咎負い

灰崎千尋

咎負い

 その日、一人の若い男が“とがい”に選ばれた。

 くじ引きによって無作為に選ばれたその男は、逃げ出そうとしたのを打ち据えられ、両目をえぐられ、けんを切られ、名を奪われ、ほこらに繋がれた。今日より一年、この集落の咎の全てを、彼が負うために。


 その集落では、人の手ではどうしようもないことを土地の神に祈るとき、“とがい”を置く。五年前は疫病を退ける為だった。今年は凶作による飢饉ききんをしのぐ為だという。

 神は罪を嫌う。けがれを嫌う。集落に災いが降りかかるのはそれを充分にそそげていないからだ、と古き人々は考えた。集落を存続するための人柱、それを皆で罰しよう。そうすればきっと、神に贖罪しょくざいを示すことができる。きっと願いは聞き届けられる。そうして、“咎負い”の習わしが生まれた。




 男は一人、暗い祠で震えていた。

 自ら舌を噛まないよう猿轡さるぐつわめられ、体の前で手首を縛られた。目玉のあったはずの場所には丁寧に薬草が揉みこまれ、その上からおびを巻かれていた。腱を切られた足も同様だった。“咎負い”は役目を果たすまで、死んではならない。だが死を除くあらゆる罰を受ける。それが掟だと、呪術師のしゃがれ声が頭の中でこだまする。


 男は、これから自分がどうなるのか、考えずにはいられなかった。

 五年前の“咎負い”は、年嵩としかさの女だった。

 祠の前を通るとき、人々はおもいおもいの罰を与えていた。多くは小石を投げつける程度だが、見る度に新しい痣が増えていた。そしてこの男自身、“咎負い”の女に何もしていないわけではなかった。仲間と数人で囲んで犯したのを、男は確かに覚えていた。

 祠は恐ろしいほど静かだった。虫の声ひとつ聞こえない夜が、男は初めてだった。自分の嗚咽だけがみじめに響く。藁を編んだ敷物、用を足すための壺、手の届く範囲にあるのはそれだけだった。一年。男はここで生かされるのだ。

 顔も名も忘れられた“咎負い”の女が役目を終えた後どうなったか、男はよく思い出せない。祭があった。天高く火を焚いて、踊り明かす夜があった。疫病は確かに退けられたのだ。だが女の姿を見た覚えはない。あの日以来、一度も。

 奪われた目も足も戻ってこない。そんな男にもはや価値があるとは思えなかった。一年耐えたところできっと、死ぬよりほかはないのだ。

 どうして。何故自分がこんな目に。

 傷が熱を持ち、痛みは波のように襲いかかる。男は気絶するように眠るのと、汗だくで飛び起きるのとを繰り返した。




 翌朝、祠の外から小石が投げ込まれて、“咎負い”の男は目を覚ました。小石は横になっていた男の胸元に当たり、その刺激にびくりと起き上がる。痛くはなかった。ただ、誰が投げたかもわからないその小さな石は、自分が“咎負い”なのだということを否応なく自覚させた。

 祠はやはり、静かだった。入り口まで這って行けば、“咎負い”の男の耳にも鳥のさえずりが聞こえたかもしれないが、今が朝なのか夜なのか彼にはわからなかったし、わかったところで意味も無い。


 とその時、ざり、と足音が響いた。


 “咎負い”の男は、岩壁を背にぎゅっと身を縮こませた。足音は近づいてくる。この祠に入ってくる目的など決まっている。罰を与えに来たのだ。

 舌打ちが一つ。そのすぐ後に、“咎負い”は頬をたれた。衝撃に頭の中がぐらぐらと揺れる。傾いた“咎負い”の体へ、続けざまに足が飛んでくる。腹に、あばらに、背に。それが止むと、荒い息と、「クソ野郎が」と吐き捨てる相手の声が低く響いた。仕上げとばかりにもう一発蹴られ、猿轡へ自らの胃液が染み込んだ。咳き込むとそのえた匂いに吐き気が増す。それを抑えようと藻掻いている間に、相手は立ち去っていた。

