人もの衛兵がいるため、オズの出番はないかと思われたが……


「ダミアンさん、ほら、モフモフですよ。お好きでしょう?」

「いや……あれは、ちょっと……」


 実は、現メイソン公爵もオオカミの耳と尻尾を持つ先祖返りだ。

 ただでさえ常人より力が強い上、獣の耳が大好きなダミアンでも食指が動かないような、筋骨隆々とした恵まれた体格をしている。

 そのせいで、心なしか衛兵達も押され気味だった。


「あいつのような、どこの馬の骨とも知れない女の子供を王宮でのさばらせておいて、由緒正しきメイソン家を排除しようなどと――いったいどういう了見だっ!!」

「ち、父上っ……どうか、落ち着いてください! これ以上問題を起こしてはっ……」

「黙れ! この、できそこないが! 後継のお前がそのように気弱だから、舐められるんだっ!!」

「……っ」


 一方、メイソン公爵に罵声を浴びせられつつも、衛兵と一緒に彼を止めようとしている身なりのいい男性は、本妻が産んだ長男エリアス・メイソン――ルーシアの腹違いの長兄だ。

 父親に似ず優しげな面立ちの男だが、あいにくオオカミ族の特徴を持ってはいない。

 偏った考えに縛られるメイソン公爵家において、嫡子にもかかわらず彼がどれほどの辛酸を舐めさせられているのかと思うと、直接親交のないイヴでさえ胸が痛んだ。

 埒が明かないと判断したのか、衛兵の一人が上役に知らせようと大階段を駆け上がっていく。


「イヴさん、カウンターの中にいてくださいね」


 見かねたオズがそう言いおいて、メイソン公爵を阻止する同僚を加勢しに行った。

 いやはや、大変だなぁ、なんて他人事のように呟きながら、優雅にシナモンコーヒーを飲んでいたダミアンは、次の瞬間ぎょっとする。

 オズの忠告にもかかわらず、イヴがカウンターの外に出てきたからだ。

 

「ちょっ、ちょっと? ちょっとちょっと!? 何を……」

「公爵閣下は私に御用のようですので、お話ししてまいります」

「えっ!? いやいやいや! 危ないよ! だめだって!」

「飲み終わったカップはカウンターに置いておいてくださいね」


 イヴを引き止めようにも、触れるどころか近づけないダミアンはおろおろするばかり。

 その間に、イヴはエプロンドレスもヘッドドレスも付けたまま、とことこと玄関の方へ歩いていってしまった。

 そうして、何人もの衛兵をぶら下げた巨漢に、平然と声をかける。

 

「公爵閣下、ごきげんよう」

「なにが、ごきげんようだ! ふざけるな! どこの馬の骨とも知れない女の子供が……」

「五十回目」

「――は!? 何だがっ!!」


 衛兵達――特に、イヴの警護をウィリアムから任されたオズも、メイソン公爵家の後継エリアスも、大慌てで離れるように訴える。

 しかし、イヴは背筋を伸ばして王宮玄関に立ち塞がった。


「どこの馬の骨とも知れない女の子供、と閣下に言われた回数ですよ。さっきのが四十九回目で、今のが五十回目です」


 訝しい顔をする相手に向かい、彼女は毅然と続ける。


「最初は一歳の時。兄の王立学校の入学式でしたね。その次は、ロメリア様の二歳のお誕生日パーティー、ウィリアム様の七歳のお誕生日パーティー。それから、当店のカウンター越しに二十一回、庭で鉢合わせして十三回、馬車の窓から十回、それから――父の葬儀の時」


