その四



 王城の背中を見下ろす場所にある草原に、今まさに四人の男達が到着した。

 その足下では、風になびく草の一本一本が赤に染まっている。

 

「こ、これは……いったい……?」


 目の前の光景に唇を戦慄かせるのは、イヴから伝言役を頼まれたジュニアだ。

 その声に気づいて振り返ったイヴもまた、真っ赤である。

 彼女は、大きく両目を瞬かせ……


「あれっ、ジュニアさん? ウィリアム様も兄さんもマンチカン伯爵閣下も、どうなさったんですか?」


 口元からカップを離して、そうきょとんと首を傾げた。




「――って、決闘は!?」

「「「けっとう?」」」




 素っ頓狂なジュニアの叫び声に、四人分の女性の声が返る。

 イヴと、その向こうで優雅にカップを傾ける王女ロメリア、宰相の右腕クローディア、そして――


「血統なんて……ばかばかしいわ……」


 今にも消え入りそうな弱々しい声でそう呟くのは、白金色の毛並みを赤く染めたオオカミ娘。

 西の山際にかかった夕日が、風になびく草原と――そこに敷物を広げて和気藹々とする四人の女達を赤く彩っていた。


「――って、あんた誰!? 別人じゃん!!」


 両目をまんまるにしたジュニアが、ビシリッと人差し指を突きつける。

 ルーシア・メイソン公爵令嬢に。

 とたん、彼女はビクンと跳び上がった。


「きゃっ、ねこ……こわい……猫こわい……」

「大丈夫ですよ、ルーシアさん。彼はまだ子猫ですからね。――ジュニアさん、大きな声を出さないでください。ルーシアさんが怯えてしまいますでしょう」

「いや、ホントに誰なのっ!?」


 ジュニアは目を白黒させる。

 なにしろ、さきほど『カフェ・フォルコ』の前で散々高慢に振る舞っていったルーシアが、今は耳をペタン伏せて縋るようにイヴの袖を握っているのだ。

 彼女達が座る敷物の上にはバスケットが置かれ、ポットやお菓子が乗った皿が並んでいた。


「な、なにこれ……お茶会……?」


 想像とはかけ離れた状況に、ジュニアはただただ呆然とする。

 その後ろをのんびりと歩いてきたウィリアムが、立ち尽くす彼を追い抜いてイヴの側に腰を下ろした。

 それだけで、またビクンと身体を震わせたルーシアに苦笑いを浮かべつつ口を開く。


「だから言っただろう。決闘などありえないと。イヴとルーシアは友達だよ」

「で、でも……王立学校では、ルーシアさんがよくイヴさんに辛く当たって……」

「それね、演技。今のイヴに縋り付いてプルプルしてるのが、本来のルーシアだから」

「え、演技ぃ!? なんのためにっ!?」


 続いて、えっちらおっちらマンチカン伯爵の手を引いてきたオリバーが口を挟んで、ジュニアは混乱を極める。

 彼が王立学校で見てきた通り、ルーシアは確かにイヴを目の敵にしているように振る舞ってきた。

 しかし、それは父であるメイソン公爵に命じられ、校内での言動を見張る取り巻き達の目があったからで、決して彼女自身が望んだことではない。

 オリバーが国外で愛想のいい男を演じているように、ルーシアもまた父の意に沿う気位の高い強い女を演じてきたのだ。

 けれど、本当の彼女は、大人しくて引っ込み思案な女の子だった。


「ルーシアさんが無理やり悪役令嬢を演じているのがわかっていましたから、何を言われても平気でしたしね。逆に、ルーシアさんの方が涙目になってて心配でした」

「だって、私……演技とはいえ、イヴにあんなひどいことを……」

「そんな時、いつも颯爽と現れてうまく収めてくださるのが、ロメリア様だったんですよね」

「ついでに、調子に乗っていたルーシアの取り巻きを一匹ずつ排除してやりましたわ」


 などと、昔話に花を咲かせるイヴとロメリア、そしてルーシアを、ジュニア以外の男達は微笑ましげに眺めている。一方……


「きゃーん、女の子達かわいいー。永遠に見ていられるわー」


 仲良し三人娘を肴にワインをがぶ飲みしているのはクローディアだ。

 ウィリアムはそんな彼女を胡乱な目で見た。


「想定外なのは、クローディアがここにいることだけだな。君、なぜ混ざっているんだ?」

「イヴちゃんがロメリア様を誘いにきた時にたまたま居合せたんですー。仲間に入れてもらえるよう、全力で拝み倒しましたよね!」

「もちろん、今日提出分の書類は上がっているんだろうな?」

「もちろん、上がってるわけないじゃないですかー」