 自分に罰を与えた相手を、“咎負い”の男は知っている気がした。家畜をくすねたのだったか、妻か娘にしたのだったか、定かではない。

 男は、素行の悪い人間だった。ろくに仕事もせず、数人の取り巻きとつるみ、暇つぶしに盗みや暴行などをしてまわった。それでも裁かれなかったのは、証拠を残さない知恵があること、他の部族との争いになれば最も戦果をあげたこと、そして何より集落のおさの息子であることが影響していた。

 これから先、“咎負い”としてだけではなく男自身の罰も受けていくのだ。それがわかっていたから、捕らわれる前に逃げようとした。その抵抗は全く無駄に終わったのだが。


 鈍い痛みと不快な匂いに耐えながら、“咎負い”の時間は過ぎていった。あの後、しばらく罰を与える者の来ないまま昼過ぎになっていたが、彼にそれを知る術は無い。

 そうしてまた、祠を訪れる者があった。

 体の大きな男だった。片手には皿に油を注いだランプを持ち、少し身を屈ませなが奥へと入り、人の気配に怯える“咎負い”の前で抱えていた荷物を下ろした。大男はすん、と鼻をひくつかせると、ゆったりとした手付きで“咎負い”の体を起こし、猿轡を外してやった。


「なに、何だ、誰なんだ」


 驚いた“咎負い”の問いには答えず、大男は彼のそばへどっかりと座り、目元を覆っていた帯もほどく。目玉の代わりに眼窩へ詰められていた薬草は、赤黒く変色していた。大男はそれを太い指でほじくり出そうとしたが力加減を誤り、「いてっ! いてぇって!」と“咎負い”が悲鳴をあげる。どうにか薬草を取り除くと、大男は持ってきた水瓶みずがめを傾けて布を濡らし、“咎負い”の顔を拭きはじめた。

 “咎負い”はぎょっとして顔を反らせたが、大男に強い力で掴まれたので抵抗を止めた。大人しく顔を拭かれながら、“咎負い”は混乱していた。傷が塞がりかけていたのに指を突っ込まれた目元がじくじくと痛んだ。「何なんだよ……」と呟いた“咎負い”の顔面が、今度は急に青臭くなる。大男が新しい薬草をぐりぐりと詰め込んでいるのだ。“咎負い”がまた悲鳴をあげる中どうにか薬草を取り替え終わり、大男は新しい帯でその目元をぎゅっと締め上げた。恐ろしく不慣れな手付きで、目元の帯も締め過ぎだったが、これが手当てであることは“咎負い”にもわかった。


「なぁ、あんた目付け役ってやつか」


 その言葉に大男は一瞬動きを止めたが、やはり何も答えずに“咎負い”の服を脱がせ始めた。


「はん、そうか、あんたらは祠で喋っちゃいけないんだったな」


 そう言うと、“咎負い”は悪態をつきながらも、大男にされるがまま服を脱がされ、全身を拭かれた。蹴られて赤く腫れた背も、用を足すときに汚れた局部もくまなく。

 大男は足の薬草と布も取り替え終わると、今度は“咎負い”を座らせた。それから大きな緑の葉の包みを開け、中に入っていた茶色い団子を小さく千切り、“咎負い”の唇に押し付けた。

 馴染み深い、香ばしい匂いが“咎負い”の鼻腔をくすぐった。“咎負い”は考えるより先に、団子を口に入れていた。

 焦がした麦の粉に水と油、少しの塩を混ぜて練ったその団子は、主食としても、蜜をかけて菓子としてもよく食べられているものだった。一口食べると、空腹を思い出した。母の味が恋しくなった。昨日までいたはずの家に帰りたかった。だがどうすることもできず、“咎負い”は餌をねだる雛鳥のように情けなく口を開けた。大男は親鳥のようにそこへ団子を放り込む。飲み込みそこなって噎せる“咎負い”に、椀に注いだ水を飲ませてやる。その間、大男が穏やかに微笑んでいたのを、“咎負い”は知らない。