 記憶力がいいというのも考えもので、いい記憶も悪い記憶もイヴの中には鮮明に残っている。

 自分を罵るメイソン公爵の口調も表情も、その時の周囲の反応も、自身が覚えた気持ちも、何もかも全て。

 それを踏まえた上で、イヴは続けた。


「実は、ずっと閣下にお伝えしたいことがあったのですが――これが最後の機会になるかもしれないので、今ここでお伝えしておきますね」

「な、何を……」


 コーヒー一杯に付き伝言一件。

 思えば、人の気持ちを代弁する機会は多々あるものの、自分の言葉を誰かに伝えることは多くはない。

 いや――世界一かわいい、とウィリアムにだけは頻繁に伝えてはいるが。

 それを伝えた時の、彼の困ったような、照れくさそうな顔を思い出してしまったものだから、自然と顔が綻んでしまう。

 イヴは、笑顔のまま言った。


「どこの馬の骨とも知れない女の子供ですけど、私は結構幸せですよ?」

「なっ……?」


 思いも寄らないことだったらしく、メイソン公爵が一瞬ポカンとした顔になる。

 ピンと立ち上がった彼のオオカミ耳を、イヴは不覚にも、ちょっとかわいい、などと思ってしまった。

 彼女はそれを払拭するみたいに、こほんと一つ咳払いをする。


「確かに、私は母がどこの誰なのかを知りませんし、父も教えてくれないまま亡くなってしまいましたので、閣下が私をそうお呼びになることは否定できませんが」


 イヴはそこで一度言葉を切ると、ぐるりと周囲を見回してから続けた。


「でも、家族にも友人にも、それから今は素敵なお客様にも恵まれて、私は幸せでございます」


 この時、王宮玄関での騒ぎに足を止めた人々の中には、『カフェ・フォルコ』の常連客も大勢いた。

 彼らは、イヴの言葉に心なしか誇らしげな顔をする。

 それを目の端に捉えたイヴは勇気づけられた気分になって、メイソン公爵の厳めしい顔も真っ直ぐに見据えることができた。


「ですので、どこの馬の骨とも知れない女の子供という言葉で私を傷つけようとお考えなのでしたら、それはことごとく失敗に終わっております。ええ、今さっきのは、記念すべき五十回目の失敗――残念でございましたね?」