 問答無用でワインボトルが取り上げられたのは言うまでもない。

 今回のお茶会の主催はルーシアで、イヴが伝言を頼まれた相手というのがロメリアだった。

 そのロメリアはイヴに頬を寄せると、じとりとした目をウィリアムに向ける。


「お兄様こそ、お呼びじゃないのにどうして来たんですの? お呼びじゃないのに」

「二回も言うな。イヴなら心配ないと言ったんだが、ジュニアがどうしても納得しなかったんだ」


 そのジュニアが、だって! と声を張り上げた。


「イヴさんのことを、どこの馬の骨か分からない女の子供だって……」

「「「「――は?」」」」

「ふぎゃっ……お、俺が言ったんじゃないんですよぉ!」

「はいはい、うちのカワイイ孫がごめんなさいねー。殺気をしまってちょうだいねー」


 ウィリアムとオリバー、ロメリアとクローディアの鋭い視線が、元々の発言の主ではなくジュニアに突き刺さる。

 震え上がる彼を、マンチカン伯爵が慌てて庇った。

 当のイヴは、平然とした顔で口を開く。


「私は別に、あんな風に言われても傷ついたりしませんよ。だって、ルーシアさんの暴言はだいたい自虐ですし……」

「えっ、自虐って……?」


 首を傾げるジュニアに、ルーシアはイヴの陰に隠れて――実際はイヴより上背があるため全然隠れられていないのだが――やはり消え入りそうな声で言った。


「どこの馬の骨か分からない女の子供なのは、私もよ。公言されてはいないけれど……私も、メイソン公爵夫人の子供じゃないの」

「――ええっ!?」


 純血回帰主義を掲げるメイソン公爵家では、より純血に近い子供を得るという大義名分の元、代々の当主が平然と大勢の愛人を囲ってきた。

 ルーシアの父である、現メイソン公爵も然り。


「それを棚に上げて、フォルコのおじ様を薄情者呼ばわりしたのよ、あの父は。自己を客観的に見る能力が著しく欠如しているのでしょうね」


 ルーシアが『カフェ・フォルコ』の前で呟いた、私生児のくせに一人前に家名を背負っていい気なものだ、なんていうのも、本当はイヴではなく自身を皮肉った言葉だったのだ。

 愛人の産んだルーシアがメイソン公爵家の最高傑作なんて呼ばれることに、本妻やその子達がどれほど屈辱を覚えたのかは、推して知るべしだろう。

 そんな事情を聞かされたジュニアは、さすがに気まずそうな顔をした。


「じゃ、じゃあ……あの金貨のやりとりは……?」

「あれは〝この金貨でおいしいお菓子をいーっぱい買ってきてね。おつりはいらないわ〟を最大限ツンツンした感じで伝えたんですよね、ルーシアさん?」

「ええ、大階段の陰で父の取り巻きが聞き耳を立てているのに気づいたものだから……。金貨を投げつける演出にしてもよかったんだけど、それだとカップにぽちゃんしちゃいそうでしょう?」

「イヴさんが、ウィリアム様を煩わせてるっていうのは……?」

「私が、ウィリアム様にお世話になりまくっているのは事実ですもの」

「あのね、イヴ。私が言いたいのはそういうことではなくてね。あなたが、ウィリアム様のお気持ちも考えずに気安くモフモフするから……」

「んんっ……そこまでにしようか」


 わざとらしい咳払いをしてウィリアムが話を遮った。

 ともあれ、ここまでのやりとりを見れば、イヴとルーシアの関係が良好であることはもはや疑いようもないだろう。

 しかし、この状況にいまだついていけないジュニアが、金色の頭をぐしゃぐしゃしながらなおも続けた。


「コーヒーなんかって言ったのは!? あれはいったい何だったんですか!?」

「コーヒーなんか、とは何だ。ぶっ飛ばすぞ」


 コーヒー過激派がすかさず反応したが、イヴはそんな兄をさらりと無視して答える。


「あれは、〝誰がコーヒーなんか飲むものですか。だってお父様から禁じられているんですもの。ごめなさいね。でもいつかイヴのおすすめを飲んでみたいわ〟の略ですよ」

「本当に!? その行間の読み方で、本当にあってます!?」

「いつかイヴのおすすめを飲んでみたいわ」

「あってた!!」


 ルーシアをはじめ、メイソン公爵家の人間はコーヒーを口にすることを許されていない。

 純血回帰を謳うメイソン公爵家にとって、ヒト族はオオカミ族の血統を汚した諸悪の根源。そんなヒト族がもたらしたコーヒーもまた、かの家にとっては悪魔の飲み物という位置付けなのだ。