 団子を食いつくした“咎負い”の口をぬぐってやり、大男が新しい布を猿轡として噛ませようとしたとき、“咎負い”がまた口を開いた。


「あんたも哀れだな、俺なんぞの世話をさせられてよ」


 それだけ言って、“咎負い”は大人しく布を噛んだので、大男は黙ってその両端を結んだ。今度は多少、緩めに。

 大男は広げた荷物をまとめると、糞尿の入った壺を空の壺に取り替えて、最後まで口を開かないまま祠を後にした。

 “咎負い”の祠は、また暗闇と静寂に包まれた。




 “咎負い”の祠には掟がある。

『“咎負い”を死なせてはならない』

 これが最も重い。だから傷は手当され、汚れは清められる。集落が飢えていても“咎負い”の食料が優先され、水も与えられる。そして、その世話をしてやる人間が一人決められる。それが今回は、あの大男だった。

 罰を与える者にも制約がある。刃物を使ってはならないし、女の拳よりも大きな石を投げてはならない。

 “咎負い”が足を奪われるのは逃がさない為だが、目を奪われるのは罰を与える者が誰か知られない為だった。同じ理由で、祠で声を出すことは禁じられた。相手が誰だかわかることによって、“咎負い”が恨みを持つのを防ぐのだという。

 そして、“咎負い”の元の名を呼んではならない。“咎負い”はもはや人間では無く神への捧げ物であり、名を呼べば“咎負い”が人間であったことを思い出してしまうからだ。

 こうした掟によって、集落の皆が罰を与えられるようになっていた。



 祠へ罰を与えに来る者は、日を追うごとに増えていった。

 初めは尻込みしていても、周りに煽られるようになる。これが集落の為なのだ、と。お前に罪は、咎は無いのか、と。そうして試しに一度、小石でも投げてみる。それで案外慣れてしまうのだ。石は段々大きくなり、直接殴るようになり、体を踏みつけるようになる。蔓や縄で鞭打つ者や、爪を剥ぐ者は限られたが、男も女も関係なく、小さな子供までも遊びのつもりで石やごみ屑を投げ入れた。

 “咎負い”は、集落全ての咎を負う。それはこれまでの咎だけでは無い。新たに罪を犯した時もまた、人々は祠へ行く。だから、“咎負い”への罰が止むことは無い。


 月に雲が覆いかぶさり、ぼんやりとその姿が溶けていく夜。“咎負い”の祠には、訪問者がいた。

 一人の男が、“咎負い”の太股ふとももの間に自らの陰茎を挟ませ、熱心に擦りあげている。上ずった喘ぎ声と共に腰の揺れは激しくなり、やがて“咎負い”の腹に精をぶちまけた。

 “咎負い”にこうした罰を与える男は、何人かいた。生臭く、どろりとして不快だったが、痛みが無いだけましに思えた。早く終わらせるため、太股に力を入れてやることさえあった。

 ようやく眠れる、と息を吐いた“咎負い”の体が、突然うつ伏せにひっくり返される。ぎょっとして身を強張らせた“咎負い”の乳首を、男が後ろから摘んで捻った。叫びは猿轡に吸い込まれ、のけ反った“咎負い”の首すじを男の舌がべろりと舐める。男は“咎負い”の腹から垂れた自分の精液を指にとり、持ち上げた尻の穴に塗りつけ始めた。この先が想像できないほど、“咎負い”は幼くない。縛られた腕でどうにか這い出そうとするが徒労に終わる。指が、入ってくる。知らない痛みと異物感に総毛立つ。荒い息が“咎負い”の尻にかかりながら、まさぐられ、ほぐされる。やがて指が引き抜かれ、“咎負い”の尻がひくりと震えた。その赤く濡れた穴を、再び固くなった男の陰茎が貫いた。