「な、なな……何だと……」

「――ぶふっ!」


 ここにきて、イヴの言葉にたまらず吹き出したのは、離れたところで見ていたダミアンだった。

 それに釣られたみたいに、観衆にもじわじわと笑いが広がってしまう。

 一方で、衛兵やエリアスは顔を強張らせた。

 気位の高いメイソン公爵が笑い者にされて黙っているはずがないからだ。

 案の定、彼は顔を真っ赤にして怒り出した。


「こ、この小娘が……ぬけぬけと! 私を馬鹿にしているのかっ!!」


 大きな身体を奮い立たせ、自身を押し留めていた者達の手をついに振り解く。

 そうして、まさしく獣のごとく凄まじい咆哮を上げた。


「その生意気な口をきけなくしてやる――!!」


 メイソン公爵の左手が、イヴの胸ぐらを掴む。

 いつぞや逆上したダミアンがそうした時とは、比べ物にならない乱暴さで。

 さらには、イヴのまろやかな頬をぶとうと右手を振り上げ――





「――口がきけなくなるのは、貴様だ」





 しかし、それが振り下ろされることはついぞなかった。

 メイソン公爵の右手を、宙で掴んだものがあったためだ。


「イヴに、触れるな」


 ぞっとするような声でそう言ったのは、ウィリアムだった。

 間一髪駆けつけた彼は、メイソン公爵の左手をイヴの胸ぐらから叩き落とすと、捕まえていた右手を軸に相手の身体を放り投げる。

 衛兵が束になって必死に抑えていたものを、片腕一本であっさり制してしまったのだ。

 ドッと地響きを立ててひっくり返った巨体に、すかさず衛兵達が飛びついて押さえにかかる。

 我に返ったメイソン公爵が喚こうとするが――


「――黙れ」


 ウィリアムが鋭く一喝すると、とたんに口を閉ざしてしまった。


「陛下の命に背いたな、メイソン公爵」

「で、殿下……」


 ウィリアムはイヴを片腕に抱え、地面に這いつくばった相手を冷ややかに見下ろす。

 先ほどまでの威勢はどこへやら、メイソン公爵は小さくなって震え出した。

 彼も力のある先祖返りだからこそわかるのだ。

 どうあがいても、ウィリアムには敵わないということが。


「イヴに手が届く距離まで近づくな――そう命じられたのを忘れたのか」

「し、しかし……近づいてきたのはその娘の方で……」

「理由の如何を問わず、と陛下は申されたはずだが?」

「うぐっ……」


 ここでようやく、先ほど階段を駆け上がっていった衛兵が戻ってきた。

 彼がウィリアムに知らせたのだろう。

 その衛兵に場所を譲って、ふらりと立ち上がったのはメイソン公爵の長男エリアス。

 彼をちらりと一瞥してから、ウィリアムは静かな声で言う。

 

「私は、個人の主義主張に口を出すつもりはない。メイソン家の純血回帰主義も、悪と断じることはないだろう」


 腕に抱き込まれていることで、その声が耳からだけではなく身体を振動して伝わってくる。

 彼の温もりが、巨漢にぶたれそうになったことで跳ね上がっていたイヴの鼓動を宥めてくれた。

 ウィリアムは返事もできない相手に、しかし、と続ける。

  

「その主義主張が誰かの犠牲の上でしか成立しないものであるとしたら――私は、看過することはできない」


 そうして、衛兵達に下がるように言うと……


「――立て」


 メイソン公爵に向かって厳かに命じた。


「振り返らず、口を開かず、このまま城を出て屋敷へ戻れ。貴様への沙汰は、陛下ではなく、新たなメイソン公爵より下るだろう」


 その言葉にはっとしたメイソン公爵が、傍に立つ息子を見上げて口を開きかける。

 しかし、ウィリアムはそれを許さなかった。


「――去れ。これ以上の無様を晒すな」


 これが、最後となった。

 メイソン公爵はふらふらと立ち上がると、命じられた通り振り返らず、口を開かず、とぼとぼと城門の方へ歩き出す。

 心なしか、その身体はひとまわりもふたまわりも小さくなったように見えた。

 ウィリアムは、城門まで付き添い見届けるようオズに命じると……

 

「エリアス・メイソン」

「……はい、殿下」


 呆然と立ち尽くしていたメイソン公爵の息子――いや、たった今、新たなメイソン公爵となったエリアスに向かって言った。


「メイソン公爵家の伝統を否定するつもりはない。しかし、それが産んだ負の連鎖は、誰かが断ち切らねばならない」

「……はい」

「私も――陛下も、それを君に期待している」

「――はい」


 悄然としていたエリアスが顔を上げた時、その瞳には光が宿っていた。

 彼は一つ大きく深呼吸をしたかと思ったら、憑き物が落ちたような顔をウィリアムと、その腕の中にいるイヴに向けた。


「父の数々のご無礼、代わってお詫びします。誠に、申し訳ありませんでした。それから――イヴさん」

「はい」

「ずっと、あなたにお礼を言いたかった。妹と……ルーシアと仲良くしてくれて、ありがとう。どうかこれからも末長く、あの子と友達でいてやってください」

「もちろんです。どこの馬の骨とも知れない女の子供でも、私が幸せでいられる理由の一端を、ルーシアさんの存在も担ってくださっているんですから」


 イヴの言葉に、エリアスは心から嬉しそうな顔をする。

 たとえ腹違いでも、彼がルーシアを妹として大切に思っていることがひしひしと伝わってきて、イヴも嬉しくなった。

 

「いつか、あなたが淹れたコーヒーを飲んでみたいです。ルーシアと一緒に」

「はい、お待ちしておりますね。最高の一杯をご提供できるよう、私も精進してまいります」

 

