その三



 愛する妻を亡くし、幼い息子を連れて傷心の旅に出たロバート・フォルコが一年後、臍の緒も取れていないような赤子を抱いて戻ってきた時には、アンドルフの王宮は騒然となったものだ。

 その赤子が、イヴである。

 妻の死後一年足らずで子供を作ってきたロバートに対し、あまりにも薄情ではないかとメイソン公爵家が猛反発。

 イヴを国外へ養子に出せという要求を跳ね除けたことから、かの家からの経済的支援も縁も切られてしまった。

 とはいえ、王家やマンチカン伯爵家といった極太の後援者がいたため、フォルコ家としては痛くも痒くもなかったのだが。

 とにかく、イヴに対するメイソン公爵家の心証はすこぶるよろしくない。

 加えて……


「どうせあなた、相変わらずウィリアム様を煩わせているのでしょう?」


 イヴに視線を戻して、ルーシアが高圧的に言う。

 第一王子ウィリアムが、あからさまにイヴを特別視していること。

 その事実が、メイソン公爵家の苛立ちに拍車をかけていた。

 メイソン公爵家は数百年前に王家から派生し、古くより純血回帰主義を唱えてきた一族である。

 五百年前の地殻変動をきっかけに、ヒト族をはじめとした様々な血が交じったオオカミ族の血統を、もとの純血に戻そうという考えだ。

 そのため、オオカミ族の特徴を持つものを何代も執拗にかけ合わせ――その末に出来上がった最高傑作が、純血に近い見た目で生まれたルーシアだった。

 メイソン公爵家は、そんな彼女こそが希少な先祖返りであるウィリアムの伴侶にふさわしいと主張し続けている。

 それもあって、王立学校時代は、ルーシアやその取り巻きがイヴにきつくあたっては、彼女を庇う王女ロメリアと衝突するのが常だった。

 イヴ達より一学年下だったジュニアも、実はそんな場面を何度も目撃したことがある。


(でも、今はロメリア様がいらっしゃらないし……ここは俺が、何とかしないと!)


 ジュニアはそう、自分を鼓舞して口を開いてはみたものの……

 

「あ、あの! そんな言い方しなくてもいいんじゃ……」

「部外者は口を挟まないでちょうだい」


 オオカミに睨まれて、子猫はとたんに涙目になってしまった。

 ぺしゃんと伏せられた彼の猫耳を凝視しつつ、イヴが優しく声をかける。


「ジュニアさん、ありがとうございます。私は平気ですよ。彼女とは、長い付き合いですので」

「で、でも……でも……」


 十七時を回り、『カフェ・フォルコ』がある王宮一階大階段付近は殊更人通りが多くなった。

 ジュニアの凹んだ姿に、人々はなんだなんだと足を止めては顔を見合わせている。

 そんな観衆をじろりと鋭く見回したルーシアは、とにかく、と続けた。


「例の場所で待っているわ。あの人にも、そう伝えてちょうだい」

「あっ、ルーシアさん。金貨……」

「あげるって言ってるでしょう。しつこいわね。それで、せいぜいおいしいお菓子でも買えばいいんだわ」

「……」


 口を噤んだイヴにフンと鼻を鳴らすと、ルーシアは踵を返す。

 そうして、ざわざわする周囲を完全に無視し、カツカツとブーツの踵を響かせて去っていった。

 そのすらりとした後ろ姿と、金貨を握りしめたまま無言で立ち尽くすイヴを見比べ、ジュニアはおろおろする。

 やがて、コーヒー色の瞳を大きく瞬かせてから、イヴが口を開いた。


「ジュニアさん……この後、マンチカン伯爵閣下をお迎えにいかれるのですよね?」

「えっ? う、うん……」

「ご面倒をおかけして申し訳ありませんが、一緒にいるウィリアム様と兄に伝言をお願いできませんでしょうか?」

「それは……別に、かまわないですけど……」


 何と伝えようかと問う彼に、イヴは手の中の金貨を見下ろして続けた。


「戻りが遅くなるかもしれませんが、どうか心配なさらないでください、と」

「えっ? ええっと……どちらへ行かれるんですか?」


 時刻は、すでに十七時を回っている。

 イヴはかまどの火を落とすと、カウンター横の壁にかかっていた札を〝営業中〟から〝営業終了〟に裏返した。

 そうして、エプロンドレスとヘッドドレスを外しながら、ジュニアの質問に答える。


「ちょっと、裏山へ行って参ります」

「う、裏山……?」

 