 欲を満たした男が去り、夜が明け、別の数人が罰を与えていった。それからようやく、大男がやってくる時間になった。

 大男は“咎負い”をひと目見て何をされたのか察したが、まずはいつも通り体を拭くことにする。大男が抱き起こそうとすると、“咎負い”は体をくねらせて拒絶した。その姿をランプの灯りが照らし、あらゆる体液が“咎負い”の体の上で混じり合い、乾きかけ、染みになっているのが見えた。衣ははだけ、ひどい臭いがした。“咎負い”はゆるゆると頭を振る。その湿った猿轡をどうにか外すと、「あ、いや、いやだ」と細い声が漏れた。

 大男は、濡らした布越しにそっと“咎負い”の頬に触れた。“咎負い”はびくりと肩を揺らして固まったが、やがてうめき声をあげながら大男の手に顔を擦り付けた。

 大男はそのまま顔と体を拭いてやった。全身の痣や傷は見慣れていたが、腫れ上がった尻が痛々しかった。傷ついただろう穴にも軟膏を塗ろうとして大いに抵抗されたが、最後には大人しくなった。






 日々痛めつけられ、唾を吐かれ、犯される。

 最初に“咎負い”を殴った男のように、禁じられてはいても口を開いてしまう相手は多かった。「お前のせいだ」と呟いたり、「どうか、どうか頼みます」と拝んだり。その様子は様々だったが、相手が自分の知り合いだろうか、これは自分自身への罰だろうか、と怯えていたのは数日だけだった。“咎負い”の痛みに、もはや違いなど無い。一年この痛みと付き合い続けることに変わりはないのだと、“咎負い”は悟ってしまっていた。

 その内に、“咎負い”は自らのにも思い至った。“咎負い”が置かれるのは、集落が特に苦しい時期だ。そうすれば人々の中に鬱憤が、不満が溜まっていく。それを解消させるための、体のいい憂さ晴らしでもあるのだろう。“咎負い”に手を上げるのに、許可も祈りも必要無いのだから。

 あとは早く、慣れてしまいたかった。あるいは、心を殺してしまいたかった。


「なぁ、あんた。あんたが一番非道ひどい」


 ある時、“咎負い”は世話をしにきた大男に言った。

 大男は耳を傾けるように、豆の煮込みをすくっていたさじを戻した。


「もう何も考えたくないし、何も感じたくないんだ。それなのにあんたが、あんたの手が、あったかいから」


 “咎負い”は下を向いて、嗚咽を必死に嚙み殺す。それでも震える声で言葉を続けた。


「あんたのせいで、俺は未だに正気なんだ。あんたが人間扱いするから、人形にもなれないんだ。もう、毎日あんたが待ち遠しくなってる。あんたに触れられて、自分を取り戻しちまう。なぁ、これも掟か? 違うよな。五年前の女は半年も持たなかったはずだ。生かすだけなら、あんたも家畜みたいに扱ってくれよ。ここから救い出してもくれないくせに!」


 “咎負い”が慟哭どうこくする。

 久しぶりに感情を昂ぶらせたものだから、顔がカッと熱くなり目眩がした。

 大男はただ“咎負い”が息を整えるのを待って、冷めきった豆を匙で掬い、彼の唇に近づけた。


「ハッ、だんまりかよ。まぁそうだよな、あんたは」


 諦めたように笑って、“咎負い”は差し出された匙から啜った。

 麦の出る日は少なく、豆の量も日に日に減っていた。飢饉は終わっていない。“咎負い”の役目もまだ終わらない。

 スープを食べ終わり、再び猿轡を噛ませようとしたとき、“咎負い”が思い出したように呟いた。


「あんたみたいな奴、知ってる気がする。名前も知らないけど、図体がでかくて、全然喋らなくて、でもなんか、やたらと目が合う奴。……いや、こんなの知ってる内に入らないか。忘れてくれ」