 オリバーの母が、祝福されてフォルコ家に嫁いだわけではないのも明白だろう。

 一年前、メイソン公爵が『カフェ・フォルコ』を襲撃したのにも、コーヒーに対する憎悪が根底にあったから。

 ちなみにあの時、直前にイヴを店から連れ出して助けたのは、ルーシアだった。


「ほ、本当に……決闘じゃ、なかったんだぁ……」


 さすがにここまでくると、ジュニアも自分の心配が杞憂だったと認めずにはいられなくなった。

 脱力した彼は草原に尻餅をつくと、はーっと盛大なため息を吐き出す。

 夕日は、すでに半分が山際に隠れてしまっていた。

 イヴの側に座って一連のやりとりを見守っていたウィリアムが、猫耳をぺしゃんと伏せたジュニアに笑いが滲んだ声をかける。


「納得したか?」

「はい、まあ……いやでも、もう日暮れですよ? こんな時間からお茶会なんて、普通します!?」


 これはジュニアの言う通りで、ウィリアムも疑問を抱いていたことだ。

 間もなく夜の帳も降りようという山の中腹で、飲み会ならまだしも、お茶会とは。


「イヴ、どうしてこの時間にこんな場所で集まることになったんだ?」


 ウィリアムが改めて問うと、イヴはルーシアとロメリア、そしてクローディアと顔を見合わせてから、いつになく硬い表情で彼を見上げて言った。


「ウィリアム様……メイソン公爵閣下が議席を剥奪されてしまうというのは、本当でございましょうか?」

「――ロメリア」


 とたん、ウィリアムは妹を鋭い目で見据える。

 しかし、本日の会議決定を喋ったであろう犯人は、べっと舌を出して応えた。

 それを庇うように、ルーシアがおずおずと口を開く。


「ロメリア様に教えていただくまでもないことです。あの父には当然の報い、自業自得。ざまあみろってんです」

「……これは闇が深そうだな。何の落ち度もない君にまで影響が及ぶのは、我々としても非常に心苦しいのだが」

「私はいっこうにかまいません。むしろ、よくぞ一年も待っていただけたものだと思っておりますもの」

「そうか……」


 聡明なルーシアは、すでに覚悟を決めていた。

 父がやらかした上に義務を放棄するようになって一年の節目を迎える今日の会議で、ついに審判が下されるであろうこと。

 そして、その決定が明日にはメイソン公爵家に伝えられるであろうことも。


「きっと父は議会の決定に反発し、みっともなく騒ぐでしょう……」

「ルーシアさん……」

「ルーシア……」


 ぐっと俯いてそう呟くルーシアに、イヴとロメリアが左右からしがみ付いた。

 オオカミのモフモフの手も、彼女達を抱き返す。


「女の子達の友情……美しいわぁ……」


 感涙で頬を濡らしたクローディアが、少女達を慈しむように一まとめに包み込んだ。

 夕日に染まっていた世界が、ゆっくりと夜に侵食され始める。

 濃紺の空にぽつりと一つ、小さな星も姿を現した。

 冷えた風にヒゲを撫でられて、ぷしゅん、と一つマンチカン伯爵がくしゃみをする。

 それを合図に、女性陣を代表するみたいにイヴが口を開いた。


「お願いが、あります」


 彼女のコーヒー色の瞳が、じっと見つめる。

 保護者である兄オリバーでも、年長者であるマンチカン伯爵でもなく、この場で最も位の高い――そして、いつも自分に対して心を砕いてくれる頼もしい相手を。


「今後しばらくは、こうしてルーシアさんと会うのが難しくなるかもしれません。今夜は、もう少しだけ一緒にいさせてください」


 この健気はお願いに、ウィリアムが否を唱えるはずもなかった。




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