 エリアスが、深々と頭を下げて去っていく。

 衛兵達も安堵の表情を浮かべ、一件落着といった雰囲気になった。

 ところが、観衆はまだ解散する気配がない。

 なぜなら、彼らは知っていたからだ。このあと、もう一幕あることを。


 ウィリアムがイヴの身体を向かい合わせになるよう反転させると、いつになく厳しい表情を浮かべて言った。


「――イヴ、私は君にも怒っているんだぞ」

「ええっ!?」


 とたん、両手で口元を押さえてコーヒー色の瞳をうるうるさせるイヴに、彼は苦言を続けるのをくじけそうになったが……




「怒っているのに――ウィリアム様ったら、こんなにかわいいんですか!?」




 イヴの危機に駆けつけたウィリアムには、毎度のことながらオオカミの耳と尻尾が出現していた。

 モッフモフのフッサフサである。

 イヴの目はもちろん、それらに釘付けだ。


「怒っていてもかわいいなんて……ウィリアム様はすごい」

「んんっ……ではなくて! どうして、わざわざメイソン公爵に近づいたりしたんだ! もしも私が間に合わなかったら、どうなっていたか……」

「それは、抜かりありません。ウィリアム様が駆けつけてくださる頃合いをちゃんと図って行動しましたので」

「それはよかっ――いや、よくない!」


 胸を張るイヴに、ウィリアムは頭を抱える。

 心なしかぺしゃんとした彼のフサフサの耳を、イヴはすかさずモフモフした。

 その胸元のリボンが解けてしまっているのに気づいて、律儀に結び直してやっていたウィリアムだったが、やがて囁くような声で問う。


「メイソン公爵に陛下の命を破らせて、爵位を譲らせるため、か?」

「それは結果です。私はただ、公爵閣下にちゃんと知っていただきたかったんですよ。私の幸せを揺るがすなんて、できないってことを」


 イヴはお返しするみたいに、両手で殊更優しくウィリアムのオオカミ耳を撫でると、大真面目な顔をして言った。


「だって、こんっっっなに、かわいいウィリアム様が側にいてくださるのに、不幸になんてなりようがないと思いませんか!?」

「んぐっ……」

「あっ、耳……ぴるぴるってしました! かわいい!!」

「うぬぅ……」


 いずれ国王となるであろう第一王子が、類稀なるオオカミ族の先祖返りが、巨漢のメイソン公爵を軽々と制したアンドルフ王国の最強が――エプロン姿の少女に大人しく頭を差し出している。

 モフモフの耳だけに留まらず、結局頭まで撫で回されている。

 かわいいかわいい、されている。

 完全に――大きなワンコ。


「やっぱり――ウィリアム様が世界一かわいいです」


 ウィリアムのフサフサの尻尾がブンブンと、それはもう喜びを隠しきれない様子で振られているのを見ると、観衆の間には自然と笑みが広がるのだった。

 そんな中、途中で行き合ったのか、オリバーとクローディアが王宮の玄関を潜る。

 目の前の光景と周囲の人々を見回した彼らは、顔を見合わせてこう言い交わした。


「妹と親友が公衆の面前でいちゃついている現場に遭遇してしまった兄の気持ちを述べよ。六文字」

「爆発しろ」

「正解」

「ご褒美にコーヒーを淹れてちょうだいよー。うーんと苦いやつ!」


 代々のフォルコ家当主がコーヒー狂であること。


 イヴの記憶力が抜きん出ていること。


 それから、『カフェ・フォルコ』のコーヒーがおいしいということ。


 これらの事実が広く知れ渡っているのと同様に――



「ウィリアム様、世界一かわいい」

「そうか」



 やがて第三十五代アンドルフ国王となるであろう第一王子ウィリアムが、『カフェ・フォルコ』の店長代理の前では〝世界一かわいい王子様〟になることを――この王宮で知らない者はいなかった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

店長代理と世界一かわいい王子様 ~コーヒー一杯につき伝言一件承ります~ くる ひなた @gozo6ppu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