 それから大男は、いつも通りに“咎負い”の祠を出て行った。ただその目がいつになくぎらついていたのを、気づく者は誰もいなかった。




 それから幾日か過ぎた、ある晩。

 死んだように寝静まった集落から、大男がランプも持たず祠へやってきた。先客はいない。“咎負い”が藁の上に転がっているだけだ。

 人の気配に“咎負い”が目を覚ました。身構える彼を優しく抱き起こし、大男はその耳元で囁いた。


「カリオ。僕、君をもらうよ」


 『カリオ』、それは奪われたはずの“咎負い”の名前だった。驚く彼の腕を首飾りのように胸の前に通すと、大男はそのまま体をひょいと背負い、迷い無く祠を出て行く。

 乾いた風が吹いていた。葉擦れの音の中に、虫の声が聞こえた。土と草の匂いがした。何もかもが久しぶりで、カリオは背に揺られながらぽかんと呆けていた。

 だが自分がまだ手と口の自由を奪われているのにはたと気づき、そして何より自分がさらわれているのを思い出し、縛られた手首で大男の胸を叩いた。祠にいる間に衰えた力では随分と弱々しかったが、大男はおお、とそれに応えた。


「カリオ、もう少し我慢して。いま騒がれると流石にばれそうだ」


 大男はそう言って、のしのしと歩き続けた。

 カリオにはもうわかっていた。自分を背負っているのが、毎日自分を世話していた相手だと。その大きな手と汗の匂いに、カリオは確かに覚えがあった。

 どの道、カリオは大男に身を任せるしかない。大男の背は広く、温かかった。その肩に頭を乗せて揺られている内、カリオは眠りに落ちていた。


 一晩中、大男は歩き続けた。大男の歩みは決して速くはなかったが、足取りはしっかりとしている。細い月の光が彼らの道を白く照らしていた。




 カリオは、せせらぎの音で目を覚ました。

 口を塞ぐものは無く、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。眩しさは感じないが、陽光の当たる体が暖かい。自由な腕で上体を起こそうとしてふらついたのを、大きな手に支えられる。


「水を飲むかい、カリオ。小さいけれどきれいな川だよ」


 大男に手を引かれ、カリオは川の水に腕を浸した。ひやり、と水の流れがカリオの手を包み込む。水というのはこんなに柔らかいものだったか、とカリオは思う。そのまま両手で掬い、喉へ流し込んだ。体の内側を洗い流されるような気がして、カリオは何度も何度も水を掬った。


「その辺にしときなよ。腹を壊しちゃいけないから」


 大男の声は、低くまろやかに響いた。

 その声の方へ手探りに辿り、カリオは大男の両肩を掴んだ。


「あんた、いったいどういうつもりなんだ。」


 カリオは苛立たしげに言う。


「わかってるよ。あんた、ずっと俺の面倒見てくれてた奴だろう? 連れ出してくれたことには礼を言う。だが出られたところで、俺はもう何も出来やしない。それとも何か、抱き人形にでもするつもりか? あんたも俺を犯した奴の一人なのか?」


 捲し立てるカリオを受け流すように、大男はゆったりと答える。


「君に断りなくそんなことしないさ。ただ僕は、君をもっと見ていたくなったんだ」


 大男は愛おしそうにカリオを見つめ、大きな手で彼の頬を包み込んだ。


「ねぇ、僕はずっと君を見ていたんだ。君が“咎負い”になる前からずうっと。君はおさの息子で、悪いのとつるんでいて、ろくでなしだから近づくなって言われてた。僕は体ばっかり大きくてぼんやりだから危ないんだって。だから遠くから見ていたよ。君はいつも強くて、きれいだった」