 飲み終わったカップはカウンターの上に置いておいてください。

 そうと言い置いて、イヴはさっさと店に背中を向けた。

 ジュニアはその小柄な後ろ姿をぽかんとした顔で見送る。

 ここでようやく手に取ったカフェモカは、猫舌の彼にはちょうど飲み頃になっていた。

 甘いチョコとホイップクリーム、それからほろ苦いコーヒーが口の中で絶妙に混じり合う。

 ジュニアはカウンターにもたれてそれを堪能しつつ、イヴが残していった言葉を頭の中で転がした。

 

「裏山になんて、いったい何をしに行くんだろう……?」


 確かに、アンドルフ城の裏にはなだらかな山がある。

 何の変哲もない山だ。

 特徴と言えば、中腹にだだっ広い草原があるだけの――と、ここまで考えて、ジュニアははっとした。


「――まさか」


 現在の時刻は、間もなく十七時半というところ。

 イヴが裏山の中腹にたどり着く頃には、十八時も目前となっているだろう。

 そんな夕闇迫る中、人気のないだだっ広い草原で、因縁のある二人がすることといえば……



「――決闘? イヴさんが、ルーシア嬢と決闘ぉお!?」









「――それで? ヒト族の国の手がかりは何か掴めたのか?」


 手網に入れたコーヒー豆を、オリバーが焚き火の上で振っている。

 先日イヴと座ったあの切り株に、今日はその兄と並んだウィリアムは、木の棒の先で火種を突きながら質問の答えを待った。


「このコーヒーの木が立つ山の所有者の、祖父の友達の彼女の顔見知りの隣人の隣人がヒト族の末裔だった、ってことは分かったよ」

「いや、それ……コーヒーの木の所有者とは無関係にもほどがあるだろう」

「ただし、祖父の友達の彼女の顔見知りの隣人は、コーヒーの木の所有者の愛人だった」

「じゃあ、愛人の隣人がヒト族の末裔だった、でよくなかったか? 何なんだ、最初の注釈は」


 ウィリアムとオリバーのそんなやりとりに、くふふふっとさもおかしそうに笑うのは、焚き火を挟んで向かいの切り株に腰を下ろしているマンチカン伯爵だ。

 彼はさっきから、木の枝に刺したマシュマロを焼いている。

 オリバーが焙煎しているのは、マンチカン伯爵が持ち帰り用に頼んだ新しい豆だった。


「その愛人の隣人……気のいいばあさんだったんだけど、彼女に話を聞いた限りでは、少なくとも五十年前まではヒト族の国の所在が把握できていたみたいだな」

「それ以降のことは?」

「わからないんだとさ。東の海を渡って、どこかの島に移り住んだっていう噂も耳にしたんだけどね。確証はない」

「そうか……」


 ここで、パチパチと一回目の爆ぜが始まった。 

 すると、猫舌のマンチカン伯爵が、焼けたマショマロをふーふーしながら問う。


「オリバーは、ヒト族の国を見つけてどうするつもりだい?」

「コーヒーについて根掘り葉掘り聞きたいんだよね。コーヒーに関する歴史書なんかもあれば、見せてもらいたいし」


 この時、無意識なのだろうか。

 オリバーの手網を振っていない方の手が、首に下げたロケットをエプロンの上からぎゅっと握りしめていた。


「……」


 そのロケットの中身が何なのかを、ウィリアムは知っている。

 一年前――イヴを初めて一人でアンドルフ王国に残して旅立つ時、オリバーが彼にだけ包み隠さず全てを打ち明けて行ったからだ。

 ロケットには、小さな骨の欠片が入っている。

 イヴの母親の、小指の骨だ。

 オリバーはそれを彼女が故郷に残してきた大切な相手に返すために、ヒト族の国を探すのだ、とウィリアムに告げた。

 彼女がイヴを産んで亡くなる最期の瞬間、オリバーと父がそう約束したらしい。


「――で? こっちにもそろそろ動きがあるだろうと思って戻ってきたんだけど? 議会もようやく重い腰を上げて、メイソンのおっさんを切る気になったんだろ?」


 オリバーが、あからさまに話題を変えた。

 それに言及することなく、ウィリアムは一緒に今日の議会に出席していたマンチカン伯爵と顔を見合わせる。

 円卓を囲んで十六用意されていた席の中、この一年空いたままだったのは、オリバーの母方の実家であるメイソン公爵家の席だった。