「……きれい? 俺が?」

「うん。つまらなそうに歩いている時もきれいだけど、悪いことをして笑っている時が一番きれいだった。目がきらきらして、唇が赤くって、ぞくぞくした」


 そこまで言って、大男はそのつぶらな目を伏せた。


「だから、君が“咎負い”になった時はびっくりしたし、とても悲しかった。もうきれいな君が見られないのかと思って。それで、君のお世話をする人を決めることになったんだけど、誰もやりたがらなかった。君は結構、悪い奴だったからね。家族はなれない決まりだったし。それならって僕、手を挙げたんだ。“咎負い”にはなってしまったけど、君を近くで見られるだろうから。みんな、君がもし暴れても僕なら抑えられるだろうって認めてくれた。嬉しかったなぁ」


 大男が懐かしむようにほうっと息を吐いた。カリオはただ、混乱していた。自分の話のはずなのに、全くそんな気がしない。


「それから君のお世話をするようになったら、またびっくりした。だって、君はやっぱりきれいなんだもの。目玉が無くなっても、痣だらけになっても、痩せて骨が見えていても、ぐちゃぐちゃに汚れていても。それにね、僕の前に体を晒す君や、僕の手から食べ物を食べる君は、特別きれいに見えた。だから僕、思ったんだ。一年後、真っ赤に燃える君もきっときれいなんだろうなぁって」


 カリオは背筋がぞくりとした。この男は、違う。今まで自分が見てきた誰とも違う。大男を掴んでいる指先が冷えていく。


「だから一生懸命お世話をしたよ。君が死なないように。君がもっときれいになるように。君の最後まで一番近くで見ていようって思ってた。でも君が───」


 大男は感極まったように言葉に詰まり、カリオの体を引き寄せてぎゅう、と抱きしめた。カリオはされるがままになるしかない。


「でも君が、僕を知っていてくれたから。覚えていてくれたから。遠くで見ていただけなのに。それがわかってしまって、僕はとても欲張りになったんだ。もっと、ずっと君を見ていたい。一年じゃ足りない。君の全部が欲しい。だからこうして、君を連れてきたんだ」


 カリオは頭がくらくらした。大男の言葉は簡単なのに、咀嚼できない。それでも自分を祠から出してくれたのは、この男なのだ。


「……だからって、だからって、あんた、これから追われる身になるんじゃないのか。こんな体の俺を連れて」

「ああ、うん。たぶん、ここまで追ってくる余裕は無いんじゃないかな。見張りも立てられないくらいだから。今年は本当にひどい凶作だね」


 カリオがしぼりだした言葉に、大男は事もなさげに返す。


「俺の、体、治ったりしないぞ。一生このままだ。あんた、死ぬまで俺を世話して生きていく気か?」

「うん、わかってる。だからね、カリオ。僕の全部をあげるから、君の全部をくれない?」


 その声はうっとりとして、ひどく甘い。

 嗚呼、なんて殺し文句だろうと、カリオは思った。


「あんた本当、とんでもない奴だな」

「そう? じゃあだめ?」

「わかってて言ってるんだろう、タチが悪い。俺に選択肢なんて無いんだ。あんたがいないとどこへも行けない。あんた無しじゃ生きていけない。とっくにそうなってるのに、俺に言わせるのか」


 カリオは深いため息をついて、大男の肩に顎を預けた。


「なぁ、あんた名前は?」

「えっと、ホズ。ホズだよ」

「じゃあホズ。やるよ。俺を全部、ホズにやる。途中で捨てるなよ」


 それを聞いたホズはこの上なく幸せそうな顔で「うん、うん!」と何度も頷きながら、いっそう締め付けるようにカリオを抱きしめた。

 幸福なホズの耳には、カリオの小さな呟きは聞こえていなかった。



「やっぱり、あんたが一番非道ひどい」

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