 それは、本日付けで取り払われることが決定した席でもある。

 ちょうど一年前に起こったある事件を発端とし、メイソン公爵は王宮の正面玄関からの立ち入りを禁止された。

 正しくはフォルコ家への接近禁止なのだが、『カフェ・フォルコ』が王宮一階大階段脇にあるため、実質正面玄関立ち入り禁止である。


「あのおっさん、イヴがうちの名を背負って店に立つことが気に入らなかったんだったけ?」

「自らフォルコ家と縁を切っておきながら干渉しようなどと、烏滸がましいにもほどがある」


 オリバーは冷笑を浮かべ、ウィリアムは苦々しい顔をして言う。

 一年前のあの日――メイソン公爵はカウンターを乗り越えて『カフェ・フォルコ』の店内に侵入し、棚に並べられていたコーヒー豆のビンをことごとく割った。

 つい最近、ウィリアムはイヴとともに同じような話を聞いたが、うっかり者のネズミ獣人とは比べ物にならないくらい、こちらはたちが悪い。

 公爵とはいえそのような暴挙が許されるはずもなく、即刻衛兵に取り押さえられて審議にかけられた。


「けど、そこで決定したうちへの補償にも謝罪にも頑として応じなかったんだよね」

「見かねた父――陛下が直々に申し渡した、フォルコ家への接近禁止の命には、さすがに従わざるをえなかったようだがな」

「特にイヴに関しては、万が一あの子に手の届く距離まで近づいたら、理由の如何を問わず爵位を後継者に移行させるって宣言なさったんだっけ?」

「ああ、幸い長子はまともな男だ。さっさと彼に爵位を譲っていれば、こんなことにはならなかっただろうに……」


 代々議席を持つメイソン公爵は、定例会議に出席する義務がある。

 ところが、正面玄関ではなく裏口からしか王宮に入れてもらえないことに腹を立て、結局それから一度も議会に出席していなかった。

 公爵という地位と王家の分家ということで、幾分寛大な処置がとられてきたが……


「義務を放棄し続ける者に、これ以上の情けは無用だね。メイソン公爵家の議席は、永久に剥奪されることになった」


 マンチカン伯爵が、瞳孔を針のように細めてそう言い放つ。

 彼も、メイソン公爵の行いを腹に据えかねていたのだろう。

 

「母上の実家だから、オリバーは複雑かもしれないけども……」

「関係ないよ。母さんは、そもそもあの家のことは好きじゃなかった。もちろん、俺もね」


 オリバーの答えにうんうんと頷いたマンチカン伯爵は、今度はウィリアムに向かって言った。

  

「議会決定の言い渡しは明日、だっけ? しばらくメイソン家は荒れるだろうねぇ。逆恨みで危害を加えられないよう、イヴに護衛を付けた方がいいんじゃにゃいか?」

「すでに、信頼のおける衛兵を手配している。私もできる限り様子を見に行くようにするよ。オリバーも、しばらくは王宮にいるんだろう?」

「そうだね。メイソンのおっさんがどこまで墜ちるのかは、見届けてやろうかな」


 やがてチリチリと音を立て始めたコーヒー豆を、オリバーが火から上げる。

 それを網の上に広げて冷ましつつ、それにしても、と続けた。


「一年前、万が一イヴが怪我でもさせられていたら、あいつの屋敷に火をつけて盛大にコーヒー豆の焙煎をしてやったんだけどね」

「そんなコーヒーは飲みたくないな。そういえばあの時、直前にイヴを店から連れ出した者がいたんだったな。確か、彼女は……」


 ウィリアムがその人物の名を口にしようとした時だった。


「じ、じいちゃぁあああん……!」

「おおおっ……ジュニア!? どうしたぁ!?」


 ガサガサと茂みを掻き分けて、見知った顔が飛び出してくる。

 マンチカン伯爵家のジュニアだ。


「た、たいへん……たいへんなんだよぉお!!」


 よほど慌てて走ってきたのだろう。

 衣服はヨレヨレで汗だくになった彼は、マンチカン伯爵、オリバー、そして最後にウィリアムの顔をまじまじと凝視したかと思ったら……



「イ、イヴさんが――決闘に行ってしまいましたぁ!!」



「「「――は!?」」」



 とんでもない知らせを届けたのだった。




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